「…と言うわけだ、皆の衆」
と、数人の少女たちを眼前に置き、その緑髪の少女はそう言った。
その少女と少女たちの間には、意味ありげに置かれた二つのケース。
「何が「というわけ」なのよ。
突然呼びつけておいてなにやらかそうっての?」
「そうだよ〜、早く寝ないと、舎監の先生に怒られるよ?」
少女たちは一部除いてみな不満げだ。
その一部だって、眠たいのかしきりに目をこすっているから、おそらく話の趣旨なんてまったく理解していないだろう。
「ふむふむ…諸君の言い分はもっとも。
しかし、われわれ来年度新入生をお迎えになった先輩方が打ち上げと称して今も酒盛りの真っ最中。
それなのにわれわれは何もなくただ不貞寝するしかないと来た。
理不尽とは思わないか?」
「…そりゃあ…そうだけどさ」
「承淵みたく部員待遇でもなく、ましてやまだ高等部に入学したわけでもないあたしらを入れてくれるとは思えないわよ」
「その承淵だって、結局ここにいるわけだし」
「………ふぇ?」
少女の一人が、隅っこでとろんとした表情をしている狐色髪の少女を小突く。
その衝撃で、承淵と呼ばれたその少女も夢心地だったところから現実に引き戻されたようだった。
緑髪の少女はにっ、と笑った。
「そりゃそうだ。
何せこれからやることに必要だったからあたしが引きとめたんだよ」
「どういうこと?」
柔らかなプラチナブロンドをショートカットにした少女が、怪訝な表情をして聞き返す。
「実は今日、確かな筋からの情報で舎監不在は確認済み。
で、来年度の長湖部幹部候補生たる我々しかこの寮に残っていないことも確認済み。
つまり常識的な範囲において我々が何をしていようが咎めるものは居ない、そういうことだ」
「え? え?」
「ちょっと敬風、もったいぶらずに本題言いなさいよ。
あんたまさか…つーかそのケースの中身ってアレよね…?」
「大歓迎だろ、世議」
「当っ然。
他のみんなは?」
世議と呼ばれた、亜麻色のロングヘアの少女が嬉々とした顔で満座を見回した。
「あたしもいいけど」
「でもふーちゃん、まさかただ延々と夜なべしてそんなことしてるの?
みんながみんな、ふーちゃんみたいに強かったりお金賭けたりとかそういうの」
「心配無用だ皆の衆。
今回は単純にギャンブルしたい奴はそいつら同士だけでやりとりをするし、うちの堅物伯姉が珍しく手ぇ廻してくれたから上位者には別個で特別報償も出る。
総合1位になった奴には豫州学区本校地下のバイキングタダ券一か月分だ!」
敬風と呼ばれた、そのリーダー格と思しき少女が懐から取り出した回数券の束を見て、少女たちから思わず感嘆の声が飛び出す。
蒼天学園生徒の憧れの的とも言える、学園最高級との呼び声高い学生食堂のタダ券を目の前にしたのなら、それは当然の反応だ。
「他にも各種景品の用意があるし、直接参加しない奴も誰が優勝者になるか想像して、うまく当たればそれなりの景品もあるぞ。
なおギャンブルに参加したい奴は、あたし達がいつもやってる点5(1000点=50円のレート)、なおかつウマだの割れ目だのヤキトリ罰符だのの回転数を上げるためのデンジャラスなルールもフルコースでいくど」
「おー、話わかるじゃん。
流石は敬風先生」
赤髪の少女と緑髪の少女が互いの顔を見合わせ、にっと笑い合う。
「というわけで、これからヨチカのタダ券を賭けた、旭日祭後夜祭麻雀大会の開催に異議あるものは!?」
「異議な〜し!」
その元気のいい満場一致を見て、敬風こと陸凱は満足そうに頷いた。
そこの集うのも陸凱以下、実に濃いメンツだった。
プラチナブロンドのショートカットを、ぱっちりとした大きな、かつ勝気そうな瞳が特徴的な顔に乗せているのは虞、字を世洪。
亜麻色のロングヘアをストレートに流している、ツリ目で長身の少女は呂拠、字を世議。
黒のクセっ毛を、ツインテールに束ねた童顔の少女は朱績、字を公緒。
緑髪の少女があと二人いるが、そのうちのセミロングで陸凱によく似た顔立ちをしているのは、陸凱の双子の妹・陸胤、字を敬宗、もう一人の、ロングヘアにして三つ編みを作っているのは現長湖部の実働部隊総帥である陸遜の実妹・陸抗、字を幼節。
そして結局最後の瞬間まで夢うつつだった狐色髪の少女は、中等部生でありながらその陸遜軍団の突撃隊長として名を馳せる丁奉、字を承淵。
他にも丁固、孟宗、鐘離牧、現在は実働部隊の猛将として名を馳せる朱桓の妹朱異といった顔ぶれ…後に長湖部の柱石となり、あるいは外地でさまざまな功績をあげる事となる名臣たち…そんな少女たちが高等部入学を目前に控えたこの時期に、このような馬鹿をやらかしていたという話が学園史に残っていることもなかった。
まずくじ引きで定められたメンバーで打ち、負け抜けにより予選試合を行う。
こうして十数名いるメンバーを八人に絞り、四人卓をふたつ作り、局を消化するごとに上位卓下位二名、下位卓上位二名を入れ替えながら、東風戦全六局もしくは午後一時半となった時点でそれを最終局とし、総合的な勝者を決める…という方式だ。
基本は公式的な麻雀のルールに準拠するも、
即ち、5・10のウマ、飛ばし賞あり、役満賞あり。
サシウマと飛ばしで点五でも一局で万近い儲けまたは損が出る恐るべきシロモノだ。
しかも上位者に名を連ねる陸凱たちはイカサマも平気でやるからそのハンデを埋めるため、いくつか厳しいルールも付け加えている。
麻雀にあまり慣れてない(と思われている)陸胤や丁固、孟宗などといった初心者もしくはカジュアルプレイでしかやらない者達には罰符の適用外であることもそのひとつだ。
そんなこんなで、慮江の中等部寮で長湖幹部候補生たちによる、学食のタダ券を賭けた血で血を洗う戦いの幕は切って落とされた。
-真冬の夜の夢-
予選は時間を取らせない目的もあり、各自は持ち点10000からスタートで「勝ちが積もらない」という形式を取られた。
つまり、通常の麻雀と異なり持ち点を失えば取り返しが利かないというサドンデス形式だ。
こうした極限の環境ではさすがに、常日頃から賭け前提で卓を囲む陸凱、虞、呂拠といった連中が極めて強い。
ゲームセンターではそこそこ勝てる程度の鐘離牧や、基本的に彼女らと同類である朱異などは、それぞれの壮絶な食い合いの末に脱落していったが…「本戦」に残ったのは順当な結果とも言える前述の三
そして厳正なる(?)くじ引きにより、最初の卓は陸凱、虞、陸胤、陸抗の四人、あとの四人がもう一つの卓として本戦が開始された。
「よし来た!
リーチ一発ツモタンピン三色…裏乗ってドラ2、親倍満八千オール!」
「え、嘘っ!?」
「うっわ…いきなり飛ばしてきやがったなこの女…」
陸凱が倒した手は、まるで麻雀のガイドブックにお手本で載っているかのような、整った手役である。
そのあまりの鮮やかさに、上家の虞も呆れ顔。
別卓の丁固や朱績も思わず手を止めて覗き込んできた。
「そりゃあなんたってあんた、ヨチカのタダ券懸ってますから」
「あざといねぇ…子幹や敬宗もいるんだからちったぁ遠慮しなよ」
清算を終えてがらがらと牌をかき混ぜ始めた陸凱を嗜める、朱異の物言いも何処吹く風だ。
そして、まるでこちらも、一度視線を外した面々が視線を戻すと同時に呂拠もぱたぱたと手牌を倒してみせる。
「悪ぃ、あたしもツモだ。
メンホン一通でハネ満、六千の三千」
「うええええええええ一体いつの間にそんなことに!!」
絶叫する丁固。
親であったために払いの大きい彼女にとって、この一撃は堪ったものではない。
「はっ、こんなのは和がったもん勝ちだ。
もたもたしてるほうが悪い」
「速すぎるよ! どうせろくなコトしてないんだろうし!!」
「ホントだよぅ」
こちらも呆れ顔の朱績と丁固のブーイングを食らう。
しかし呂拠もまた気にした風はなく。
「そらそうだ、こんなかで賭けの成立するやつが居ないんだし、さっさとそっちの緑髪や銀髪野郎と当たらなきゃ、商品狙う以外に儲けがないからな」
悪びれすることなく言い放つ。
当然ながらこの局は件の三玄人が上位に残り…まではいいのだが、何故かまだ半分眠っている状態の丁奉も上位卓に混ざるという結果に終わった。
…
二局目。
呂拠は聴牌となった己の手牌と、場の捨て牌を眺めて思案する。
(さぁて…世洪は多分万子の真ん中辺、敬風は張ってる気配ないな。
問題は承淵だが…)
ちら、と呂拠は下家…現在の親番にあたる丁奉を見る。
(一色系なんだろうけど鳴いてないのが不気味なんだよな…てかコイツ、半分寝ってるせいか表情読めね〜…)
まだ眠いのかぼんやりしていている彼女は、何も考えていないようにも見える。
しかしそのため、まるでその思考が読み取れないのだ。普段なら、読みたくなくたって考えが読めるほど解りやすい相手のはずなのだから。
(まぁいい…ヤツは放っといて一気に決めるか)
呂拠は思案の末捨てようとした索子の四を、瞬時に目の前の山の一牌とすり替える。
そこには先ほどすり替えた北の牌。
「リーチ」
まさに一瞬の動作で難なくそのイカサマを実行し、完全な安牌であると思われたその牌を横倒しにして置く。
ついでに言えば山に戻したのはちょうど自分のツモ牌、かつ高目の和了牌。
流石に百戦錬磨の玄人呂拠、そつがない。
「うーわあの野郎やりやがった…」
その様子を目敏く見つけて、小声で呆れたように呟く朱異。
「アレが成立したら一気にトップだねえ。
序盤で一気に親蹴っ飛ばされたから、ここで一気に親番を回しておきたい処なんだろうけど」
「主導権を握りたいのは敬風達も一緒なんだろうけどな。
世議らしくもねえな、ここで勝負を急ぐか」
楼玄の物言いに、渋い表情で小首を傾げる朱異の視線の先で、呂拠はリーチ棒を置こうとする。
「あ〜出さなくていいよ〜それだからぁ〜」
「はぁ!?」
半分眠ったような顔で、ゆらゆらと揺れながら宣言する丁奉に、呂拠は勿論虞と陸凱も、朱異らギャラリーですら思わず間抜けな声をあげて見事にハモってしまった。
そして、パタパタと音を立てて倒れる牌を見て全員の表情が一瞬で凍る。
「えっとぉ、国士無双〜…割れ目で倍だから六万四千〜」
「えー!」
信じられない単語が飛び出して満座の注目を一気に集める。
わらわらと集まってくる少女たち。
「…あ…有り得ねぇ…」
「なんか知らんけどナチュラルのあの子は得体の知れないトコ、あるからなぁ」
呆然と呟く朱異と楼玄。
呂拠はまるで酸欠の金魚めいて口をぱくぱくさせるのみ、さしもの陸凱や虞も目が点になったまま固まっている始末だ。
そして…場の全員がまるで注目していないことをいいことに、残った卓ではただ一人、朱績が自分の手役と牌の山から好き勝手に牌を弄くっていることに誰も気づかなかったという。
…
試合開始からわずか三時間の間に、全体の折り返し地点である四局めを前に…一時休憩が入れられる。
三局めはさらに波乱の様相を呈していた。
あのまま箱割れを起こし、下位卓へ放り込まれた陸凱と呂拠は、思いも寄らぬ朱績の猛攻に晒される羽目になった。
役満振り込みによる即死という憂き目にあった呂拠は、次いで朱績が一曲目から仕掛けてきたドラをこれでもかと内蔵した強烈な一撃を貰って、以降はすっかり宇宙と交信しているような有様だった。
それでもなんとか朱績に食らいつくかたちで上位卓へ舞い戻った陸凱が、難しい顔でめいめい休憩を取るべく人のいなくなった談話室のホワイトボードをにらみつけながら、その真ん前に陣取っていた。
そこに貼り付けられた点数表にも、おおよそ信じがたい結果が表示されていた。
ぶっちぎり一位が丁奉、そして10000点程度の差をつけられてそこに朱績が追随している。
「こりゃあ意外な展開になってきたな〜」
呆れ笑いで頭を掻く陸凱は現在四位、どこもわりと速攻で勝負がついている状況であるためか、現在の午後十一時半という時間であれば残り三局を囲むことも難しくはない、ということを考えても、トップを狙うのはいささか厳しいものがあった。
三位につけている虞も下位卓に送られ、トップを狙うのは決して楽な道のりではない。
「うわ、コレは思った以上にめちゃくちゃな順位だねぇ」
そこへ、真っ青な髪をショートカットにした少女…朱異が姿を見せる。
「おお、季文先生か」
「にしても承淵のヤツマジでどーなってんだ?
さっきも一発役満かましやがったしな、あの捨て牌から誰が緑一色(オールグリーン)張ってるなんて予想できるってんだ」
差し入れなのだろう、陸凱へ緑茶の缶を渡し、横に腰掛けた朱異は呆れたような表情で溜息を吐く。
陸凱も同じような表情で肩を竦める。
「そんなのあたしが聞きたいよ。
つか、現実的に対処できそうな中で公緒、あのスットコドッコイのイタズラもそろそろ止めねえと」
「だな、アレも大分調子こいてやがるしな。
どーせあんたのこった、わざわざあたしが答言わなくても、あのイカ野郎が何してんだか目星ついてんだろ?」
「当然だ。
あいつに指先技術が最大限に要求されるイカサマも、他人の心理の裏を突くようなペテンも出来るわけがねえ。
そんな公緒ちゃんでも時間さえあれば十分に可能なイカサマがあるとすれば、ガン牌(牌に微細な傷などをつけて目印にするイカサマ)ぐらいしかあるまい。
積み込みはあいつの振り方がヘタクソだし、あたしか世洪が軽く揺さぶってやるだけでもあっさり出目がずれちまうからな」
「だろうねえ。あいつ、無駄に視力だけはいいからな。
どうせ次の局で世洪も上がってくんだろ、あいつに対抗するために稼げるだけ稼いでおかんとな。
で、承淵はどうすんだ?」
「ほっとこう。
あいつが勝てば、もしかしたら振舞ってくれるかもしれないし。
それに世議も多分ダメだろ、完全に心が折れちまってるしなあ」
「…まあねえ。
可愛そうだが、正直フォローのしようないし…それにあんたが勝つよりは、承淵に勝って貰った方がヨチカのおこぼれに預かれる率高いし」
「一言余計だ」
その会話が終わるころ、思い思いに休憩を取っていた少女たちが戻ってきた。
その様子は特に変わったところもなく…強いていえば、それまで半睡眠状態だった丁奉が、風呂上がりなためか完全覚醒状態だったことを除けば。
…
「いや〜…まさかあたしがそんなに勝ってたなんてねぇ…」
「本当に覚えてないの、しょーちゃん?」
「世議さんなんてまだ魂抜けかかってるよー?」
「覚えてない覚えてない…っと、これでリーチかな」
結局心神喪失状態となって途中リタイアした呂拠に替わり、孟宗を加えた五局目下位卓。
何時の間にか総合得点がマイナスに転じていた丁奉も、当たり前のようにその顔ぶれに混じって居たりする。
あのあと意識がはっきりするにつれて、彼女は人が変わったように負け始めた。
彼女は、それを好機と見て取った陸凱と虞の集中攻撃を受け、金額にすれば三万円近い勝ち分を一気に吐き出したのだ。
同時に、仕掛けていたガンパイのタネを見破られた朱績も陸凱の逆襲を受けて大きくへこまされていた。
「まぁ、この手のゲームは欲がないほうが強い場合ありますからねー」
言いながら孟宗が、引いてきた牌と手役を見ながら言う。
「あと承淵さんは、半分寝てるときのほうが手強いかも、ですね」
その次に牌を捨てながら陸胤も続ける。
「そんなもんなのかな…あ、残念違うか」
「あ、それ当たりだよ〜」
「え、うっそ?」
丁奉が切った牌を取り上げて、手役を開陳する陸抗。
「だって普段のしょーちゃん、何考えてるか解りやすいんだもん。
あ、断公のみで千点だよ〜」
「ちぇ〜」
素面に戻った彼女の周囲では、まぁそんな平和な空間が生まれていたわけである。
…
一方、五局目の朱績。
(まいったなぁ…おねーちゃんから教えてもらった手は敬風達に見破られてるみたいだし…何か良い手はないかなぁ)
なんとか上位に残りはしたものの、数巡するうちに少しずつ旗色は悪くなり始めているのは自分でも解っていた。
対面の虞が何か切ろうとしたが、それは今張っている朱績の当たり牌であることも彼女には解っていた。
そういう仕掛けをしたからである。
しかし、どういうわけかそれが切って出されることはなかった。
(あれ…まさか、あんな牌を抱え込むなんて?)
一瞬、彼女は違和感を感じた。
しかし、彼女が一体何を考えているのかなど、朱績に解ろうハズもない。
上家の丁固の牌を覗き込む。
こちらにも、同じ牌を握っているようだ。だが、彼女もそれを切ることはなかった。
(え…子賤まで…?)
偶然にしてはおかしい。
いくらなんでも二人して示し合わせたように同じ牌を抱え込むなんて。
虞ならいざ知らず、丁固にまでもこのタネが見破られているなど。
(はは…まさか、ね)
捨て牌を見る限りではそれを利用できる手役ができているとも思えない…というのは、あくまで彼女の希望的観測でしかない。
わずかな時間で牌に目印をつけるくらいの腕があるくせに、捨て牌から手役を読める能力がなかったことが致命的な弱点であった。
プラス、自分の力を過信していたことが朱績の命取りとなった。
彼女の姉・朱然なら、危険を察知し確実に戦略を切り替えていただろう。
あるいは、そこいらの有象無象が相手なら、それでも良かったのかもしれない。
だが今此処にいるのは、まかりなくも何か光るものを見出され、長湖部幹部候補生となった少女達なのだ。
「ロン、一通ドラ2で満貫です♪」
「同じく、純チャンドラ1。あたしは親満ですかね?」
「何でー!?」
同時に牌を倒す虞と丁固。
朱績はその慢心故に、トップを狙う上で絶対に許してはいけない致命の一撃を貰ってしまったのである。
…
そして最終卓を迎えた。
下位卓のトップは意外にも陸胤、ついで陸抗と並んでいたが、得点圏的には既にトップを狙えるような状態ではなかった。
上位でも負け落ち組の丁固、朱績共に、下位で稼いでも陸凱もしくは虞を直接飛ばさないと優勝が難しいという状況に合って、当然ながら朱績が異を唱えて食い下がった。
「これで終わったらあたし逆転できないよ〜」
「文句言うな。承淵や敬宗、子賤だって逆転不可能なんだからあきらめろ」
たしなめるように陸凱が言う。
実は陸抗もなのだが、まぁ、現状陸凱、虞以外は誰がどうがんばっても1位は望めない。
暫定1位の虞を引き摺り下ろしたって陸凱が優勝を持っていく状態だ。3位までは商品があるが、おそらく陸一家のどちらかが持って行くことになるだろう。
「そんなぁ…」
がっくりとうなだれる朱績を見かねたのか、その暫定1位が助け舟を出した。
「いいじゃないの敬風、最終戦は実質1位取れるヤツだけで囲んで、派手に差し馬つけるってので」
「あぁ?」
「このままじゃどうせ、あたしかあんたしか得しなさそうだし」
「それが勝負、ってモンでしょ。
あたしはむしろ今止めたって文句言うつもりはない」
「面白くないじゃん。
例えば、最後の一発であたしらのどっちかが負けたとき、あたしらの得点を0換算にして買ったヤツにつぎ込んでやるとかどーよ?
そうすれば敬宗ぐらいまで逆転1位可能だし、あたしらどっちかが勝てば儲け倍だし、そのほうがスリルあっていいよ?」
「う〜ん…他の皆は?」
「別にいいよー。
なんかもう疲れちゃったし、見てる方がいいなあ」
渋々といった感じで見回す陸凱に、丁奉がまず同意する。
既に部屋に戻ってふて寝している呂拠を除くギャラリーも、それぞれに顔を見合わせたりしながら頷いている。
「そーだねー。
なんだかんだで、私たちは十分楽しんだし、そーちゃんはどうする?」
「えっとー…」
陸抗に呼ばれた陸胤は少し首をひねり…。
「せっかくだから、最後までもうちょっと頑張ってみますー。
私もそのルールでいいですよー」
双子の妹の言葉を受け、陸凱は溜息を吐く。
「なら認めてやるか。
その代わり、あんたが悪戯した分の牌はとっかえて使わせてもらうから…いいな公緒?」
「う…わかったわよぅ…」
渋々承諾する朱績。
時刻は午前一時を過ぎている。
事前に定めた時間からも、おそらく正真正銘これが最終ラウンドとなるだろう。
予備に用意された牌と、印付けされた牌を交換する数分のインターバルを挟んだ後、運命の最終戦が幕をあけた。
…
一巡目。
人のことをいえた義理もないあざとさで派手な手役を組み上げる陸凱だったが、ツモ牌を引こうとする直前だった。
「ちょっとタンマ」
不意に虞に腕を捕まれ、しまった、という表情を一瞬見せる。
そして普段出したことのない猫撫で声で言った。
「えと、なんでしょうか世洪さん?」
「とぼけたって駄目。
あんたらしからぬミスだわね敬風…そのお手々、開いて見せて?」
なんというか、そう言う虞の笑顔はとてつもなく怖かった。
かつて彼女の姉・虞翻をして「あの子のその笑顔ほど恐ろしいものはない」と言わしめた、凍りついた笑顔がそこにあった。
その異様な雰囲気のなか、恐る恐る覗き込んできた朱績と陸胤も、一歩引いた位置で成り行きを見守っている。
冷や汗とともに開かれた手からは、牌が二つ出てきた。
よく見れば彼女の手牌も規定より一枚少ない。
つまり陸凱は、不要牌と山の牌を交換しながら牌を引いていたのだ。
「この罰符、役満払いで文句なくて?」
「ちっ……………覚えてろコノヤロウ」
さらににっこり具合を強める虞をジト目で睨みつける陸凱の背後では、陸抗と丁奉が必死に笑いをこらえていた。
…
「ふっふ〜♪」
イカサマ発覚のあと、トップ争いから外された陸凱を尻目に着々と点を稼ぐ朱績を見、虞は怪訝そうな表情をした。
(おっかしいわね〜…この短い間でまた何をやったのかしら、コイツは?)
見れば陸凱も同じような顔だ。
一瞬目が合ったが、彼女はぷいとそっぽを向いてしまう。
まぁ、先ほどの一件を鑑みれば仕方ないとは思うのだが。
(駄目か。
敬風も割りと根に持つからなぁ…彼女なら見破ってそうなんだけど、これが見破れないと、優勝さらわれちゃうかもね)
そうして再び手役に目を戻す虞。
(世洪の野郎覚えてやがれ。
それに公緒、コイツも懲りねーやっちゃな。
義封先輩なら見破られた戦法なんて二度三度と使ってこねぇーっつの)
その隣の陸凱、朱績が何をしているかをほぼ九割がた、見破っている様子だった。
おそらくその技は、先ほどと同じくガンパイであることは九割九部、間違いないようだ。
ただ、時間的に目印をつけた牌もそう多くなかろう。
同じ技を使っている以上、決めてかかればタネを見破るくらい陸凱にとっては朝飯前だった。
そして、目当ての牌を引き入れ、わずかに笑みを浮かべた。
(見てろコノヤロウ…この陸敬風の本気、思い知れ!)
朱績の優位がひっくり返されるのは、その一巡後のことであった。
彼女は陸凱がすり替えた牌を握らされ…ドラをたっぷり抱え込んだ倍満手を喰らい、一気に最下位に引きずり落とされるのだった。
…
そんな波乱に満ちた最終戦、そのクライマックスを彩ったのは意外にも陸胤だった。
「えと…待ってくださいね……わ、すご〜い」
「え?」
パタパタと倒れた手牌。
「あがっちゃってます〜、しかも字の牌ばっかり〜」
「…………………!!」
満面の笑みを浮かべる陸胤に、呆気に取られて言葉を失う陸凱。
隣では朱績と虞が酸欠の金魚よろしく口をパクパクさせている。
和了り手は天和、大三元、字一色。
当然ながらこの組み合わせなら四暗刻もつく。
親の四倍役満、十九万二千点…いや、割れ目ルールがあるから更に六万四千点加わって、その得点は計二十五万六千点也。
はっきり言って平打ちなら有り得ない展開だ。
しかし一瞬後、陸凱はなんとなくだがその理由に気がついた。
このとき皆が牌を引いたのは、陸凱の積んだ山からだった。
陸凱はオーラスに最後の望みをかけ、盲牌で探り当てた字牌を自分のところにかき集めていたのだ。
それが巧い具合に、彼女の対面に座っていた双子の妹のところに集まってしまった…。
(てとなにか、原因は…………あたし?)
陸凱は言葉に出さず、心の中でそうつぶやいた。
ギャラリーも全員思わず目が点。
ただ一人陸抗だけが「すごーい」とかいって素直に喜んでいた。
この一発をもって、豫州地下学食のバイキングタダ券を賭けた少女たちの仁義なき戦いが幕を閉じた。
六時間以上にも及ぶ激戦は、陸凱と虞のふたりを飛ばし、有り得ないほどのサシウマが加算された陸胤が総合優勝を掻っ攫うという、誰もが予期していなかった結果に終わったのである。
…
…
その決戦の翌々日、件の豫州地下食堂には特徴的な緑髪の少女たちの一団がいた。
「じゃあ結局、敬宗がタダ券持ってったわけ?」
その顛末を聞き終えて、口火を切ったアップのヘアスタイルは、既に長湖部を引退して久しい陸績。
「え〜そうですよ〜。
あたしと世洪が仲良く下からワンツーっておまけつきで」
ふてくされた様子でテーブルにへばっている跳ね髪は陸凱。
「それは災難ねぇ。
でもあなた達の場合は因果応報ってトコだわ」
痛烈な台詞を吐くショートボブは陸遜。
「何でよ」
「どうせまたあざとい手使ってたんでしょ、あなたも虞さんも」
「え〜使いましたともさ。だってヨチカのタダ券欲しかったんだも〜んだ」
更なる陸遜の追い討ちに、むくれてそっぽを向く陸凱。
そのとき、何か違和感を感じたらしい陸績。
「じゃああなた、負けたんなら余計に此処、いれないんじゃないの?」
「それは異な事を仰るな
なら前金制の此処に負け組のあたしや幼節その他がいてたまるか」
「そういえば…」
思い当たり、周囲を見回す陸績。
集まった面子はその夜居合わせた、全員…勿論、あの後ふて寝してそのまま夜を明かした呂拠さえも含んでいる。
単なる打ち上げというなら、裏から景品を廻した陸遜はともかく、不参加の同級生や長湖部員でない陸績が呼ばれるのもおかしな話だった。
「コレはみんな敬宗のおごり。
ついでに言えば、あたしたちは賭け金も鐚一銭払ってませんよ」
虞の更なる証言に、顔を見合わせる陸遜と陸績。
「勝負は勝負で面白かったからお金賭けるのナシ、とか言い出したんだよアイツ。
ダントツの大勝がそんなこと言い出したもんだから他も何も言えなかった、ってオチだよ」
呆れたように、椅子にふんぞり返る陸凱。
「はぁ…なるほど」
「あの娘らしいわね」
そこまで聞いて、二人も納得したようだった。
「しかも今日でタダ券もばら撒くつもりみたいだよ。
みんなで食べたほうがおいしいです〜とか言って。
こんな結果になるなら、一昨日のあれはなんだったんだか」
不貞腐れたような陸凱。
それを挟んで両サイドの陸績と陸遜が、
「いいじゃないの、楽しんだんだから」
「さしずめ「真夏の夜の夢」ならぬ「真冬の夜の夢」かしら」
「あ、巧いこと言うわね…差し詰めタダ券を廻してあげた私は、夢の運び手ってところかしらね」
そんなことを言って笑う。
そんな族姉ふたりの隣で陸凱は「勝手に言ってろ」と呟いた。
三人の振り向いた先には、わいわい言いながら色とりどりの食材を取って回る少女たち。
その中心では、
「それでもそーちゃん凄かったよ〜」
「えへへ…まぐれですよ〜」
その状況を作り出した張本人が、はにかんだ顔で笑っていた。
双子の姉の視線をちら、と見返しながら、彼女は手の中に何かを転がしている。
それは、麻雀の席決めに使われる小さなサイコロだった。
あの最終戦、実は陸胤は最後の最後までその気配さえも見せず、逆転の可能性を模索していたのだ。
無論、普段から麻雀慣れをしていないことを認識されていると知っていた上で、彼女は密かにネット対局などで腕を磨き、この機会を狙っていたのである。
その上で最後は自ら、予め用意していたサイコロを場のサイコロとすり替えて投げるというイカサマを仕込み、陸凱の仕掛けた積み込みをまるっきり己のものにしたのだある。
当然あのまま振っていたら、成立しなかった奇跡の逆転劇だろう。
(本当のことを言ったら、風さん怒るかも知れませんね)
彼女は僅かに舌を出す。
恐らく、この双子の妹が仕掛けた凶悪な罠を、双子の姉は一生気付かないのかも知れない。
(終わり)