「じゃあ姉さん、悪いけど後、よろしくね」
「ええ、気をつけてね。
世方たちも世洪の言うこと良く聞いて…あと、思奥はまだ小さいんだから、目を離さないように」
「は〜い」

思い思いの浴衣を着込んだ妹たちが、その門から嵐のように飛び出していくのを見送って、虞翻は己の現在の境遇を思って溜息を吐かずに居られなかった。

今の彼女は大学受験生、しかも、家業の診療所を継ぐつもりで居た彼女の目指すは医学部一本。
秀才で鳴らした彼女にとっても、何の受験対策もなしに合格できるようなものではないし、彼女自身もそれは良く解っている。


とはいえ実のところ、彼女は現在のレベルをキープできるなら、最難関といわれた第一志望校にも合格確実の太鼓判を押されるほどの成績を修めていた。
この日は、父親のいない虞家では唯一の保護者である母親も大病院への出向で不在。
近所には祖父母夫婦をはじめとした親戚連中もおり、普段から娘六人の虞家を気にかけていてはくれるが…そもそも高校最期の夏祭りを楽しむ息抜きの時間を取ったところで、誰も異を挟むものは居ない。

それだけ、虞翻の才媛ぶりが一族誰しもから認められている証拠なのだ。


しかし何より、彼女はその普段の風評に反して祭が大好きだときている。
そんな彼女が敢えて留守番に甘んじている理由、それは…

(もし私なんかに出会ったら、みんなきっといい気はしないわよ…ね)

彼女は心の中で、そうひとりごちた。


色々理由あって、彼女は夏休みこそ会稽地区の実家に居るのだが、現在は交州学区に籍を置いている。
事務経理に一流の才覚を有し、部の運営にも欠かせぬ存在であった彼女だったが、皮肉屋で正しいと思ったことは他人の心情を顧慮することなく主張して憚らないその性格が災いして、長湖部の幹部会から追われて左遷させられていたのだ。


もっともこれは表向きのこと。

彼女が長湖部の危難を救うため、敢えてそのつらい立場にたった結果であり、部長孫権をはじめ一部の者はその真相を知っている。
それでも、そのきっかけとなった部の懇親会での行動により、彼女のことを快く思わないものも多い。


そんな風に色々有って「他人の感情を考慮する」ことへ過剰なまでに神経を使うようになった彼女は、なるべくならそういう機会を減らすべく努めていた。



(こんな祭の日に、みんな家でじっとなんてしてるわけないしね…。
 折角楽しんでいるところに、私の顔見たら興ざめするだろうし)

そう自分に言い聞かせてみるも、やっぱり本音はその真逆。


祭の中心地である常山神社から会稽は直線距離でも十数キロ離れている。
そこまで地理的に離れていれば流石に祭囃子やらなにやらが聞こえてくるはずもなく、そのことがことが唯一の心の救いではあったが…どうもそちらに気が行ってしまい、参考書を開いてみたところで集中できないでいた。


「はぁ……やっぱり行ってみたいなぁ…」

そして無意識に、彼女は呟いていた。
そのときだ。

「ふふふ…その願い、叶えて差し上げても宜しいですぞ?」
「え!?
あ…うわっ!」

不意にそんな声が聞こえて、彼女は驚いて思わずのけぞり、その勢いで椅子から滑り落ちた。

「っつ…だ、誰っ?」
「こっちこっち」

コンコンと窓を叩く音。その音につられてそちらのほうを観る。
すると、


庭木のあたりに生首が…彼女に何ともいえないイイ笑みを向ける。


「っきゃあああああああああああああああああああああああああああ〜!」


祭のせいで人気のなくなった会稽地区の静寂は、彼女の悲鳴に切り裂かれた。




-真夏の夜のシンデレラ 前編-




虞翻はいまだ怒りの冷めやらぬ表情で、その闖入者…諸葛亮を睨めつけている。
諸葛亮は少し困ったような…ということすら全くない、大げさに困ったような仕草で悪びれもせず言った。

「そんな怖い顔をなさらないでください仲翔殿。
ほんの冗談ではないですか」
「…大いに心臓に悪いわ。
寿命が十二年ほど縮まったわよ」
「それはいけない。
寿命を延ばす良い呪いを知っておりますのでお教えいたしても宜しいですよ?」

吐き捨てるような嫌味も何処吹く風で、白衣のポケットから何かを取り出そうとする諸葛亮。
「いらん」とにべもなく一蹴するも、相手はこのまま居座る気満々の様子だった。
そもそもこっちが許可を出したワケではないのに、このふてぶてしい闖入者は勝手に上がり込んできたわけであるのだが。

「てか何しにきたのよアンタは。
私も子瑜(諸葛瑾)も受験勉強で忙しい身なんだから、せめて邪魔にならないように祭にでも逝ってなさいよ」

マトモに相手してたら、例え神経節がナイロンザイルでできていようがものの数分経たずにストレスですり切れてしまいそうなことは十二分に承知の上で、虞翻はとっととお引き取り願おうとにべもない態度で追い払うような仕草をしてみせる。
しかし相手はむしろその一言こそチャンスとでも思ったのか、その瞳が悪戯っぽく輝いた。

「そこです仲翔殿。
あなたこそ本当は祭りに行きたくて行きたくてしょうがないはず。
総ての志望校合格率がA判定というあなたであれば、息抜き程度に祭を見に行く事くらいで誰も文句のつけようがないでしょう。
それが留守番役に甘んじているところ、何か理由ありと思われますが」

一息に、かつ淀みない言葉で諸葛亮に己の本心をずばり言い当てられ、虞翻は呆気に取られた。
何で自分の模試の結果を知っているのかだとか、どうして今自分が留守番をしていることを知っているのかだとか、色々突っ込んでやりたいところが多すぎて巧く言葉にならない。

そんな胸中を知ってか知らずか…否、恐らくは知っての上だろう、さらに己の用件を重ねてたたみかけてこようとする。

「まぁ色々気になるところがあることはお察ししますが、細かいことですので。
そんなことより、誰にもあなただと解られずに祭を楽しむ方法をお持ちしたのですが…どうです、お試しになりませんか?」
「…何よ、その方法って」

最早直接的な嫌味皮肉は全く意味を成さないと諦めた虞翻は…その要点だけ聞いてやってさっさとお帰り願うほうが良い…そう思った。
諸葛亮は、我が意を得たり、とばかりに白衣の内ポケットから小さな瓶を取り出した。


中には何かの液体が入っている。
素っ気ない無地の小瓶が、なんともいえない怪しさをかえって強調している。


「…………………何よ、これ」
「私が最近開発した変身薬の完成品で、古来より「化ける」と言われるモノのエキスを凝縮して合成したモノです。
あ、当然これ内服薬ですんでそこんとこヨロシク」
「いらんわ!
つか誰がそんなSCPじみた危ないモノ飲むのよ!!」
「じゃあ、私が」
「え?」

言うが早いか、諸葛亮はそのふたを開け、その一滴を飲み下した。
すると次の瞬間、その身体が光に包まれた。

「あ…」

驚きを隠せない虞翻の目の前で、光は徐々に人の形を取り戻す。


そして諸葛亮だった人物は…なんと孫権の姿に変わっているのだ。


「どうでしょう仲翔殿?
私の言っていること、信じていただけましたかな?」

口調こそ諸葛亮のものだが、外見と声は完全に孫権だった。
その言葉が終わるか終らないかのうちに爆音がひとつ鳴り、煙の中から元の諸葛亮が姿を見せる。

「…ふむ、一滴程度ならまぁこのくらいですかね。
このひと瓶あれば、効果時間は大体三時間弱といったところでしょうか。
…どうですか先輩、あなた以外の人物に化ければ、あなたは気兼ねなくお祭に行けるのでは?」

呆然と事の成り行きを見守っていた虞翻。


にわかには信じられないのは確かだ。
しかし、その「信じられないこと」が現実に、目の前で起こってしまった。

確かに目の前の「奇人」であれば、このぐらいの代物は作ってしまうだろう。
どこぞの博士ならいざ知らず、その「奇人」は躊躇いなくその効果を自身の身で実演して見せた。それだけではまだ信用に足りるものではないが…虞翻にしてみれば、この信じがたい現実は余りに魅力的な提案に思え始めていた。


「それって…知っている人でなくても化けられるの?
例えば自分の想像した何かに、とか」
「勿論。
飲むときにイメージしたものに化けますから、人間でないものにも化けることが出来ます。
イメージ次第では、声や髪の色など一部だけを変えることも可能です。
ただし、一律「薬の効果」として処理されてしまうので、どんなに小さな効果でも効果時間が変動することはありませんが…それと、わりと強力な脳内覚醒物質の含有もありますので、服用量が多ければ副作用の懸念もあるのが難点ではありますな。こちらについては商談成立次第、もう少し詳しく説明いたしますが…」

少なくとも、単純なメリットだけではなく、リスクがあるということを説明してくれるあたりは信用してもいいことは確かだ。
変人ではあるが、帰宅部連合を取り仕切る彼女は流石にあの諸葛瑾と血を分けたの妹だけあって、わりと実直な面が表に出る。

虞翻はたちどころに決断する。


「解った…お願い、それを譲って。
あとで必ずお礼するから」

そう言って、その手を取ると諸葛亮は頭を振って応える。

「いえ、礼など。
薬代がわりと言っては何ですが、後日こちらの指定した衣装で写真を取らせて頂ければ、私はそれで結構です」
「何よ、しっかり代償とるなら否定の必要ないでしょうが。
まぁ、そのくらいならお安い御用よ。なんかみょんなサイトに投稿する目的とかだったらはっ倒してやるけど」
「いえいえ、私個人のちょっとしたコレクションですからご心配なく」
「…まあ、そのぐらいなら別にいいわ」
「交渉成立ですな」

満面の笑みを浮かべる諸葛亮。


薬の詳しい効果と、その注意点を簡潔に説明すると、「ではこれにて」と、そのままハングライダーのようなものを広げて入った窓から飛び出して行った。
最早「ちゃんと玄関から帰れよ」なんてツッコみをするのすら虞翻には馬鹿らしく思えていた。





諸葛亮という珍客が去って程なくして、彼女は仕舞いこんでいた、家族に内緒で仕立てたばかりの浴衣を引っ張り出し、それを身につけた。

時間は午後七時を少し廻っている。
これから来るバスに乗っていけば、会場に着くのは七時半と言ったところだろう。


諸葛亮の言葉によれば、薬の副作用は「大量に服用した場合」に「効果が切れそうになると、めまいを起こしたりして動けなくなる可能性がある、ということであった。
どの程度かは服用者の体質、体調にもよるらしく、症状は二日酔いに似たものだという。


「この小瓶程度がぎりぎりのラインだとは思うのですが…その辺個人差もございます故。
なので時間切れにはくれぐれも注意してくださいますように」

諸葛亮は念を押すようにそう言った。

祭は十時までだが…今から服用するとすれば、それより少し前に会場を離れれば問題ない。
彼女はそう判断した。

「よし…!」

彼女は姿見の前に立ち、瓶のふたを開ける。
一体どんな材料を使っているのかは知らないことに不安を覚えたが、予想していたような妙な匂いもない。

虞翻は意を決し、変身後の姿を強く思い浮かべながら、小瓶の中身を一気に口の中に流し込んだ。
味など感じる暇もなかったが、意外にすんなり入っていったのでたいした味もなかったかもしれない。


一瞬、身体が浮くような感覚がして…次の瞬間。


「わぁ…」

姿見の前にいたのは、つややかな黒髪で、はしばみ色の瞳を持つ少女だった。
それ以外は本人そのままで、声も生来のモノから変わってはいない。

彼女は自分のトレードマークとも言える髪と瞳の色だけを変えたのだが、それだけでもこうも変わるものかと、彼女は素直に感動した。


(これなら、絶対に私とは解らない…!)


喜びに浸っている彼女だったが、鏡に映り込んだ時計の時刻が、バスの時間が近づいていることに気づいた。

彼女は普段身に付けている飾り眼鏡を外し、セミロングの髪をアップに結い上げる。
そして財布や小物を入れた巾着を手に、こんな日のためにと買っておいた丹塗りの下駄を履き、彼女は近所のバスターミナルへと急いだ。





「待って〜、待ってくださぁぁい!」

バスのドアが閉じ、今まさに走り出そうかと言う刹那にそんな声が聞こえてきた。
その方向をちらとみると、ふたりの少女が駆けて来るのが見えた。

見かねた虞翻は運転手に声をかける。

「あの、すいません…ちょっと待ってあげてください」
「ああ、いいよ」

年配の運転手は快く応じ、手元のスイッチに手を伸ばす。
いったん閉じたドアが再び開くと、その少女たちがなだれ込んできた。

「っはぁ〜間に合ったぜこんちくしょう…」
「も…もうっ!
慣れない服なんて着ようとするからそうなるのよっ…義封の馬鹿っ!」

(何ですと!?)

ぎょっとしてそちらを向き、よく目を凝らすとそれは確かに知った顔だった。
結っていただろう髪を乱れさせ、いずれも浴衣をかろうじて「着ている」状態のふたりは陸遜と朱然のふたりだった。

「そいじゃ、そろそろ出すよお嬢さん方。
連れはもういいのかい?」
「あ…い、いえ大丈夫です、ありがとうございますっ…わ!」

肩で荒い息をしていた陸遜、運転手さんの一言にお礼を言おうとして慌てて立とうとした拍子に、乱れに乱れた自分の着物の裾をふんずけてこけそうになった。
丁度近くにいた虞翻はとっさにそれを抱きとめる。

「っと…大丈夫?」
「え…あ、大丈夫です…すいません」

その時、バスを動かし始めた運転手が更に言った。

「お嬢ちゃんたち、その姉さんにもお礼言っとけよぉ。
その姉さんが何も言わなきゃ、出すとこだったんだからねぇ」
「そうだったんですか…助かりました」
「恩にきります」

再びお辞儀する陸遜と朱然。
どうやら、声を聞いても虞翻の正体には気がついていない様子だった。

「ううん、当然よ。
あなたたちもお祭に行くの?」
「ええ。
部…いえ、友達と待ち合わせで」
「つっても、置いてきぼり食っちゃって。
もう合流無理そうだから…そうだ、ここであったのも何かの縁、お姉さんご一緒しませんか?」

あっけらかんと笑う朱然に、陸遜は嗜めるように肘で小突く。


虞翻は一瞬迷った。

考えてみれば自分ひとりで行ったところで連れの当てなどない。
変身している以上、妹たちに会った所でどうしてみようもないし…それに、向こうが自分の正体に気づいていないなら、気兼ねなく話すことも出来よう。


「いいの?」
「ええ、勿論。
いいだろ伯言、お姉さんもいいって言ってるぞ」
「もう…強引なんだから。
すいません、ご迷惑でないんですか?」

申し訳なさそうに、陸遜が恐る恐る問い返す。

「わけありで、特に待ち合わせもなくってね…折角だから、連れは多いほうが楽しいわ」
「なら問題ないやな。
あ、あたしは蒼天学園二年の朱然、字は義封。で、こっちが…」
「同じく二年の陸遜、字は伯言です」

名乗る段になって、虞翻は一瞬言葉に詰まった。

流石に本名でも同姓同名で誤魔化しきれるものではない。
彼女はふと、脳裏に浮かんだ有名な文庫小説の主人公の名前を思い出していた。

「私は…Y夏っていうの」
「…へぇ…そう言えばこないだ読んだ小説の主人公と名前一緒ですね。
確か、有名ラブロマンスの」

流石に本の虫陸遜、すかさずそう返してくるか…虞翻は苦笑を隠せない。

「よく言われるわ。
それよりあなた達、随分着物が乱れてるわね…直してあげるわ」
「おお、こりゃあ有難い。
こちとら見様見真似でやったから助かりますわー」
「も、もう義風ったら…本当に済みません」
「いいのいいの。手摺だけ持ってて、倒れないようにね」

ものの数分で二人分の着物を直してやると、それを横目で見ていた運転手も「おお、若いのに上手なもんだ。うちのかみさんにも見習わせたいもんだ」と褒めてくれた。





それから二十分足らずバスに揺られていたが、その先々でも少女たちを拾っていき、終点の常山神社前バスセンターに着く頃にはバスは満員御礼状態。
そのあいだも虞翻はその正体に気づくべくもないふたり(というか、八割は朱然)の質問攻めにあっていた。

気分の乗ってきたらしい虞翻も、自然と言葉が弾むようになっていた。
ただし己の正体を覚られぬよう、自分は今日しかこの地に居れないだとか、ここを去る想い出に祭を見に行くつもりだったとか…そんなこじ付けにも余念がなかった。
このあたりは、流石に浮かれているようでもやはり虞翻は虞翻だったと言うべきか。


「よ〜し、到着〜♪」

バスの中できちっと服装を整えた朱然、陸遜に続いて、虞翻もその場に降り立つ。
そして、バスセンター内の時刻表を、それとなく横目で確認する虞翻。

(終バスは十時過ぎに一本…その前のバスで帰れば問題ないか)

その目途を立て、虞翻は二人を呼びとめる。

「まだ花火までだいぶ間があるわね。
どうする? 民謡流しにでも参加しとく?」
「そうだなぁ…放送かけて呼び出してもらうのもなんだし」

どうやら朱然の頭の中には「それでも孫権たちと合流すべく悪あがきする」という選択肢は完全にないらしい。
恐らく、偶然に鉢合わせれば僥倖、くらいの感覚でしかないのだろう。

バスに乗っている間も向こうから彼女たちに連絡を取った気配がないところをみると、多分元歎あたりに占いで探させるか、偶然に鉢合わせというシチュエーションを期待してわざと放っているのだろう…虞翻は、そう考えた。

「うん…たまには私たちだけで別行動、偶然鉢合わせてラッキー、って言うのもいいかもね」

どうやら陸遜も同じ考えのようである。

こういうアバウトなところをとやかく言うものも居るが、そういうのも長湖部員ならではのもの。
虞翻も決してそういうものが嫌いではなかった。

「Y夏さんもいいよね?」
「え? あ…ええ」

一瞬、自分が偽名を使っていることを忘れて答えに詰まったが、虞翻はぼーっとしていたふりをして誤魔化した。
その時、境内のほうから祭囃子の音楽が聞こえてくる。

「あ、もう始まった。ふたりとも、早く早くっ」

矢のように飛び出した朱然に、一拍おいて陸遜が慌てて叫んだ。

「ちょ…そんなに急いだって一曲めはもう…」
「ほら、あたしたちも行こ伯言」
「わ…Y夏さんまで…仕方ないなぁ」

虞翻は陸遜の肩をぽんと叩いて、その後に続いて駆け出した。
振り返ったときに観た陸遜の膨れっ面が可笑しくて、虞翻は笑みを隠すことが出来なかった。





一方、そのころ。

「こら世龍に世方、無駄なもん買ってんじゃない!
帰りのバス代なんて立て替えてやんないよっ!」

黒のノースリーブに白のチノパンといういでたちの虞は、目の前の人混みからたこ焼きを手に飛び出してきたふたりの妹を咎めた。


着ているのが橙の振袖と緋の振袖、そして髪型がショートカットとツインテールという違いはあったが顔立ちは瓜二つのこのふたり、虞とは四ツ歳の離れた虞聳、虞モの双子姉妹である。
因みに緋の浴衣にショートカットが虞聳、橙の浴衣にツインテールが虞モである。


「え〜!? これは仲翔お姉ちゃんの分だよ〜」
「あたしたちふたりで出し合ったから大丈夫だよ〜」

その双子は一様に膨れっ面になり、声を揃えて反論する。

「お馬鹿。
もう帰るんならまだしも、どうせそのつもりないんでしょ?
帰り際に買えば余計な荷物を増やさなくていいって思わないの?」
「「うぐ…」」

この正論の一撃であっさりと口を噤む双子。
その殊勝な行為は褒めてやるべきだが、まだまだ考えが足りないようだ。

虞は苦笑し「やれやれ」と頭を振って、

「まぁ買っちゃったモノは仕方ないわ。
包んでもらって袋に入れてもらいなさい。そうすれば落とさなくて済むわ」

と助け舟を出してやった。

「…うん」
「わかったぁ…」

悄気てつまらなそうにしていた双子だが、気を取り直して先刻の人混みの中へまぎれていった。


それと入れ替わりで。


「姉さ〜ん、世洪姉さん大変だよっ!」

駆けて来たのはセミロングに白のワンピースを身につけた少女。
虞の年子の妹、虞忠である。


彼女は末妹の虞譚がトイレに行くと言い出したので、それに付き添っていたのだ。
それが血相変えて戻ってきたものだから、虞は瞬時のうちに何が起きたか、その七割方察していた。


「思奥が…思奥が居なくなっちゃったんだよ〜!」

うわ、やっぱりか…と彼女は頭を抱えてしまった。
こんな時、自分の頭の回転がもう少しばかり遅ければ良かったのに…と、どうでもいいことを後悔する虞だった。

「トイレからあの娘出てきたのは観たんだけど…あの娘あたしに気づかないで人混みのほう行っちゃって…どうしよう姉さ〜ん」
「落ち着きなさい世方、とにかく、祭の本営探してみよう?
それで放送かけてもらうなり探してもらうなりするしかないわ」

涙目でおろおろするばかりの妹を宥め、戻ってきた双子姉妹への説明もそこそこに、虞は妹三人を引き連れて境内のほうへと向かっていった。





「ありゃ…あの娘、迷子なんかな?」
「え、何処に?」

人混みに何か目ざとく見つけたらしい朱然の呟きに、陸遜もそちらに目をやった。

「何処にいるのよ?
見間違いじゃないの?」
「あ、疑ってるなあ…こっちだよこっち」
「ちょ…ちょっと」

抗議の言葉も聞いてるんだか聞いていないんだか、朱然はそう言って陸遜の浴衣の袖を引っ張った。
虞翻も、しょうがないなぁ、とため息を吐くとその後に続く。

「ね、どうしたのお嬢ちゃん。
お家の人とはぐれちゃった?」

朱然の声に混じって、しゃくりあげる少女の嗚咽がかすかに聞こえた。

人混みから顔を覗かせ、少女の顔を見た瞬間に虞翻は絶句した。
祭灯篭の明かりでやや解り辛いが、虞一族の特徴的なプラチナブロンドに、やや紺を帯びた黒の瞳。

(思奥!
 あ…あの娘たちあれほど目を離すなって言ったのに〜!)

そこにいたのは虞翻とは十も歳の離れた末妹の虞譚であった。
虞翻は思わず頭を抱えてしまった。

「まいったなぁ…なんかとんでもない厄介事背負い込んだって感じ?」
「見つけたのは義封でしょ、もうっ。
それに見つけた以上、放っておけないじゃない」
「う〜ん…」

両の目からぼろぼろと大粒の涙をこぼし、泣きじゃくる少女への対応に困惑する朱然と陸遜。


泣き止まぬ妹の姿に、虞翻も眼前の妹の不憫さに同情するやら、こんな事態を巻き起こした会場のどこかにいるだろう不甲斐無い妹たちへの怒りやらで泣きたい気分だった。
当然ながら、現在変身中の長姉が目の前にいるだろうなんてことに、虞譚が気づいている様子もなさそうだ。


「…ここはとりあえず、祭の本営まで連れて行ったほうがいいと思うわ」

虞翻は務めて、内心を押し隠すかのように冷静に提案する。

「そうね、Y夏さんの言うとおりよ。それがいいわ」
「え〜、今行ってきたばかりなのに〜?
ぐずぐずしてるといい席取られる〜」

朱然の無責任な一言に、虞翻は正体を隠していることを忘れ、思わずその頭に拳骨の一発でも見舞ってやりたい気分になった。

「呆れた…見つけた以上責任とんなさいよ」
「へーへー、解りましたよ〜だ」

陸遜がそう嗜めると、仕方ないなぁ、と言わんばかりの表情で朱然もそれに従った。



(後編に続く)