彼女と初めて会ったのは、あたしの主人…本初(袁紹)お嬢様が冀州学区に腰を落ち着けた頃のことだった。

最初の頃は、どうにも気に食わない小娘だと思った。
小利口なところを「あの方」に認められ、以来身の程を弁えずに「あの方」の周りをうろちょろする目障りな犬っころ…そうとまで思ったこともあった。
きっとあの一件がなければ、あたしはあの娘を、一生受け入れることなどできなかったであろう。


幼い頃から「あの方」…本初お嬢様の側近くに仕え、いろいろ目をかけていただいたという恩義の分を差し引いても、お嬢様は聡明で寛大さ持ち併せ、何よりも魅力的な方だった。
名族・袁氏の血筋云々ではなく、生まれ持った気品、気高さのようなものがあった。

そして何より、お優しい方だと思っている。
妹のように可愛がられていたあの曹操などは、言うに事欠いて「優柔不断で鷹揚なだけのお嬢様」などと陰口を叩いているらしいが…そんなことすら、ただ微笑んで気に留めずにもいた。
何時も「あの娘はただ、私にかまって欲しくて、わざと憎まれ口を叩いているのよ」と、言って。
そういうお嬢様だからこそ、私はこうして、側近くに仕えることができることを誇りにすら思っていた。


だからこそ…怖かったのだ。
いつの日か、あたし以上に優れた娘が現れ、今あたしのいる場所を、いつか奪い去ってしまうのではないかと。
今思えばその娘は、かつてのあたしにとってそういう存在だったのだろう。


-あいかた-


「元図さん?」

不意に呼びかけられ、彼女は、はっとして対面に座る女性へ視線を戻した。

「あ…も、申し訳ありませんお嬢様、あたし」
「あなたでも、周りを忘れてしまうくらい考え込んでしまうこともあるのね」
「うっ」

咎めるでもなく、にっこりと微笑むその少女の言葉に、申し訳ないやら恥ずかしいやらで彼女は視線を背けてしまう。


その服装は、元図と呼ばれた彼女は濃紺を基調としたツーピースのスカートとブラウスに、縁にフリルをあしらったエプロンを身につける…古風なメイド服であり、対する「お嬢様」と呼ばれた対面の女性は、黒のリボンをあしらった白のブラウスと、ゆったりとした黒のロングスカートを身に纏い、黒髪に映える淡黄色のカチューシャを黒髪に挿す、如何にも「深窓の令嬢」と呼ぶに相応しい気品を漂わせている。
どこからどう見ても、ふたりは「お屋敷のお嬢様」と「それに仕える使用人」以外に例えようもなく、また事実ふたりの身分はそのイメージと違うことはない。

ただその場所は、その「お嬢様」こと、学園北部四校区を総べる覇王である袁紹の私邸などではなく、その勢力本拠地である冀州学区はギョウ棟の執務室内である。
彼女や、袁紹付きメイド達とそれを侍従長としてまとめる南陽の逢紀のような服装での学園施設利用が許されるのも、袁紹が将来その総帥となる大財閥である袁氏の影響力故である。


この日、逢紀が態々袁紹に呼ばれたのには、ある重大な理由があった。

数週間前、易京の地において宿敵・公孫サンの勢力を打ち払い、そのことにより華北四校区の覇者となった袁紹。
逢紀は一年生の身ながら、様々な経理関係による軍団のバックアップによる功績と才覚を認められ、華北四校区における会計事務の総括を任されるまでになった。

武勇の才覚は示さずとも、幼い頃から袁氏に仕える者としての英才教育を受けてきた彼女は、機知に富み、組織経営を円滑にこなす経理方面に高い適正を示し、大組織となった袁氏勢力の大番頭の重責を担うことになったわけであるが…ふくれあがっていく組織の経営を総括するには現在の彼女には少々荷が重いと言えた。
それ故、袁氏勢力が冀州校区を手中に収めて間もなく、袁紹直々にその才能を認めてユース参加させたある少女を、逢紀はサポート役に宛がわれ…やがて、袁氏の屋台骨を逢紀とその少女が二分して担うこととなった。


そして、袁紹が秘密裏に逢紀を呼んだのも、その少女に関わる、よからぬウワサに起因していた。
いわく、その少女が華北四校区の会計総括を任されたのをいいことに、その予算をこっそり横領し、なおかつ一般生徒に対して横柄に振る舞っているというものだ。


「私はどうしても、あの娘がそんなことをするような娘には見えないわ。
けれど、こうして話題に上ってしまうということは、何らかの原因があると思うの」

そう話す袁紹の表情は、とても悲しそうに見えた。

当然の話であろう。
話題に上った少女は、袁紹が直々にその才能を認め、取り立てたほどの逸材だったのだから。
事実、彼女はその鈍臭そうな見た目に反して非常に頭の回転が速く、しかも武の面でも「ソードマスター」顔良が認めたほどの才能を秘めている。
そして何より、彼女が「お嬢様」の為に全力で尽くすことを…「お嬢様の側に居れる事」を誇りとしていることを、逢紀は知っていた。

「あの娘には確かに素晴らしい能力があるし、何よりも一生懸命な娘だと思ってた。
でも、こんな事態になっては、このまま彼女に大役を任せるのは厳しいような、そんな気がするの」

俯く袁紹。
逢紀は、その言葉を噛み締めながら、何時か自分がその少女に対して行ってしまったある事件のことを思い出していた。
半月ほど前、逢紀とその少女が華北四校区の会計総括を任されて、間もなくのころの話だ。





人気のない、ギョウ棟体育館の裏手。
数人の少女に取り囲まれながらも、その少女は気丈にも、その首魁と思しきロングヘアの少女…逢紀をを見据え返している。

亜麻色の髪をリボンで両サイドに括り、くりっとした大きめの瞳の幼い顔だが生真面目そうな印象を持たせる、小柄な少女だ。
双方の背丈の差もあるが…明らかに逢紀は、その少女に対して見下すような格好になっている。

「何か、御用ですか?」
「あなた、はっきり言って目障りなの」

その冷たい言葉にも、目の前の少女は怯む様子をまったく見せていない。
むしろその言葉に、更に強い視線できっと見据え返してくるほどだった。

「何故ですか!?
はっきり言いますが、私はあなたに恨まれる様なことをした覚えはありませんよっ!」

その態度に、逢紀は自分の神経を逆撫でされたような不快感…いや、憎悪すら覚えた。

「新参者の分際で、お嬢様にべたべたとまとわり付くその態度が、目障りだって言ってんのよッ!」

感情に任せるまま、彼女は振り上げた平手を思いっきり少女めがけて振り下ろす。
しかし、その「制裁の一撃」は、少女の顔に届くことはなかった。

「…ッ!?」

それどころか、あべこべに振り下ろした左手は少女が振り上げた右手に弾き返されてしまい、それどころか逢紀の身体もその衝撃の余波で後ずさりする格好になった。
取り囲んでいた少女達も、その様子に驚愕の色を隠せない。

少し考えれば解ることだったろう。
彼女が袁紹軍団の武断派である顔良、張コウらの輩にも一目置かれていることを。
その眼から見れば、ロクに荒事もこなせない自分の平手など、止まって見えるかも知れない。

相手が無抵抗でいるつもりがないのはその態度からも明白であり、この結末はある意味当然だろうことは、普段の聡明な逢紀であればすぐにその愚を悟ったことはずだ。
もっとも、それが悟れる様であれば、このような愚行にも走らなかったのかも知れないが。

「そうやってあなた達は、今までもやってきたんですか?」

少女の視線に、凄まじいまでの怒りの色が加わる。

「あなた達がこんなつまらないことをすれば、かえって本初様を悲しませることになるってこと…どうして解らないんですかっ!」
「何ですって…」

不快感を覚えながらも、逢紀は無意識に気押され始めていた。
そして、何より。


「私達が本初様のことが大好きなように、本初様だって私たちのことを大好きでいて下さってるんです!
その私たちがこんな醜い争いをして、傷つけあっているのを知ったら…きっとものすごく悲しまれます!」


その一言に、逢紀の中で何かが沸点に達した。
少女の凛とした態度、声…いや、それ以上に、まるで解った様に主のことまで語るその少女の言葉は、少なからず周囲の少女たちを動揺させていたが…それ以上に少女たちが戦慄した理由は、その時の逢紀には窺い知れぬことであったろう。
逢紀の瞳には、目の前の少女に瞳に映る、無表情なままに恐るべき気を放つ己自身の顔が映っていた。

「言わせておけばッ!」

逢紀が少女の顔に向けて拳を振り上げる。

それを少女が跳ね除けようとするよりも早く、少女の両隣にいた少女が、素早くその両手を掴み、その動きを封じた。
一瞬の出来事に驚愕した少女は、その痛みを覚悟するように目を閉じた。
だが、その拳が少女の顔を捉えることはなかった。

「やめておけ」

振り上げた拳を後ろから掴まれ、逢紀は憤怒を露に後ろを振り返る。

「っの、邪魔を…っ!?」

その人物の姿を見た瞬間、彼女の顔から一気に血の気が引いた。
同学年の少女達よりも背の高い逢紀よりも、更に長身の、亜麻色の髪をポニーテールにした少女。
袁紹軍団の二枚看板の一人であり、「ソードマスター」と称される学園最強の剣士・顔良である。

「やれやれ、嫉妬による私刑とは…まったくもって美しくない」

その背後から、さらにもう一人少女が歩み出て、大仰な仕草でそう吐き捨てた。
何処か中性的な顔立ちに、僅かに前髪がカールしたライトブラウンのショートカット。
顔良ほどでないが、すらりとした長身は凛とした印象すら与える。
彼女は、現在の二枚看板に次ぐ実力者であり…後に蒼天五覇の一人に数えられる張コウである。

「顔良先輩…儁乂さん」

再び目を開けた少女が、呆然とつぶやいた。
手を掴んでいた少女たちは、張コウと目が合うとすぐにその戒めを開放する。

「大丈夫かい?
何時も時間通りに練習場に来るキミが、なかなか来ないから心配して出てきたら…こうまで予想通りだったから驚いたよ」
「あ…その…すみません」

苦笑する張コウの言葉に、少女はバツが悪そうにうつむいてしまう。
その様子を横目で伺いつつ、顔良は逢紀の手を掴んだまま、やれやれと言わんばかりに頭を振った。

「まったく…本初様からお前達の様子がおかしいから目を離すなと仰せつかったが。
元図、正南の言うとおりだ。
お前らがお互いにつまらん言いがかりをつけ合っていること、どれ程本初様を悲しませているか、少しは考えろ。
本初様の側に仕えて長いお前であれば、そのくらいのこと解らぬわけではあるまい?」
「くっ…」

そう諭し、顔良はつかんでいた逢紀の腕を開放する。
逢紀は所在なく己の拳を振り下ろし…しばしの沈黙の後その場から立ち去ると、取り巻きの少女たちも恐る恐るといった様子でその後に続いて立ち去っていく。





思えば、この時からだっただろう。
あたしの中で彼女…審配に対するイメージが、それまでとはまったく違うベクトルに傾き始めたのは。

彼女はあの時、「私達」と言った。
彼女が、本初お嬢様だけではなく…あたし達のことまで考えていたということを、あたしはこのときになって初めて理解できた。
あたしは「新入り」のあの娘がお嬢様と親しくしていたことに、不快感と敵意をむき出しにしていたというのに。

あたしはあの日、部屋で一人になった瞬間、涙も感情も抑えることが出来なかった。
凄まじい敗北感に、ただ言葉にならない声を張り上げて、泣き叫ぶことしかできなかった。

そう遠くない未来、自分のいた場所に彼女がいて、自分の居場所など何処にも残らないのだろうという悲しさ。
多分そんなあたしのちっぽけな憎悪や嫉妬ですら、彼女はそうやって受け入れる度量を持っていることも…そんな彼女こそ、自分よりも袁紹に相応しいパートナーなのだということを…あたしの心が認めてしまっていたのだ。


あの子は…審配はそれ以降もあたしと馴れ合うようなことはなかった。

活動中は、一見普段通りに与えられた責務を全うしているように見える。
あのような態度に出た私に対しても、それからも変わることなく…私が一言も口を利かなくとも、必要なことを報告し、用意してあった経理関係の文書を持ち去っていく。
けれども…あの日以降、あたしは彼女のことを考えることが多くなっていった。
それにつれ、これまでもあたしが帳簿記入の上でやらかしたミスも、あたしのいないうちにこっそり直してくれたり、他にもさりげなく、あたしがやりやすいように取り計らってくれたことを、あたしは知ることとなった。

あの日感じた「敗北感」が、彼女に対しての敬意に変わり始めていたとき…あたしは、彼女のことをもっと良く知りたいと思うようになっていた。
彼女には悪いが…きっと今回の事件は、彼女と親しくなるきっかけとしてはいいんじゃないか?なんて少し不謹慎なことを思ったりもした。

考えてみれば、幼い頃から「袁氏令嬢付きの使用人」としてのレールを歩かされたあたしに、本当に心からお互いを受け入れ合うことが出来る「親友」など、いた記憶が無い。
そういう存在に憧れることがないくらい「お嬢様」の人柄に惚れ込んでいたあたしが、初めて「お嬢様」以外で、個人的な興味を持つことが出来た彼女を…「自分のかけがえのない親友である」と、胸を張って言うことが出来るなら…あたしの世界は、今よりもずっと輝いて見えるのかも知れない。


我ながら身勝手だな、と思う。
けど、彼女なら、きっと。

あたしのこういう、独善的で狡っ辛いところは多分一生直らないだろうけど…ね。





逢紀は穏やかに微笑んで、袁紹のほうへ視線を戻す。

「愚問です、お嬢様」
「え?」
「そんなの、どうせ彼女の立場をやっかんだ郭図か辛評あたりが流したデマでしょう。
あたしだってそんな言えた義理ないですけど、まああの連中はヒマさえあれば他の人間の足引っ張ることしか考えてないです。
そろそろ連中の処遇も…ああまあ、そんなのはあたしがどうこう言っても仕方ないことかも知れませんけど」

逢紀の答えに、袁紹は驚いたのか目を丸くした。
逢紀は「とにかく」と咳払いする。


「彼女…審正南があなたを慕う気持ちは本物です。
大体、あれほど一生懸命で正義感の強い彼女が、そんなことをするはずなんてありませんし、第一同じ仕事を受け持つあたしが断言できます!
この南陽の逢紀の魂魄にかけて、彼女は完全なシロです!!」


そう言い切った。

「あなたは、その…正南さんのこと…その、嫌いだったんじゃ、なかったの?」

袁紹は想いもよらぬ逢紀の言葉に、戸惑ってさえいる風でもあった。
あまりにもストレートにそう言われてしまい、逢紀自身も苦笑が隠せないでいる。

「確かに嫌いだったこと、否定はしませんよ…でも、私事は私事、公の事は公の事。
流石に華北四校区の会計総括ともなれば、いくらあたしでも一人では荷が勝ちすぎます。
今あの娘…正南がその役目を外されたら、あたしが困りますもの」

逢紀は悪戯っぽい笑顔で微笑む。
幼い頃から袁紹の側に仕え、令嬢専属のメイドとして厳しいくらいの教育を受けていた逢紀が、こういう笑顔を見せるのは袁紹の前だけであった。
そして、逢紀が恐らくは初めて彼女を字で呼んだことから、袁紹も彼女の真意を汲み、微笑む。

「そう…あなたがそう言ってくれるなら、私も心配はないわ。
この話については、聞かなかったことにしましょう」
「ええ、それが上策です」

そして逢紀は徐に立ち上がると、つかつかと執務室のドアに向かい、それを思いっきり開け放った。

「入りづらい雰囲気だったのは酌量の余地はあるけど、立ち聞きはいい傾向じゃないと思うんだけど?
つーか、あたしの大仰な口上まで全部聞きやがって、まったくもう」
「あ…」

扉の前にいたのは、いうまでもなく…その話題に上っていた審配、字を正南そのひとであった。

(そうだよ、あたしは狡いんだ。
 あんたがそうやって聞いてることも承知で…ああいったんだもんね)

逢紀は溜息を吐いた。
心配そうに自分を見上げる審配の瞳に映る己自身の表情は、あの日とは違い…笑っていた。





袁紹に促されるまま、審配は袁紹、逢紀と向かい合う形でソファに座らされていた。
その手には、一通の手紙がある。
こうして彼女がやってきたということから、その内容は袁紹にも逢紀にもなんとなく予想がついた。

「え…えっと、その…私っ」

ふたりの視線を感じながら、彼女は親から仕置きを受ける子供のように、不安で震えていた。

「私…この生徒会の一員として日が浅くて。
それにたいした能力もないのに、突然重要な役目を与えられた所為で、結局本初様の御期待を仇で返す結果になってしまいました…!
だから、私っ」
「悪いけど、それじゃあたしが大いに困るのよ」
「え?」

思いも寄らぬ方向から声が飛んできて、審配は驚いてその人物…逢紀のほうを向いた。

「生真面目なのもいいけど、そうやって思いつめて周りを振り回すのがあんたの悪い癖」
「あっ」

そうして、呆気にとられる審配の手から、その手紙を難なく取り上げる逢紀。
その中身を一瞥すると、果たして彼女の考えたとおりの内容であった。

この不始末を償うための、職務辞退の請願書。
その末尾には、自分を認めてくれた袁紹への感謝の言葉と…同僚である逢紀に対する謝罪の言葉で締めくくられていた。
そのことに逢紀は何故か、嬉しくすら感じていた。

今の彼女には、審配がこういう少女だということは百も承知であった。
だからこそこうして庇ってやる気を起こしたわけで、尚且つ相手がそう思っているだろうことも容易に予想はついたが…それでも、無性に嬉しく思うのは理屈でないのだろう…逢紀は、そう結論付けた。

「無碍に破り捨てるのも気が引けますし…とりあえずコレはあたしが預かっておく、という形で宜しいですか?」
「ええ、あなたの良い様に計らって、元図さん」

何処か悪戯っぽく微笑む逢紀の言葉からその内容を悟ったらしい袁紹は、鷹揚に頷く。

「ということだから…まぁ気にしないこと。
また明日から、ちゃんとふたりで協力し合って、頑張って頂戴ね」

呆然としたままの審配。
何時の間にかその隣に腰掛けていた逢紀が、その背中を軽く叩く。

「は…はいっ!」

飛び上がるかのように立ち上がり、勢いよく深々と頭を下げる審配。
逢紀は苦笑しながら、袁紹は穏やかに微笑みながらその顔を見合わせ、頷いた。

「と言うわけで、このお話はこれで終わり。
もう大分良い時間になってしまったし…折角だから今日の夕食、正南さんも一緒にどうかしら?」
「え…?」

驚き、戸惑う審配を他所に、袁紹は傍らの逢紀に目をやる。

「手配なら、今からでも十分間に合います。
お嬢様は小食ですし、シェフもきっと腕の揮い甲斐があると喜ぶでしょう」
「もう…一言余計よ元図さん。
どう? 何かご予定があるなら、また別の日にでもいいけど」

その言葉を受け、審配は一瞬、逢紀のほうへ目をやった。

「景気づけ。
お嬢様直々に、うちの随一の働き者であるあんたへのご褒美だってさ。
受け取って吉だと思うけど?」

その笑顔に、自分がようやく受け入れてもらったことを感じ取り、審配の表情に笑顔が戻る。

「は、はいっ、是非とも!」

そして再び勢いよく頭を下げるその少女の姿に、今度は袁紹すらも苦笑するしかなかったという。





この日を境に、それまで不仲と専らの噂であった審配と逢紀は行動を共にするようになり、やがて無二の親友として、共に袁紹の為に身命を賭す事を約束しあったという。
しかし、それから間もなく行われた、春休みを跨いで行われた官渡公園決戦において袁氏生徒会は曹操率いる蒼天生徒会より総敗北を喫し、ふたりは凋落する袁氏生徒会のために奮戦するも、滅びの道を辿ることとなる…。





「元図さん、元図さんってば」

ぼんやりと空を眺めていた逢紀は、遠く空を見上げていた視線を、傍らで小突く少女へと戻す。
そこには、あの日のあどけない面影を残しながらも…すっかり逞しくなった「親友」の姿がある。

「もうっ、何を考えてたのかわかんないけど、今の状況かなりヤバいって解ってるよね?
早く「総帥」を見つけなきゃ、なんのために私たちがここにいるのかだって」
「あー、わかってる、わかってる。
だがな、今のあたしは「元図」ではないな、そのことを忘れちゃいないだろうね?」

悪戯っぽく笑いながら、彼女は再び眼下に視線を移す。


吹き荒れる春一番の暴風。
黒煙に包まれる戦場は、「現在の友軍」の壊滅的かつ、絶望的な状況であることを何よりも雄弁に物語る。

逢紀は、かつての官渡公園決戦の惨状を思い返す。
過去は取り戻せるものではなく、今の自分たちがこの惨状を未然に防ぐ手立てを知っていながら、介入することが出来ぬ悔しさがないわけでもなかったが…。


「今のあたし達は、語り部に過ぎないけどさ。
けどま…一宿一飯どころじゃないほどの恩義の分は、働いてみせるさね」

重厚な、使い込まれたその木刀は、見るものが見ればその以前の持ち主を思い起こすであろう。
黒髪をポニーテールに結う今の彼女は、それを彷彿とさせるに十分な姿だ…静かに解き放つ、その剣気すらも。

「行くよ、相棒ッ!!」
「ええ!!」

数多の戦を経てきたそのふたりの腕には、帰宅部連合平部員の腕章。
その首元に踊るは、袁氏生徒会幹部の証たる、銀のロザリオ。

歴史の表舞台で決して語られぬふたりの戦いを知る者は、彼女たちと…彼女たちを親しく知る者のみだった。



(終わり)