妙に開けづらいと思ったら、空けた瞬間に何か大量の包み紙がぎっしりと詰まっていた。
私は徐にその一角を摘み、引きずり出そうとするが…どんな密度で詰め込まれているのか、まったくびくともしない。
「…どうやって詰めたのよ、こんなに…?」
私は包み紙の大群に占拠された自分の下駄箱の有様に苦笑するしかなかった。
たっぷり30分かけて下駄箱から内容物のすべてを引き出し、それを体操服の入ったリュックサックへと詰め込んだ。
今日は体育があったから学生鞄とは別に持ってきたものなのだが、普段体操服一式を入れるだけではいささか大きすぎるそれが見事に満杯だ。
面倒くさいのと、さすがに時期が時期だけにスカートだけじゃ寒いので、体操着の半袖どころかジャージの下まで着込んでいたから、リュックにはジャージの上しか入ってないのだが…結局リュックの口を閉じることができず、ジャージの上でその口をふさぐという有様になった。
「…というか去年より多い」
いやいやいや、そうじゃないだろ私。
状況をストレートに口に出してしまったけど、どう考えても女子高で女の子がバレンタインにチョコ貰うのっておかしいでしょ。
しかも毎年毎年、そのために暴徒と化した連中に一日中追い回される人までいるらしい。なんなのかしらこれ。タチの悪い認識汚染系のSCPが悪さしてるとしか思えないんだけど。
実を言うと、こんなトンチキな出来事は今年に始まったことではなく…去年も、一昨年も貰っている。
しかもその9割が差出人不明ときた。
父は急病のために既に他界していた私でも、医者という仕事柄滅多に家にいない祖父のためにチョコを用意したりもするけど…でもこの場合「私がこんなに貰ってどうすんだ?」って言う気持ちがある。
いったい、私の何処が良くて、みんなこんなに一生懸命になって用意してくれるのか…それだけがよく解らなかった。
そもそも、私はチョコレートというブツが、実は死ぬほど嫌いなのだ…。
-何処までも甘い一日-
一方その頃、呉郡の中等部寮。
「…それで此処まで逃げてきたってワケですか?」
「まぁそういうこった」
部屋の主と思しき、狐色の髪をポニーテールに結った小柄な少女…丁奉が差し出した水を、一気に飲み干す茶髪の少女はその姉貴分である甘寧。
部屋着代わりに学校指定じゃない紺ジャージの丁奉に対し、甘寧は制服姿である。
かつて学園の問題児であった甘寧も卒業を控え、それなりに真面目な学生生活を送ってきたことをうかがわせる。
現在一留の三年生で、しかも既に引退して往年のパイナップル頭を辞めて久しい甘寧だが、彼女は暇をもてあますとふらっと長湖の三年部員の元に現れては自堕落な休日を過ごすこともしょっちゅうである。
だが、いくら親しくとも流石に中等部にいる後輩のところに転がり込んでくるようなことはなかったが…それだけの緊急事態であることは察しがつく。
何しろ今日は学園全体がある種の狂気に支配される日なのだ。
甘寧にとってみれば、何故自分が標的にされてしまうのか、と首を捻っているのだが…丁奉にはなんとなく察しがついていた。
言ったところで当人は否定するだろうが、彼女に憧れ長湖部入りを決めた同輩が多数居ることを知っているからだ。
「幼平や公績も俺同様逃げ回ってるクチだし、文珪は何処行ったかよくわかんねぇ。
子明さんと子敬は大学寮の下見で不在…あと頼りになりそうなのはお前くらいしかいねぇんだわ」
ほとほと困り果てた様子で溜息を吐く甘寧。
「それじゃあ阿撞さんと蘇飛さんは?」
「……多分生きてると……思いてぇな……」
遠い目をする甘寧。
どうやら甘寧は、銀幡の二枚看板ともいえるこの二人の尊い犠牲があって、ようやくノーマークの丁奉の元へ逃げてきたのだろう。
丁奉も流石に苦笑を隠せない。
「まさか
つーわけだ、ほとぼりが冷めるまでちと匿ってくれないか? 礼は必ずする」
「お礼なんて…何にもない部屋ですけど、こんなところで良ければ」
急須にポット、更にはお茶菓子まで一通り出し終えたところで、丁奉は甘寧と向かい合う形で座った。
そして悪戯っぽく笑う。
「それにお礼なら、阿撞さんたちにしてあげたほうがいいと思いますけど、ね」
「ああ、わかってるって」
後輩の鋭い一発に、最早苦笑するしかない甘寧であった。
…
「…勘弁してよもー…」
もうそれしか言葉がなかった。
教室へ行けば黒山の人だかり、その中心には私の机。
下駄箱があんな感じだったから大体予想はついたが…机の鞄架けに引っ掛けてある袋包みの数も、机からはみだしている包みの数も…いやもう置ききれなくなったらしい包みが机の上にも所狭しと並んでいる。
異常だよ。はっきり言うけど。
これがSCPの仕業だとしたら、一体財団は何してやがるのかしら。立派なKeterクラスオブジェクトでしょこの異常現象。
「あ、仲翔先輩、おはようございます」
その中心で、風紀委員の腕章をつけた少女数人を引き連れていた、ライトブラウンのロングヘアが特徴的な少女が、にっこりと笑いかけてきた。
交州学区総代の呂岱、字を定公。
色々あって、結果的に親しくさせてもらっている後輩の一人だ。
「…おはよ。
ていうか、この状況は…いったいナニ?」
「いやいや、先輩に心当たりがないとなると私にも解りませんって」
それもそうね、と返して、互いに苦笑する。
話を聞けば、どうやら私よりも先に来ていたクラスメートが私の机の状態を見て、驚いて風紀委員を呼びに行ったらしい。
まぁ無理もない。
ほとんど「学園の辺境」とも言える場所柄か、構内の何処かで何か興味を引く事件が起こると皆寄って来てしまう。
見回せば、別クラスの同輩はおろか下級生達もわんさか寄って来ていた。
もしかしたら、その中にはこっそりこの傍迷惑な「贈り物」を置いて帰った下手人もいるのかも知れないが…それを誰何する気力など湧くはずがない。
「とりあえず…コレどうします先輩?
このままでは、机もろくに使えなくて困りますよねー?」
困り顔の定公に、私ももう引きつった苦笑しか返せてないんだと思う。
「そりゃ、まあね。
どこかに置いておける場所とかない?
帰りに取りに行くわ」
「解りました、じゃあとりあえず
ね、たしか使ってない段ボールあったよね。持ってきてくれる?」
定公の命令一下、風紀委員たちはパタパタと駆け出していった。
こういうときぐらいは、顔役でいるのも悪いことじゃないとかそんな不謹慎な考えすら頭に浮かんでしまう。
なんにせよ、彼女が知り合いで助かったわ、ホント。
その後数時間の間に起こったことも思い返せば…なおさら、ね。
…
所変わって…呉郡寮に程近い公園の茂みの中に、二人の少女が隠れていた。
ひとりは緑がかった髪をショートボブに切りそろえ、小柄ではあるがスタイルの良い童顔の美少女。
もうひとりは流れるようなロングヘアを銀に染め、目鼻の整った長身の美人。
「…で…なんで私まで巻き込まれなきゃなんないんですか?」
「済まんな伯言…本当に済まん。
しかし何で毎年毎年こうなるんだ…私がいったい何をやったと…」
伯言と呼ばれた緑髪の少女…陸遜は制服を着ているが、バツの悪そうに返す銀髪の少女…周泰は「長湖さん」トレーナーに黒のハーフコート、ジーンズにスニーカーと文句のつけようがない私服。
絵に描いたようなジト目でこちらを恨めしげに見据えてくる陸遜に、申し訳ないと思いながらも周泰は、己の現在の境遇を呪うかのように心底困り果てた様子で空を見上げ、長嘆する。
実はというと、陸遜は午後の授業に必要な教科書を寮に忘れたことに気づき、昼休みのうちに取りに戻ろうとした途中、暴徒の大群に追われていた周泰とばったり出くわし、勢いでその逃亡劇に巻き込まれてしまったのだ。
なんというか…陸遜も始めはその理不尽さに、当然ながら少々ご機嫌斜めの様子であったが、気分が落ち着いてくるにつれて周泰の立場に同情の念を禁じえなくなっていた。
(というか…このひとが人気ないってったら、きっと関羽先輩だって追っかけまわされずに済むんでしょうけどね)
そう考えると、少し可笑しくなって、陸遜は少し笑った。
「…何が可笑しいんだ…?」
それに気づき、今度は周泰のほうが恨めしげな目で陸遜を睨む。
陸遜は思わず頭を振り、しれっと返す。
「いえ、別に。
ところで先輩、これからどうしましょうか?」
「どうしようか…って言われてもなぁ。
去年の様子を見るからに、多分このまま廬江棟に行っても公績(凌統)も居ないだろうしなぁ」
今頃は自分と同じく、暴徒の大群に追っかけまわされているだろう友を想い、さらに途方にくれる周泰。
陸遜も巻き込まれた以上、流石にあの暴徒の群れに捕まるのは御免被りたいところである。
自分の身を守る意味でも、ちゃんとした逃亡経路を見つけ出す義務はあるだろう…そう思うと、彼女の脳裏にある場所が思い浮かぶ。
「そうだ…今日確か中等部の三年生は午前放課だったから、寮にうちの妹が居るかも」
「え?
…あ、そうか呉郡寮か!」
周泰の表情が一転して明るくなる。
いささか大げさな反応のように見えるが、あの状況から無事逃れる目処が経ったのなら、無理もないことであろう。
「いくらなんでもあの場所までは誰も考えてないでしょう。
身を落ち着けるのはもってこいです」
ようやく安堵の表情を見せた周泰が、感心したように呟く。
「流石は伯言…こう言うのもなんだが、結果的にお前を巻き込んだのは大正解だった」
「いや~…私としては、大迷惑極まりないんですけどね」
陸遜はあえて嫌そうな口調で返すが、周泰も巻き込んだ以上「まぁそう言うな」と苦笑することしかできなかった。
そしてふたりは茂みの中をこそこそと、今だ彼女達を探して大路地を行ったり来たりしている暴徒の目を避けるように移動し始めた。
…
放課後。
しゅんとした表情の、金髪碧眼で巻き髪が特徴的な少女と、耳のようなクセ毛のある黒のロングヘアの少女、そして定公と私が向かい合う格好で、執務室のソファに座っている。
「…こりゃあまた…」
黒のロングヘアの少女…子瑜(諸葛瑾)が、呆れたというか面食らったという感じで苦笑しながらつぶやいた。
その視線の先には、回収されたチョコレートが溢れんばかりに詰め込まれた段ボールが二箱。
「なんというか、モテモテじゃない」
「ごめんその冗談笑えない」
我ながら見事な棒読み。きっと表情もなかったかもしれない。
実はあれから、休み時間の度に見知らぬ女の子たち(恐らく後輩)に次から次へと「例のブツ」を押し付けられ、更にひと箱ぶん増えてしまったのだ。
その都度、執務室に持ってきてはいたのだが…ひとがトイレから出てくるところまで押し掛けてくるな、とは言いたくもなる。言えわなかったけど。
だってあの子達目がマジだったのよ! どう考えてもこれSCPの仕業でしょ、どっかのねこみたいなSafe詐欺してるようなシロモノの!!
仕方ないなぁ、と言わんばかりにため息を吐く子瑜。
「まぁ、幹部会にすら仲翔の本性知らない人間が多かったんだから…学園にいる大多数の人間は、仲翔がチョコ嫌いってコト知ってるわけもないでしょうね」
「え? そうなんですか?」
定公が目を丸くする。
まぁ話してもないことを知ってられてもそれはそれで困る。
でも私の記憶が確かなら子瑜に話したこともなかったはずだけど。
「話してもいい?」
「いいけど…
「昨日、部長に内緒で幹部会のみんなと商店街に行ったときに伯言(陸遜)から。
彼女は彼女の妹からあなたの妹経由で聞いたらしいんだけど」
納得。
むしろ発信源が信用できる事にまずホッとしたわ。
私の妹…世洪の世代はみんな仲がいい。
伯言の妹…幼節(陸抗)とかならうちによく遊びにくるしね。
まあ夏以降色々あって、その「姉の方」も時々なんだかんだと言って私の元に訪ねてくることも多くなったけど、ね。
しかし子瑜の場合、いったい何処から情報を得ているのか解らない事も時々ある。
何しろ彼女の身内には、今は故あって課外活動を退かなければならなくなった奇人・諸葛亮が居るわけだし…子瑜はともかく、あの孔明ばっかしは得た情報で何を仕出かしてるか解ったもんじゃない。
この狂気の現象まで含めて、もしあのアホ孔明(諸葛亮)が何かしでかしてるようだったら、「確保・収容・保護」なんて生やさしいこと言わず即時つるし上げ食わせてやるところだわマジで。
「じゃあ当人の口から聞いたほうが早いでしょ。
私当人としては…まぁあまりいい話じゃないんだけど」
溜息をひとつ吐き、気が重いながらも私はその経緯を語って聞かせた。
…
遡る事十年前のこと。
虞姉妹に六人目の妹が生まれると言うことで、身重になった母親は父親の勤める病院に入院していた。
それに際して、姉妹のうち八つになった長女と四つの次女、三つになったばかりの三女は、近所に住んでいた父方の祖父母に預けられることとなった。
祖父も医者であったため、実際は学校にでも行っていない限り、家には幼い姉妹と祖母しかいなかったが…祖母は姉妹の面倒をよく見てくれたので、姉妹は特別寂しさを感じることはなく、むしろ新たに生まれてくる弟か妹かに早く会うことを楽しみにしているかのようだった。
そんなある日、祖父母がたまたま家を空け、長女は妹二人を監督する大役を仰せつかった。
戸棚にはその前日買ったばかりの袋入りチョコレートがあり、祖母からおやつとしてあてがわれていた。
学校帰り、保育園へ妹二人を迎えに行き、そして帰宅する。
「ねーねー、おやつまだー?」
しばらく遊んでいた二人の妹が、生真面目にも机に向かっている長女の袖を引いてきた。
時計を見れば、ちょうどそういうものが恋しくなる時間帯。
「はいはい。
今用意するから、一緒に食べよ」
「はーい♪」
妹二人を引き連れ、いそいそと台所へ向かう。
ご多分に漏れず甘いものが大好きだった姉妹にとって、袋いっぱいのチョコレートとくればまさに宝の山。
長女は菓子皿にそれをすべて注ぎいれ、皆で行儀良くテーブルに着くと、姉妹で心行くまで頬張り始めた。
「あぅ…」
食べ初めて間もなくのころ、長女はなんだか妙な感覚に襲われていた。
何処かふわふわといい感じなのに、何でか天地がぐるぐると回転してそこはかとなく気分が悪い。
そして何より、体が火照ってしまって二月とは思えないくらい暑かった。
「おねーちゃん…どうしたの?」
「お顔がまっかだよ?」
心配して覗き込んでくる二人の妹の顔が、ぶれて一人が三人にも四人にも見えた。
目がちかちかとしたと思ったら、そのまま長女の視界が暗転した…。
…
「後で知った話なんだけど…祖母が買ってきた袋入りの中に、ウィスキーボンボンが一個偶然に紛れ込んでたらしいの。
しかも製作工程のミスで、程よく煮詰まっててアルコール度数が六十度越えてたウィスキーが、リキュール状態になってチョコの中に閉じ込められてたんだそうよ…でもって当然ながら、急性アルコール中毒起こした私は病院送りになったってワケ」
「知ってた人間が言うのも何だけど…なんともありえない話よね」
呆れ顔の子瑜。
でも現実に起こったものは仕方ない、事実は小説より奇なり。
「父さんとおじいちゃんがすぐ飛んできてくれてね。
私の胃の中身まで出して検査してくれたカルテの写しがまだ残ってるけど…見てみる?」
「そんなものって…とってあるものなんですか?」
「流石に裁判沙汰になったからね、証拠品として。
こういうときは身内が医者だらけで本当に良かったと思ったわ。
まあそういうわけで、三日ほど生死の境をさまよったトラウマでね、チョコの匂い嗅いだだけでも気持ち悪くなるの」
ぽかんとした顔で、はぁ、と相槌を打つ定公。
まぁこんな荒唐無稽な話、鵜呑みにするほうがヘンだ。言った私が未だに信じられないもの、この話。
「それだったら仕方ないわね…とのコトですが、どうします部長?」
そうしてさっきから一言も喋らず、俯いている少女に問いかける子瑜。
金髪の少女…長湖部長である仲謀(孫権)さんが此処にきたのも、その手の中のものを見ればなんとなく察しがつく。
ひとつは定公の分だろうが、やはりもうひとつは私のためにわざわざ用意してくれたものなのだろう。
もっと早くこのことを話してあげるべきだったと、申し訳ない気分だ。
「…知ってたもん」
「そうですよね~知ってますよね~…って、知ってたんですか?」
ようやく口を開いたその言葉に、子瑜だけでなく私まで面食らってしまった。
「伯符(孫策)お姉ちゃんから聴いたから、私知ってたもん。
仲翔さんならどんなのを喜んでくれるか知りたくて…だからはじめからチョコなんて買ってないし作ってない」
そう言った彼女の顔は至極不機嫌に見えた。
確かに私は、一昨年のバレンタインデーにチョコ交換会をやるって話になったとき、伯符さんや子明(呂蒙)、君理(朱治)など一部にそういう話をしたことがある。
孫姉妹はきわめて仲がいいから、よくよく考えれば仲謀さんが最初から知っていても不思議ではない。
でも、だったらどうしてこんな表情を…?
「…本当はボクがいちばんにあげたかったのに…」
「え…」
その一言に、私の心臓がまるで口から飛び出してしまうんじゃないかと思う勢いで跳ねた。
次の瞬間、頬の温度が一気に上がっていく感覚に襲われる。
「あ…えっと…その…」
あとで思えば、自分でも可笑しくなるくらい狼狽している自分が居たと思う。
とても嬉しかった。
かつては決して受け入れてくれないかも知れないと思っていたひとが、今こうして私のことを想っていてくれた事に。
「順番なんて…そんなの関係ないです。
あなたの気持ちが、私には、一番…嬉しいから」
「…仲翔さん」
驚いた風に私を見つめてくる彼女。
見る間にその頬が紅潮し、再び俯きながら、その胸に抱いていた包みをそっと、差し出してきた。
「うん…じゃあ、これはボクから。受け取って…もらえるかな?」
「勿論、喜んで!」
差し出された包みを受け取ると、彼女はようやく満面の笑顔を見せてくれた。
…
「…で、結局お前達もここに居るってオチなのか」
テーブルの前に胡坐をかいて、呆れたような眼差しで先客を見やる周泰。
「いやぁ…流石に今年も寒中水泳したら、多分死ぬし」
「つか最終的に頼りになるのは承淵しかいなかったってことでファイナルアンサー」
丁奉の部屋には甘寧のほか、ジャージ姿の凌統の姿もある。
また、丁奉が連れてきたのか阿撞こと馬忠、そして蘇飛の姿もある。
周泰と陸遜は幸運にも暴徒達の目を逃れ呉郡寮に辿り着いたものの、陸遜が頼りとしていた陸抗も、親戚の陸凱、陸胤も夕食の買出しで不在という有様だった。
それもそのはず、生徒が自炊しているこの中等部寮においては、基本的に人数分の食糧しか用意されていない。
それゆえ、この三十分ほど前に命からがら逃げ込んできた凌統を迎え入れた時点で、これ以後も逃亡者が来るだろうことを見越して買出しに出かけたのである。面倒くさがったものの、陸抗と陸胤に促されて陸凱も渋々納得したという感じで同行したらしい。
結局陸遜達も、陸遜の妹達が帰ってくるまで丁奉の部屋に集まっていた。
一人ではいささか広い八畳のリビング兼寝室も、流石に七人もいるとやや狭苦しく感じる。
「まぁお陰で俺達はこうしてのんびりできるわけだがな…お、これで王手だな」
「え…うわ、そう来たかっ!」
流しではお茶の用意をしている丁奉を尻目に、先輩二名はのんびりと将棋を指していた。
序盤は凌統の攻勢を許しながらも、残った駒で美濃囲いを完成させた甘寧が形勢を逆転したと言った風の盤面である。
「てか客分を満喫しすぎじゃないですか?」
「…朝から追っかけまわされた身にもなってよ。
あたし此処に来るまで五時間飲まず喰わずでトライアスロンやらされる羽目になったんだから」
陸遜の一言に、泣きそうな表情で反論する凌統。
「一応その代わりと言っちゃなんだが、連中が戻ってきたら俺達が夕飯を作ることにしてるんだよ」
「まぁ、そのくらいしてやらなきゃ罰が当たるな…ん? どうした伯言?」
甘寧が「夕食を作る」といったあたりでびくっと震え、真っ青になってかたかたと怯えている陸遜。
かつて合宿で炊事をやった際、陸遜は甘寧、魯粛、呂蒙の問題児三人組の班に放り込まれ、三人がふざけて作った超激辛スープ(豚汁らしい)の餌食になったことがあった。
陸遜にしてみれば、その翌日にこの三人組のイタズラで周瑜のベッドに放り込まれてしまったことも含め、未だに消えぬトラウマになっていた。
それを思い出し、げらげらと笑う甘寧。
「まぁ安心しろって、一応俺様も以後はちゃんとした料理作れるように勉強はしてるんだからよ!」
「秋に紅天狗茸でキノコ汁作ったのは何処の誰だったっけ?」
「…う」
凌統の冷静なツッコミに言葉を失う甘寧。
「あぁ、あの時も大変だったな。
仲謀さんと仲翔が完全に出来上がってなあ」
「リーダーのやることとは言え、傑作なことは傑作だったけど、流石にあれはねーと思ったッスわ」
「う、煩ぇ!
大体お前等だって美味しい美味しいって人一倍貪り食ってやがったクセに!」
周泰と馬忠の追撃を受け、むきになって返す甘寧の姿に、未だトラウマの世界から帰ってこれない陸遜以外の笑い声が響く。
「まぁまぁ、先輩が料理上手なのはうちらも良く知ってますから。
あ、こういうのもなんですけど、一応バレンタインデーということでどうぞ」
居間へ戻ってきた丁奉の差し出した、菓子皿一杯の一口チョコレートに、一同は苦笑しながら顔を見合わせるしかなかった。
…
「ちわっす。
例のもの、回収しに来ましたよっと」
しばらくして、交祉棟執務室に数人の少女が顔を見せた。
徳潤(敢沢)、子山(歩隲)の長湖苦学生コンビは前もって声かけておいたから解るんだけど…何故か文珪(潘璋)まで。
しかも徳潤たちは制服着てるのに、文珪だけ何故かジージャンにジーパン、青のチェックが入った厚手のシャツというどこからどう見ても超私服…多分バレンタインの騒ぎに乗じて学校サボってたのかも知れないな、コイツは。
「あら、早かったわね…てかどうしてあんたまで居るのよ文珪」
「チョコ嫌いなのにやたらとチョコを押し付けられてしまうヤツが居るときいて、そのおこぼれ頂戴に来たんだよ。
文句あるかロバ耳?」
しかもなんて言い草だよコイツは。
とはいえこうもストレートに欲求を言われると最早怒る気もしないから不思議なものである。
確かに彼女の言うとおり、私はチョコを一切食べられないのだが。
「しっかし、今年はやけに多いですね~」
「コレなら三人で山分けしても十分でしょ~ね♪」
感心したような様子の徳潤に、まるでお宝の山を目にしたみたいに嬉しくて仕方ないといった感じの子山。
実は去年もこのふたりにチョコを食べてもらったのである。
おそらくこれだけあれば、このふたりは半月ぐらいの主食にしてしまうのだろう。
よく飽きないわねこの子達、どんなに好きな食べ物でも普通三日も続けば飽きるものよ?
「ばっか言え、半分はあたしが戴く。
あんた達はこっちひと箱」
「うっわ、なんかとんでもねー狼藉働いてる人が居るよおい」
やや多めに入った箱のほうを自分のほうに引き寄せ、しっかりキープする文珪と、ぶーぶーと遠まわしに文句を言う子山…浅ましいなオイ。
「あんた達ね~、自分で買いも貰いもしないくせに、ひとのもらい物で」
先にロバ耳呼ばわりされた子瑜が、たしなめようとするのを私は制した。
「まぁまぁ、私が持っていても仕方のないものだし…私がコレをくれた娘たちの気持ちさえ受け取っているなら、あとに残ったチョコレートはこの娘たちの胃袋に収めてもらったほうがいいわ」
「そういうものなの?」
どこか釈然としない様子で首をかしげる子瑜。
そう。
大切なのは中身じゃなくて、それをくれたひとがこめてくれた想い。
私は中身のそれを食べることは出来ないし、どうしてこんなにも自分のために一生懸命作ってくれるのかは理解できないけど…それでも、その気持ちだけは無性に嬉しかった。
そして私の頭には、さっき貰ったばかりの、緋色のリボンが結いつけられている。
其処に刺繍されている「長湖さん」が、彼女の手によるものであることをちゃんと主張していた。
「大切に、使わせてもらいますね」
「うん」
おそろいの、紺色のリボンを結いつけている送り主が、柔らかな笑みを返してくれていた。
今日は贈り物を用意しておかなかったけど…来月にはそういえば、これのお返しをする日があったわよね、そういえば。
菓子業界の企業戦略なんかに乗せられてやるのもシャクだけど、まあいいわ。
こんなにたくさん大切なモノを貰ってばかりで、返さなければバチが当たるもの。
(終わり)