日が暮れかけてきたころ。

江陵からは孫権、呂蒙、孫皎を中心とした千名余の長湖部主力部隊が。
夷陵からは陸遜率いる三百名が。
臨沮には潘璋、朱然らの率いる五百名が。
そして柴巣からは「湘南海王」の特隊を含む千名が、それぞれ行動を開始していた。

三千名近いその大部隊は、現在の長湖部が繰り出せる限界の人数に近い。
彼女たちがこの一戦にかける意欲を数値で表すには、それでもまだ足りないと思われたが…傍目にはそれだけ、長湖部が本気で荊州の奪取に動き出していることが解るだろう。


そして江陵陥落の報を受けた関羽が、漸くにして事態を確かめるために南下してきた。
その勢はおよそ五十、僅かに関平、趙累ら一部の旗本を引き連れて。

三千対五十。
最早タチの悪いジョークとしか思えない、兵力差である。
だが…これが数字の勝負で終わらないだろうことは、きっとこの戦いに参加する者のほとんどがそう思っていたに違いない。



-武神に挑む者-
第四部 悔悟と覚悟



「こいつぁ大仰なことになってきたなー」

臨沮駐屯軍の先頭に立ちながら、ぼさぼさ頭を無理やりポニーテールにしている少女…潘璋が嬉々として言う。

「でも先…主将、いくらあの武神が相手とはいえ、相手五十に対してうちらその何倍で囲んでるんですか?」

それに併走しながら、狐色の髪をポニーテールに結った小柄な少女が問いかける。

少女…丁奉の言葉には、わざわざ関羽一人葬るために、長湖部の全力を傾ける必要があるのか、という不満も見え隠れしていた。
言い換えれば、関羽一人をそこまで恐れなければならない、その理由が理解できなかった。

潘璋は苦虫を噛み潰したような表情で「けっ!」と一言吐き捨てる。

「寝言は寝て言いな承淵!
相手は学園最強の武神サマだ、仮にこの十倍投入してもお釣りなんか多分でねぇ!」

そして、なおも何か言おうとする丁奉の言葉を遮り、

「確かに関羽を恐れないものはいねぇ。
だがな、だからこそ今全力をかけて、ヤツを叩き潰さなきゃならない…!
アイツは事もあろうに、公式の場で長湖部を…あたし達が背負ってきたものを侮辱したんだ。
その落とし前もつけさせてやらなきゃなんねぇんだよッ!!」

珍しく真面目な顔で言い切った。

これには丁奉も納得せざるをえない。
いや、むしろ彼女にも痛いほどよく解った。


彼女達が守ってきた長湖部の名…それを背負う孫権を、わざわざ公的な場で「門前を守る犬にも劣る」と言い放った関羽。
孫権に対する侮辱は、孫権に見出されて世に出た彼女達に対する侮辱でもある。


「今のあたし達には、関羽に対する恐怖なんかねぇ。
あの高慢ちき女に一泡吹かしてやろうってことしか…いや、いっそこの手でぶっ殺してやることしか頭にねぇんだよ!」
「…心得違いでした。
あたしも、及ばずながら!」
「おうよ、期待してるぜぇ! あんたもなっ!」

その答えに、普段のふてぶてしい表情に戻って、口元を吊り上げる潘璋。
その傍らにいたもう一人の少女も無言で頷いた。


それは紫のバンダナを銀髪の上に置き、そこからはみ出した前髪から、僅かに深い色の瞳が覗いている…不思議な雰囲気を持つ少女であった。
丁奉はその少女…といっても、恐らくは彼女よりもずっと年上なんだろうが…の姿に、ほんの数時間前初めて会ったときのことを思い出していた。





ほんの十数分前、益州学区に程近い臨沮地区へ向かおうとする潘璋を呂蒙が呼び止めた。

「実はなぁ、この娘をあんたの軍団に加えて欲しいんだ」
「えー?」

呂蒙が連れてきた少女こそ、件の少女…馬忠である。

既に戦闘の段取りを組み終えたところで、逆に新たな人員を加えることは、組み上げた段取りを再構築しなければならないことを意味する。
潘璋の不満げな反応も、至極当然のことだが…呂蒙の熱心な説得に潘璋が折れ、その少女は丁奉に指揮を一任されている銀幡軍団に預けられることと相成った。


話によればこの馬忠、どうも何らかのトラウマがあって、それ以来言葉を失ってしまったということだった。
その代わりといってはなんだが、武術の達人であり、関羽に対してもかなり一方ならぬ感情を持っているという話だった。
挨拶を求めても、そっけない感じで会釈を返しただけで軍団の最後尾に引っ込んでしまったその少女を目で追いつつ、丁奉は呟いた。


「なんだか、とっつきにくそうな人ですね…」
「あぁ。
しかも偶然とはいえ、あたしとまったく同姓同名だ。
ちっと呼び分け考えてもらわんとなぁ」
「え?」

丁奉の傍に、少し柄の悪そうな金髪の少女が苦笑している。

彼女は銀幡軍団のナンバーツーにあたる、阿撞と呼ばれている少女だった。
甘寧療養中の銀幡軍団の実質的なまとめ役であり、丁奉のサポート役でもある。

「なんだ承淵?
まさか「阿撞」ってのがあたしの本名だと思ってたんじゃないだろうな?」
「あ…いえ、その」

年季の入った百戦錬磨のガンに、慌てる丁奉。

「そりゃあんた、まったく本名の話してなかったくせにそれはないやろ」

流暢な関西弁を喋る少女が助け舟を入れる。
銀幡のナンバースリー、暴走した甘寧を止められる数少ない存在の一人である蘇飛である。

「そういううちも、話してなかったしな。堪忍な」
「ちっ…阿飛、あんたばっかいい方に廻るな」

固まったままの後輩の肩を叩きながら蘇飛が笑い、つられる様にして阿撞…馬忠も笑う。

「阿撞ってのは、あたしがピンでやんちゃやってたころの通り名でね。
リーダーに拾われたあとも、面倒くさいからそのまま通してるのさ。
まぁ名札なんてのも普段付けねーし、クラスどころか学年も違うから知らなくて当然だよな」

はぁ…とあっけにとられた感じの丁奉。

「まぁ別にええんやないの?
あの娘は馬忠でええやろし、あんた呼ぶときは阿撞せぇばええわけやし」
「てきとーいってくれるなオイ…一応親からもらった名前だぞ?」

けらけらと楽しそうに笑う蘇飛と、苦笑する馬忠。


そんな先輩ふたりのやり取りを他所に、丁奉は何故か「もうひとりの」馬忠が気になっているようだった。

その容姿、仕草、そしてその雰囲気は、何処か自分の知っている人物に酷似している様に思えたからだ。
後に近い将来、共に長湖部を支えていくことになるある少女…いや、正確に言えば、それと縁のある人物に。


「どうかしたのか?」
「あ…いえ、別に。
行きましょうか」

自分よりはるかに年上のヤンキー軍団と、その寡黙な少女を促して、移動を始めた潘璋軍団の後尾につきながら、

(…まさか…ね)

彼女は頭を振り、その考えを否定した。
彼女の記憶にあるその人物は、決して戦陣に立つイメージは思い浮かばなかったからだ。





丁奉の思索を打ち破ったのは、突如耳に飛び込んできた怒号。


時刻にして五時半を少し周っていたが、冬という季節がら既に日は落ち、彼女達の目指す先には明かりが見て取れる。

街灯の明かりばかりではなく、この時間の戦闘になることを見越して持ち込まれた照明機材の光で、そこだけ昼間の如く明るくなっていた。
その燭光で、暗がりからの攻撃をカモフラージュする意味もあった。
言うまでもなく、そこが関羽包囲網の最終ポイント。少女達が目指す場所でもあった。


「…よし、大魚は罠にかかった!
承淵、あんたは銀幡軍団とその無口ねーさん引き連れて義封と後詰めにつきな!」

そして、目指した最終戦場を見渡せる高台に軍団を展開させる潘璋。

「先輩は!?」
「このまま公奕ねーさんの軍と挟撃かける!
あんたたちは包囲を完璧にして、アリの子一匹通すなよ!」
「はいっ!」

その丘に帰宅部勢と長湖部勢の激突を、そして丘の対岸に蒋欽の姿を見て取った彼女は、思い思いの獲物を手にして戦闘準備を整えた子飼いの軍団に檄を飛ばす。

「決死鋭鋒隊、あたしに続けッ!!」

潘璋を戦闘に、怒号と共に雪崩を打って駆け下りる鋭鋒隊。

時を同じくして、対岸から戦場へ雪崩れ込む蒋欽軍団。
そして、関羽の正面から姿を現す呂蒙率いる長湖部本隊。

(多勢に無勢…どう考えても逃げ道はない…でも…)

その光景を、彼女は取り残されたその場から遠く眺めながら。
丁奉は、戦場の中央で沈黙を守る関羽の姿に、形容しがたい不吉ものを感じていた。





関羽軍団は包囲した長湖部員の人海戦術によってその九割が既に打ち倒されていた。

後続の部隊と分断され、既に先鋒軍に残っているのは関羽ただ一人。
後方では関平、趙累、廖淳三将の奮戦空しく、既にその残り兵力もごくわずかだった。


関平は必死に姉の元へ駆けつけようとする。
だが、其処に待ち受けていた寄せ手の大将は。

「おっと、此処から先には行かせないわよ」

セミロングで、襟がはねている黒髪の小柄な少女。
潘璋軍の後詰めを任されていた朱然が、使い込まれた木刀を一本手にしてその目の前に立ちはだかった。

「長湖の走狗が! 邪魔をするなッ!」

満身創痍、その制服ブラウスも所々無残に敗れ、片腕も負傷してだらしなく垂れ下がっていても尚、関平は鬼気迫る形相で目の前の少女を睨みつけた。
だが…

「走狗、ね。
でも貴様等みたいな溝鼠に比べればはるかに上等だ」

いかなる時も笑みを絶やさない、孫権をして「季節を選ばないヒマワリ」と形容される朱然の表情が…そのとき夜叉の如き表情に変わった。

「仲謀ちゃんを…あたし達が培ってきた長湖部の誇りを穢した貴様等に、この荊州学区に居場所を残してやるほどあたし等が御人好しと思ったら大間違いだ…!」

その憎悪の如き憤怒を帯びた闘気に関平もたじろいだ。
だが、それでも彼女はなおも構えて見せた。
恐らくは「長湖部恐れずに足らず」という風潮が染み付いていた…それゆえに見せることが出来た気勢だろう。

「何を…こそ泥の分際でッ!」

関平が片手で振り上げてきたその一撃を、彼女は不必要なくらいに強烈な横薙ぎで一気にかち上げた。
驚愕に目を見開く関平のがら空きになった脇腹に、さらに横蹴りが見舞われる。

「うぐ…っ!」
「こんなもので足りると思うなッ!」

よろめくその身体を当身で再度突き飛ばすと、やや大仰に剣を振りかぶる朱然。


体制を崩すまいとよろめく関平は、驚愕で目を見開いた。
彼女はこのとき、己が対峙していたものが想像を絶する「怪物」であったことを、漸く理解した。


「堕ちろやぁっ!」

大きく振りかぶられた剣が、大きく弧を描いて物凄い勢いで関平の右肩口に叩き落された。
竹刀ではあったが、遠心力で凄まじい加重がかかった剣の衝撃はそれだけで関平の意識を吹き飛ばした。

立身(たつみ)流を修めた朱然が必殺の一撃として放つ「豪撃(こわうち)」…この一撃をもって、帰宅部の若手エースとなるはずだった少女は戦場の露と消えた。





「関平ッ!」

その有様を捉えた趙累はその傍へ駆け寄ろうとする。
だが、尽きぬ大軍の大攻勢に彼女にも成す術はない。


武神・関羽が見出したこの「篤実なる与太者」も、決して弱いわけではない。
関羽直々に一刀流の手解きを受け、その技量を認められたほどであったが、それでもこの劣勢を一人で覆すにはほど遠い。


「くそっ…どけというのが解らんのかよッ!!」


この激しい戦闘の最中、彼女たちを守っていた軍団員も全滅し、残るは彼女位だという事を悟るのにも、そうは時間はかからなかった。

そしてまた、自分たちが「長湖部」というものをどれだけ過小評価していたかということも。
それゆえ、こうなってしまった以上、自分たちには滅びの末路しか存在し得ないであろうことも。


だが、それを認めてしまうことは出来なかった。
この局面において退路を探ることが出来なかった以上は、許されるのはただひたすら前を目指すことだけ。


しかし、その想いとは裏腹に、彼女の身体はどんどん後方へ追いやられてゆく。


「いい加減…往生際が悪いとは思いませんか?」

その声とともに、人波の間から鋭い剣の一撃が飛んでくる。
彼女は辛うじてそれを受け止め…そして、その主の顔を見て愕然とした。

「あんたは…!」

そこにいたのは、数日前に江陵で面会した気弱そうな面影のない…その生来の凛然さを顕した陸遜がいた。

「学園に名を轟かす関羽軍団…その将たる者の最後の相手が一般生徒となれば、余りにも不憫。
僭越ながら、私がその階級章、貰い受けます!」

気弱そうなその風体に似合わぬ不敵な言葉に、趙累も苦笑を隠せなかった。


彼女の中にはそのとき、一抹の後悔が浮かんでいたのかもしれない。

呂蒙の影で動いていた者が、目の前のこの少女であるという確信すると同時に…趙累はあの時、これほどのバケモノを目の前にしていながら、何故あの時にその正体を見破ることが出来なかったのか、と。
そして、彼女は剣を交えた瞬間、己の運命も悟っていたかも知れない。


「ふん…粋がるなよ小娘ッ!」

しかしそれでも、彼女は最後まで強がって見せた。最早、それが虚勢でしかないとしても。

「このあたしを謀った罪、その階級章で贖ってもらうよ!」

彼女は正眼に構えた剣から真っ直ぐ、陸遜の真眉間めがけて剣を振り下ろす。

「出来ないことは、安易に口走るべきではないと思います」

その顔に似合わぬ冷酷な一言の、刹那の後。
陸遜の剣は僅かに速く、その剣を弾き返し…返す剣で趙累の身体を逆胴から薙ぎ払った。

(そんな…!)

がら空きになったわき腹に強烈な一撃を受け、彼女もまたうめき声ひとつ上げず大地にその身体を預けた。





関平と趙累が最期を迎えていた時…それと知らず潘璋はただその光景に言葉を失っていた。
戦闘に入ってから既に十五分余りを経過し、関羽軍団の軍団員はほぼ討ち果たされていたものの…肝心の関羽は討ち取るどころの騒ぎではなかった。


関羽一人をめがけて殺到する少女達の体が、まるで紙吹雪のように吹き飛ばされていく。
それが紙吹雪では断じてない事は、その剣が振るわれる度に飛び散る血飛沫が物語っていた。

それはまさに悪夢のごとき光景だった。


関羽の剛剣が振るわれるたび、少女数人が吹き飛ばされ、その一回ごとに戦闘不能者が生み出されている。

正面に立てばある者は肩を砕かれ、ある者は額を割られ、ある者は血反吐を吐いて悶絶する末路が待っていた。
組み付こうとしてもその剛拳で強かに顔面を薙ぎ払われ、強烈な裏蹴りで肘や二の腕を破壊されてしまう。

何時の間にか、関羽の周囲はそうした脱落者ばかりになり始めていた。


「なんだよ…!?」

潘璋はその凄惨な光景に、泣き笑いのような表情で呟く。

「こんな…こんな馬鹿な話ってあるかよ…!?」

その問いに答えるもののないまま。


「関雲長、覚悟ッ!」

飛んできた怒声に、潘璋は漸く現実に引き戻された。

声の主は蒋欽。
吹き飛ばされた生徒達の間を割って飛び込んできた彼女は、握り締めた鉄パイプを関羽の脳天めがけて猛然と振り下ろす。


背後から、人込みに紛れての奇襲。
本来ならば、彼女ほどの猛者が好んで使うような戦法ではないはずだ。
だが一方で、蒋欽は己のプライドなどというものがこの戦いに何の利益ももたらさないことをきちんと理解していた。

もっと言えば、ここで関羽を確実にツブせなければ後がないだろうことも。
だからこそ、彼女はこの一瞬の中に総てをかけた。


次の瞬間。


鉄パイプはあらぬ方向を向いていた。


いや、あらぬ方向を向いていたのは、それを持つ蒋欽の左腕そのもの…その肩口に、関羽が振るった剣先が食い込んでいた。


「公奕さんッ!?」

その潘璋の悲鳴が届いていたかどうか。
その身体は大きく宙を舞った。

関羽は、ここまでの間、一度も振り返ることはなかった。


宙を舞うその身体に目を奪われた少女達の動きが一瞬、止まった。
だが関羽はそれにさえ目もくれず、なおも眼前にある「敵」を屠らんと、再度その剣を振り上げた。


「文珪先輩ッ!」

少女の絶叫で我に帰った潘璋は、次の瞬間思いきり地面に叩きつけられた。

気づいたときには、どこからか組み付いてきた少女とともに地面を回転しながら受身を取らされた格好だ。
その一瞬、地面に叩きつけられる太刀が見える。
恐らく、その少女がいなかったら自分はとっくの昔にその餌食となっていたことは想像に難くない。

「承淵!」

覆いかぶさったその少女からは返事が無い。

恐らくは飛びついた際、同時に地面を振るわせた一撃の生み出した衝撃をもろに受け、意識を飛ばされたのだろう。
潘璋はこの少女が身体を盾にしてくれたお陰で、その影響をほとんど受けずに済んだのだ。


その恐ろしい事実は、その切っ先がめり込むどころか文字通り叩き割ってるという凄まじい状況からも理解できた。


関羽は潘璋の姿を認めると、再びその切っ先を天に振りかざした。

彼女は丁奉の襟首を掴むと、横へ飛びのこうとするが…その切っ先の落ちてくる速度のほうがずっと速い。
そして動かない己の脳天めがけ、その剣が振り上げられるのを、潘璋ははっきりと見ていた。
その刃は、まるで総ての命を刈り取る死神の刃のように思えた。


だが、その刃が届くことは無かった。


自分たちと関羽の間に割り込んできたひとつの影が、その剛剣をものともせず、棒のようなもの一本で受け止めていた。
濃紺のバンダナから覗く、白金の髪。


「これ以上」


言葉を失ったはずの少女が、声を発した。
潘璋はそのこと以上に、その声の主に心当たることにかえって驚愕を隠せなかった。


「これ以上、貴様如きに好きにさせるかぁぁっ!」


かつての孫策直属の側近の一人で、飛び切り不器用な性格の才媛と…目の前の少女のイメージが、潘璋の中でそのときひとつになった。





その別の丘から、到着した孫権の軍団も姿を現していた。
関羽が巻き起こしたと一目でわかるその惨状の中心、暴威の如き武を振るう関羽を、単身食い止めている…いや、その見立てに誤りが無ければ。


「凄い…!
あの関羽を相手に、あそこまで戦える人が居たなんて…!!」

目を輝かせて、感嘆の呟きを漏らす孫権。

傍らの周泰は、それを何処かやるせない思いで眺めていた。
彼女も、眼下で死闘を繰り広げている少女の正体を知っていた…というか、一目見てその正体に気づいていた。


かつて共に孫策の元で共有した夢を実現するために戦ったその少女が、その不器用な性格ゆえに、周囲から浮いた存在になっていることも。
それが孫権のことを大切に思うあまりにそうなってしまったことも。


(子瑜が髪形を変えてしまったときも気付いたほどなのに…お前の想いは、それほど伝わりにくいものだったのか)

周泰には、そのことがたまらなく寂しいものに思えていた。





凛とした怒号とともに、変幻自在の杖捌きが関羽を襲う。

その突きの鋭さに、さしもの関羽も後退を余儀なくされた。
飛びのいて大きく間合いを取ると、二人は改めて向き合い、互いの姿を確認しあった。


「貴様は…何者だ?」
「…答える義理は無いわ」

にべも無い言葉とともに再度杖を青眼構えるその姿に、関羽もまた構えを取り直す。

(棒術…いや、これは杖術か。
 おそらく、士仁めと同流派、神道無念流杖術。
 …アレとは比較にならないどころではない…これほどの使い手が長湖部…否、この学園にいたなどと…!!)

関羽は心中で戦慄する。


自分の疲労に気付いていないわけではなかったが、関羽は最後の最後まで、何処か「長湖部という存在」を甘く見ていた。
かつての呂布がそうだったように、己自身に敵なしとまでは思っていなかったが…少なくとも今の長湖部には、自分に比肩する武の持ち主など存在しえない、と思い込んでいた。

相手の技術の正体を悟れども、その技量が底知れない事に、彼女は恐怖した。
それが、自分が歯牙にもかけなかった存在…長湖部に属するものであろうことを認めたくなかった。


否…彼女が認めたくなかったのは…目の前の少女に対して恐れを抱く自分自身だった。


関羽はその恐怖から逃れるかのように咆哮し、猛然と間合いを詰める。
一陣の風がふたりの間を駆け抜けていったその瞬間、その中間で剣と杖がぶつかり合った。

そのまま力で押し切ろうとする関羽の剣を受け流し、側面から少女は横薙ぎに杖を繰り出す。
紙一重でかわしたところへ、無拍子で直突きに切り替えてくるその一撃が、関羽の左肩を捉えた。

「ぬ!」

当たる瞬間僅かに半歩引いてダメージをやわらげようとするも、さらに足元を掬い上げる強烈な一撃を喰らい、受身を取ってさらに後退させられる。
そしてその鋭い突きの一撃が、ついに武神の左肩を捕らえた。


戸惑いの後、凄まじい衝撃が関羽の全身を襲う。

これが単なるまぐれ当たりではないことは、それまでの攻防で見せたその能力を鑑みれば解ることだった。
彼女はインパクトの瞬間、一瞬の手首の返しと同時の強烈な踏み込みでその威力を倍化させ、その身体をさらに後方へと吹き飛ばした。


(馬鹿な…こんなことが。
 勝てない…この子に勝てるヴィジョンがまるで…見えないッ…!!)


生まれ出た恐怖が、武神と呼ばれた彼女の心を支配する。


この事態に当惑するのは関羽だけではなかった。

見守る長湖部員達にも、この状況でまさか関羽に一撃を加えられるほどの使い手がいることなど思いもしなかったのだ。
潘璋、蒋欽といったひとかどの猛将を悉く退けられ、戦意喪失していた部員達は、思わず歓声を上げた。

折りしもその場に到着した呂蒙も、どこかほっとした表情で呟いた。


「あいつめ…やっとその気になってくれたのかよ」

呆れてはいるようだが、こんな絶体絶命の状態になるまでその少女が出てこれなかったことを、少女が関羽に対する恐怖で逃げ回っていたというワケではないだろうことを、呂蒙は知っていた。
彼女が関羽の面前に立てなかった理由…そして、この局面において姿を現した理由は、ひとつしかなかったのだから。





茫然自失し、その場にへたり込む関羽の眼前に、杖の先が突きつけられる。

「観念なさい、関雲長。
あんたがその言葉で踏みにじったモノの大きさを…その魂魄の髄まで思い知って地獄まで落ちるといい」

関羽はその時初めて、その少女の青い瞳を見た。


その中に渦巻く、凄まじい憤怒の炎。
激しい怒りの感情が、まるで見つめる自分自身すら灼こうとしているように錯覚する。


「何故だ…!」

関羽はそれでも、なお己の中の何かを奮い立たせるかのように、問いかける。

「貴様は何故、長湖部などに…孫権の如き小娘のために、そこまでの力が揮える!?
貴様の中の何がそうさせるのだ!?」

その言葉に、少女は更に瞳の中、憤怒の炎を燃え上がらせ応える。


「それが、私のすべてだから。
伯符さんに託されたからじゃなくて…私が、あの子の作る未来を見てみたいから。
それが……孫伯符(かのじょ)の描いた夢に置き去りにされた、私のできるすべてだからよ…!!」


関羽は目を見開く。


孫策。
群雄割拠する揚州を、わずか一ヶ月でまとめ上げながら、不慮の事故によりリタイアを余儀なくされた「長湖の小覇王」。

目の前の少女が、その熱く猛々しき想いを受け継ぐものであることを、関羽は知った。


「私も所詮は、古い時代の遺物に過ぎないかも知れない。
だが、あんたも一緒だ。
それが、これから描かれる夢を…受け継がれたその想いのすべてを否定した。
死すらもあんたには生温いッ…!!」


怒りはあれど、そこに憎悪はない。
関羽は初めて、そのとき己の言葉を後悔した。


(そうか。
 「長湖部」とは…このような者達の集まりだったのか。
 そして…孫仲謀)

関羽はこの戦いを見守る、孫権に目をやる。


その瞳もまっすぐ、こちらを見据えている。
孫権だけではない。
固唾を呑んでこの勝負の行方を見守る長湖部員の瞳も、皆が自分に向けられている。


多少の差異はあれど…すべてが、目の前の少女と同じ色の怒りを帯びている。


(何も見ていなかったのは、私自身だったか…!
 私は…わたしは、私自身の慢心故に負けたのだ!!)


彼女は天を仰ぎ、哄笑する。
半ば自棄になったような、その笑い声が木霊し…そして。

「だが」

関羽はなおも立ち上がり、そして…抜刀の型に構える。

関羽の目はなおも眼前の少女を見据えていた。
そしてその闘気が一気に消えてゆく。


「ただでこの首、くれてやるつもりはない。
…見せてやろう。
この技を使っていいと思ったのは、君が…君たち長湖部員が、初めてだ」


少女が異変に気づいた時には既に遅かった。


次の瞬間、少女の身体は血飛沫と共に中空を舞った。
直前まで歓喜の声をあげていた長湖部員たちから、その瞬間、総ての声が消えた。



少女の頭を覆っていた布が解け、その正体を示す銀の髪が中空で揺らめいた。
そしてその瞬間、その少女の正体を孫権もまた知ることとなった。


「嘘…なんで…!?」

呆然と呟くその問いに、応えるもののないまま。