部屋から出てきた陸凱達、そして離れた場所にいる陸遜と朱績、さらにその区画に姿を現した曹操達も、目の前の信じがたい現象に言葉を失った。
通路の隔壁は何処にもなく、すべてが黄昏の空間の離れた位置にそれぞれ、立ち尽くしていた。

「GRRRR…」

その中心で、禍々しい妖気を放ちながらうなりを上げる、薛綜の姿をした怪物。
黒い妖気は、まるで四足の魔獣の姿の如く見える。

それに対峙するは、その生来の黒髪や黒い瞳、果ては来ている衣装の蒼の部分すらも真っ赤に染め上げる、顧雍の姿だった。
見ただけで、まるで自分の精神すらも喰われそうな、そんな恐怖心が、見守る少女達の脳裏によぎる。

「いったい…これは」
「わかんない…どうなってんの、これ?
まるで、これじゃ」

わななくようにつぶやく陸凱達の存在に気がついたのか、その空間の中を飛んでくるひとつの影。

そう、彼女は明らかに「飛んで」きたのだ。
目の前に降り立った陸遜も、半信半疑の表情でつぶやく。

「説明通りね。
この空間の中であれば、当たり前に「飛ぶ」事ができる。
本来なら、ここで「緋色の鳥」が来て、私は食い殺されることを繰り返すのでしょうけど」
「伯姉…どういうことだよ、これは…?」

陸遜はただ、首を振る。

「私にだってよくわからないわ。
けど」

陸遜は肌身離さず持っていた、生徒手帳に挟んでいた一枚のプリントを出して広げる。

丁奉にはそれに見覚えがあった。
一年前、諸葛亮の作った「特別収容サイト・石兵八陣」で自分が見つけ、抜け出す際に陸遜が持ち出していた「緋色の鳥」のプリントだ。
しかし…それは当時見たものとは何かが違う。
そのプリントは、紅いインクで意味ありげにシミを作られていたはずだ。

そのシミが、消え去っていた。
困惑する一同の、その脳裏に直接、顧雍の言葉が響く。

-なんとなく、そんな気がしていた。
あなたがその「原本」を持っていてくれたのね…伯言。
未完成だった術式は、それのおかげで今「完成」した。
離れてなさい…私の制御下にあるとはいえ…この「鳥」は不用意に近づいた者の心も容赦なく食らいつくすわ…!!-

「原本…ですって!?
これは、孔明さん達の拵えたレプリカのはずじゃ」

陸遜の手に握られたそれを、いつの間にかそこに合流していた曹操達がのぞき込んで大げさに驚く。

「うええええええええええっこれは悪名高き日本支部最凶最悪のオブジェクト!!
なんか空も飛べちゃったしあたしたちも喰われて終わるんだああああああああああああああああ!!」
「いやまて落ち着けこれは確かこの祝詞を書けば脱出できるって書いてあったから書くもの書くもの」

そのイメージに違わず、ホラーの類いが大の苦手な孫策が無言でがたがた震えている首根っこを掴んで、これまた普段の彼女とは想像できないような風におろおろする魯粛。
誰もが「何故あんた達がここに居るんだ」という当たり前のつっこみをする事すら忘れ、ただその成り行きを困惑しながら見守る。

「あたしもSCPは知ってるが…作り話だと思ってたことが現実になっちまうとこうもコメントに困ることになろうとは」

こちらも、陸遜同様に何処か冷静な吾粲が、呆然としたままの朱績に肩を貸した状態で降り立った。

どうやら、この区画にいて意識を保っている者のみが、この空間に捕らわれたことは理解できた。
廊下のそこかしこで、気を失った少女達の姿がないからだ。
合流できた喜びとかそういう感慨もわくことなく、朱績も同じようにその世界の中心を見やる。

「GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!!」

咆哮を上げる黒い魔獣が突進する。
それまで目を閉じていた、深紅の魔女も…対応するかの如くかっと目を見開いた。

「今こそ来たらん我が脳漿の民へ!
今こそ来たらん我が世の常闇へ!
今こそ来たらん我が檻の赫灼ヘ!
汝の精神、我が糧に捧げよ!!」

緋と黒が、激突する。



-長湖式歓送迎会-
そのなな「鳥は羽ばたく」



「なんじゃいなこりゃ、まるで戦場やで」

休憩時間、興味をそそられた劉備が順路の奥…「長湖部関係者以外立ち入り禁止」という簡易バリケードの張ってあった区画の中を進み、行った先では幾人も気を失った少女達の姿があった。
いずれも軽傷ではあったが、中には潘璋や朱桓などといった猛将に類する知った顔もちらほらおり、劉備はその先に何かしらのアクシデントが起こっていることを直観する。

「げ、玄徳さんっ!
こんな所勝手に入ったりしたら…!?」

慌てて後を追ってきたらしい陳羣も、その光景に目を疑う。

よく見ればフロアの壁も所々傷ついており、何かと争った形跡も見て取れる。
一見すれば、信じがたいことに人間相手との戦いではないことすら窺えた。

「まさか余興かなんかで、さっき舞台にいた連中の誰かが虎か熊とでも戦う予定だったんちゃうか?」

苦笑する劉備。

陳羣の答えを待つことなく、彼女はさらに奥へと歩を進め、陳羣も恐る恐るその後へ続く。
そしてある区画まで来たときに、劉備は不意に立ち止まって陳羣を制した。

「あかんな。
こっから先に行くとしたら、ちぃとばかし危ないわ。
長文、あんたここで待っとき」
「あなたは…?」
「一体何でこないなモン、ここに出てきてるんだか。
孔明め、自分であとは処理するとかほざいておって何やってんのや…まったく」
「ちょ、ちょっと!」

陳羣の制止も空しく劉備が歩を勧めると、その先の空間がにわかに静電気のような紫電を走らせ、その体をかき消していく。
否、その先につながるどこかへと、その体を送り出している。

陳羣は己の目を疑った。
明らかに、ここには見えている景色以外の「何か」が存在していることを示し…しかも、劉備はおそらくその正体を知っている。
彼女は逡巡したが、やがて劉備の後を追ってその空間へと飛び込んでいく。



他方で、誰も舞台裏に居ないことを訝しんだ虞翻も、胸騒ぎを感じてそこへたどり着いていた。
そして、踏み込んだ空間の先で、信じがたい光景を目の当たりにする。

何よりも紅い色に染まる黄昏の世界の中、ぼろぼろに傷つき崩れ落ちた漆黒の巨獣。
その中には、意識を失っている薛綜が力なく漂っているのを見いだす。

対峙している緋色の少女…それはよくよくみれば、顧雍の姿をしていた。
そこから伸びた、爛々と輝く眼を持つ半不可視の鳥の首のようなものが、薛綜を内包する黒い獣のオーラをむさぼっているという、この世のものとは思えないほどおぞましい光景だった。

「これは…!」

あまりにも非現実的なその空間の中で、虞翻は底知れぬ恐怖感を覚えると共に…見える情報を必死で整理しようとする。

その恐るべき惨状が行われているところから離れた位置に、陸遜や妹たちが居るのが解る。
駆け寄ろうとする彼女は、何故か今の自分は空を飛ぶことができるという突拍子もない発想が頭に浮かんでいることに気がつく。

それで、彼女はその信じがたい予想が現実となっていることを漠然と感じ取った。

「おー、やっぱ飛べる飛べる。
どうやらあの鳥公、話聞いてたん違って、他にエサ食ってるときはそれ以外のモンに向かってこんみたいやな。
あるいはあの子…きちっとコントロールしてんのかのう、そっちの方が信じられへんわ」
「えっ…えっ? ええええっ!?」

そこに飛来するのは、思ってもみない人物。
抱きかかえられるようにされて困惑する陳羣は、確かに自分が招待したものだが…それを抱えて飛んできた方の存在は、誰もこの場にはいないと思うだろう人物…すなわち、劉備だ。

「長文…それに、あなたは…!」
「んー?
せやせや、仲翔やったな。
あんた確か幹部会にいたはずやって聞いてたけど、主将の間違いちゃうんか?
権坊のボディガードよりあんたのほうが強い気するで」

あっけらかんと応える劉備に虞翻もどう答えを返したものか困惑する。
それを知ってか知らずか…彼女は語り始める。

「SCP-444-JP、通称「緋色の鳥」。
ただの作り話にすぎなかったそいつのモデルらしきモンを、なんの偶然か景升(劉表)はんの学園文庫で見つけてしもてな。
うちも話のタネとしてそういうん好きでな、知っとっただけに野放しってのもアレやったから、読まんようにしてこっそり持ち出しとったんや。
あの媒体になってるゆうことは、見ただけでも影響受けるっぽいとか書いてあったけど…まあ、閉じ込められて弱体化しとったのか、似たようなんがあったんか。
見ただけならなんともないっての、ウチがいまだ狂いもせんとぴんぴんしてるってのがその証拠って事でええんやろな」
「ああ」

ぼんやりとした相槌を返す虞翻。

陳羣はよくわかっていないようだったが…件の創作ホラー「SCP Foundation」は元々陸遜や駱統といった一部でのみ知られていたが、陸遜が「八陣」の体験談を語ったことがきっかけで一時長湖幹部会でもプチブームを起こしたことがあり、中には一週間足らずでそのすべてのオブジェクトページを読破し暗記してしまったような大馬鹿者までいるほどだった。
実際は創作である為害はないはずだが…思い込みの力なのか、中には実際に認識災害的な精神症状を起こしてしまう輩も出てきてしまったため、ほんの数ヶ月前には生徒会長命令として「SCPの話」を禁止する指令が出された一幕もあった。
だが歩隲などはこれを「特別収容プロトコル」などと呼んでる始末で、実際はまるで意味を成していないようだが。

当然ながら虞翻も有名どころの情報は大方押さえており、改めて周囲を見回し…それが劉備のいうオブジェクトの世界に近い物であることを理解する。

「孔明のアホめ、絶対収容違反不可能な場所に収容します~、とかほざいとったくせにのう。
けど、ありゃあなんか違うな。
あの副会長の子、まるであの鳥と一体化してる感じや。一体全体、何をどうやったら」

わけがわからん、と溜息を吐く劉備。

その言葉の最中にも、魔獣の抵抗空しくそれは喰われ続け…黒い影はやがて、一片残らずその「緋色の鳥」に喰らい尽くされた。
その足下には、倒れ伏した薛綜の体が力なく横たわり…やがて、それは紅い世界から排除されるかの如くかき消える。

余りに予想外の事態に、見守る陸遜達が声を上げようとすると…紅い少女が振り返って告げる。

「大丈夫…終わったわ。
じきにあの子も目を覚まし…その頃には、今日のことは忘れているはずよ。
もっとも、これまでにあの「術」が発動していたときのこともだろうけど」

それは、陸遜達ばかりでなく、他の誰もが初めて聞くだろう…はっきりと聞き取れる程度の音量を持つ、顧雍の声だった。
あっけにとられる面々を意に介した風もなく、衣装に挿していた小さな手帳を取り出し、彼女は文言を唱える。

-緋色よ来れ!
この世界は汝の鳥籠と同義なれば。
その翼、我が内に休めよ…緋色の鳥、未だ発たず-

その言葉に共鳴するかのように、彼女の纏った緋色の光がそのつま先、髪の先から手を伝い、手帳へと吸い込まれていく。
それと同時に、陸遜が手にしていた一枚の紙もまた、風化して緋色の光となり…手帳へと吸い込まれる光に合流する。

「この「鳥」もまた、野放しにはできない危険な存在。
今後そのような事態が起こらないことを祈るしかないけど…必要となる時が来るまで、ここに封印する。
それもまた、学園都市に生きる魔女の一族(わたしたち)の使命でもあるのだから」

彼女の体から緋の光が消えると同時に、その空間もまた元の、廊下の一角へと戻っていく。
そこには、先程の戦闘で気を失った長湖部の面々に混じり、薛綜の姿もあった。

(私の声も、余りに言霊が強すぎるから…本来は、こうやって封じるの)

うつむく彼女の首元に、一瞬だけチョーカーのようなものが巻かれ…それも跡形なくかき消えた。
今ひとつ事態が飲み込めずにいた一同であったが…「魔女」顧雍がそういうのなら、この一件は解決したと言っていいのだろう。

やがて…顧雍が何かしたのか、あるいはそれぞれの治癒力の高さ故か…気を失っていた呂範達も次々と目を覚まし始めた。
皆打撲やかすり傷は負っていたようだが動くに支障はなく、朱桓や全琮、陳表なども裏方作業へ戻るということだった。

そのとき、休憩時間終了を知らせるアナウンスが入る。
長時間の戦闘に思われたが、時計は最初に吾粲が呼びに来てから20分ほどしか経っていない。
「鳥」が「術式」を喰らっていたのにはもっと時間がかかっていたように思えていたが、おそらくそれもあの空間の効果で、異常な体感時間の長さを感じさせられる「認識障害」を受けていた、ということなのだろうと、陸遜達は結論づけた。





(♪少女歌唱中 「にゃんだふる55」/Dormir♪)

プログラムは粛々と…という言葉とは相変わらず無縁な感じで、無事ステージへ上がることができた来期の候補生達による舞台から再開する。

♪なんかイヤなことがあっても
 不思議とどうにかなっちゃうね
 あるがままの自分に素直に生きたい♪


練習の甲斐もあり、ジャズベースの難しいリズムの曲も、彼女たちは危なげなく演奏し…そして、陸抗の可愛らしいボーカルにぴったりなイメージの歌に、舞台裏で和む少女達。

♪キミのことを考えてたら
 笑い声が聞こえたよ
 ちょっぴり夢見がちで
 不器用なボクと のんきなキミを 月が照らしている♪


陸遜は、自分の妹が歌う歌がまるで、自分のことを言っているように思えてならなかった。

「私、歌ってみるよ。
私のこの想いが…先輩に届くって信じて」
「うん!」

振り返る朱然と、陸遜が頷く。





演奏が終わったあとの、陸氏三人娘のコントじみた掛け合い。
勿論全員、特に陸凱にそのつもりは全くなく、むしろ天然ボケを振りまく双子の妹と従姉妹に対して総ツッコミを入れるばかりだが、その様子がおかしいのか会場からは笑い声も上がる。

「なってへんな。
まるでなってへん。
ガールズトークだけで笑いを取ろうなんぞ、例え笑神様が許そうとこのウチが許さへん!!」

大音声で会場に響く、ナゾの宣言。
困惑する…ように見せかけている陸凱と、本気で動揺する天然二名。

「ええい何モンだこらあ!
あたしはコントのつもりはねーこのアンポンタン共を説教するって…うえええええええええ!?」

最後だけわざとらしく驚いてみせるものの、その人物の姿に驚いたのは当然観客達だ。

董襲が着ていたのと同じ様式だが、黒縁に赤の楽団衣装。
そして巻きスカートではなく、キュロットスカート。
本来は帽子を被っているはずだが、「ウチの業界ではこの子のスタイルはこうやねん異論は認めん!」と、オプションの帽子についていた星の飾りをヘアピンにくっつけて髪に挿し、そして何故か背丈の半分ぐらいもある大ハリセンを担ぎ、姿を現したのは…


「人呼んで幽州のコント北斗七星!!
この「ツッコミ鬼嚢」劉玄徳の眼ェ黒いうちは、そんな甘いトークで笑いを取ることはさせへんどおおおおおおおおお!!!」


その大仰な宣言と共に、ハリセンが勢いよく観客に突きつけられる。

まさかのサプライズゲストに、やや和みムードにあった観客達が大音声の歓声を上げる。
舞台袖でおろおろしながら成り行きを見守る陳羣だったが、

「ほら長文も覚悟決める!
もうこれで学園生活も終わりなんだし最後の最後ではっちゃけてきんしゃい!!」
「うぇ!?
ちょ、おま、孟徳先輩まっ…ひゃあああ!?」

後ろから曹操に突き飛ばされ、舞台に転び出る…というか、突き飛ばされて盛大にコケる陳羣。

こちらも劉備と同じような衣装であるが、色はピンクで紺の縁取りがあるロングスカートだ。
最初その正体が誰かもわからず困惑するが、顔を上げた瞬間にそれが蒼天会最強と言われた風紀の大本締めだった少女と知った瞬間、驚きの声とともに笑い声が上がる。

「あいたた…」
「なんやねん長文あんた、出てくるだけで笑いとりおってオイシイとこもってくなあ」
「いやちょっといきなり突き飛ばされて…ってうわああああああああああああああああああ!!??」

掛け値なし本当の困惑の絶叫、それがさらなる笑いを誘う。

言うまでもなくふたりの衣装も、今回のために誂えられたものである。
二着だけ最後に余り、何もなければ裏方の誰かが着てわざと黒子として出るかという案もあったが…「どうせあたし達も乱入するんだし、一緒になんかやんない?」という曹操の提案を二つ返事で承諾した劉備が、陳羣を巻き添えにして残った二着の衣装を借り入れる形で急遽飛び入り参加する運びとなったのだ。

これは舞台に移動する数分の中で、陸凱も巻き込んでアドリブでネタの応酬をし続けるという段取りに決まり、「ネタはウチが引っ張って、あんた達を必ず目立たせるようにしたる」という劉備の言葉を信じる彼女が、舞台に出る孫権を強引に丸め込んで実現の運びとなったのだ。



その数分前、まだ候補生達の演奏のさなか…舞台裏。

劉備がいることに驚いたのは皆がそうだが、特に陸遜、呂蒙、孫権…そして、虞翻にとって、いちばん驚くべき…そして、警戒すべき相手だった。
言うまでもなくその四人全員が、関羽が学園を去る荊州攻略戦の中心にいた、劉備にとっては不倶戴天の敵と言うべき存在なのだ。もっとも、虞翻の件に関しては劉備がそれと認識しているか否かは解りかねるところであったが。

虞翻は最悪の事態も考え、そっと、衣装の中に隠し持っていた組み立て式の、愛用の杖に手をかけようと身構えた。
なぜなら、今演奏している中には妹が居る。
劉備が少しでも、このコンサートを潰そうとするそぶりを見せれば…一息吐くまもなくたたきのめそうと。

劉備はそれを察しているのかいないのか、表情を緩め肩を竦めて告げる。

「まあ、そのな。
こういう場でいうのもなんやけど、ウチも黙って卒業してしもたん、ちと後悔しとってな。
元々、あのアホこっちの言いつけ破りおって、あんた達に喧嘩売っといて何も落とし前付けずにいなくなってしまいおったから」
「え?」

困惑する孫権達に、劉備は頭を下げた。


「権坊、それにみんな。
本当にごめんな。
雲長のアホに替わって…この通りや」


普段は「関さん」と、一歩引いた呼び方をする劉備が、張飛にそうするように関羽を字で呼んだ。

「それにウチもや。
あの強い「関さん」が、どんな小細工をされようと絶対に負けるはずあらへん、絶対に汚い手ェ使(つこ)た決めつけて…ウチも正直、あんた達のことを馬鹿にしておったんや。
ここに来た時点でフクロにされることも覚悟の上やった。
似るなり焼くなり、好きにせえ。
特に子明、あんたあのせいで死ぬ寸前の目ェ遭わされた聞いたで…やるなら、存分にやり…!」

下げた頭で表情は解らないが、悲痛な声だった。

陸遜も…無論呂蒙もだが、最早過ぎたことと…呂蒙も下手人が相応の罰を受けたこともあるし、こうして五体満足で動き回れるようになったので水に流していることではあったが、きっとあれ以来、劉備もそのことに苦悩し続けていただろう事が窺えた。
だが、どう伝えるべきか解らず、二人は顔を見合わせ逡巡する。

一拍置いて、孫権が歩み出し…劉備に告げた。

「だったら…この舞台に上がってもなんでもいいから…ここに居るボクたちと一緒に、玄徳さんも思いっきり楽しんで帰ってください!
それが、ボクたちと仲直りするって言う条件ってことにしますから!」
「権坊…せやけど」

満面の笑顔でそう告げる孫権に、呂蒙達も続ける。

「んだよな。
これは私達卒業生を「笑顔で送り出す」っていう大企画なんだからさ。
そんな場で、いつまでも以前の悶着の蒸し返しなんていうのはナシですよ」
「ええ。
だから、今日はみんなで思いっきり楽しみましょう。
今日だけは…誰が何処の所属かなんて関係なく!」

その手が重なり、三人の顔を、そして他の裏方達の顔を見回す劉備。
曹操も、それを受けて鷹揚に頷く。

「おおきにな、みんな。
せやったら…ウチも一口、乗らしてもらうわ…このド派手な祭りにのう!!」

わっ、と喜び、そして安堵したような声がその場からも上がる。
虞翻も溜息を吐いて、後ろ手にしていた構えを解いていた。



その後は曹操までもが舞台に乱入し、数年前にまだ劉備が蒼天会の預かりだった頃の学園祭でも見せたコントじみた掛け合いを初め、陸凱一人が天然ボケ二人を含めた他の四人にツッコミを入れて回るというドタバタ劇の様相を呈し始めていく。
そこへMCの孫権まで混じり初め、だんだん収拾吐かなくなった頃合いの舞台袖に…これもかねてからの想定通りだったのだろう、先程まで気を失っていた張休の姿があった。

彼女もまた、この場で着る予定だった別の衣装に身を包んでいる。
白い波模様で縁取られた緑一色のオーバージャケット状のワンピースに、襟元に波模様のついた白いブラウス。
頭には牛の角のようなモノがついたヘアバンドをし、ツノの片方には紅いリボンがアクセントとしてあしらえられている。

「お姉ちゃん、私もなんとなく解った気がするよ。
これが、私たちがこれから幹部会の一員として活動していく場所なんだってこと」

振り返ることなく、舞台で忙しなく動き回る同輩の姿を見ながら、彼女はつぶやく。

「負けてらんないよね、私たちも。
それに…私だって腐っても、あの張子布の妹なんだから。
あの子達二人が馬鹿やってたら、止めてあげる子がいなきゃ…いけないもんね」

振り返り、笑う彼女の表情に、先程までのおろおろとした様子はない。
十近く年の離れた長姉の面影が、頼りなく見えた末妹に重なったように見え、張承も溜息を吐く。

「ああ。
行ってこい、叔嗣。
まずは手始めにあの舞台で暴れてる連中を、黙らせてきな。
それが本当の意味での、あんたの初仕事だよ」
「うん!」

彼女は立てかけてあったハリセンをひっつかむと、それを張り上げて猛然と舞台へと突っ込んでいく。

「くぉらあああああああああああ!!
あんた達いい加減にしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「∑( ̄□ ̄;)ぐはあ!!??」

駆け抜けざま、一番手前にいた曹操の顔面に一撃を加え、あっけにとられながらハリセンと突きつける劉備に対しても互角に応酬するその姿に、見守る裏方の少女達の目も細まる。

「あいつに…あいつらに任せとけば、あとは大丈夫そうだな」
「そだね。
我らが長湖部の先行きも安泰だ」

口々にそうつぶやく、卒業生達。
その舞台に立つ、部のこれからを担う少女達の頼もしい姿に、誰もがこの先への不安など抱いてはいなかった。