それから数十分の後、少女たちは徐州校区にある魯粛の実家に集合していた。
「よーし、病院と公瑾の親御さんたちには話はついたよ。
明日の昼まで無罪放免だ」
「流石は子敬だぜ。
で、献…じゃねぇや、伯和さんは?」
別の電話を借りてなにやら話し込んでいたらしい劉協も、その場に戻ってきた。
「あ…大丈夫です。
今日ぐらいはということで、両親もあっさり。
でも、本当に宜しいのですか?」
「いいのいいの、来客は多いほうが楽しいんだから」
心配顔の劉協に、孫策と魯粛は可々と笑って応えた。
ついでに言えば、周瑜も劉協も名目上は今日一晩魯粛の家に泊まるということになっている。
病院側が納得したのは、学園都市湖南部の名家がひとつである魯家のネームバリューに拠る所が大きい。
「いっそ孟徳先輩とか玄徳先輩とか呼んじまってもよかったんじゃねぇか?
探せば会場内のどっかに居たかもしれねぇし」
冗談めかした孫策の一言に、魯粛たちも同意の相槌を打つ。
「そ〜ね〜、あたしとしても、活動期間内に長湖の南は踏みそこなったしね〜」
「え?」
何時の間にか、その隣に姿を現していた小柄で赤い髪の少女…いや、年齢的には「女性」なのだが…が、呆気に取られる二人ににぱっと笑いかけた。
それなん、かつて蒼天生徒会において、奸雄とまで言われた曹操、字を孟徳そのひとであった。
「いやぁ…あたしも帰ろうとしたんだけどね、なんか面白そうだからついて来ちゃった。
玄徳は何処いったかシラネ」
「「「てかなんであんたが居るんだー!?」」」
孫策、魯粛、そして部屋に入ってきた甘寧が一斉に曹操を指差して絶叫する。
「ひとの話はちゃんと聞きなさいな。
面白そうだからついてきて、銀幡あーんど湘南海王OGの皆様に混じってお邪魔してみた」
あっけらかんとした曹操の応えに、魯粛が甘寧をジト目で観る。
「いや…全っ然気ぃつかなかった」
困惑顔で手を振った。
ついでに言えば、周泰は開幕からの参加なので一足先に建業棟に向かっていた。
何でも銀幡・湖南海王代表者による演舞が行われるということで、そのメンバーの選抜に当たるとのことであった。
甘寧はあとから飛び入り乱入する心算で、この場に残っていたのである。
「つーわけでさ、ココまで来たら引き返せないし。
あたしもオジャマさせてもらうのでおっけーかな?」
「わぁ…それがいいです、そうしましょう♪」
曹操の言葉は疑問形だが、最早ダメと言っても引き下がるとも思えないテンションである。劉協も大喜びだ。
「どうする?」
「まぁ…いいんじゃないの?
面白そうだし、衣装もあるし」
顔を見合わせる孫策と魯粛の視線の先には、劉協に絡みながら甘寧と互角にやりあう曹操の姿が見えた。
-長湖式歓送迎会-
そのよん「大嵐の前の嵐」
「今電話入った。
子敬さんたち、あと二十分位したら来るって」
「そう…じゃあ丁度開式挨拶やらなにやら終わった頃だな。
じゃあこっそり入ってもらって、どっか適当なあたりで混ざってもらうか」
開会十五分前、部屋に入ってきた歩隲の報告を受け、朱然は手に持ったメモに何か書き加えた。
その部屋の片隅では、流石にショックの隠しきれない陸遜が、なんとも珍妙な格好のまま机に突っ伏したままだった。
因みに裏方の総指揮を執る他にもサブのMCを勤める朱然以外、その補佐を任された歩隲を筆頭とする他の面々はジャージに制服のスカートという普段通りの姿である。
厳o、潘濬、敢沢、張承らも制服やジャージ姿でいまだ方々を駆け回り、裏方担当の生徒たちに指示を飛ばしていた。開会まで一時間あまりとなったこの時間帯の舞台裏は、まさしく修羅場の様相を呈していた。
そろそろ会場にも見物客が入り始めており、その整理にも百人単位の人員が投入されている。それを指揮する張承、潘濬の激務の甲斐あり、今のところは大きな問題も特に入ってはいなかった。
だが…それもあくまで彼女たちが把握している限りは、である。
「それがね、子敬さんの話なんだけど…耳、貸して」
「いいけどちゃんと返せよ。
…んえっ!? それマジの話!?」
その追加報告を聞いた朱然は目を丸くした。
「大マジ。
何でも片一方は会場外で誘った確信犯的なもんなんだけど、片一方は乱入されたって。
面白そうだから両方連れて来るって」
「うっわ、面白いことになってきたねぇ」
口ではそういったものの、流石に予想だにしない事態に朱然の口元も引き攣っている。
少々のことでは狼狽しない歩隲も、流石に表面上はあまりその様子を窺わせていないが、言葉のトーンが普段とは明らかに違っていた。
想定外にもほどがある情報に、流石に情報の許容量がオーバーフローしかけているらしい。
「んま、あの人たちのやるこったから、うちらの想像の斜め上15度くらい外れてても当たり前なんだよなぁ」
「でも流石にモノが元蒼天会長と曹操会長となるとなぁ…これは一応部長に報告してた方がいいのかなぁ」
苦笑する朱然に、首を傾げる歩隲。
その時、今の今までずっと突っ伏していた陸遜が、突然がぱっと起き上がる。
「いえ、この際だから黙っときましょう」
「え?」
思ってもな方向からの、それこそ思っても見ない一言に、朱然と歩隲は呆気に取られた。
「こうなればとことんまでやってやるわよ!
多少のハプニングがあったほうが長湖部のイベントとして上等だわ…むしろ、こうなった以上私も思いっきり楽しませてもらうからね!」
「ちょ…ちょっと伯言?」
つい今の今まで、部屋の片隅で負のオーラを放っていた陸遜が一転、そう高らかに宣言したのを見て、歩隲も朱然も思わず顔を見合わせてしまった。
確かに気持ちの切り替えは早い陸遜だが、こうも唐突に躁鬱切り替わるというのは珍しいことだった。
もしかしたら半ばヤケクソになっているのかも知れないが…彼女たちにしてみればかえってそのほうが都合がよくもある。
「まぁまぁ…伯言が言うとおり、ハプニングがあったほうがうちららしいだろ。
それに」
そして陸遜に聞こえないよう、歩隲に耳打ちする朱然。
「このほうが、公瑾先輩と鉢合わせた時の伯言の顔、見物だと思わない?」
「成る程…それもそうか」
朱然の一言に歩隲もあっさり納得してしまった。
自分たちがイベントで大いに楽しむためには、仲間ひとりを生贄にして道化に祭り上げることも厭わない…やはりというか、良くも悪しくも「長湖部」とはこういう集団なのである。
その体質は、孫堅や孫策の時代から変わらない困ったところでもあり、またひとつの魅力でもあるのだ。
…
「あ…うん、わかった。
そちらも抜かりなく」
話し終わると携帯の電源を切る魯粛。
一行は魯家の私有フェリーで少女たちは、長湖から揚州校区を目指していた。
「どうするって?」
「こっそり入ってくれ、とさ。
確かにこの船じゃ、着く頃には開会ぎりぎりだしねぇ」
「まったく…これというのも公瑾が無駄な抵抗するからだよな」
孫策はそう言って、傍らでむくれている周瑜に目をやった。
「冗談じゃないわよ!
久しぶりに皆に会うってのに…何もこんな格好だなんて!」
目が合うと、半泣きで抗議の声をあげた。
頭のリボンは普段の彼女と同じもの。
だが、赤いベストにロングスカートという巫女衣装をアレンジしたようなその服装、何故か肘から上と肩から下に布がないという、俗に言う「腋巫女」装束である。
派手好きの周瑜とはいえ、長い病院生活で貧相になってしまった脇部分が完全に露出するこの衣装は、いささか恥ずかしいものらしい。
孫策はやや暗めの桜色のワンピースに、コウモリの羽をあしらったナイトキャップと言う、当人としては珍しく女の子らしい格好。
元々ボーイッシュではあったが顔立ちは美少女系なので、意外と様になっている。
魯粛は両サイドの髪の一部で三つ編みを作り、ネコミミのヘアバンドを突けている。
その衣装は暗い緑のシックなモノで、リボン付きの靴から、三つ編みを留めるリボンまで黒一色。
「可愛らしい格好じゃないですか〜、とても似合ってると思いますよ?」
そういう劉協も、緑と青を基調とした腋巫女衣装だった。
髪には同じサイドにカエルとヘビの飾りをあしらっており、どこか清楚な雰囲気すら漂わせている。
「あ…ありがと…でも、私個人としてはどうも」
「でもやっぱり素材が良ければ何着ても似合うよなぁ、伯和さんも」
「そうですか?
それに伯符さんも皆さんも、良くお似合いですよ」
周瑜の言葉を押しのけた孫策の言葉に、はにかんだ笑みを浮かべる劉協。
「ん〜…実のところはね、興覇にそれ着てもらう予定だったんだけど」
「はぁ!?」
魯粛の、劉協の服装を指差してのひと言に、孫策と周瑜は目を丸くした。
流石にこの服装が甘寧、といわれてもやはりにわかに連想しづらいものがあった。
「一応ね、くじではそれが興覇のアタリ。
けど何となくイメージ違いだからあたしの独断で変更したってわけ。
当人も嫌がったしね」
「おいおい…いくらなんでもそれは」
「承淵ならまだ似合いそうだけどねぇ…流石に興覇じゃねぇ」
「似あわねぇよなぁ」
難しそうな顔を見合わせる周瑜と孫策。
もう、周瑜も自分の格好なんて棚に上げてしまったようである。
曹操もけたけた笑いながら頷いている。
その曹操、カエルの刺繍が入った青のベストとスカートにニーソックス、袖口の広いインナーを着て意外にカジュアルな服装だが…その帽子は、何故か麦わら帽にカエルの目玉がくっついた突飛な代物だった。
「悪かったなぁ、可愛げなくってよぉ」
それまでフェリーの舳先で堂々と腕を組み、往く先を睥睨していた甘寧が不機嫌そうな表情で振り返る。
しかしそういう彼女も、シンプルな丸首シャツに、対照的なくらい派手な青地のスカートに下駄を履き、そして額のあたりにヘアバンドで一本の角をあしらっていた。
これまた周泰とは別の意味で、鬼そのものの衣装だ。
「でも興覇はこういうキャラだと思うけどね。
承淵と違って、お世辞にもラブリーな服は似合わんだろー」
「鬼も十分メルヒェンの産物だと思うけどねー」
「やかましいわ!」
魯粛と曹操の追加攻撃にさらにむきになって反撃する甘寧。
おろおろとした様子もなく、むしろその状況を楽しんでる劉協。
しかし孫策がふと、周瑜の方を振り返ると…その表情には、何故か少し影があるように思えていた。
…
…
その頃。
孫権は待機する建業棟執務室で、複雑な表情のまま窓の外を眺めていた。
眼下には今回のイベントを一目見ようと、多くの生徒たちが集まってきているらしい。
観客用の椅子が足りないらしく、追加のパイプ椅子を会議室などから運びながら通り過ぎて行く少女たちの足音と声も、彼女の耳にはあまり入っていない様子だった。
…
この日の早朝、揚州学区の卒業式に出席するため、出かけようとした矢先のこと。
「えー!?
なんでそんな事黙ってたんだよっ!?」
何の前触れもなく部屋に押しかけてきて、平伏せんばかりの朱然、歩隲、張承から、孫策らが周瑜をなんとしてでもこのコンサートに連れてくるということをこのとき初めて聞かされた孫権、この反応も当然といえた。
「すいません…けど、予想範囲内のアクシデントなら、かえって盛り上げるのにプラスに運ぶと思っていたので」
「う〜ん…確かに実行委員長の義封がそう判断したなら、別にいいとは思うけど」
困ったように視線をそらす孫権。
元々聡明な性質の彼女には、朱然たちが何を言わんとしているか、最初の一言で大体察しがついていたようだった。
「公瑾さんがいるってことは…問題は敬文…なんでしょ?」
孫権はプログラムを渡された時、幹部会演奏のあとの幕間が嫌に長いことで、大体のことは察していたらしかった。
…
孫権も合同練習に居合わせたので、そのときに薛綜が何をしでかしたのかを確かに見ている。
というよりも、彼女が薛綜を連れて行ったことで、合同練習を二度ともぶち壊しにしてしまった責任を、彼女はかなり思い悩んでいた。
実際の所、赤壁の打ち上げの一件には彼女も一枚かんでおり、事情も知っている。
彼女は彼女なりにツテを使って、薛綜にかけられたこの厄介な暗示を解除すべく奔走していたようだが…それが全く意味を成してないことは、この数日間にあった出来事からも明白だった。
最後の一週間程度、孫権がこれ以上のリアクションを取らなかったのは、その夜訪ねてきた顧雍の説得によるものであったが、かといって何か別の方策がとられた形跡は見当たらず、このまま本番を迎えた場合薛綜がこの晴れ舞台でも同じことをしでかしかねないだろうことは火を見るより明らかだ。そのことは、誰の目から見ても大きな懸念材料である。
…
「本来なら、幕間であいつを舞台から引き摺り下ろすことになっていますけど」
歩隲が朱然に目をやると、彼女も真剣な表情で頷く。
「敬文にそのまま歌わせるつもりはありません。
あとのボーカルは伯言に…あいつの歌を、公瑾先輩に聴かせてあげたいんです」
孫権は再び、言葉を失った。
「どんな手を使ってでも、以後のあいつの行動を封じます。
落ち着いてくれれば、敬文だって馬鹿じゃない…きっと、説得に応じてくれるはずです」
そう言い切る朱然の目は、何処までも必死で、真剣そのものだった。
決断のために許された時間は短い。
卒業式の開始までそれなりに余裕はあったが…五分、無言で俯いていた孫権は顔をあげ、真剣な表情で告げた。
「みんなの思ったとおりに計らって。
後のことは、ボクが長湖生徒会長として全責任をとる」
「ありがとうございますっ!」
少女たちは深々と一礼すると、朱然の指示を受けて方々へ散っていった。
「それで義封、ボクはどうすればいいの?」
「そのまま司会を続けてください。
敬風たち幹部候補生の連中と十五…いえ、十分時間を稼いでくだされば、あいつを黙らせてきます。
スタンドマイクを取り戻し次第、キリのいいところから以後のプログラムを進行させてください」
「解った」
孫権が頷く。
この時点で、ボーカルのすげ替えが孫権公認のものとなったのである。
…
非常に心苦しい決断であった。
薛綜は言うなれば、自分たちがやらかしたことの被害者だ。
本人も生来、このような派手な舞台の壇上に上げられるのは好まない、歌うことは好きだが、場をぶちこわしてまでそのような我を通す人物ではない。
とはいえ、現在の薛綜に自由を許してしまえば、今までの経験から、このイベントは100%ぶち壊しになるのは火を見るより明らか。
どこかに閉じ込めて勝手に歌わせておく手もあったが、厄介なことに薛綜はひとりになると急に歌うのを止めてしまう。
そして、音楽の鳴っているところに乱入してはその雰囲気をぶち壊しにしてしまうという傍迷惑さも持ち合わせているのだ。
なおかつ当人がそれを全く覚えておらず、だからこれまで謝罪に行ったときも、彼女は申し訳ないと思いながらも「私何をしでかしてしまったんだろう?」みたいな雰囲気なので、当人に責はないといえども当然ながら感情的なしこりも残る。
「ただの暗示」がここまでの事態を引き起こす、その根本的な理由や原因が何処にあったか孫権も知る由はなく、それを解決する手段もなかった。
しかし、このままにしておくわけにもいかないことくらいは、彼女にも解っているのだが。
…
「仲謀お姉様」
何時の間に入ってきたのか、その隣には孫登の姿があった。
その視線から目を逸らすように、孫権は再び窓の外を眺めて呟く。
「子高(孫登)ちゃん…ボクたちのしてしまったこと…これからしようとしていることは、間違っているのかな?」
「それは…私にもなんとも言えません。
でも」
頭を振る孫登。
「このイベントが一体何のために開催の運びに至ったのか…参加する皆さんの思いが、台無しになることだけは、なんとしても阻止しなければならない。
私に言えるのは、それだけです」
「そう…だよね」
俯いていた顔を再び上げたとき…その表情からは迷いが消えていた。
その直後。
「会長、観客入りは完了です!
そろそろスタンバイどうぞ!」
実行委員の腕章をつけた吾粲が執務室へ顔を出した。
「ありがと、すぐ行くね」
孫権の言葉に、吾粲は一礼してまた部屋を飛び出していった。
それを見送ると、
「行こう。
このイベントを成功させることが、卒業するみんなへの餞になるように」
「はい」
颯爽と髪を翻すその姿に、孫登は微笑んだ。
…
…
観客動員は当初の予想を大きく覆し、1万人近く収容できるホールはあっという間に人でいっぱいになった。
時前に販売されたチケットは、潘濬ら広報組の健闘あってかそこそこの売り上げを見せていた程度だった。
ところが、誰かが学園都市のアングラ掲示板「Gちゃんねる」へ戯れに「周公瑾復活クル−( ゚д゚ )−!!?」などと書き込み、直後にその真実味のある情報をのせた者がいて、それが口コミで広がって直前にはありえないほどの高額取引されるほどの有様となった。
そのために急遽、学園都市のネットワークを介して、各校区の視聴覚教室などでリアルタイム配信される処置が取られることになったのだ。
その裏にも、ある人物が持つ蒼天会風紀委員とのコネが大いに役立ったらしいのだが…それでも会場で予想される混乱の収拾のため、長湖部の実働部隊のうち千名あまりが急遽動員されるという事態になったという。
その舞台裏に、魯粛の暗躍があったらしいことは、この時点で誰も知らない。
…
観客席の一角。
シャギーを入れているというより、まるで市松人形のように髪の毛をきれいに切りそろえ、フレームレスの眼鏡をかけたその少女が、直前に数倍の値段にまで跳ね上がったアリーナ席に座っている。
コートを膝の上にきちんと折り畳み、制服のブレザーには白い花をあしらったコサージュを身に着けていることからも、彼女が今年の卒業生の一人であることが解る。
「あーあったあった、この席やな。
すまんがちょっと失礼…え?」
「あ」
流暢な関西弁を話す、臙脂のダッフルコートを身に着け、眼鏡をかけたショートカットの女性の顔を見た瞬間、座っていた少女の顔もあっけにとられた。
「なんや、あんた長文やないか!なんでまた!?」
「げ…玄徳先輩!?」
一瞬驚いた二人は、はっとして周囲の様子を伺う…が、他の観客達はあまり気にした風もなく、思い思いに話しに興じていた。
ふたりはほっ、とため息を吐くと、あてがわれていた席に腰掛けていた。
「まさかあんたもここ来てたとは思っても見なかったなぁ、長文」
「玄徳先輩こそ」
かたや、蒼天生徒会で"最強の風紀委員長"の名で恐れられた生真面目な優等生、陳羣。
もう一方は、学園生活の締めくくりで長湖部に辛酸を舐めさせられた帰宅部連合元総帥、劉備。
よもやそんな大物がふたりも紛れ込んでいるなんてことなど、周囲の少女たちは夢にも思っていないだろう。
最も、曹操や劉協まで来ることになるなんてことなど、ふたりも考えすらしていなかっただろうが。
「でも先輩…あなたは確か、長湖部を」
「そんなこともあったなぁ」
怪訝そうな表情でその顔を覗き込む陳羣。
劉備は一瞬寂しそうに笑う。
劉備と長湖部の因縁は、直接その場に居合わせたわけでもない陳羣もよく知っていた。
元々彼女は帰宅部連合の中枢部である劉備の新聞部にいたことがあり、袂を分かってからも時折音信はとっていた。
特別親しい間柄ではなかったが、疎遠というほどでもない。
「なんっつーかな…うちもあん時は完全に頭に血ぃ昇っとったから省みもしなかったけど…この子達が守り通そとしてたのがどんなもんやったのか、見てみたなったんや。
一年経った今なら、きっと素直に見れるんやないか思てな」
「そうでしたか」
「関さんのことは、やっぱ悔しいけど…この子らも、自分の大切なモノを守るために誇りをかけて正々堂々と戦った。
何処にも恨む理由なんかあらへん。
あったとしてもそんなもん、何時までも引きずってられるかいな」
と、劉備は肩をすくめた。
その言動に偽りがないのは、その表情を見ればよく解る。陳羣も「ああ、この人らしいな」と素直にそう思った。
「それで…皆さんはどうなされたのですか?」
「んー?
あぁ、うちらは変わらへんよ。
大学行っても、結局皆して馬鹿やっとるわ。
益徳も誘ったんやけど、たまにはうち一人で羽伸ばして来い、やって」
劉備は苦笑した。
だが、陳羣はふと、劉備がある人物の名前を出していないことに違和感を感じていた。
聴き逃したのかと思ったが、
「せやけど、あんたはどうしてここへ?」
間髪入れず劉備から質問が飛んできて、その思索が打ち切られてしまう。
「え…その…友達が、誘ってくれたんです」
「そか」
ふたりは穏かな笑みをかわした。
…
実を言うと、彼女の言う「友達」…それは虞翻である。
この年度の夏休み、ふたりはひょんなことから事件に巻き込まれ、それをきっかけにしてプライベートでは親しく付き合っていた。
虞翻が交州で祭り上げられたときも、虞一家以外で真っ先に駆けつけたのが陳羣とその妹達だったことからも、そのことが伺える。
お互い、公私にきっちり線引きをし、決して課外活動やイベント・行事に影響を及ぼさないよう配慮していたのだが…今回、蒼天会からの機材借り入れ、あるいは全校区へのコンサートライブ中継の許可等は、虞翻と陳羣を通して実現がかなったことである。
その返礼が「コンサートライブ直前では、長湖部幹部の縁者ですらまともな手段では入手不可能だった」とまで言われ、のちに伝説視されるこのプレミアムチケット…というわけである。
…
「ええなぁ。
うちはコレ一枚手に入れるのに憲和(簡雍)にどんだけ借金したことか」
ひらひらと券をもてあそぶ劉備。
ご愁傷様です、と悪戯っぽい笑みを返す陳羣に、劉備も苦笑するしかなかった。
陳羣は結局、このときはこの違和感の正体を知ることが出来なかった。
…
…
スタンバイの済んだ舞台。
緞帳一枚を隔て、観客席からざわめきが聞こえる。その様子から、恐らくは相当数の観客を動員しているだろうことが少女達にも理解できた。
約一名を除いて、この日のためにみっちりと練習を繰り返してきた成果は、あとわずかで明らかになるだろう。
少女達の心には、丁度いい塩梅のプレッシャーに包まれていた。
「長かったようで、練習なんてあっという間だったわね」
ドラムのスティックをもてあそびながら陸遜が呟く。
「やるだけやったんだ、あとはあたいたち次第…でしょ?」
「そうだな」
全jがいうと、朱桓が合いの手をうつ。
「う〜、早く歌いた〜いっ」
その待ち受ける運命も知らず、気合十分の薛綜。
それを陸遜以外の少女達が、僅かに気の毒そうな視線を送っている。
やはりこの様子では、彼女は何のためのイベントなのか、あまり深く考えてはいないようである。
そうでもなければ、恐らくはこの後に起きるだろう出来事の多くは、回避されていたのかもしれないが…。
(無常なもんだな…だが、これも因果応報か)
舞台裏からその様子を眺めながら、朱然はため息を吐いた。
…
「もう来るトコまで来ちまったからな…腹くくらせてもらうかね」
「何を今更…」
陸凱のあっけらかんとした呟きに、しれっとした虞。
その言葉の裏に別の決意があることを、虞も理解している。
彼女達新入生の出番は、在校生演奏、幕間のヒゲダンス、卒業生演奏、幕間の銀幡vs湘南海王の演舞をはさんだその次である。
開始から大体一時間半後、三十分ほどの出番があるのみだ。
最も、あくまでそれは事前に公表されたプログラムの表記の上で、である。
実際は今回のイベントでは、彼女達が最後の大どんでん返しの鍵を握っている…いわば裏の主役なのだ。
そのプレッシャーははっきり言って半端なレベルではない。
「あの三馬鹿みてーにこき使われてただけなら、もっと気が楽だったんだがな」
「誰のことだゴルァ!」
陸凱が肩を竦めた瞬間、乱暴に扉を開ける音がした。
きょとんとした顔でそれに振り向くほかのメンバーに反して、陸凱と虞はまったく反応を見せていない。
因みに入ってきたのは顧譚。その後ろからぞろぞろと、他の来期新入生も姿を現し始める。
「おー皆の衆おそろいで。
でもここは裏方立ち入り禁止だぜー?」
「やっかましい!」
「あんたたちに主役を奪われたお陰であたし達はなぁー!」
しれっとした顔でひらひらと手を振る虞の態度に、激昂する顧譚と諸葛恪が叫ぶ。
しかし何故かそこに張休の姿だけがない。
その理由を実は陸凱達は知っているのだが、行ったらさらに煩くなりそうなので伏せていた。
「なーにを今更ぁ。
おめーら厄介ごとなくなって清々したって顔で遊び歩いてたからそういう目に遭ったんだろが」
呂拠がはき捨てるようにそう追撃するのに、顔を真っ赤にして飛び掛ろうとした顧譚と諸葛恪を鐘離牧や丁固、孟宗らが必死で止めようとする。
その様子に緊張気味だった少女達の間からも笑いが漏れる。
「っていうか何で陸胤さ」
「そろそろ黙れ」
なおも喚く顧譚と諸葛恪の首筋に、同時に手刀を落とす陸凱と虞。
音源が二個同時に沈黙し、同じようにがっくりと落ちるのを見て、こらえきれずに何人かが笑い出した。
「ドアホ共め。
この分だと叔嗣のことは全っ然知らんようだな」
「まぁ、黙っといて正解だと思うけどねぇ。
あいつも巻き込まれタイプだから、たまにそのくらいの役得があっていいのかもね」
実行者の二人がにべもなく言い放つ。
どうやらそのお陰で、緊張気味だった少女達の気持ちも大分ほぐれたようであった。
「ま、おまいらにこういうのもなんだが…しっかりやれよ?」
「当然」
朱異の言葉に、返す陸凱を筆頭に、出演者6人は親指を立てて応えた。
…
…
舞台袖に控える卒業生達。
演奏者としての出番はまだまだ先だが、最初にパフォーマンスと孫権とのトークのために出演しなくてはならないため、その場に控えていた。
「こんな風にして送り出してもらって、何か残していく…悪くはないわね」
諸葛瑾の言葉に、卒業生たちも頷く。
「色々あったけど…こうして思うとコレが最後なんて名残惜しいモンね」
「そうだな」
何時になく神妙な表情の凌統に、普段どおり仏頂面の徐盛。
「あたし達はあたし達のベストを見せるだけだよ。
最後に思いっきりね」
自信満々の賀斉や、指を鳴らす潘璋を見やり、他の面々も(お前らの場合は別の意味もありそうだけどなぁ…)という言葉がのどまで出掛かっていたが…それも野暮な気がしたので、誰も口には出さなかった。
ちなみにこの三人、それぞれ赤、白、青を基調とした、妖精のような衣装だ。
呂範は先に触れた白い妖精、ポニーテールを解いて前髪にリボンをあしらう青は潘璋、ツインテールはそのままに赤のエプロンドレスを身に纏うは賀斉。
それぞれのキャラクターにも微妙に合っており、周囲の者たちも笑いが隠せない。
少女たちの思いは様々だったが、その目指すところはただひとつ。
即ち、今日のイベントの成功。その意気込みは、皆一緒だった。
イベント開始を知らせるビーブ音が会場に響き渡り、会場の喧騒が一気に静まった。
「よ〜し、それじゃみんな、張り切っていくよ!」
「おー!」
マイクから流れた孫権の号令に、様々な場所で様々な衣装に身を包んだ少女たちが気合の声をあげた。
そして、長湖部のこの年最後にして、最大の舞台の幕が上がる。