「ええええ!? たった10人で曹操会長の本陣に~!」
「ああ…やらせてくれ、部長」
濡須棟の棟長室、その机を蹴倒さんばかりに驚いて仰け反る孫権を目の前にして、甘寧は内心の怒りを最大限に抑えた表情で、そう告げた。
「悪いが俺は、あんな屈辱を喰らって、指咥えて済ませられるほど大人じゃねぇ。
張遼がかましてくれた上等の礼をくれてやりたいんだよ…ッ!」
「で…でもでもっ、こないだ公績さんだって酷い目にあってきたばかり」
まだ混乱が隠せないのかおろおろする孫権に、甘寧は薄笑いを浮かべて返す。
「な~に、なにも奴等を潰しにいくんじゃねぇ、からかってくるだけだ。
だが…こっちもそれなりの意地を通そうってんだ。
もし一人でも飛ばされるようなことがあれば、好きなように処断してくれてかまわねぇ」
わずかに落ち着きを取り戻した孫権は少し考えた。
この孫権という少女、普段は温和で大人しい少女なのだが、その根っこのほうはかなりの負けず嫌いだ。
本音を言うと先の合肥における学園無双において、長湖運動部の精鋭500が、合肥を護る張遼率いる僅か50足らずのMTB隊に蹴散らされ、自分も壊された橋の上をママチャリで跳んで危難を脱する羽目に陥ったことをとにかく悔しがっていたのだ。
それに、甘寧の言葉は一見すると無謀なものに聞こえるが、この甘寧という少女もまた、何の考えもなく無茶をやるような人間ではないことを、孫権は知っていた。
「勝算は、あるんだよね?」
未だおろおろと成り行きを見守る谷利とは対照的に、問いかけではあるが、半ば確信を持って孫権は問う。
「当っ然、必ず連中の鼻をあかしてやるさ」
「じゃあ、御願いしようかな。
メンバーは、興覇さんの好きに決めていいよ」
「流石は部長、話がわかるぜ」
甘寧は不敵な笑みで応えると、背に飾った羽飾りを翻し、部屋を後にした。
-銀幡流儀-
そのいち 「夜襲、銀幡軍団」
「お~い承淵、興覇さんが呼んでるぜ~。
あたし先行ってるからな~」
「あ、は~い、すぐ行きま~すっ!」
髪の色を派手な金髪に染めたちょっと柄の悪い先輩に呼ばれ、承淵と呼ばれた狐色髪の少女はストレッチを済ませ、ぱたぱたと駆けだした。
言葉使いは真面目そうだが、その明るい髪の色に木刀なんてモノを持っていたら、何処からどう見てもヤンキーの妹分にしか見えない。
実際この少女-丁奉は、現時点では長湖部最凶の問題児・甘寧の妹分である。
よく「染めている」と勘違いされがちな彼女のオレンジ色の髪は生来のものであり、当人もレディースなどというものとは本来無縁な水泳少女である。
とある縁によりその非凡な…というか、ある意味ではバケモノじみた遠泳能力と底知れない体力を買われ、中等部の一年生でありながら既に準主将級の扱いを受けている長湖部きっての若き俊英は、これまた底抜けに人当たりのいい性格で、甘寧を筆頭とする元レディースの問題児集団である「銀幡」の先輩達から何気に可愛がられ、何の違和感もなくその中に溶け込んでいる感がある。彼女に感化され、(勿論リーダーである甘寧の許可を得た上であるが)丁奉の所属する水泳部に入部してしまった「銀幡」構成員も幾人かいると言うから相当なものである。
それはさておき。
やがて校庭の一角、甘寧の羽飾りを見つけた丁奉。
よく見れば、"銀幡"軍団の何人かと軽くチューハイをあおってるらしい。先刻彼女を呼びつけた少女も、その中にいた。
「先輩っ、呼びました?」
「おぅ承淵、待ってたぜぇ。
まぁ、お前も一杯やっとけや…っても、部長からはお前に絶対酒飲ますなって言われてっからこっちだけどな」
そう言って甘寧はジュースの缶を投げて寄越す。
見回せば、学区周辺の名店から取り寄せたオードブルが円陣の中を埋め尽くしている。
「え、いただいていいんですか?」
「もち、部長のおごりだ。
いっちょパーッとやってくれ」
「わぁ…!」
円座の中に混じって、丁奉も並べられたご馳走に舌鼓を打った。
その後、何が起こるのか夢想だにもせずに…。
…
日も暮れ落ち、学園無双終了の規定時間が近づく。
同じくして宴もたけなわになった頃、甘寧はおもむろにこう告げた。
「さぁ、景気良くやれよ!
これからこの十人で、曹操の本陣に上等くれてくるんだからな!」
その一言に、何人かが酒を吹いた。
丁奉も鶏のから揚げを喉に詰まらせたらしく、目を白黒させている。
その背中を叩いてやりながら、少女の一人が問い返した。
「ちょ…マジですかリーダー?」
「冗談でしょう?
いくらなんでも十人ってアンタ…しかも承淵まで連れてですか!?」
「冗談でンなコト言うか。
まぁ、酔狂ではあるだろうが」
何を今更、といった感じで返す甘寧に、他の九人は目を見合わせた。
はっきり言って無茶もいいところである。
これでは、無駄に飛ばされに行くだけじゃないか…そんな部下達の感情を読み取った甘寧、傍らに置いた愛用のバケモノ木刀「覇海」を掴んで立ち上がり、それを少女達に突きつけて、怒色を露に言い放った。
「てめぇら、甘えたこと言ってんじゃねぇ!
大体お前等悔しくないのか、張遼の野郎に我が物顔でうち等の目の前に上等くれられてよ!?
俺等「銀幡」のモットーは何だ!!」
その言葉に少女達は目の色を変えた。
「…そうよ、リーダーの言う通りだわ」
「あんな上等かまされて、泣き寝入りはアタシ等の流儀じゃないね…!」
「目には目を、だな。
よ~し、一丁やってやろうじゃねぇか」
満足げに少女達を見回す甘寧、傍らに座らせていた丁奉がなにやら不安と期待に満ちた目でこちらを見ているのに気がついた。
「それでこそ「銀幡」特隊だぜ…ん、承淵どうした?」
「あたしも、あたしも一緒に連れてってくれるんですか!?」
「何言ってやがる、その為に呼んだんだぜ?
しっかり叩き込んでやるからな…この俺様流の戦い方って奴をな!!」
「はい!!」
その言葉に満面の笑みをこぼす妹分の頭を、甘寧は乱雑に撫でてやった。
…
「てめぇら、準備はいいな?」
「オッケー、何時でも往けるよ、リーダー」
目印に羽飾りをつけた鉢巻を身に付けた、十名あまりの「銀幡」軍団は合肥棟入り口正面の草陰に潜んでいる。
「よし…先ずお前、ブレーカーの位置はわかっているな?」
「もちろん、任せといて下さいよ!」
「おう…行けっ!」
甘寧の指示を受け、少女は物影から物影へ駆けていく。
「よぉしお前ら、電源が落ちたら…それが合図だ。
いいか、誰か名のある主将を飛ばすのが目的じゃねえ、そこだけは取り違えるなよ?」
少女達が頷く。
「あと、承淵」
「あ、はいっ、なんですか先輩っ」
唐突に名を呼ばれ、ちょっと面食らった丁奉に、甘寧はなにやら耳打ちする。
その内容に、少女は目を丸くした。
「えええ!
本当にやるんですか!?」
「たりめーだ、戦利品も必要だからな。
それを奪われたとあっちゃ、奴等の面目丸つぶれだぜ?
奴等の目は俺たちでひきつけるから安心しな」
暗がりだが、他の少女達も「任せろ」と言わんばかりに親指を立てているのが解る。
丁奉も、俄然やる気になった。
「解りました、必ず取って来ます!」
「よし、いい返事だぜ…ん!」
その瞬間、合肥棟は暗闇に包まれ、少女達の悲鳴が上がる。
「行くぜ野郎共、目に物みせてやれッ!」
甘寧以下、選りすぐりの猛者たちは、怒号とともに合肥棟へ突っ込んでいった。
…
「敵だ! 敵が侵入ーッ!」
瞬く間に合肥棟内は大混乱に陥った。
日もどっぷり暮れた午後七時半、終了間際のロスタイムを狙っての奇襲はまんまと図にあたり、合肥棟守備軍は次々に同士討ちを開始する。
執務室の曹操も大慌てだった。
「もうっ、何だよいったい!?
いきなり停電ってどーゆーことだよっ!」
「…多分…ブレーカーを落とされてる…」
「んなこたぁわかってるっつーの!」
傍らに立っていた司馬懿の呟きに、鋭くツッコミをいれる曹操。
気にした風もなく、何かの気配を敏感に感じ取った司馬懿はぼそっと呟く。
「会長…誰か、来る」
「無視すんなー…って、えっ?」
曹操も気付いた。
執務室の前に、人の気配を感じる。
「誰? そこに居るのッ!」
「いよぅ会長サン、気分はどうだい?」
曹操は一瞬、息を呑む。
扉の前に居たのは言うまでもなく甘寧。
曹操は怒気を露に、かつ静かな語調で言う。
「なめた真似してくれるじゃん…どうせ執務室が手薄だってコト、知っててやってるんでしょ?」
「さぁ…どうだかねぇ?」
暗闇の中、しかも扉越しだったが、お互いどんな顔をしているのかはよく解っていた。
扉越しに佇んでいるだろう「侵入者」は、その気になれば自分に肉薄できるだろう位置にいながら…全くその気なくこうして扉越しに対峙しているだけ。
曹操はなから、その様子から相手の目的がなんであるのかを悟った。
とはいえ、うかつに動いたらどうなるかも解ったものではないことも、彼女は本能的に気づいている。
そのまま、どの位経っただろうか。
その雰囲気に場違いなくらいの軽い足音と、明るい声が響く。
「せんぱ~い、例のモノ、手に入りましたよ~!
あと、残ってるのあたし達だけです!」
丁奉は、中にいるだろう曹操たちにもはっきり聞き取れるようにわざとらしく告げた。
「おしッ、良くやった!
じゃあな会長サン、俺たちゃこれでずらからせてもらうぜ!」
「ちょっと、待ちなさいよぅ!」
慌てて執務室を飛び出す曹操。
開け放たれた窓から階下を覗けば、其処には既に走り去る少女達の姿しか見えない。
良く見ると、一人の少女が何かを手に持っている。街頭の下、その正体が見えると曹操は絶句した。
「んな!?」
「…蒼天生徒会の生徒会旗…」
電源が復旧したのはちょうどそのとき。
時計は既に八時を指していた…。
…
甘寧が十名で奇襲を敢行した翌日。
「ほい、コイツは戦利品ですぜ。承淵!」
「はいっ、こちらですっ!」
「わぁ…!」
合肥棟から奪われてきた生徒会旗を手渡され、満面の笑みを浮かべる孫権。
それを見ると居並ぶ長湖部幹部、主将達も感嘆の声を挙げた…ただ一人、隅っこで面白くない顔をしている凌統以外はだが。
「すごいっ、すごいよ興覇さん!」
「こういうことやらせると、やっぱアンタは一流だねぇ」
この間の溜飲はすっかり下がって上機嫌の孫権、その隣りにいた長湖部実働部隊総括の呂蒙も、呆れ半分にそう言った。
「しかし十人、誰一人として飛ばさずに戻ってくるなんてね」
「本当だよ~、承淵まで連れ出してるとは流石に思わなかったけど…」
「あったりまえですよ。
暗がりを利用して押しかけるなら、少人数のほうが却って安全なんですよ。
それにコイツにも、どんどん経験を積ませてやらなきゃいけねぇし」
甘寧はそう言って、傍らの少女の背を軽く叩いた。
「まぁ、そういう事解ってそうだったから止めなかったんだけどね。とはいえ、お見事だわ」
「いやぁ…」
呂蒙の言葉に、普段は不遜な甘寧も少し照れたようだった。
だが、沸き立つ長湖部幹部・主将陣の片隅、それを眺めながら凌統が悔しそうに歯軋りをしていたのを、甘寧と孫権は見逃さなかった。
…
「…くっ!」
執務室から離れて一人、凌統は壁に拳を打ち付けた。
惨めだった。
蒼天生徒会が誇る「鬼姫」張遼が、その威名だけで戦場を引っ掻き回していたあの日。
凌統はすべての部下を戦闘で失い、蒼天生徒会五主将の一角・楽進を破るもその階級章を手にしたわけでもない。
残ったのは、全治一ヶ月の大怪我で戦える状態にない自分自身と…尊敬する姉から課外活動の舞台を奪い去った怨敵・甘寧の功績に対する見苦しいまでの嫉妬心。
「ちくしょう…ちくしょぉぉッ!」
獣の如き雄叫び…いや、慟哭の叫び声とともに繰り出される拳が、壁に自身の血を染め付けていく。
それでも、彼女はその行為を止めようとしない。
拳は既に血にまみれ、一振りするごとに鮮血が舞う。
不意に、その手が掴まれた。
「止めとけ」
振り向くと、其処には甘寧が居た。
振り解こうとするが、怪我の為に身体に巧く力が入らない。
もっとも、万全の状態でも凌統が甘寧の力でねじ伏せられた場合抜け出すことはほぼ不可能だった。
「離せッ!」
もう片方の拳で甘寧の顔を殴りつけようとするが、それもあっさり止められてしまう。
そんな凌統を見つめる甘寧の眼は、何時ものそれではなく…酷く、哀しい眼だった。
その眼が、まるで自分を哀れんでいるように思えた。
その眼差しに、心の中を満たした悔しさと嫉妬が、暴れ狂うのがわかった。
「ちくしょう…さぞかし気分がいいだろうな!
あたしはこの有様で、貴様は立派に面目を躍如して見せた!
どうせこの負け犬みたいなあたしを嘲笑いに来たんだろうが!!」
甘寧は無言だ。
普段なら嫌味のひとつでも返してきそうな彼女がそんな態度をみせているのが、激昂した凌統をさらに苛立たせていた。
「何とか云えよッ!」
「なぁ凌…いや、公績」
不意に、自分のことを字で呼ばれ、凌統は驚いた。
本名でなく、字で呼ぶのは一種の礼儀…マナーであるというのは、あくまで上流階級の決めごとに過ぎないが、彼女らのような一般人でも字を使い始めた昨今では、特に親しみを込めて呼ぶ際に使われることが多い。
これまで本名を呼び捨てるだけだった相手が、急にそうやって呼びかけてきたことに凌統は戸惑った。
「お前が俺の行動に対して何思おうが勝手だ。
確かに何時も何時もお前が突っかかってくるのは面倒じゃあったが…本音、嬉しくもあった」
「…え?」
甘寧の眼差しは、変わらない。
凌統も、こんな甘寧を見るのは初めてのことだ。
彼女は独り言などではなく…明らかに、目の前の自分に対してなおも語り続ける。
「知っての通り、俺は不良上がりのはみ出し者だ。
チームの頃からの仲間ならともかく、どいつもこいつも俺のことを怖がりこそすれ、親しく付き合ってくれるヤツなんて殆ど居なかったし、俺が不良上がりってことで馬鹿にするヤツだっていた。
…俺も俺で、そうやって意味なく怖がったり馬鹿にしたりするヤツ…お前のことだってうぜぇと思ってたのは確かだよ。
だがな、思い返してみれば、それでも俺をかまってくれたのは子明さんと子敬と承淵…あとはお前くらいだって、気づいたんだ」
そう言って、寂しそうに微笑んでみせる甘寧。
何時しか、凌統の心を満たしていたはずの負の感情は消え失せ、その一言一言に聞き入っていた。
「公績…お前が俺のことを嫌いだというなら、それでも構わない。
そりゃそうだろう、敵同士だったとはいえ、あんたの姉貴を病院送りにしたのはこの俺だ。
…お前の姉ちゃんは…凌操サンはとてつもなく強かった。
だから、俺は持てる全力であの人を迎え撃った…あの人の名誉に賭けて、それは保証する」
甘寧は掴んでいた凌統の両腕を解放する。
「俺の気持ちがどうあれ、逆の立場なら、俺だってお前と同じでそうするはずだ。
それが…俺が「銀幡」の連中にも与えた俺自身の矜恃のひとつなんだからな。
…でも、お前にもしものことがあって、俺に突っかかってこれなくなったら…やっぱり寂しいんだ」
凌統は、自身の血で濡れた拳を、所在無さ気に下ろした。
「…言いたい事は以上だ。
その怪我、ちゃんと診て貰えよ。じゃな」
それだけ言うと、甘寧は羽飾りを翻し、その場を立ち去っていった。
凌統には、その背中が、何時もよりずっと弱々しいものに見えていた。
「…公績さん」
はっとして振り返ると、そこには孫権の姿があった。
どうやら、孫権も凌統の様子にただならぬものを感じ取って後を追ってきたようだった。
「公績さんの気持ちも、よく解るよ…でもね、興覇さんの気持ちも、すこし考えてあげて…」
泣きそうな顔でそう告げる孫権に、凌統は俯いたまま、無言でその場を立ち去っていった。