夷陵丘陵を舞台に、劣勢だった長湖部軍が鮮やかな奇襲戦略によって劇的な勝利を飾って、一週間ほどが経過した。


「どうしよう、この状況」

その、訳のわからない彫刻が林立する廊下の真ん中で、陸遜は途方にくれていた。

それは土塊で漠然と人の形をし、デフォルメされた猫の顔が可愛らしく描かれた2メートルほどのもので、そのすべてが壁に手をついて廊下側に背を向けている。
たまにそのうちのいくつかが、見てないところで動いている気がしており、正直心臓に良くはない。

彼女はここにこれ以上留まってもなんの収穫も得られないと悟り、元来た道を引き返す。


他にも「SCP」で始まる、様々なナンバーが割り振られている小部屋が点在しており、その中にはいろいろ名状しがたいモノが展示…否、恐らくは「収容」されているのだろう。
とあるシェアワールド的な創作ホラーサイトで扱われる「物品」を、何故か無駄に忠実に再現されていることに陸遜も駱統もすぐに気がついた。

彼女らが拠点とするその小部屋も「SCP-060-JP 許可なく不用意に開けないこと」などと無機質なフォントで描かれた掲示がされてある部屋で、中にはベッドや衣類一式、シャワーやトイレなどの他にネットつきのパソコンまで完備されており…。


「いよっしゃあああああ!!
ちくパ黒ぱーふぇくとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

その部屋から響いていた妙な歌の楽曲が演奏終了し、持っていたカードキーで扉を開ければガッツポーズを取る駱統。

何故かその一角には、先日稼働終了を迎えたとある音楽ゲームの筐体がおいてあった。
駱統はヒマさえあればこれに興じている始末だ。


この正体不明の建物に入り込んで、既に四日以上が経過している。
初日はこの中を彷徨い、「SCP-096 顔見るなキケン」と注意書きされた部屋にいた何かに追われ、それを振り切ったと思ったらこの部屋のある区画にいて…気づけば、自分たちがどこから入ってきたのか全く解らなくなっている有様だった。

これの元ネタについてあとで思い出した陸遜は「元ネタから比べると随分ソフトだなあ」とどうでもいいことを思いつつ、翌日からこの部屋を拠点に出口の捜索を行うも…まるで成果が上がることなく、どんなルートを通っても必ず最後はこの部屋がある区画に戻ってきてしまい、途方に暮れていた。
奇妙なことに、朝昼晩それなりに味の良い食事が用意されてはいるし、いつの間にか部屋が綺麗に掃除され、挙句拝借した下着の代わりにシャワー室のカゴに入れられた下着の類も、翌朝目覚めるとデスクの上にきちんと洗濯された上で畳まれて返却されていた。


駱統が興じているそれも、二日目にいつの間にか部屋に追加されており、何気にこのゲームのプレイ経験者である駱統が「ふおおおおおおおおおこれでかつる!!」と興奮して、翌日から脱出路探しに参加するのを止めてずっとこればかりしている有様だった。
陸遜はもう、いちいち彼女を窘めるのも面倒になり、同行していた丁奉と手分けで脱出路探しに精を出していた。

「…まんぞく。
とりあえずニコニコチャンネルでこれからまたけもフレ最初っからみよーっと♪」
「あーそこの公緒ちゃんそろそろその辺にしときましょうか。
いい加減になさいよ、この異常な環境でカンヅメになってる状況にもっと危機感もってちょうだい」

陸遜の堪忍袋もだんだん暖まっているようだが、駱統はさもつまらなそうな顔で机に体を預ける。

「うー…だって出口なんて何処にもないじゃない。
あたしもう限界だよぉぉビーストとけもフレなかったらもう発狂してるゆぉ~」
「めっちゃくちゃIQ溶かされまくってるじゃないのもう。
困ったわ…まさか本当に何かタチの悪い認識災害系のSCPでも収容されてんのかしらここ…作った人が誰か想像つくぶん、ないと言い切れないのが実に恐ろしいわ」

駄々をこねてばかりの駱統に、陸遜も溜息しか出てこずにいる。


幹部会その他学内活動の時の駱統、確かに真面目なのだが、ことプライベートな場になると歳相応…いや、むしろその年齢にしては些か子供っぽい一面を見せる。
現に今この時点で、立場的には上のはずの陸遜に対してタメ口を利いている事からも窺えよう。

陸遜も陸遜で別段気にした風を見せていない。
幼馴染のやることであるし、今回や先の荊州攻略以外でもコンビを組むことが多かったので、慣れっこになってしまっているのだ。


「もう制服着てるのもあきたー別の服欲しいー」
「文句言わないでよ、出られないんじゃ着た切り雀になるのも仕方ないじゃない」
「やだやだー」

このわがままさんめ、と呆れながらも、陸遜も彼女の気持ちが少しだけ解る気がした。
頭では理解出来ても、生理的な問題はなかなか心が納得してくれないものだ、と彼女は思った。
何だかんだいって、年頃の少女には重要なことらしく、陸遜も我慢はしているが正直同じ気持ちであった。

「現実にSCP-060-JP(不在の人)がいたら、きっと今のあなたみたいな子かしらね」
「…それって馬鹿にしてるもしかして?」
「さあてね」

わずかに気分を害して見せる駱統だったが、思うところあったのかデスクの下にあった小型の冷蔵庫から、これまたどこかから補充されているらしき麦茶のペットボトルを取り出すと、そのうちの一本を陸遜に手渡して自分も封を開ける。

一服ついて気分も癒えてきたふたりは、これまでの状況を分析し始めた。

「確か、ここへ入る前に聞いた近所の子の話じゃ、孔明さんが夏前に作った、って話しだったよね。
ってことは…」
「まさか半年近くも前から、こうなることを予期してた…ってコト?
ありえないわ」

陸遜はその事実を改めてかみしめると、げんなりした表情のあとに大きな溜め息をついた。

「そうよねぇ…いくらなんだって、益州乗っ取りをやらかしてじきの頃にすでにこうなることを予測していたなら、別のことに労力を向けるほずよねぇ」

それは何か違うとは思うけど…と言いかけた陸遜だが、これを作った人物が誰か、ということを考えると、その人物が未来をある程度予測していたと言うことを否定しきれないでいた。

(まぁ…学園一の奇人、とまで言われた人だしねぇ)

解ったところで更なるため息しか出てこない。
そのとき、不意に部屋の扉が開いた。そこから顔を出したのは…もう一枚陸遜の持っているものと同じカードキーを手にする丁奉。

「あ、伯言先輩、公緒先輩。
丁承淵、ただいま戻りましたっ」

沈みがちだった雰囲気をせめても払拭しようというのか、丁奉はわざと軽い調子で、大仰に敬礼をとって経過を報告する。
その様子を見て、だれ気味だったふたりも苦笑する。

「どうだった?
って毎度のことだけど、よくここまで無事に戻ってこれたわね」
「いやー地下区画見つけたんですけどヤバいどころじゃないですねこれ。
なんかでっかいプールに沈められたワニみたいなのいたし…作り物だと思うんだけど」
「うっわSCP-682(クソトカゲ)までいるの!?
それちょっと見てみたいなあ…っていうかここのサイトで収容違反起きたらXKシナリオ待ったなしだね。クソトカゲにSCP-096(シャイガイ)SCP-173(イナミちゃん)に…あーそういえば初日に井戸の前にはってあったのあれだよね、SCP-040-JP(ねこ)だもんね。ヤバイので有名どころ勢揃い」
「なんかこんなのも拾いましたしねえ、大仰に鍵かかってたんでちょっと壊してきたんですけど」

丁奉が差し出したそのプリントは、わざとなのか所々紅いインクで意味ありげな形に汚されており、しかもえらくきったない字で「あかしけ よなげ 緋色の鳥よ」などと書かれて、全体的におどろおどろしく脚色されていた。
それを見た駱統が絶叫する。

「きゃーそれめっちゃヤバイヤツじゃんなんでそんなのまであるのはやく焚書プロトコルを!!」
「落ち着きなさいただのレプリカよ。
っていうかJokeのヤツも一緒にしてあるじゃない、何がやりたいのかしらこれ」
「なんかスカーレットフライドチキンがどうの、って書いてありましたけどなんですかねこれ」

大げさにわめく駱統を窘めながら、陸遜がひらひらと弄んでる方には、どうやら何かフライドチキン系の食べ物の説明が書かれてるらしい。
苦笑する丁奉に「些細なことじゃないわ」と、陸遜はそれを机において溜息を吐く。

「地下があったってことは、そこへ行っても出られるって感じもしなさそうね」
「というか、どんなルートを選ぼうにも必ずここに戻るようになっているみたいです…まるで、外部から操作されているかのように」
「どういう事?」
「途中で、何回か機械音が聞こえてきたんです。
正面どころか両側面、背後でも。
定期的に動いてるのかもしれないですが、その法則性がランダムになっているにしてもおかしいです」

その見解に、陸遜と駱統は顔を見合わせる。


不良あがりの集団にいたので、猪突猛進タイプと思われがちの丁奉だが、意外に物事を冷静に分析して判断を下すことに長けていた。
そもそも姉貴分の甘寧も、勘と運だけを頼りに行動していると思われながら、優れた戦略眼と状況判断能力を有していたことを考えれば、彼女は甘寧のあらゆる長所をきちんと己のものにしていたのだろう。
潘璋が見込んだその将器は、確実に開花しつつあった。


「外から私達の様子を見ながら、適宜部屋の構成を変えている…ってこと?」
「確証はありませんけど」

難しい顔をしてそう締めくくる丁奉だったが…この丁奉の憶測は、実は正鵠を射ている。
この場所…製作者が「特別サイト・石兵八陣」と名づけたこの不思議な建物は、明らかに外部から、人為的にフロア構成を組替える機能が備わっていたのだ。



「風を継ぐ者」
-第五部 石陣と陸遜 ~ 論陣、諸葛姉妹-



そのモニターを眺めながら、諸葛亮は会心の笑みを浮かべた。

「ふふふ…どうだねまいりとるふれんど・幼常。
元々は私の作った「SCP収容サイトを模したアトラクション施設」兼有事の避難場所であるが、使い方によってはこういうことも可能なのだ。
これで陸遜の動きを封じ込めれば、あとはどうにでもなるって寸法よぅ」
「流石です師匠… 感服いたしました!」

半ば興奮した様子で、傍らにいた馬謖が驚嘆の声を上げる。
先の夷陵丘陵決戦のドサクサで、姉の馬良までが大怪我を負って引退を余儀なくされ、このところふさぎがちだった彼女は、その大元の原因を作った陸遜がこのような惨めな状態になったことで大分溜飲を下げた様子だ。


それはともかく。

丁奉の憶測どおり、彼女等はモニターで陸遜達の動きを逐一確認しつつ、隔壁の開閉を直接操作して、適宜フロア構成を変更しているのである。
構成を変えなければ、いつか正解の順路を見抜かれて、脱出されてしまうだろうからだ。
これこそ、諸葛亮が帰宅部連合の資金を少しずつ横領し、馬謖を筆頭とした子飼いの連中を総動員し、四ヶ月の突貫工事で作り上げた隠れ家的機械迷宮「石兵八陣」なのである。

元々は学園祭もしくは旭日祭の体験入部イベントに完成をあわせるつもりだったのだが、学園祭期日には間に合わず、旭日祭のイベントにしてもそれを前後として劉備が暴発したので結局それどころでなくなってしまったのだ。
しかもアトラクション目的で作ったと言いながら、実際はその「機械で順路構成を組み替える」という機能と、その元ネタである「人型オブジェクト収容室」を模したトイレとシャワー室を完備して外からの食料その他生活用品の供給システム含む生活スペースを備えることから、非常時のシェルターもしくは外敵を封殺する一大迷宮となったのだ。

そして、諸葛亮ら自身もその隠れ家として利用する関係上、内部の情報端末を介して、建物内からでも部屋構成を変更する設備は当然備え付けられていた。
もっとも、内部から操作するためには、諸葛亮当人と、彼女が知るもう一人が持つマスターキーが必要であるが。


「まぁちと面倒くさいが、こうしてこちらで彼女らの動きを手玉に取ってる限り、長湖部の連中は手出し出来まい。
一応生活必需品の数々は供給もしてるし、しばらくはこちらでゆっくりおもてなしするとしようか。
そろそろ着替え用の衣装も用意せねばな…ふふふ…どのフレンズさんの服もとい毛皮を着けてもらおうか…」

ふふふ、と、わざとらしくマッドサイエンティストめいた笑い方をする諸葛亮。


ちなみに彼女らが用意したという、生活用品を含めたそれらの「物品」も、やはり彼女が帰宅部連合の運営費から横領した資金で賄われていた事は言うまでもない。
しかし、完璧な情報制御(プロパガンダ)と帳簿の巧みな書き換え、あるいは連合内組織の経費節約を励行し徹底させたことで誰一人としてそれに気付いているものはいない…諸葛亮当人と、その行動に関わった子飼いの少女達を除いて、だが。


「さぁて、そろそろ飽きたし、全隔壁のセキュリティロックをかけて今日はこの辺にしとこかな」
「そろそろ五日目になりますね。
向こうが焦れて何かしてくるとしたら、そろそろでしょうか?」
「ふむ…いい読みだ、まいりとるふれんど」
「来られるとすれば、子瑜姉様ですかね、師匠?」

馬謖の的確な読みに、思わず顔をほころばせる諸葛亮。
この少女の聡明さを、彼女は己の子飼いの中で最も愛していると言ってもよかった。

「ま、お姉様か仲翔殿以外に適任者はおるまいが…連合相手にはお姉様、と相場が決まってるからな。
まぁ、あとは奴等をどう使って、交渉を有利にコントロールするか…ここはひとつ、長湖の諸君にラブレターでも認めてやるとするか」

一通りの操作を終え、諸葛亮はひとつ伸びをすると機械をダウンさせ、馬謖を伴って部屋を後にした。





事の起こりは、一週間前のことだった。


「不思議な小屋がある?」
「ええ。
ここからもうちょっと江州棟よりかかしらね、このままいくなら侵攻ルートにあたると思う」

韓当が放った間諜からの報告を聞き、陸遜はちょっと考え込んだ。


劉備のフォローのため江州から出撃していた趙雲は、その背後にある白帝棟へのルートを丁度ふさぐ様に陣取っていた。

事を構えるつもりがないならともかく、趙雲はこちらに攻勢を仕掛けるそぶりを見せ、あからさまに長湖部全軍の注目を釘付けにする態度をみせている。見せ掛けと断じて軍を引けば、一気呵成に背後を襲ってくるようにも思えた。
そうなった場合、甘寧を欠いた今では「五虎」の一角を担う趙雲に対抗できる者がほとんど居ない長湖部勢で対抗するのは至難の業だ。
ヘタすれば、趙雲一人に軍を壊滅させられる可能性もある。

こうした駆け引きを仕掛けてくる趙雲に、陸遜ら諸将も「流石歴戦の勇士」と舌を巻いた。
それゆえ、進退を思案していた陸遜は、一度こちらからも攻勢を仕掛け、そのあとで本軍を引くつもりでいたのだが…その矢先、この報告が飛んできたのである。

もしこの小屋が、何処か近くの拠点に通じる地下通路か何かだとすれば、そこから奇襲を受ける懸念もある。
しかも、近隣校区の少女達の話では、かつて諸葛亮がここに来たときに作られ始め、この小屋は劉備益州入りの頃にはもう、完成していたという話だった。
となると、何らかの拠点である可能性は高い。思案のしどころである。

悩んだ末、陸遜は自ら、この小屋を調査することにした。
実際、鬼才・諸葛亮の手がけたものがどんなものか、非常に興味を惹かれていたことも、その決断を後押しした。
韓当に後事を任せ、陸遜は駱統、丁奉の副将ふたりを共に、この小屋に入ったのである。

果たして、小屋の中は古井戸を模した階段があるのみで、それを降りると、そこは扉と壁、そしてスライド式の遮断隔壁で構成された一種の迷路であった。
一通り探索し終わった一行は、近隣の棟からの奇襲がここから来ないことを確信し、来た道を戻ろうとしたのだが。


(まさか、こんなところに一週間近くもカンヅメになるなんて…思ってもみなかったわ)

我ながら、馬鹿なことをしたと思う陸遜。
最初の小屋の中に意味ありげに貼られていた「ねこですよろしくおねがいします」と書かれた貼り紙を見た時点で、何かあると思って立ち入らなかったことが賢明だった…後悔しても、後の祭りだった。

恐らくは、陸遜の好奇心すら計算に入れての罠なのだろう。
ということは、諸葛亮は自分のことを熟知していたのか…?

(そんなわけ、ないよね。
私は表面上、公瑾先輩に嫌われていたことになってて、例え知られてても)

でも、相手はある意味常識の通用しないところがある「奇人」だ。
思いもよらぬところから、「本当の陸遜」の情報を知り得ていたとしても、おかしくはない。
かつてそういう面で抜け目ない活躍をした人物が、帰宅部連合にいたことも、陸遜は良く知っていた。

(孔明さんと簡雍さんが絡めば、ありえなくもないかぁ)

そう言えば、魯粛とよく周瑜の見舞いに行ったが、そのとき、背後に何かの気配を感じた記憶も、一度ならずあった。
恐らく探せば、自分の寮部屋や周瑜の病室周りにも、盗聴器を付けたり外したりの痕跡ぐらい見つかるかもしれない。

自分の才能が買われていたというのは、悪い気分ではない。
しかし、それだからこそこういう目にあったりもするのであろうか。いやむしろ、相手は…。

「なんていおうか…これが伯言先輩に的を絞って張った罠だというなら、孔明さんは余程、先輩のことを警戒していたのかも知れませんね」
「まぁ…あの子たちのやることは底が見えないから、やろうと思えばもっとどぎつい手段も使ってきたかも。
下手すりゃマジでSCP作れそうだもんねあの孔明」
「へ?」

まるで自分の心を読みすかされたような丁奉と駱統の一言に、陸遜は思わず呆気に取られてしまった。

「あなたたち…なんで私の考えてることが…?」
「いやぁ…ヒマだったんで先輩見てたら、さっきから何か言ってるみたいでしたから、読唇術で」
「私は承淵ちゃんから。でも承淵ちゃん、読唇術なんて何処で覚えたの?」
「文珪先輩から教えてもらって。
でも代わりに、一週間パシリにされちゃいましたけどね」
「へ~、あの人そんなこともできるんだ~。
マジで多芸だね」
「慣れれば簡単ですし、教えましょうか?」
「え、いいの?」
「……いやそれはいいから。
それよりここから出る方法考えましょ」

なんだかいまいち緊張感のない副将ふたりの様子に、陸遜もなんだかもうどうでもよくなりかけていたが、何とか理性に頑張りをきかせて、現状打破の方策を考えようとするが…。

(とはいったものの…どうにもならなさそう…はぁ)

心の中のそれと連動して出てきた大きな溜め息をつくことしか、陸遜にはできなかった。





一方その頃。

「伯…いえ、都督が行方不明?
本当ですか、義公さん?」
「ええ。
先日、謎の小屋を視察に行って以来、ずっとよ。承淵と公緒も一緒だわ。
緘口令は布いてるんだけど…こうも時間が経ってしまうと、どうしてもね。
そろそろ部隊全体にも動揺が広がり始めてる」

夷陵棟に置かれた長湖部の本営に、諸葛瑾と胡綜が訪ねてきていた。
聞けば、この夷陵決戦で手薄になった建業周辺を窺い、合肥の蒼天会がなにやら不穏な動きを見せているとのことで、背後を衝かれないように帰宅部連合軍との和議の使者として出向いてきた道中、立ち寄ったものだった。

しかし、これは名目でしかなかった。

「それより、向こうでも何かあったの?」
「実は、こんなものが本部に届いたんです。
しかも、うちの妹から」
「妹?
…ああ、帰宅部連合の諸葛亮ね。
彼女、一体何を?」

件の手紙を手渡され、一瞥して眉根をひそめる韓当。

それは当然といえば当然、その文面はまともな神経の人間から見れば支離滅裂な内容で、その文意を読み解くどころの騒ぎではなかった。
弁論に長じた胡綜だけでなく諸葛瑾までもがわざわざ出向いてきていることの意味を、韓当も理解した。

「一体なんなの、これ?」
「実は私にも内容が良くは解りませんでしたが、都督が所在不明と言うことになれば、恐らくは意味を一箇所だけ特定できる場所があります。
すなわち、我らが都督…陸伯言を何らかの方法で虜にしていると言うこと」
「えっ!?」

韓当は耳を疑った。

そして再度、その支離滅裂な手紙に目をやる。
そこには確かに、何らかの方法で陸遜らを拘留している、という意味が読み取れる一節があった。

「あの小屋の地下に、伯言達を監禁してると?」
「ええ。
脅迫めいたものがありませんが…何せうちの妹のやることですから、何を目論んでいるのか正直図りかねます」
「そうよね」

韓当も頷いた。

かつて赤壁会戦の時に諸葛亮の行動を見ていたが、その行動は体育会系の生真面目人間である韓当達には当然、アウトロー暮らしの長かった甘寧や周泰らでさえ、理解のし難いものであった。
変わり者の多い頭脳集団でも比較的マトモな部類に入る諸葛瑾だったら、血を分けた姉妹であっても、諸葛亮のやることなど予想もつくはずはないだろう。

韓当は、諸葛瑾に事の次第を語って聞かせた。
既にこの段になって、お互いに陸遜を字で呼んでしまうことに関して誰も咎める者は居ないので、言い直す労力を掛けることを止めたようだ。

「あのあと、小屋には何人か送り込んだんだけどね。
誰も彼も何時の間にか入り口に戻されてて、何も発見出来ずに戻ってきてるっていうのよ」
「と、申しますと…?」
「何でも、あの地下には部屋がたくさんあるらしいんだけど、どうもそれが迷路みたいになってるらしいのよね。
しかもなんか機械仕掛けのバケモノみたいなのがいて、それに追っかけられてるうちにいつの間にか外へ出てきてた、なんて子も居るわ。
文珪や幼平も潜り込ませてみたんだけど、どうも行く度に内容が変わってるみたいで」
「まさか…そんな大掛かりなものを、わずか一年そこいらで完成させることなんて出来るんですか?
というか、現実に作れるようなものなんですか?」
「そんなのあたしにも解るわけないでしょうが」

そんな胡綜と韓当のやりとりを聞いていた諸葛瑾は、なにやら難しい顔をしていた。
不思議がったふたりがそちらに目をやると、諸葛瑾はしばしの思案をはさみ、それから口を開いた。

「実は、心当たりがあるんです。
妹はかつて、いくつもの部屋を機械で動かせるように管理して、任意でルートを変えることのできる大仰な迷路の図面というのを、しょっちゅう描いてました。
恐らくはその完成版が、それなのかも知れません」
「そんな…」
「じゃあ、あの娘たち、今もそこに?」
「間違いないでしょう」

韓当はもう一度、その正体不明の文章が綴られている手紙を読む。


やはり何度読み返しても、彼女の理解できる範囲では、諸葛亮が何らかの方法で陸遜達を「拘留」しているという意味合いの言葉がある。
そこから考えると、恐らく絶対逃げられない場所に陸遜達を「拘留」していることが考えられよう。

例え、相手に害意がないとしても、このままの状況は非常にまずい。
先の戦闘で、此処に集う者達は韓当はもとより皆が陸遜の実力を認め、名実共に彼女はこの征西軍の総大将なのだ。
それがいつまでも行方不明の状態は、全体の指揮に関わることは勿論のこと、何か緊急事態が起こったときに対応が非常に難しい。
例えば、このタイミングで蒼天会が戦いを挑んで来たら…いくら盟約があるとはいえ、曹丕に対する信用というのはないに等しく、この戦いは常に後方を気にしてのものであった。


思案する韓当に、諸葛瑾は淡々と告げた。

「私は、これから漢中へ行くつもりです。
もともと今回の戦闘行為は帰宅部連合を滅ぼす為のものではなく、あくまで彼女等の侵攻に対する防衛作戦であったはずですから」
「え…ちょっと待って?
連合の和議なら劉備のいる永安棟に行くんじゃないの?」

諸葛瑾の言葉に、怪訝な顔をする韓当。

「いえ、連合総帥の元へ行くのは、威則(胡綜)だけです。
私は、この手紙に書かれた意味を、書いた張本人に直接確かめにいくだけですから」

韓当もその真なるところを悟った。

確かに胡綜なら弁も立つし、気さくな性格だから恐らくは劉備とも馬が合うだろう。
劉備も物分りが悪いほうではないので、正論をもって説得すればこちらの言葉にも耳を傾けてくれるだろう。
まして、状況的に不利なのはむしろ帰宅部連合のほうなのだから。

となれば、ここで問題になるのは諸葛亮の存在だ。

伝え聞く限り、荊州南部の諸交渉の際、魯粛を苦しめてきたのは関羽の恫喝的な態度でも劉備の確信犯的な振る舞いでもなく、むしろそれを巧く裏で糸を引いていた諸葛亮に他ならない。
恐らく諸葛瑾が、諸葛亮がいるだろう漢中に出向くと言うのは、交渉の場に諸葛亮がしゃしゃり出てこないよう釘を刺しにいくというところだろう。

「和議…でも、うちの子達が納得するかしら。
それに、劉玄徳がこの件を承知しているなら、伯言達をタテに何か吹っかけてくるかも」
「少なくとも、帰宅部にとっては、悪い話ではないはずですし…総帥がこれを知っている可能性は絶無ではないかと思うのです。
こちらの事については、都督になんとかしてもらうほかなさそうですね」
「策はあるの?」

諸葛瑾は頷く。

「この文にある「特別収容サイト」が私の知るそれであれば、「収容違反(だっしゅつ)」する手段に心当たりもありますので。
義公さん、申し訳ありませんが今しばらく現状維持に努め、都督の帰還次第動きが取れるよう、御願いします」
「解った。
気をつけてね、子瑜、威則」
「ええ、お任せくださいな」
「失礼します」

ふたりが一礼して退室するとそこには、その従者と思しき、ヨットパーカーのフードを目深に被った少女がいた。
制服の仕様が僅かに違うところを見ると、恐らくは中等部の生徒だろう。

諸葛瑾は少女に近づくと、そっと耳打ちした。

「ごめんね、予定通り例の場所へ向かって。
伯言たちを、頼むわよ」
「解りましたぁ~、任せといて下さい~」

何処か間延びした声で、少女は鷹揚に頷いた。
そして胡綜に向きなおると、

「とりあえずこれで当面の問題が片付くわ」

そういってにこっと微笑んで見せた。

「で、でも先輩、本当に大丈夫なんですか?
相手が相手だけに、一体何を企んでいることか」
「安心なさいな。
私が漢中に出向くのも、概ねそれがメイン目的なんだし…玄徳さんの説得は頼んだわよ、威則」

なおも心配顔の胡綜と別れ、諸葛瑾は漢中アスレチックに向けて自転車を漕ぎ出していった。





「ねぇ文和ぁ、今のタイミングってすっごいチャンスだと思わない?」
「何がですか?」

所変わって、司隷特別校区にある蒼天会本部の会長室では、曹丕が参謀の賈詡を呼びつけて、そんなことを言い出していた。
表面上は軽く返して見た賈詡は、しかしその言葉の意味を十二分に理解していた。

「だからぁ、今帰宅部連合は主力が壊滅状態で、長湖部の連中も相当深入りした格好じゃない?
今攻めるんだったらどっちがいいと思う? 帰宅部? 長湖部? それとも両方?」
「正直、あまり感心はしませんね。どれもです」
「どうしてよぅ?
最初に、さっさと長湖を攻めろって言ったの文和じゃない」

素っ気無い賈詡の一言に、大げさな態度で不満を露にする曹丕。
その嫌味も意に介した風もなく、賈詡は軽く溜息を吐くと、淡々と意見を述べ始める。

「確かに、帰宅部連合が押していた時期であれば、それに呼応する形で出れば容易く事は運べたでしょうね。
しかし、今は状況が違います。
帰宅部にはなお諸葛亮と趙雲がおり、魏延や李厳といった連中も屯しています。
これに加え、向こうには地の利もあり、あの諸葛亮がなんの防備も整えてないと考えるのは、幼稚園児ですらありえないでしょう」
「そのぐらいは私だって解ってるわよぅ…じゃあ、長湖部は?」

やや不機嫌になり始める曹丕だが、それを見ぬフリをしたまま賈詡は次の問いに回答する。

「周瑜、魯粛、呂蒙、甘寧の悉くを欠いたものの、一番出てきて欲しくないヤツがついに表舞台に上がってしまいました。
どうせあの諸葛亮の事、いくら表舞台にいなかったとはいえ陸伯言が如何に危険な相手かは知っているはず…かくいう、この私めもですがね。
それを差し引いても、勝利に沸く士気の高いところへ突っ込んでいくことになり、確かに今、建業棟は手薄とはいえ長帯陣の間、陸遜ならずとも我々に注意を払っていなかったとは考えにくい。
戦役に参加していない朱治、呂範といった厄介な手練が、濡須江あたりで手ぐすね引いて待ち構えていることでしょう」
「でもさぁ、長湖部はそれでも主力らしいところ、みんな勢力範囲の境目に集まって釘付けになってるじゃない?
もう子孝姉様や文烈ちゃんに指示して、三方向から建業に向かわせることにしてるんだけどねぇ。それでもダメ?」

曹丕の得意げな言葉に、賈詡はそのキツめの目の端を、僅かに引きつらせた。

(コイツは…自分の賢しさを自慢したかったために、わざわざ私を呼びつけたのか…?)

曹丕の人を小馬鹿にしたような態度に、神経を逆撫でされたような感覚を覚える賈詡だったが、そんな心情は億尾も出さず、淡々とした口調を崩さずに続けた。

「恐らく、最良でも一切の利益は上がらないかと思いますが。
心配性の私と致しましては、最悪のケースを考えてもキリがありません」

その態度が少々気に障った曹丕だったが、やはりこちらも容易に本性は見せない。
一瞬不機嫌そうな顔をするが、すぐに何時もの、何か嫌味のある笑顔に戻って、言った。

「まぁ、もう賽は投げられたんだから、黙って結果を見てなさいな。
これで巧く行ったら、心配性の文和さんでも少しは安心できるんじゃなぁい?」
「理想ではありますね。それでは、所用がありますゆえこれで」

あくまで強気の姿勢を崩さない曹丕に、恭しく一礼して室を退去する賈詡。
言葉にはもちろん、その表情にさえまったくあらわさなかったが、賈詡は心中、曹丕の浅慮を嘲笑っていた。

(ふん…小賢しい小娘だ。
 その凶猛な本性ばかり先走り、隠そうともせぬとは…あらゆる意味で曹操様とは雲泥の差だな。
 曹仁閣下は気の毒なことこの上ないが、結果を見ればいい薬になるだろう)

その賈詡の予想したとおり、これからまもなくのうちに、三路侵攻作戦の失敗の報が蒼天会本部にもたらされることとなる。





漢中アスレチックの応接間に通された諸葛瑾の姿を見て、諸葛亮はわざとらしいまでの満面の笑みを浮かべた。

「お待ちしていましたよ、お姉様」
「挨拶はいいわ。単刀直入に言うけど」
「まぁそう言わず、先ず御掛けください。
幼常、私に紅茶、姉様に日本茶をお出しして」
「畏まりました師匠。
最高級のダージリンと玉露をご用意しておりました」

恭しく一礼する馬謖に、諸葛亮は親指を立てて微笑みを返す。

その様子を一顧だにせず、諸葛瑾は仏頂面のまま、妹と向かい合う形で席に着いた。
一瞬「おお怖っ」とおどけながら、向かい合う諸葛亮の顔は、依然笑みを崩さない。

「してお姉様、今回は如何様なご用件で?」
「こんなものを送りつけておいて、如何様なも何も無いでしょう」

諸葛瑾はそう言って胸ポケットから件の手紙を取り出し、広げて突きつけた。

「どういうつもりなの、孔明?
あなたが私達長湖部の都督を軟禁しておいて、こちらでどうすればいいか考えろと…幸い、私以外の人間には、この文面を完全に理解できないけど」

人を馬鹿にするのも大概にしろ、という言葉が、後には続くのだろう。
言葉には出さなかったが、諸葛瑾の表情はそれをよく物語っている。
韓当はもとより、余計な心配をかけさせないよう幹部会でも口にしなかったが…流石に姉妹だけあり、彼女は諸葛亮の届けてきた手紙の文面の意味を、きちんと理解していた。

それを見た諸葛亮も、大げさな仕草で言う。

「心外ですお姉様。
「軟禁」ではなく「収容、そして保護」ですよ」
「どっちでもいいわよ。
これ以上ふざけたことをぬかして煙に撒こうってんなら問答無用でぶっ飛ばしてやってもいいのよ」
「おお、こわいこわい。血を分けた実の妹に対する言葉とは思えませんなあ。
私はただ、帰宅部連合と長湖部どちらに対しても、もっとも平和な道を取ろうという、その一念しかないのですよ?」

その瞳の奥に腹黒い何かを見出した諸葛瑾は(なにをいけしゃあしゃあと…)と、怒りにも似た感情を抱いた。
おそらくは、荊州学区の時の様に、なんだかんだと言っては最良の状態で和議をまとめようと画策しているに違いない。

否、和議どころか、下手をすれば陸遜たちを盾に荊州学区割譲を迫ってくる可能性もある。
諸葛亮自ら指揮を執り、趙雲を主力として領内に再度侵攻されたら、陸遜抜きで防ぐことはほぼ不可能…諸葛瑾は、内心冷や水を浴びせられたように戦慄したが、それを億尾にも出さずに口を開いた。

「確かに、あなたの仕掛けた罠に引っかかる都督にも責任はある。
でもそれを閉じ込めて、ペットか何かのように眺めて楽しむのもあまりいい趣味とは言い難いわね。
SCP財団は残虐無慈悲ではないけど冷酷冷徹、研究の名目で悪逆な性癖を満たすだけの人間がその組織にいたとして、その末路がどうなったかぐらい私だって知ってるわ」

お人好しを絵に描いたような、と評されながら、ひとかどの美少女としても知られる諸葛瑾の瞳が、怒りのためか険しく細められ、慇懃無礼な態度を崩さない妹をその視線が鋭く射貫く。

そのとき、諸葛亮の表情が一瞬変わり、すぐに元の微笑みに戻る。
畳み掛けるように、諸葛瑾は言った。

「都督は…いいえ、伯言はもはや長湖部にとってなくてはならない子よ。
悪いけど、返してもらうわ」
「今まで歯牙にもかけなかったものを、たった一つ功績を挙げただけで部の柱石と仰るので?
随分、都合のいい」
「違うわ」

諸葛亮の嫌味を、キッパリと否定してみせる諸葛瑾。

「あなたには意外なことかもしれないけど、陸伯言が優れた能力を有して居ることなんて長湖幹部会の人間はみんな知っていたの。
実際この戦いを頭から任せても、文句言う人は誰も居なかったのよ。
懸念材料があるとすれば、あの子が公瑾の想いを振り切って戦場の表舞台に出てこれるか…それ一点だけ」

まるで、諸葛亮が総てを知っていることを、知っているかのような口ぶりである。
恐らくはカマをかけているんだろうということは解ったものの…諸葛亮の顔は相変わらず微笑んでいたが、口元が僅かに引きつっていた。

「ふふ…まるで、私が前から何かのヒミツを知っていたかのような口ぶりじゃないですか」
「そういうゴシップ集めが得意だった人間がいたことも、よく知られているからね。
そして、その娘とあなたがよくつるんでいたことも」

そう言って、諸葛瑾は妹の目を見据える。
その視線に負けじと、姉に視線を返す諸葛亮。


姉妹だからこそなのだろうが…お互いの能力を熟知した上での本気のやりとりだった。
お互いが仮に真剣を持っていたのなら、凄まじい鍔迫り合いを展開しているに等しい状態だった。


そこへ、馬謖が飲み物を持って戻ってきた。
それを受け取って一口啜ると、諸葛亮は気を取り直した様子で言った。

「別段、帰さないとは言ってませんよ。
ご自由に抜け出てもらって構わないんですから」
「呆れた…自分で出られないようにしておいて、よく言うわ」
「それはそうでしょう、私としても交渉は有利に展開していきたいですから、手駒は多いほうが良い。
その上でもしもあの核地雷を不発弾に出来るのであれば、後顧の憂いはなにもなくなる」
「ようやく本音を吐きやがったわね。
まぁ、伯言を人質に取った時点で、あなたが何を企んでいるか見当はついてる…あなたがそうくるなら、こちらも手段を選ぶつもりはないわ…!」
「いかがするおつもりで?
お姉様たちに、あの収容サイトをどうにか出来るとでも?
あの部屋には最低限動き回れる程度のクリアランスパスをサービスで置いてありますが、すべての隔壁を自由にできる「レベル5クリアランスパス」は私の手の中だ。
力尽くで奪い取りますか、これを?」

恐らく、そんなことは出来ないだろう…という自信めいたものが、言葉の端にあった。

「確かに、私には無理でしょうね。
ここでいざこざを起こしたところで、この漢中アスレチックには現在の連合主力軍が屯している。
そんな中を逃げ切るほどの武力は、残念だけど私には無いわね。仲翔(虞翻)ならいざ知らず」
「流石はお姉様、よくお解りで。
ならば、このパスの偽造でもできるツテでも?」
「どうせそんなことは出来ない。そうでしょうね、腹立つぐらい仰るとおり。
でも「作れないこと」と「持っていないこと」はイコールではないわね?
…さて、そろそろ伯言達、無事に脱出できたかしら」
「な……!」

わざとらしく、涼しい顔で諸葛瑾は己の腕時計に視線を落とす。
このときになって初めて、諸葛亮は本気で動揺した。

まさか、と思って手元の何かを見て、愕然とした。
恐らくはそこにはモニターか何かがあるのだろう。
表情を見る限り、そこに映るのは陸遜達が「サイト」を抜け出すその光景なのだと想像できた。

「コレで、本当の意味で立場は対等。
あと、私に出来ることはあなたをここで足止めして、連合総帥の下で同時進行している和議会談をめちゃくちゃにさせないことよ。
安心なさい、そちらにとって悪い話にはならないはずだから」

ショックのあまり二の句の次げない諸葛亮に対し、自信に満ちた表情で、諸葛瑾は止めを刺した。





「うおー! 一週間ぶりのお天道様だぁー!」

何だか妙にハイな様子で雄叫びを上げる丁奉に続いて、その小屋から陸遜と駱統も姿をあらわした。
その傍らには、フード姿の少女がいた。

「助かったわ、あなたが来てくれなかったら私まで、多分今頃ノイローゼになってたかもね」
「いえ、お礼なら子瑜姉様に言ってあげてください~。
わたしはただぁ、お姉様に言われて来ただけですからぁ~」
「でも、あなたいったい、何者なの? それにどうして、ここを抜け出す手段を」

矢継ぎ早に質問を投げかける陸遜に、

「それはぁ、秘密ということにして下さい~。
孔明姉様にぃ、悪いですからぁ」

と、少女は間延びした口調を崩さず、そう釘をさした。
表情はわからないが、口調からはちょっと困ったようにしている風にも思えた。

「そうね、窮地を救ってくれた恩人を困らせるのも、どうかと思うし。
…これは記念にもらって帰ろうかしら、後々なんかの役に立ちそうな感じするし」

陸遜は、何故か気になって持ち出していた「緋色の鳥」の紙を折りたたんでポケットにしまいながら…何となくこの少女の正体に当たりがついてるようでもあった。
その少女の声は、何処か諸葛瑾に声色が似ていたからだ。

「あーでもビーストもっとやってたかったなあ…ゲーセンいってももう謎のピアノゲー(ノスタルジア)に置き換わってるからなあ…うううっコンマイめえ」

隣りでは駱統が、何か名残惜しそうに背後の小屋をみやる。
その光景を見て、思わず吹き出してしまう陸遜達。

「さ、とにかく夷陵棟へ帰りましょう。
威則さんのことだから、きっと今頃和議の決着はついてるはずだわ。
それより、心配なのはむしろ」

言って、陸遜は建業棟の方を見た。その真剣な表情に、何時もの調子を取り戻した丁奉と駱統が相槌を打つ。

「そうね…此処まで主力が深入りしているのを、蒼天会が見逃すわけがない」
「曹丕さんは信用できない方ですからね。
同盟なんて、あってないようなものでしょう」

ふたりの言葉に、陸遜も頷く。



少女と別れ、程なくして夷陵棟へ戻った三人は、すぐに撤退命令を発令する。
諸将は訝ったが、帰り道で建業棟から急使が訪れ、蒼天会の来襲を告げたのを聞くと、皆改めて陸遜に感服したという。

「さぁ皆さん、戦勝報告の前に、もうひと頑張りです!
行きましょう!」
「「「応ッ!!!」」」

凱旋軍改め、対蒼天会防衛軍となった長湖部の少女達は、勇んで建業への道を急いでいった。