朱績暴発事件から一週間。
陸凱は、ひと月半前、丁奉を呼びつけた長湖の畔にいた。


なんだかんだといって、朝早くからこうして長湖に釣り糸を垂らすのは、気晴らしで始めたとはいえすっかり彼女の日課となっていたらしい。
黒いノースリーブのワンピースに身を包み、踵をバンドで止めるタイプの白いサンダルを履いて、堤防に腰掛けながら、ぼんやり空の彼方を眺めながら魚信(あたり)を待っている。

しかし、その雰囲気は一月余り前とはすっかり変わっていた。
単に夏休みを三日後に控え、暑気を避ける服装に変わったから…というわけではないようだった。


「釣れますか?」

背後にひとりの少女がいる。
陸凱とは対照的に、白いブラウスに黒いチノパンという出で立ちの、黒髪セミロングの少女。

陸凱はその正体を知りつつも、特に何か咎めることもなく、穏やかな表情のまま頭を振る。

「いいや、さっぱりだな。
徳潤(敢沢)さんの話じゃ、この辺結構いるって話だったんだがな」
「そうですか」

その少女…万彧は招かれるまま、陸凱の隣に腰掛ける。
糸を引き上げると、餌としてつけていた蛹だけが見事に奪い取られていた。

苦笑する陸凱。

「どうやら魚どものほうが一枚上手だったな。
知ってるかい万彧、蛹って結構高額いんだよ?」
「そうなんですか?」
「本来は高級養殖魚の餌だからな。
あんまり釣れないもんだから今日は奮発したつもりなんだが」

残念そうに呟く。


そんな姿からも、万彧には彼女の心境がどう変わっていったのか、窺い知れた様だった。


「公緒も承淵も、夏明けに引退するんだってな」

唐突にそう切り出されて、万彧は一瞬答えに詰まってしまった。

「え、ええ…公緒先輩はやはり先日のダメージが大きいらしくて…レガッタ部の指揮も取れないということで既に手続きも終えられてます」
「まぁそうだろうな。
アレだけの大技の応酬やった後に、肩口に手加減なし全力の一撃喰らったんだ。
ただじゃ済まねえよなそりゃ。
インガオホーちゃインガオホーなのかも知れんが」

陸凱は「やれやれ」といわんばかりに溜息を吐く。


全治1ヶ月。医者の診断ではそうであったらしい。

それ以外に目立った外傷もなく、動かないのは利き腕ではないので日常生活にはそれほど支障はないが…流石に大会に出場できないことは愚か陣頭指揮以外で練習にも参加できないことは当然のことだった。


また、暴行を受けた水泳部員たちも危急の事態であったことを理解し、一切について水に流すということで丸く収まり…彼女らの怪我も見た目に反してごくごく軽傷で、何事もなかったかのように練習に打ち込んでいるようだった。
ただレガッタ部はこの事件を重く受け止め、今年行われる大会総てを棄権してしまったという。中心となる部員の多くが事件の責任を取る形で自主引退を申し出たが、これは、今後南郡防衛軍の弱体化を防ぐために陸抗と朱績が説得して思いとどまらせたらしい。


「んで、公緒の抜けた穴の埋め合わせはどうなったんだ?」
「留平さんが水泳部員の1、2年生を連れて移ることになりました。
レガッタ部の指揮も、暫定的に幼節先輩が預かることになっています」
「ならひとまずは安心そうだな。
少なくとも公緒よりは頼りになりそうだ」
「酷いですね…それが親友に対しての言葉なんですか?」

笑う陸凱を嗜めるように万彧が言う。
そんなんじゃないさ、と、陸凱は頭を振る。

「あいつはな、良くも悪しくも君理(朱治)さんや義封(朱然)さんみたいに、重要拠点を守らせるような将帥の器じゃないんだよ。
あいつが夾石棟でその片鱗を垣間見せたように…あいつの力はもっと外へ向けさせてやるべきだったんだ」

細波一つない湖面に、二人ぶんの表情が映し出される。

「心をかき乱されていようがいまいが…あいつが廬江で見せた力は、そういうものだったと思っているよ。
長湖部がこうなっていなかったら、あたしがあいつと承淵を率いて合肥か襄陽を攻めてみたかったな」

寂しそうに笑う陸凱。


水面に映るその瞳には、もしかしたらそういう見果てぬ彼女たちの夢が見えていたのかも知れない…万彧には、そんな風に思えていた。



-長湖に沈む夕陽 第一部-
終章 「夕陽の中の誓い」



「ところでさ」

しばしの沈黙を、陸凱は唐突に破った。

「廬江の一件はどうなるんだ?
あんなのが学園監査部に知れたら、さすがに長湖部の構成の中核が解体される可能性もあるが…」
「それについては大丈夫です。
この事件については部の活動記録に記録しない意向で進めてますから…岑昏一派が何かこそこそと動いていたようですが、韋曜さんたちが巧く立ち回って処理してくれましたよ」

それは何よりだ、と、再び餌を付け直して陸凱は釣り糸を湖に放った。

「それより先輩方はこれから、いかがなさるおつもりですか?」
「そうだなぁ」

息を吐き、そして己の意思を確認するかのように頷くと…陸凱は淡々とした口調で話し始める。

「あたしはこのまま終わらせるつもりはないさ。
宿主の樹が倒れる前に、宿木を先に叩き潰す。
樹が死んでしまったのに、宿木だけが青々葉を茂らせたままなのは、癪どころの騒ぎじゃない」
「孫魯班の勢力は、強大ですよ?」
「承知の上だ。
あの害毒を、次代に残しておくわけにはいかない…それに」

これまで穏やかな笑顔を浮かべていた陸凱の表情から、一切の笑みが消える。


「やつらは伯姉に敬宗、公緒、承淵、そして元宗やおまえも…あたしの大切なものを悉く傷つけた。
あたしの命を引き換えにしても、やつらに必ず落とし前をつけさせてやる…!」


空の彼方を見据える鳶色の瞳。

そこには静かであったが、確かに憤怒の炎が灯っていた。
憎悪ではない、純粋な怒りの炎が。


「…敬風先輩」

その横顔を見ながら、万彧は思った。


果たして、彼女に真実を話してしまったのが…本当に良いことだったのだろうか、と。
愛するもののために総てを捨てることを厭わない激情家の彼女は、その性格ゆえに自ら滅びの道をたどろうとするのではないか…と。


その杞憂が後に現実のものになってしまうことなど、彼女は知る由もない。





「よーし、あと一周だ!
承淵先輩達に遅れ取るなよー!」

まだ腕のサポーターが外せない沈瑩は、マネージャー共々ボートの上で檄を飛ばす。


長湖水泳部員名物ともいえる長湖遠泳。

建業棟沿いのビーチから沖の赤壁島までの片道5km、島の外周を回って10km強を泳ぎきるというこの練習も、久しく行われていないものだった。
丁奉は此処一週間ほどでこれまでのカンをすっかり取り戻しており、戯れにこの話を持ち出したところ、古参の二、三年生どころか吾彦らの一年生のチャレンジャーまでもが大乗り気で、急遽再開の運びとなったのである。


しかし実際に行ってみると、予想以上の過酷さから脱落者が続出する有様であった。
沈瑩のボートの上にも、そういう部員が既に三人ほどノビている。

留平もそのひとりであった。


「しっかし…先輩もさることながら士則も半端じゃねーなー。
あいつ本当に、数日で先輩の教えたターンの技術、ものにしやがったもんな。
10秒縮まるどこじゃねえ、もうあたしもあいつにゃかなわんわ。
…それに引き換え」

ボートの中でだれている留平をジト目で見る沈瑩。

「うっさい、こっちみんな!」
「そんなだらけた格好で言っても説得力ねーぞ次期水泳部長殿。
完全に実力じゃ士則のほうが遙か上だけど、そのへんどうなん?」
「うぐぅぅぅ…」

むくれる留平だが、返す言葉もなかった。
丁奉評では「決して持久力はないわけじゃない」留平なのだが、どうも動きに無駄なところがあるからすぐにばててしまうらしかった。


「でも…本当にこれからどうなっていくんだろうな、長湖部は」
「え?」
「夏が終わればじきに承淵先輩もいなくなってしまう…残されたあたしたちは、いったいどうすればいいんだろうな」
「瑩さん…」

呟く沈瑩の表情は、普段の彼女とは打って変わって、不安に満ちているように留平には思えた。

「大丈夫だよ」

沈瑩が振り向くと、微笑む留平。

「あたしたちは、あたしたちのできることを考えればいい…先輩がね、そういってたから。
それでいいと思うよ」
「そうだな」

留平の笑顔につられて、沈瑩も笑った。
ふたりが眺める先には、赤壁島を折り返して戻ってくる丁奉と吾彦の姿が見えていた。

「というわけでー…あたしも休憩終わりっ。
あたしもあたしのペースで、これからゆっくり行ってくるよっ」

そして、着ていたジャージをボートに脱ぎ捨て、長湖へと飛び込んで再び泳ぎ始める留平の姿に…沈瑩は溜息を吐いて、その後をボートで追い始めた。


なお彼女が泳ぎ終えたのは、まさかの二周めに入った丁奉と吾彦が泳ぎ追えて30分以上経ったあとだったそうな。






その突飛な移転命令が陸凱からもたらされたのは、その日の夜のことだった。

たまたま該当者のほとんどが呉郡寮にいたため、手間が省けたというのが陸凱の弁だった。
そこには当の陸凱のほか、陸胤、丁奉、朱績、虞汜の姿もある。


「…臨川寮?」
「あぁ。
校区の外れ…っつーか、ほとんど学園都市と山越高校区の境目辺りにある古い学園寮だよ。
いちお、魯家と周家の協力が得られて改築したらしいんだがな」

顔を見合わせる面々。

「…つかさぁ、これって要するに」
「強制移住、ってヤツ?」

朱績と虞汜が顔を見合わせる。

「あと世議と季文もなんだがな。
世洪は交州問題の片がつき次第引退するっつーことだから、一応前もって移ってしまえという事らしい」
「いやちょっと待って。
普通こういう引退後の強制移住って、普通ペナルティとして与えられるもんじゃないの?」
「万彧嬢ちゃんの話を信じるなら、内申等々のことは心配ないそうだぞ。
一応我々は受験生である故、部のごたごたに巻き込まないようにという配慮するということで学園監査部が納得したんだと」

虞汜の物言いもしれっと返す陸凱。


確かに虞汜の言うように、こうした引退後の処遇は普通強制されることはほとんどない。
課外活動で組織に対し何らかのペナルティを与えられた場合、罰則として学園側から命令されるのがほとんどだ。

その最悪のケースが、退学及び学外追放というものである。
過去の例を挙げると、学園側から学外追放までの重罰を受けたのは「鬼姫」呂布と、張遼など一部のものを除いたその一党十数名。
その呂布の「飼い主」でもあった董卓やその一党ですら…学内重要施設の破壊に関わる多少のペナルティとして退学処分にはなったものの、彼女ら一党はその受け先のひとつである西姜高校へ編入されて高校生活を全うしている。


「…それに、あの連中の目を少しでも避けるという意味ではこれが正解なのかもしれない」
「え…?」

陸凱の表情の変化から、一同はその真意を察したようだった。

「…敬風、まさかあんた」
「あたしからは以上だ。
期限は九月末までだが、一応夏休み中に移ってもいいという話だ。
必要書類は向こうに用意されていて、それさえ書けば管理人さんがそういう手続きをまとめてやってくれるそうだから、詳しい話は週末にその人から直接聞いてくれとさ」

虞汜がなおも何か言いかけたのを、陸凱は一度肩を竦ませてさえぎると一気に話をまとめて切り上げてしまった。


取り残された少女たちは顔を見合わせるしかできなかった。





自分の部屋でベッドに横たわりながら、陸凱はひとりごちる。

(解ってるよ。
 この「強制移住」は、あたしが持ちかけた話だ…あたしが動き回る以上、被害は最小限に食い止めたい)

カーテンを明け払った窓から差し込む月明かりを避けるかのように、彼女は体を壁側へ返す。

(もう二度と…伯姉や公緒のような目に遭うひとを出したくないから)

枕をきつく抱きしめる彼女の瞳は、悲壮なまでの決意に満ちていた。


「風さん」

双子の妹が帰ってきて、その傍に腰掛けるが、陸凱は気にした風もない。

「今度は、どんな無茶をしでかすつもりですか…?」

お互いに顔は見えない。
しかしお互いに、どんな表情をしているかは手に取るように解る。

「…風さんの気持ちがどうであろうと、私たちも私たちで最善手を尽くします。
私だけじゃなくて、承淵さんも、公緒さんも、世洪さんもみんな…幼節さんだって」
「解ってるよ」

敵わないなぁ…と思いつつ彼女は改めて、志を共にする者がいてくれることを感謝した。





その週末。

件の臨川寮を見学するということで、五人の少女たちは呉郡寮から学園都市内を走る路面電車に揺られること15分かけてその地にやってきていた。
思い思いの私服に身を包むその姿にも、それぞれの性格をうかがわせる。

陸凱・陸胤の双子は、それぞれ同じ様なワンピースにサンダル姿だが、陸凱は黒基調、陸胤は白基調というのが面白い取り合わせである。
そして半袖Tシャツにジーンズとスニーカーという、まったく同じ様な格好の丁奉と朱績、夏だというのに何故か冬物くさいチェックの巻きスカートに厚手の長袖デニムシャツを着込んでいる虞汜のような変わり者もいる。


学園都市郊外、交州学区も近い所為か原生林と山に囲まれた閑静な住宅街…その学園寄りの場所に、その建物があった。


「ふぅん…結構いい建物じゃないの」

虞汜が言うとおり、立て替えて間もないと思われるその寮は、その閑静な住宅街に溶け込むような、萌黄色の小さな建物だった。
建物の周囲はきちんと掃除されており、きちんと管理されていることが伺える。


しかし、そこそこの大きさのあるわりには、そこに人が住んでいる気配の乏しい建物のように見えた。
部屋数だけでも二十部屋ほどはあるようなのに、せいぜい管理人室くらいにしか、人の気配がないように見えた。


「てか…管理人さん本当にいるの?」

当然の疑問を投げかける朱績。

「いやー…てか昨日連絡したし、出掛けにも電話入れたはずなんだけどなぁ」

こちらも予想外、といった感じで小首をかしげる陸凱。
呼び鈴を再度押してみるが、誰も出てくる気配すらない。

「ていうか鍵もかかってるんじゃ、入れないじゃない」

ドアノブを二、三回回しながら、呆れ顔の虞汜。

「しゃあないな。
どこかで時間を置いてくるか?」

陸凱が肩を竦めて、他の面々を見回した。

「ってもこの辺結構寂れてるじゃん…来る途中、コンビニとかあった?」
「…解んない。
此処の管理人さんに聞いたほうが早いかもね」
「それじゃあ意味ないじゃないのさー」

なんとなく不満げな朱績と、それをなだめる丁奉。
丁度そのとき。

「あ、もう着いたの?
ごめんねー!」
「ほら、そんな余計なものまであれこれ悩むからー」

その管理人と思しき人物たちが、なんだか大荷物を抱えながら歩いてくるのが見て取れた。

「…え?」

その姿に目を丸くする一同。
格好に驚いたというよりも、両手に大荷物を抱えて、にこやかに微笑むその人物には、予め事情を知っていたらしい陸凱以外の四人にも確かに見覚えがあった。


現れたのは黒い半袖のワンピースと、藍色の大きなリボンが特徴的な栗色ロングヘアの女性。
もうひとりは浅黄色のノースリーブに白のチノパン、ダークブラウンの髪を大きく左に分けたショートカットで眼鏡をかけた女性。


「え、公緒先輩?」
「敬恕さんまで!?」

丁奉と虞汜が同時に声を上げる。

「久しぶりねー、何年ぶりかしら?」

栗色髪のほうは駱統。
かつて陸遜の懐刀として軍団の総参謀を務めたが、家庭の事情で学園都市を離れざるをえなくなり、惜しまれながら学園を去った人物である。

「ほら公緒、何時までもこんなところで立ち話してないの。
さ、みんな入って」

そういいながら鍵を開ける眼鏡の女性は張温。
多くの同僚たちからその才能を愛されたことで、孫権の嫉妬から部を追われたものの、虞翻が一計を案じてその関係を修復させ、「二宮事件」以後は学園暦に残らない形で孫権の行動を陰日向にサポートした人物である。

意外な場所で意外な人物との再会を果たし、五人はお互いの顔を見合わせた。





ふたりは少女たちを中の広間に通すと、その隣の台所で買いこんで来た品物をごそごそと仕舞い込む。

「なんっつーか…改築っつーかほぼ新品同様じゃない」
「あぁ…あたしも驚いた」

ぽかんとした表情で呟く朱績と陸凱。

「え?
風さんどんなところか知らなかったんですか?」

陸胤が目を丸くする。
この穏やかな性格の少女がこういう驚き方をするということは、余程意外だったということなのだろう。

「知るわきゃねーだろ。
つかこっちのほう全然来たことねーから実はよく知らない」
「おいおい…」

そんなやり取りをしているうちに駱統たちもその部屋にやってきていた。
先ほどの買い物袋の中身と思しき、オレンジジュースと山盛りの菓子を持って。





「じゃあ管理人って先輩たちのこと…?」

口火を切ったのは朱績。

「そうよ。
あたしも蒼天大学に通うのに都合がいいからのっけの幸いと思って、伯言ちゃんにその話をしたら、此処を紹介してくれたの」
「私も一人暮らししてみたかったからね。
公緒一人じゃアレだったんで引き受けたのよ」
「大きなお世話ー」

人数分のグラスを配りながら嬉々とした様子の先輩二名。


話を聴けば聴くほど、思いもよらぬ事情が明らかになっていく。

寮の改築の話は既に駱統たちが卒業したときにあり、改築そのものは去年の暮れに済んでいたこと。
その管理人について、長湖部OBだけでなくかつての蒼天会もしくは帰宅部連合、その他の勢力所属者からも候補があがっていたこと。

そして、何故か今いる二人以外に入居者を募らなかったと言うこと…。


「でも…おかしな話じゃないですかそれって?」

ふたりの話を相槌を打ちながら少女たちは聞いていたが、やはり腑に落ちないと言った感じの丁奉。

「学園OBから広く管理人募集して、そのくせ誰も入居者取らないって」
「そーねー」
「言われて見れば、変な話よね。
何か別の目的があるにしても、そもそも私たちに何しろって言うのかしらね」

小首をかしげる駱統と張温。


その様子を見て取った丁奉も、ふたりが何か隠し事をしている風には見えなかった。
自分の中に生まれた疑問の正体すら解らぬままだった彼女も(思い過ごしかな?)と思っていたが、ふと、陸凱の方に目をやって気づいた。


飄々と、普段どおりに振舞う彼女に、どこか違和感があったことに。





日もだいぶ暮れた頃、五人は今日のところは帰路に着くこととなった。


「すいません、なんかご予定もあったでしょうに急に押しかけてしまって」
「いーのいーの、にぎやかなの大歓迎だから。
っていうか泊まってってくれればよかったのに」
「まだそれぞれの寮に居るんだから、旧には無理でしょうが。
でもまあ、早く入ってくれると私たちも楽しいわ」

一同を代表して陸胤が深々とお辞儀すると、先輩ふたりも笑顔で返す。

「こういうところで学園生活の最後を過ごすってのも、なかなか乙かもしれないねぇ」
「意外に本屋とかゲーセンとか暇つぶしにも事欠かないしね」

取り合えず周辺情報などを手に入れ、思いのほかこの場所が気に入ったらしい虞汜や朱績は夏休みのうちに此処へ入る気満々と言った様子である。
そして無言の陸凱。

「それじゃ、あたしたちこれで…」

帰路に着き始めた少女たちの最後に、立ち去りかけた丁奉の袖を引く駱統。


不思議に思い、彼女は耳を預けた。


「承淵ちゃん…風ちゃんのこと、ちゃんと見ててあげてね」
「え?」
「キミには、少し本当のことを教えておくよ。
本当はね、私たちは伯言ちゃんの頼みであの娘の様子を見に来ているの」

駱統の意外な言葉に、思わず顔を上げると、寂しそうに笑う二人の顔があった。

「私たちOBとしても、その学園のあるべき姿を守りたい気持ちは一緒なのよ」
「長湖部OBの名にかけて、あの娘を…あなたたちだけを苦しませるわけにはいかないわ」
「…先輩」

その後輩の肩に、先輩ふたりはそれぞれの手を添える。


「私たちだけじゃない。
学園の中で戦い、認め合った人たちが、今ひとつの目的のために結集しつつあるのよ」
「戦うときは、みんな一緒だから…それまであの娘のこと、よろしくね?」
「…はい!」


その瞬間、後の学園史に語られずに終わった…時代を駆け抜けた少女たち最後の戦いの幕が上がろうとしていた。



(長湖に沈む夕日 第一部 完)