解説 凌統
-学三設定-
江南の学区で無双の格闘少女として名を上げた凌操の妹。中国拳法を中心としたその戦闘技術は姉に迫るものがあり、その剛胆さをもって「長湖部の切っ先」と呼ばれるほどに活躍した勇将。また同時に水泳でもその才能を発揮し、孫策、凌操に続いて三代目の長湖水泳部長を務めた事でも知られる。
一年生になったばかりの頃に江夏戦線で、甘寧に敗れた姉の身を庇いながら群がる敵勢を蹴散らして帰還したことでその名を知られるようになった。その甘寧とは当然の如く犬猿の仲となり、その年に行われた新入生歓迎会の壇上で派手に宣戦布告してから常に甘寧に食って掛かる彼女の姿が日常風景になるのに時間は掛からなかった。しかしながらこの二人の関係は微笑ましいだけで済まされないレベルの事態を引き起こすこともまた日常茶飯事であり、あるイベントの打ち上げなどでは「異種格闘演舞」と称して、孫権の目の前で実際に殴り合いに発展しかけ、慌てた呂蒙が割って入ったこともあるほど。対応に苦慮した孫権はこの二人を遠く離れた部署に配属したのだが、どういうわけだか二人は学園内で必ずと言っていいほど同じ教室で授業を受け、以後も厄介事を増やし続けていた。
根は真面目な熱血少女であり、受けた恩義に必ず応える義理堅い面があった。それゆえ合肥戦線の時、自分の危機を一身を省みず救ってくれた甘寧に、今までの恨みつらみを総て水に流し、以後は彼女に敬意を払うようにもなったのだが、代償として大怪我を負った甘寧は以後ロクに戦えない体になってしまったことは、彼女にとって悔やむべき事件となった。典型的な体育会系だが後輩に無茶や無理難題を押しつけるようなことは一切無く、その面倒見の良さと指導の巧さもあり、彼女のあとを継いで四代目水泳部長となる留賛など、優れた後輩たちを多く育成した。
姉と同じくライフセイバーを志しており、記録上では最後の実働部隊参加の夷陵回廊戦以後も長湖部に在籍はしていたが、表立った戦役には参加せず後進の育成に当たっていたようである。
-史実・演義等-
凌統 一八九~二一七
字は公績、呉郡余杭の人。
彼の父親凌操は任侠を好み、勇敢な猛将として知られていたが、建安八(二〇三)年の江夏攻めの際、当時黄祖配下であった甘寧に射殺された。凌統はこの時十五歳だったが、乱戦の中で父の遺骸を取り戻して武名を上げた。のちに甘寧は孫権の元に身を寄せるのだが、凌統は甘寧を父の仇として恨んでおり、当然ながら甘寧も自分に楯突く凌統に対して心中穏かならぬものがあったようで、あるとき宴席の剣舞にかこつけて、お互いに殺し合おうとさえした。このときは呂蒙が機転を利かせ、盾をもってふたりの間に割り込んだために事無きを得たのだが、彼等の対立に頭を悩ませていた孫権は、このことから甘寧の任地を凌統の任地の近くに置かないようにしたという。しかし、その後も主要な戦役においては凌統、甘寧ともに呉でも優秀な勇将であったため、ともに戦線に立つことも多かったようである。
合肥・濡須一帯で数年間に渡って行われた合戦において、孫権は敵中に孤立してしまったが、そのとき凌統は孫権の側近である谷利とともに主を護り、無事撤退することに成功する。そのとき凌統は己の軍団を全滅させてしまい、彼等のことを思って涙したという。この一件で、孫権から絶大な信頼を寄せられた。
平素より優れた人物を優遇し、そうした者達も凌統に心を寄せていたという。演義では合肥の戦いの際甘寧に命を救われ、父を殺された恨みを捨て和解するというシーンがあるが、これもそうした凌統の人物像に基づく展開なのであろう(ただし史実にそれを裏付ける記述はない)。
任地にあって四十九歳で病没した、と正史凌統伝にあるが、二〇三年に十五歳であったことから計算すると没年は二三七年となる。しかし駱統伝に「凌統の死後、その軍団を率いた」とあり、しかも駱統は二二八年に三十六歳で死去しているので、内容の矛盾が生じている。このことから「三国志集塊」では二十九歳で没したのが正しい、としており、そこから計算すれば没年は二一七年というのが正しいだろう。演義では夷陵の戦いにもその名を見いだせるが、史実通りであれば合肥の戦いのあと間もなく亡くなった事になる。
-狐野郎が曰く-
凌統、ときてすぐ思い浮かぶのは甘寧との暗闘だろう。三国無双シリーズでプレイアブルキャラとなった3以降でも、甘寧と絡むイベントが数多い…というか、メインコンテンツはほぼそれである。史実では結局和解せずに終わっているのだが、演義では彼等の和解のダシに使われて射殺されてしまった楽進が哀れでならない。そういえば「蒼天航路」でも対立が描かれなければ和解も描かれていない(甘寧が百人で奇襲して戻ってきた際、孫権達が喜んでいる片隅で一人だけ歯ぎしりしていたぐらい)ものの楽進だけは凌統から受けた一撃と病気が元で亡くなっている。どっちみち楽進は犠牲になる運命とかどういうことなの。正史では結局、まるで甘寧のあとを追うかのように合肥のあとすぐに亡くなっているようであるのだが、演義では夷陵の戦いぐらいまでは顔を見せているものの扱いのおざなりな呉軍メンバーらしく活躍らしい活躍はしていない。三国志シリーズの武将解説でそのことについて「(和解したあとの活躍がないのは)復讐が原動力だったのか」とか書かれてたけど本当にそれなとしか言いようがない。ちなみにその三国志シリーズでも集解ではなく伝の記述通り(戦死しない限り)四十九歳までは生きてくれることが多いようである。ゲーム的にはありがたい。
学三環境では基本的に甘寧といざこざ起こしていた頃の凌統ばかりしか書かれていない(モノによっては丁奉が「またか」みたいな言い草をしているものも)のだが、何気に和解したエピソードは狐野郎以前には考えられてすら居なかったようだ。というかむしろ正史よろしくふたりの和解については考えられてすらいなかった可能性も高い。ちなみにその和解のエピソードについても演義準拠で楽進をダシに考えていたが、面倒になったのか「これまでのあらすじ」的に触れられたのみで終わってしまった。ついでにいえば凌統のエモノがヌンチャクなのは三国無双が元ネタであるが、他にも甘寧の木刀の名なども三国無双から取ってきている。その活動期間に関しても狐野郎は演義準拠で考えているため、夷陵回廊戦でもきっちり登場させている。
狐野郎が丁奉をデザインする際、甘寧とも凌統とも対照的になるように考えていた事も、蛇足としてここに記しておこう。