解説 留賛
-学三設定-
長湖部の母体である長湖水泳部の三代目部長。
元々は将来を嘱望されていたスプリンターであったが、黄巾騒動の際、黄巾党に逆らった見せしめに足の腱を傷つけられ、満足に走ることの出来ない体になってしまった。しかし彼女は運動に情熱を燃やすことを諦めきれず、足に負担のかかりにくい水泳を始めたところ、瞬く間にエースの座を勝ち取るくらいにまでなった。当時の部長であった凌統に認められた彼女は、やがてその後釜について水泳部長となる。
生真面目で一本気な性格で、一方でかなり几帳面な性格の持ち主。上級の主将のみならず、長湖部長たる孫権に対してすらもおもねらず、おかしいと思ったことを憚らずに直言するためにやや煙たがれていたようである。しかし足が使えないために居合いに特化した流派の剣を修めた彼女の戦闘能力の高さ、あるいは戦場全体を見渡す優れた観察眼によって、長湖部後期における重要な主将として名を馳せた。
歌好きで、特に演歌をこよなく愛し、学園無双や水泳の大会などに出ると景気付けに大声で歌うのが彼女なりの「戦意を高める儀式」であった。諸葛恪の淮南攻略には風邪をおして従軍したが、咽喉が涸れていたために巧く歌えなかったことを嘆いた。結局彼女はその戦いで満足に実力を発揮することが出来ず、諸葛誕との一騎討ちに敗れて階級章を失った。
-史実・演義等-
留賛 一八五~二五六
字は正明。会稽郡長山の人。
若くして郡の役人となり、折りしもこの地で暴れていた黄巾賊と戦った際にはみずからその首領の首級を挙げる活躍を見せた。しかしこの戦いで足を負傷し、傷が癒えても後遺症で脚は曲がったままになってしまう。
激しい気性の持ち主であった留賛は、周囲の制止も聞かず自ら足の筋を断ち切って脚を引き伸ばし、その傷が癒えると、留賛は足を引きずる事はあっても普通に歩けるようになったという。その話を聞きつけた凌統は彼を招き寄せ、その人となりを高く評価して官に推薦し、その後も戦功を立てて出世した。
時務の処理に問題があると常にそれを正すよう諫言し、主君の意向におもねる事がなかったために孫権からは煙たがれていた。それでも将軍としての有能さが認められていたためか、孫権の死後も将軍として活躍した。
東興の戦いでも大いに戦功を挙げて左将軍にまで昇進したが、二五六年の淮南遠征に随行した際に病にかかり、指示を受けて撤退する際に諸葛誕の軍の急襲を受けて戦死した。享年は七十二。
留賛は戦闘の前には必ず大声で歌をうたい、全軍を鼓舞したといわれる。しかし彼の最後の戦いでは病の為それが叶わなかったことを嘆息したという。
演義でも登場しないためかなりの三国志マニアでなければほとんど知られていない留賛であるが、いわゆる「有頂天系(ニコニコ動画の動画シリーズの一種で、FF14の都市伝説的なユーザーをモデルにした「ブロントさん」を中心としたキャラクターを登場させるもの)」の要素が入った三国志系歴戦動画では、その名前が竜騎士のリューサンに似ていること、しかもそのリューサン同様歌を歌うことに縁があることから似たようなポジションで登場することも稀によくある。とある東方有頂天系三国志シリーズ動画では、歌好きの妖怪(ぶっちゃけるとミスティアなんだが)と一緒に戦後の宴でライブしていたりというケースも。
-狐野郎が曰く-
ぶっちゃけこの人を知っているのは相当なマニアだけ…かと思いきや、とある変態記ではどこぞの竜騎士よろしくどっかの夜雀とライブしていたこともある男。実際名前も名前だけにガリ扱いされることも稀によくあるとかないとか。その性格もわりと頑固一徹といった感じだが、それでも彼の子もそれなりの顕職についていた事が窺えるので、なんだかんだ信頼はされていたのではないかと思う。というか足の怪我が元で足の関節が固まってしまったからって、自ら足の腱をぶった切るとか正気の沙汰じゃないよなあ。あと凌統に抜擢されたこととか、黄巾賊の災禍に遭ったことからも解るようにかなり長生きをした人でもある。呂岱ほどじゃないが、「孫呉の老将」の一人といっても良いだろう。
学三では勿論(?)本家では触れられもしていなかったので、凌統が見出した人物、ということで彼女も水泳をやっていただく事に。足の怪我についてはやっぱり黄巾騒動のときに受けたものというのは正史の記事に準拠しているが、当初はスプリンターを目指していたというのはまあ正直あってもなくてもよかった気がする。というか、冷静に考えると「足が使えなくてもめっちゃ泳げる」って普通にバケモノだと思うんだが。ちなみにデザインには元々特にモデルのようなモノはなく、元々適当にもっさり髪を無造作に括って、髪の色素薄くして、適当に太眉乗っけただけである。本当に誰をイメージしてたんだろうねえ。