解説 潘濬


-学三設定-

中等部時代、劉表配下の才媛・宋忠の知遇を受け、文芸クラブのマネージャーとしてクラブの綱紀を取り締まった才媛。当時中等部生徒でありながら、クラブ会費の横領を行っていた生徒を大々的に告発して処断するという苛烈な行動をとり、一目置かれると同時にその存在を恐れられた。
劉備が荊州学区に勢力基盤を構えるとその配下となり、荊州が関羽に任されると、高校一年生になったばかりの彼女は荊州学区総代つきの会計として抜擢された。生真面目で融通の利かないところもあるが、基本的には実直な性格の持ち主であり、関羽とはやや反りが合わなかったようだが、関羽は樊城棟攻略の際に帰宅部連合の荊州学区における重要拠点・江陵棟の留守を彼女に任せたほどなので、信任はあったことが窺える。しかし、虞翻の説得により離反した士仁、糜芳の両名に騙されて江陵棟はろくな抵抗もないまま呂蒙率いる長湖部軍団の手に落ちてしまう。そして間もなく関羽が麦棟で捕まって処断されると、関羽を助けることが出来なかったことを深く恥じて寮部屋に引き篭もってしまった。孫権は彼女の忠誠心にうたれ、ベッドに臥して泣いていた彼女を担架で連れ出してきて、その心を慰めたという。そして長湖部と帰宅部連合の関係が修復された頃、彼女は改めて長湖幹部会の一員として招かれた。
張昭、虞翻らに何処か似ている直言の士であったが、彼女はこのふたりのように上から押し付けるようなものの言い方をせず、あくまで同じ目線の友人としての立場から、真摯な言葉で諭すスタンスを取った。そのため孫権は彼女の言葉を素直に受け入れ、それに従って己の行動を正したという。呂壱が孫権の寵愛を得て権勢を振るっていた折、彼女は再三にわたって呂壱の悪行について宣伝して廻り、結果的に呂壱の処断に貢献したのが好例といえよう。また、五谿地区の不良生徒との抗争の際、その総大将に抜擢され、見事に鎮圧するなどの軍才も見せている。
最終的には、長湖幹部会のイベント実行委員長を任されたが、三年生になって間もなく受験勉強のため引退する。孫権を巧くコントロールしていた彼女が早期引退しなければ、後の「二宮の変」を防げたのではないか…という学園史研究家もいる。


-史実・演義等-

潘濬 ?~二三九
字は承明、武陵郡漢寿の人。
二十歳前後のとき、劉表お抱え学者の一人である宋忠から学問を受け、三十歳になるころには招かれて江夏郡の従事となった。折りしもある県では役人の間で収賄などの汚職が横行していたが、潘濬はその中心人物をことごとく捕らえて処刑し、綱紀を引き締めたという。その後も諸県の長を歴任し、任地では高い治績をあげ、荊州が劉備の支配下に入ると、潘濬は治中従事として劉備入蜀後も引き続き荊州の事務処理に当たった。
その人物は聡明な資質を具え、人との応対は機敏にしてその言葉は条理だっていた。建安七子の一人として名高い山陽の王粲は、潘濬と会ってその人物を高く評価し、そのことから名を知られるようになったという。関羽が孫権との戦いで敗死すると、潘濬は敗戦の責任を感じ、病と称して自宅に引き篭ってしまったが、孫権は部下に命じてその寝台ごと連れてこさせ、その心を慰めたという。
以降彼は孫権に仕え、五渓の異民族反乱を始めとした内乱平定に、あるいは呉国の中央政権にあって御意見番として活躍した事跡がその伝に残されている。孫権の側近として、ほしいままに権勢を振るっていた呂壱の失脚の裏にも、潘濬の度重なる諫言があったといわれる。また、孫権の第二子である孫慮に彼の娘が嫁いでおり、孫家の外戚の一人にもなった。
最終的には太常の位にまで昇り、赤烏二(二三九)年に死去した。


-狐野郎が曰く-

正史では潘濬と陸凱は同じ列伝で語られているのだが、基本的に紀伝体の史書では列伝を作る際に(良くも悪しくも)似たもの同士を集めるのがルールであり、その意味では陳寿がこの二人を同列伝に並べたことはベストチョイスというべきだろうか。とはいえこのふたりは文句なく似たもの同士であるのだが、孫権は潘濬の言葉には素直に従って、彼が疎んじられた話もないし、ましてや張昭みたいに君臣の垣根を越えたバトルを繰り広げたなんて話もなく…余程ウマが合ったのか、それとも単に張昭に対する当て擦りなのかその辺は解りかねるところ。一方で演義では傅士仁と同列扱いで、しかも糜芳とセットで不始末の責任で後方守備に回された挙句「あっさり降伏した」なんて不名誉なナレーションだけ残してフェードアウトしていくわけだが…昨今では「蒼天航路」にて、涙ながらに孫権の申し出に従うよう関羽に訴えるシーンが印象的であり、少なくとも演義で貼られた不名誉なレッテルは払拭されたのだろうか。そもそも「季漢輔臣賛」の時点で嫌味みたいな紹介をされていた?知らんな私の管轄外だ(
なお玉絵は存在していなかったために即興でこさえただけのデザインでありこちらに関しては語られることはあまりない。そもそも狐野郎が真っ先に登場させた話ではアルコールが入って暴走した孫権の被害者(恐らく性的な意味で)にさせられてるのでこれはこれで報われていない気がする。