解説 薛綜
-学三設定-
青州校区の顔役で、所有するマンションを学園に寄贈した事で知られる「孟嘗君」こと薛文の孫娘。
中等部時代、黄巾党による学園の混乱を避けて交州学区に移籍し、交州の顔役であった士燮の庇護を受けていたが、長湖部の経理担当の募集を聞きつけて孫権の元に出向き、採用されて長湖部の幹部となった。かなりの美声の持ち主であり、長湖部のクラブ対抗球技大会などのイベントではウグイス嬢を担当するのが常であった。
赤壁の開戦前、諸葛亮を相手取った論陣では一笑に付されてしまったが、帰宅部の使者が懇親会で敢沢の姓名を分解して悪し様に解釈した時、薛綜は帰宅部連合と長湖部の名称をそれぞれ絶妙に解釈して論破してみせる弁才を見せた。これで深い学識をもつことまで部内に印象付けた彼女は、長湖部所属のクラブの総合マネージャーという大役を任されるまでになる。
大人しくて真面目な性格で、人付き合いも悪くない彼女であったが、赤壁の打ち上げの際、周瑜のワンマンショーに場が悪くなりかけてた雰囲気を変えようとした魯粛達の悪戯で仕掛けられた催眠術の為「誰かがカラオケなどで歌い始めるとトランス状態になり、他人のマイクをかっぱらって自分が歌う」という厄介な精神病を宿してしまった。それが解決するまでに二年もの歳月を要し、その最終局面では長湖部の一大イベントをあと一歩で潰すところであったらしいが…それが後々、ある恐るべき陰謀につながることになるなど誰一人知る由もなかった。
薛綜も進学のため、長湖生徒会成立翌年度の夏前に引退したとされるが、そのイベントの際強引に「術」を解除された反動で心を病んで学園を去ったともされる。年の離れた妹である薛瑩は、後年その真相を知るべく孫皓政権時代の過酷な長湖生徒会の中で幹部会へと上り詰めることとなる。
-史実・演義等-
薛綜 ?~二四三
字は敬文、沛郡竹邑の人。戦国四君子の一人である田文(斉の孟嘗君)の子孫とされ、代々州や郡の長官を勤めるほどの名族の出身である。
若い頃、薛綜は戦乱を避ける為一族とともに交州の地に疎開し、その地にいた学者・劉煕の元で学問を修めた。交州を支配していた士一族が孫権に臣従すると、孫権に召し寄せられてその属官となった。後に呂岱の交州平定に同行し、呂岱が交州から呼び戻される際には後任に歩隲を充てるように上奏するなど、交州支配の安定の為に尽力した。
孫権の二子孫慮が外地へ出ると、薛綜はその長吏として随行したが、まもなく孫慮が若死にした為にその任を解かれ、中央政権に関るようになる。折りしも遼東の公孫淵が背信し、孫権は激怒して公孫淵を攻めようとしたが、薛綜も上奏し出兵を思い留まるよう諌めている。
その学識が認められ、太子の教育係や文書管理関係の高官を歴任し、二四三年に死去した。その遺品には優れた詩賦、議論文など数万作があり、文集に纏められるほどであった。後に帰命侯孫皓の時代に光禄勲となり、孫皓降伏の際につき従った薛瑩はその息子にあたる。
このような話もある。蜀の使者が宴席で敢沢の姓名を分解して悪し様に解釈して笑いものにした事があったが、敢沢はそれに言い返すことが出来ずにいた。薛綜は酌を返すとき、蜀の字と呉の字を巧く解釈して使者をやりこめて喝采を浴びたと言う。演義では赤壁の大論陣で諸葛亮にやり込められた挙句、「恥知らず」呼ばわりされてしまう損な役回りを与えられてしまっているが、史実のエピソードからは当意即妙の問答を得意としていた事が伺える。
-狐野郎が曰く-
学三で既存SSにも登場してウグイス嬢やってたり、赤壁の後の打ち上げで周瑜から没収されたマイクで見事な歌を披露する図が投稿されたりしている不思議な存在。一応諸葛亮先生の独壇場「孫呉の大論陣」でも諸葛亮先生に一蹴されてる役回りで登場しているが、正史によれば見事な答弁で、鼻持ちならない蜀の使者をやり込めているなど弁も立つエピソードも残されている。演義薛綜のフォローするなら、後々思い返してみればめちゃくちゃ言ってるのは諸葛亮のスットコドッコイなんだけど…まあ、弁士として二の句が継げなかったら暴論も正論みたいなところあるし(なんだそれ)。
先述の通り実は薛綜の玉絵って存在することはするんだけど、狐野郎は何を思ったかまるでそれを見て見ぬふりして勝手にデザインをこさえていた(実は気づいてなかったからなんだが)。その当時のモデルは某有名ヴィジュアルノベルの食い逃げ野郎()の幼少期で、リファインしてリボンをつけていることは一緒なのだがその形状だけ少し変えている。特に意味はないんだが。