解説 陸胤
-学三設定-
長湖部の斜陽期を副部長として支えた陸凱の双子の妹。一卵性双生児でありながらその性格は陸凱とは正反対の、おっとりしたマイペースな少女で、その観点も一般人に比べて斜め十五度ほどズレている、とは陸凱の弁。だが芯が強く、穏やかな物腰ではあるが時に他人を怯ませるような威圧感を放つこともあった。この辺り、陸遜の血筋に属するだけはある。
早くから陸凱や、従姉妹の陸抗共々ユースの幹部候補生とされるほど高い実務能力を備えていたが、「二宮の変」の際には孫和と懇意であったことから孫覇派に幽閉され酷い拷問を受けた。彼女はその際、下腹部を中心として残虐な方法で猥雑な入れ墨を施されてしまい、それを取り除かれた跡が大きな傷痕として残るという災禍に見舞われるが、彼女はそれを苦にすることなく職務に復帰した。余談だがこのとき、彼女に対する拷問を行った楊竺が陸凱の手で同様の目(麻酔抜きかつわざと激痛を伴う方法で局部に入れ墨を施す、というもの)に遭わされたところ、楊竺はものの数分で気が触れてしまい、精神病院に入院する羽目になったという。
陸胤は傷が癒えると、交州地区に駐屯する長湖実働部隊指揮の全権を委ねられ、総代としてその地に赴任した。当時の交州学区も長湖幹部会の混乱を受けて不穏な状態であったが、陸胤は交州学区の実力者たちの元へ足しげく通い、長湖部への協力及び叛意を収めるよう求めて廻った。陸胤が誠実な性格の持ち主であったこともあったが、彼女が酷い拷問を受けていたことはよく知られていたこともあり、そんな目にあいながらも長湖部のために尽そうとする彼女の姿勢に打たれた多くの実力者が彼女の言葉を受け入れ、長湖部への協力を約束したという。なかにはわずかながら、それでも長湖部に叛意を持つものがいたが、陸胤は協力者たちを糾合してそれらのものを打ち破り、瞬く間に交州を平定した。
翌年の暮れ、彼女は長湖幹部会に復帰し西陵棟の棟長となったが、孫皓が部長になると虎林地区の守備隊長を任された。その後も虎林棟でまったりと過ごしていたようだが、陸凱が引退すると彼女も間もなく引退した。華覈は彼女の才能を惜しみ、孫皓に対して彼女を長湖幹部会で重く用いるよう進言したが、受け入れられることはなかった。
陸胤は学園にいた当時毎日欠かさず日記をつけており、長湖部の斜陽期のころの長湖部の裏表、果ては課外活動以外で起きた学園の事件についても余さず日記に残していた。しかし、その内容は学園史の記述に比べ、史として記述するにそぐわない内容の事件が多いために彼女が秘匿してしまっているという。また、彼女は学園都市に僅かながら存在していた「魔法使い」の一人だったとも言われる。
-史実・演義等-
陸胤 生没年未詳
字は敬宗。呉郡呉の人で、帰命候孫皓時代の左丞相陸凱の弟。
孫和がまだ太子の地位にあったころ、孫和は陸胤の名声を聞き及び、厚い礼遇をもって接した。そのため後年の「二宮の変」の際、孫和と強いつながりがあったかどで投獄され、酷い拷問を受けたが、陸胤は獄中にあっても他者に責任をなすりつけるような発言をしなかったという。
「二宮の変」が終焉を迎えると、陸胤は衡陽県の督軍都尉に任じられ、次いで二四八年に交州で異民族が反乱を起こすと、交州刺史・安南校尉として反乱鎮圧のために交州へ赴くこととなった。着任すると、陸胤は異民族のリーダーに国家の恩恵や誠実さを説いて回り、専ら帰順の勧誘に努めた。その甲斐あって、これまで僻地に潜み、孫呉政権の支配から逃れていたような者達も命令に従うようになったため、瞬く間に交州は平定されたという。それだけではなく、後に起こった交州の蒼梧や建陵で反乱が起こった際は軍略によって反乱軍を打ち破っている。二五八年に交州の地から召し返され、西陵(旧名では夷陵)の督となるとともに、都亭候に封じられた。更に彼は虎林の督に転任したが、華覈は陸胤の才覚と交州統治の治績を讃美し、高位に就けてその力を存分に振るわせるよう上奏しているが、聞き入れられることはなかった。
没年及び享年は明らかではないが、彼の息子・陸式が陸胤の死後に爵位を継いだものの、二七五年に罪を得て建安へ強制移住させられたという記事が伝にある。
-狐野郎が曰く-
正史を齧った人ならおわかりかと思われるが、孫呉といえば山越と交州問題が常に頭痛の種であった。その交州を支配下に組み込むため、呂岱を始めとする名将がが対応に当たったわけだが、陸胤も目立たぬながらその一人と言えるだろう。というか顔芸野郎として知られる滕修と呂岱のミッシングリンクを知ってるまで来れば完全に三国迷の領分になるのではないだろうか。というか俺も正史買うまで知らんかったし
そんなこんなで実はあまり語ることがない分、徹底的に作り込んだというわけではないが、基本的に陸抗、陸凱でセットで日常話ではそこそこ出番を増やして無理矢理取り扱っている。陸凱がとにかくクセモノ、陸抗がノーテンキ野郎なのでその間に経つ敬宗ちゃんはというと、普段はそのふたりの間に挟まってニコニコしてるだけで、要所要所では腹に一物もってその陸凱その他に煮え湯を飲ませてみたりとかそんなポジになるか。学三本家がまだ活気のあった頃なんてそれこそ「日向美ビタースイーツ♪」が発足する12年ほど前の話で、ひなビタ♪のひ♪の字もなかった時代ではあるのだが、それでもあえて当てはめるとすれば陸凱がイブ様(和泉一舞)、陸抗がまりり(山形まり花)、そして彼女がさきちゃん(春日咲子)と、丁度パジャマパーティ組のトリオに当てはめるとしっくりくる。ただ大きな相違点を挙げるとすれば、どちらかというと打たれ弱い面もあった咲子と異なり陸凱達にとって最後の「心の拠所」になりうる芯の強さだろうか。
そのデザインのベースにしたのは「輝く季節へ」の無口娘・上月澪。っても澪は作中でその経緯は語られなかったが生来口を利くことの出来ない障碍の持ち主だったのだが、見た目だけなので敬宗ちゃんは作中でガンガン口を利きます。勿論どこぞの顧雍と違って普通に聞き取れる程度です(言い草)。最初は本当にただ澪の髪を緑色に塗っただけだったので、少しウェーブ髪にしてデザインをいじくっている。あと特に理由はないが少しおっぱい盛った