解説 顧雍


-学三設定-

呉郡地区四名家の一角である顧家のお嬢さんで、いつもぼーっと宙空を見つめ、話しかけてもうなずくか、ちょっと首を傾げるだけという本物の無口っ娘。実はごくごく小さな声で囁く様に喋ってはいるらしいのだが、それをきちんと聞き取れる人間が少ないため、結果的には無口という扱いになっていった。だが「蒼天生徒会」の図書委員長を勤めた蔡邕が故あって呉棟にいた頃、非凡な才能を認められて直々に組織運営のノウハウと、余興の技としてピアノを習っていた程の逸材である。また幼少の頃から人並み外れたカンというか、第六感以上のものを持っていたらしく、占いの腕前は百発百中。呉郡棟で「于吉ちゃん」の通り名でその占いが大人気だったが、オカルトだけは大の苦手な孫策が勢いでそのことを大いに馬鹿にしたことからキレて、わざと最悪な未来を告げたところ、孫策はその「予言」めいた占いの通りに頭に大怪我を喰らいリタイアする羽目になった…というのはあくまで噂話に過ぎないとされ、そもそも彼女が「于吉ちゃん」の正体であることは当人以外に知る者は長湖部にいない。
そんな風に「長湖部」とはいろいろな意味で因縁のある彼女であるが、陸遜を筆頭とする陸の一門が「長湖部」の運営スタッフとして招かれると彼女もその幕僚として抜擢される。孫権政権を副部長(後に副会長)として長く支え、文字通り「長湖部」の大黒柱となった彼女であったが、彼女のその性質(声が聞き取れない)事もあって彼女にとって年の離れた妹である顧譚も、ユースとして幹部会に招かれるまで顧雍が副部長を務めていることを全く知らなかった、というエピソードがある。そんなこんなで(正誤定かならぬ噂話以外で)派手な活躍というものは絶無に近いが、「長湖部」にはなくてはならないスタッフとして重きを成した。基本的に人と争わず(というか、喋らない)、穏やかにうなずくだけで万事を捌いていたが、それでも長湖部の業務に滞りが無かったあたり、非凡と言うべきであろう。彼女は故あって三年生夏休み明けの事務処理を最後の仕事として引退し、実家に戻ったが、それが「長湖部」にとって悲劇のはじまりであったと評する者も居れば、「顧雍が二宮事変を予知しており、巻添えを食らわぬようさっさと身を引いた」などという者すら居る。
その実、学園に少数ながら存在していた「魔法使い」の一人であり、この学園都市における謎の一端を知っているとすらされる。その「魔法」は先述した占いによる予知、あるいは(ある程度のレベルに限られるが)運命に対する介入と言った強力無比なものを基本とするが、他にも超自然的な力を用いた術はもちろん、召喚術などにも卓越した技術の持ち主でもあったともいう。彼女の声が細いのもその代償であったともされ、その強大な「魔法」は時に大きな騒動を引き起こしたり(孫策の件もその一つであろう)、時に学園史の裏で起こった様々な事件を解決してきたというが、それを信じる者は少ない。


-史実・演義等-

顧雍 一七八~二四三
字は元歎、呉郡呉の人。後漢の大学者蔡邕が呉を訪れていた頃に師事し琴と学問を学び、蔡邕は彼の非凡さを高く評価して自分の名と同音の「雍」の名を与えたという。なお「元歎」という字も、蔡邕の賛歎を受けたことに由来するという。
二十歳くらいの頃に州や郡で推挙され、合肥や曲阿などで政治に参画したが、各所で高い治績を上げた。孫権は顧雍を幕僚として招くと会稽太守の任を彼に代行させたが、ここでも反抗勢力を鎮圧して郡を平定し、民も官も彼に心服した。孫権が呉王となると彼は侯に封ぜられたのだが、彼は特にそのことを家族に話さなかったため、家族は知己から顧雍が候に封ぜられた事を知らされ大層驚いたという。顧雍の無口は有名なことだったようで、さらに酒も飲まず、穏やかな性格の持ち主でもあったが、孫権は常日頃から「顧君は寡黙だが、言葉は必ず的を得る」と称揚し、また宴席においても、常に素面で宴席の失敗がないか気を配っていたようで、孫権に「顧君が同席すると、羽目を外して楽しめないな」とはばかったほどであった。
孫権が帝位につく頃、そのナンバー2として政務をとっていた孫邵が亡くなったことで丞相となった。彼は丞相となっても、人物を任用する際は感情に左右されることなく適材適所につけることを旨とし、時には民衆の間に入って意見を求め、ひそかに上奏して政治に役立てた。献策が通ればそれをすべて孫権の功とし、用いられなければそれを他者に明かさなかったため重んじられた。
彼は実に十九年の長きにわたって宰相を勤め上げ、赤烏六(二四三)年に死去した。時に六十六歳だったという。彼の子である顧邵は優れた政治家であったが若死にし、孫の顧譚も「二宮の変」のいざこざのうちに憤死したが、もう一人の孫に当たる顧栄は東晋において顕職を歴任し、名声を上げた。


-狐野郎が曰く-

吉川英治三国志や演義では、孔明の大論陣に参加した一人であるが、実際一蹴に近い形で終わった一人。演義ベースではそれこそ十把一絡げの文官扱いであるが、史実では社稷の臣というべき扱いのされる人物ではある…あるのだが、先述したようにとにかく無口すぎて家族は顧雍が高官に就いたことすら知らないとか言う有様で、恐らくは多くの治績を成した人なんだろうけどもその実体が解りづらい。民衆から意見を募る程度のことは誰でもやっているが、そのすべての責任を負える度量がある人は歴史上においてすら珍種中の珍種であり、少なくとも顧雍にはそういう素晴らしい能力があったことは確かである。孫権に取り入って権力を握りたかった呂壱の為に放逐されかける一幕もあったが、顧家が大豪族であること以上に顧雍の人柄を孫権は信用していて、はばかったところが一身を全うできた要因なのかも知れない。惜しむらくは、彼や諸葛瑾が身罷った瞬間に孫権がやらかしたじゃ済まないレベルのことをやりやがったので、運命を感じずにはおれない。。
学三であるが顧雍、見れば一発でモデルは誰かは解るレベルでそのまんま、伝説的ヴィジュアルノベル「To Heart」の来栖川芹香。ヴィジュアルノベルのの登場した頃のギャルゲー界隈で「無口」「不思議ちゃん」「お嬢様」というこれでもかと属性を詰め込んだ名キャラであり、同系統のキャラカテゴリでは遠祖というべき存在であるため名前を聞いた事のあるという人も多かろう。まあ、無口でオカルトでお嬢様って言えばまあそうなるよなって言う…えっ史実の顧雍にオカルト要素はない?おかけになった電話番号は(ry そのせいで于吉仙人と同一人物にされてるみたいな設定もあるそうだが、孫呉(長湖部)を率いた小覇王をリタイアさせておきながら、その孫呉(長湖部)を盤石にする立役者となった者が同一人物というのも、なかなかクレイジーな設定ではあろうと思う。
狐野郎は歩隲と顧雍をセットに脇役として多用するのが、その日常パート的なシーンで散見されると思う。史実での接点はゼロなんだが。