解説 虞汜
-学三設定-
虞翻の四歳年下の妹で、虞翻が交州学区に行くまでは長湖部の幹部候補生であったが、姉が交州にいた頃はそのとばっちりで一般生徒に戻されていたこともあった。虞翻が学園を去るのと入れ替わりで再び長湖部の幹部候補生となり、長湖文化部の要である文芸部の会計などを務めてその実力を認められるようになった。
姉同様、基本的には腕力ではなく口で相手を言い負かすタイプだが、喜怒哀楽の推移が激しく涙もろいところのある虞翻に比べ、飄々として冷めた印象がある。孫綝が長湖部長就任の野望をはっきりと顕した時、虞汜はそれとない言葉でやんわりと諌め、思いとどまらせているが、その言葉は当事者以外にもとげとげしいものに聞こえたという。
非常に優れた軍才の持ち主でもあった彼女は、陸凱や朱績、丁奉といった名将の引退後、交州学区で起こった反乱を総代として平定し、長湖幹部会の重鎮として遇された。だが、彼女は何を思ったかその直後に引退を表明し、そのまま部を去ったという。彼女が何を思い、己の進退を決めたのか、その真実を知る者はないが、一説には「二宮事変」から続く学外勢力との抗争が水面下で行われており、陸凱や丁奉、更には中途で処断された呂拠らと共に彼女もその戦いに明け暮れていた、ともいわれる。しかし課外活動の話に主眼を置く学園史には当然その話について触れられているはずもなく、その真偽については陸胤の日記にのみ見る事が出来るとも言われている。なお、その記述が正しければ、虞汜も虞翻に匹敵する杖術の達人であったとも言う(そもそも虞翻の戦闘能力に関する話が秘話に類する話であるのだが)。
虞翻と虞汜の妹たちのうち、そのすぐ下の妹である虞忠は、長湖部最後の戦いの中で壮絶な散り際を見せたが、その下の虞聳、虞昞の双子姉妹、末妹の虞譚は東晋ハイスクール時代に生徒会役員として実力を遺憾なく発揮した。
-史実・演義等-
虞汜 生没年未詳
字は世洪。虞翻の四男にあたり、「会稽典録」という史書に拠れば交州の南海郡で生まれたとされる。その記述に拠れば虞翻の死後に都へ戻って出仕した際、虞汜は十六歳であったと記されている。
永安の初年(二五八年)に孫休が帝位に就くと、虞汜は賀邵、王蕃、薛瑩らとともに散騎常侍(皇帝の側近に当たる侍中府の高官)に任じられた。その少し前、呉朝廷の実権を握った孫綝が、自分を誅殺しようとした孫亮を廃位に追い込んで、その兄の孫休を帝位に迎えようとした際、彼は俄かに帝位簒奪の野望を顕にして、百官を集めて意見を求めた。孫綝と、その従兄弟で二五七年に病死した孫峻は、孫堅の弟である孫静の曾孫に当たり、血筋の上では帝位継承の権利を持っていたといえなくもないのだが、虞汜だけがこのとき反対意見を述べた。孫綝は渋々ながらこの意見を容れ、予定通り孫休を迎え入れて帝位につけたという。
二六四年、魏は交州に侵入し、その後王朝が晋に移っても交州の一部はその支配を受けることになった。孫皓の代には幾度か奪還作戦が取られたが失敗が続き、二六九年には虞汜を含む将軍達が指揮を取る大軍勢が交州に送り込まれた。彼らは二七一年に交州を再び呉領とすることに成功し、その功績によって虞汜は冠軍将軍・余姚候の爵位を与えられ、交州刺史を任されることになった。
虞汜は、爵位を受けてから間もなく世を去った。その年齢や、正確な没年については明らかではないが、生年に関しては虞翻が交州に流されたあとの生まれであることを考えれば夷陵の戦い前後の頃であろうと思われる(二一八年生まれ説もあるが、「会稽典録」の正確性は不明であるもののその記述が正しいなら、虞翻が二一九年の荊州攻略に関わっていたことを鑑みると整合性がない)。虞翻には虞汜の他にも十人の息子が居たことが解っており、五男の虞忠は晋の大侵攻のときには陸景らと共に宜都城で玉砕して果てたが、六男の虞聳、八男の虞昞、虞忠の子虞譚などは晋に仕え、人臣を極め名声を上げた。
-狐野郎が曰く-
「虞翻伝」では「彼(虞翻)の子供たちの中で最も名が知られていた」という記述がある虞汜。とはいえ信頼できる資料は少なく、その最大の功績と言えるのは交州の支配権を奪還したことぐらいなものである。その資料も失伝しているようだが、交州南海郡の生まれであるなら勝手知ったる生まれ育った土地なので、交州奪還成功には土地勘が大きく寄与していたのかも知れない。弁舌はどうだったかは解らないが、暴発はせぬまでも結局は孫綝は気分を害していたらしいので、親父譲りの毒舌はもしかしたら持っていた可能性も…まあ、我が儘放題好き放題していた孫綝が、逆上して虞汜を八つ裂きにしていなかったあたりは、常識的な正論であったり、そもそも皇帝の座を簒奪する野心を持ってた奴がその意見に渋々従う程度にはソフトな言い方だったのかも知れないが。
史実では親子の関係だが学三の環境では姉妹であるため、デザインの上では虞翻の焼き直しという形で、こちらは東方Projectの霧雨魔理沙が恣意的に混入されている。なのでサイドのお下げ髪は当初片側しかなかったが、現在はバランスを考えて両サイドに配置している。性格的には「マリア様がみてる」の鳥居江利子をイメージしてたらしいのだが本当にこんなんだったか?と自分が頭ひねる程度にはおかしいことになっている。かなり人を食った性格の持ち主として描写しており、陸凱に対してすら食わせ者ぶりを発揮している一方で朱績にはやや甘かったり、相手を見て振る舞いを決めているところはあるんじゃないかと思う。姉貴が姉貴だし違う方向性を目指しては居たはずである。その虞翻に対して実はこっそり「お姉ちゃん大好き」オーラを放っているなど、ツンデレではないけど何処か素直になりきれない妹キャラになっているのかも知れない。