解説 丁固


-学三設定-

長湖部の斜陽期を支えた名臣の一人に数えられる、会稽地区最後の長湖部俊英。
中等部に入った頃までは、長湖部の雑用運営スタッフの一人であった姉の丁覧共々、特に目立ったところのない何処にでもいる普通の少女であった。ただ、丁覧と同じ会稽地区出身で昔なじみでもあった虞翻は丁姉妹の非凡な才能を知っており、それとなく重く用いられるよう取り計らったという。
虞翻自身その言動が災いしたことで幹部会を離れていたりした事もあって、丁覧は結局その才覚を認められることなく卒業し学園を去って行ったのだが、虞翻は交州に流された後も、諦めることなく丁固の同輩たち(特に妹の虞汜)に彼女の優れた点をアピールし、懇意にするようそれとなく気を配っていた。やがてその話を小耳に挟んだ闞沢が実際に丁固に会うと、わずかの間に三歳年下の丁固と意気投合するとともに丁固の非凡さを見抜いて高く評価した。孫権も「徳潤さんの眼鏡に敵うほどなら」と丁固と面談してその才能を認め、彼女は陸凱らと共に中等部の幹部予備軍として長湖部に遇される事となった。
その頃から陸凱、そして同じく孝行娘としての評判から幹部会入りした孟宗のふたりとすぐに仲良くなり、気の強い陸凱、おとなしい性格の孟宗に対して常に泰然自若とした落ち着いた性格の彼女というトリオはめきめきとその頭角を現していくこととなる。特に組織運営手腕においては、長く長湖部を副部長(後に副会長)として支えた顧雍にも匹敵するとされ、やがて最後の長湖生徒会長である孫皓が就任すると、その政権下において生徒会書記長のポストにまで上り詰めた。組織運営だけではなく、孫皓の従姉妹である孫謙が盟主として担ぎ上げられた大々的なクーデターを鎮圧するなど優れた軍事的才幹も見せており、陸凱引退後は短い期間ではあったものの長湖部の最高幹部として一身を全うした。だが、彼女の優れた手腕をもってしても長湖部の崩壊は避けられ得ぬ運命であり、彼女は最後の悪あがきを張悌に託した際、その性格的に言っても無駄だと悟りながらも「ダメだと思ったらもう全てを擲って逃げたっていい」と言い残している。
また一説には陸凱や丁奉と謀って孫皓の長湖部長罷免計画を練っていたとされる。その計画は実行に移されることはなく、そのことが公になって陸凱が引退したという噂も立っていたものの、その後に計画加担者の丁固は処断されるどころか三役にまで昇進しているので、「あくまでその計画は噂に過ぎない」という者もいる。


-史実・演義等-

丁固(丁密) 一九八~二七三
字は子賤。会稽郡山陰の人。
彼の父である丁覧と共に清廉な人柄で知られ、若い頃から名声があった。父子共々虞翻とは深い親交があり、それを聞きつけたらしい闞沢もまた、物心つかない頃の丁固を見て「この児は将来、必ずや人臣位を極めるだろう」と言ったといわれる。その闞沢の言葉通り、丁固は成長すると、二六二年には御史大夫に、二六八年には三公のひとつである司徒の位にまで昇った。丁固はあるとき、己の腹からにわかに松の木が生えてくるという不可思議な夢を見たが、目覚めたときの丁固は「十八年後にわしは三公にまで昇るだろう」と周囲に言ったというが、その際に訝る知人に対し「松の字を分解すると【十】【八】【公】になるから」と理由を説明している。二五七年の会稽郡反乱の際には鐘離牧と共にその乱の鎮圧に当たり、二六五年の武陵遷都の際には、建業の守りを任され、翌年に起こった永安候孫謙(孫皓の従兄弟)の反乱軍を撃退する功績を挙げている。
顕職に身を置きながら、彼は陸凱や孟宗らと共に、呉国の行く末を深く憂えていた。一説には陸凱や丁奉と共謀して孫皓の廃位計画を立てたと言われているが、その後丁固が三公に昇進していることを考えれば、その事件が事実無根であるか、その顛末にあるように参加を誘われていた留平が他言しなかったことが考えられる。二七三年、七十六歳で死去。
丁固は元々丁密という名前であったが、同僚であった滕密(孫皓の后であった滕夫人の父)と同じ諱であったため、それを避けて「密」から「固」に改めたという。滕密も同じようにして「密」の名を「牧」に改めている(ゆえに史書では彼の名は「滕牧」とされている)。


-狐野郎が曰く-

情報が少なすぎて陳寿が立伝を諦め、関係するそこらの伝に業績を散らかしている人物はそこそこ居るが、丁固もその一人である。簡単な人物像は虞翻伝にあるものが主となっているが、何しろ三公にまで昇ったこともあって孫皓伝にもちらほらその名が見いだせる。呉書の其処彼処に散見されることもあって行状を追うのはなかなかしんどいものの、それでもまとめれば厳畯伝や程秉伝よりは文章量ある気がするのは気のせいだろうか。まあ、仮に立伝するとしても誰とセットにするかが難しいところなのかも知れないが。そもそもコーエーの三国志はⅩまで少なくとも登場していない辺り能力査定も難しいのはあるんだろう。当然のように演義には登場してないし、孟宗みたいに別件で有名だったわけでもないし。
不思議な夢に関する話は他にもいくつかあるが、自分の体からなんかありえないものがにょきにょき生えてきた場合、その物体の漢字を分解して夢占いした話は他に魏延の「角の夢」もあるけど、丁固の場合は吉夢になるんだろうか。もっとも、帰命侯孫皓時代に高官に昇ることが果たして本当に吉事であるかどうかは怪しいところだが、少なくとも彼や陸凱、孟宗なんぞは一身を全うしているのは確かだ。孫皓を暗殺しようとしたのもあくまでウワサに過ぎぬとされているが、それでも彼や陸凱のような最高幹部が関わっている話が正史に収蔵されているあたり、本当にアカンことになってたんだと思わざるを得ない。
デザインのモチーフは「ポップンミュージック」のサユリが大元になっているが、当時からデコ全開ではなかったので今回少しリファインして前髪だけ美結さん化()している。三公のポジションを生徒会三役の何に当てはめるかは解釈の分かれるところだと思うが、この場合は書記繋がりだろう。おかげで昔の特徴の無いデザインが、前髪部分にメリハリが利いた良い感じになったのではないかと思う。あと、個人的には小柄だけど結構ナイスバディとか言う、わりとどうでもいい設定がかつてあったらしいがそっちは多分陸胤が持ってった(