解説 周泰


-学三設定-

学園都市において劉氏蒼天会政権の末期頃、甘寧率いる「チーム銀幡」と長湖湖畔の校区で勢力を二分したレディース「湘南海王」のナンバー2。チームリーダーである蒋欽や甘寧共々、「全校区夜露死苦番付」の南の夜虎痛奈(ヨコヅナ)級にランキングされていた猛者である。
基本的に無口、そして生来のものであるライトグレーの髪から「湖南の狼」の異名をとるが、女だてらに古武術の達人で、その洗練された一撃必殺の武術も相まってレディース時代は気に食わない相手を徹底的にぶちのめし再起不能にまで追い込んでしまうほどの暴れん坊だった。孫策が湖南で快進撃を続けていた頃、チームのたまり場に単身乗り込んできて度胸試しも難なくこなす孫策の上等ぶりに感銘を受けた蒋欽が、無条件で協力を承諾しかけた段に異を唱えて孫策に挑みかかったが徹底的にやっつけられ、帰順して以後は孫権のお守り兼ボディガードに任じられた。最初は陰でぶちぶちと文句を垂れていたが、そのうち孫権にもよく懐かれるようになり、孫権をまるで自分の妹のように思うようになった彼女もまた、孫権の為に命を惜しまず任務を全うするようになった。そんな折り孫権が山越高の不良チームの残党たちに囲まれる事件が起きたが、周泰は孫権を人質に取られその隙を伺うため、全身に無数の傷を負わされ出血多量で意識が飛びかけながらもその隙を伺い、終には一瞬の隙を見せた瞬間に数十名を病院送りにして孫権を救い出した。この時の怪我により一時生死の境を彷徨ったが、全身に無数の傷を残しながらも生還、以後も孫権のボディガードとしてその傍らに侍す彼女の姿は長湖部の日常風景となった。
やがて元チームメンバーとは別個に一部隊を任されるようになるが、長湖部に参画する生え抜きの主将たちからの風当たりが強かった。孫権は周泰を認めさせるため、周泰の身体の傷を皆に見せて彼女の忠烈ぶりを讃えたというが、本人はいい迷惑であったかもしれない。結局それが余り切欠になったかわからぬところだが、なんだかんだで長湖部の実働部隊で重きを成すようになったが、そうなって以後も課外活動を全うするまで常に孫権の傍にあり続けたという。


-史実・演義等-

周泰 生没年未詳
字は幼平、九江郡下蔡の人。演義では蒋欽とともに九江周辺を荒らしまわっていた湖賊の頭目で、孫策の江南平定の際に孫策に帰順したことになっているが、正史に拠れば孫策が袁術の庇護下にいた頃に側仕えとして仕官したひとりであった。孫策には慎み深く仕え、従軍してしばしば手柄を立てたと言う。
孫策が会稽郡に入ると、周泰は別部司馬に任じられ兵士を預けたが、孫権は周泰の人となりをいたく気に入り、孫策に願って自分の配下とした。孫策が九江の六県の山越討伐に出向いていた際、孫権と周泰は宣城に居たのだが、その兵力が少ないことを知った山越の不服住民が大挙して押し寄せ、孫権の身はたちまち危うくなった。周囲の者が慌てふためく中、周泰は勇敢にも身一つで孫権を救い出し、不服住民を撃退したものの、全身十二箇所に傷を負って意識不明の状態に陥った。一命を取り留め、戦線に復帰した周泰は江夏攻略、赤壁の戦い、南郡攻撃といった主要な戦いに参戦し、曹操と合肥・濡須で争うようになると濡須の督に任じられ、その守りに当たった。
彼が濡須督であった頃、その部下には朱然や徐盛が居たが、彼らは寒門(身分の低い家柄)の出である周泰を軽んじてその指示に従わなかった。それを聞きつけた孫権は濡須に赴いて酒宴を開き、その席で周泰に衣服を脱ぐよう促し、全身の傷ひとつひとつの謂れを説明させた。この一件があって後、朱然らは周泰に感服し、以後その指示に良く従うようになったという。
荊州攻略の後、周泰は候に奉ぜられ、名誉職としての漢中太守に任ぜられた。正史に拠れば周泰は黄武年間(二二二~二二九)の間に死んだ、とのみ記されており、死んだ時期と原因、享年などは一切不明である。ただ彼の死後、息子の周邵が軍を預かり、石亭の戦い(二二八年)で活躍したと言う記事があるので、おそらくはそれより前の二二七年ごろに世を去ったのではないかと思われる。


-狐野郎が曰く-

狐野郎がその大半の記述を嫌う「爆笑三国志」では、孫権専属のボディーガードなどと呼ばれる周泰。実際これに関してはあまり否定の余地はなく、無双でプレイアブルキャラになった3でも無口な居合使いとなったがそのイメージも合わせた周泰像がすんなり受け入れられた気がする。ちなみに「恋姫無双」のほうが結局受け付けなかった原因は、その両方が甘寧に振られたのが一因というものもある。実際は孫姉妹()が褐色娘だったのが気に食わなかったからが最大の理由だが
演義では蒋欽共々川賊あがりということにされているが、正史ではそんな記録はない。完全な演義の創作であるが孫呉は破落戸集団とでも言いたかったんだろうか。でも関羽に付き従ったオリキャラ周倉や廖化も黄巾賊あがりだしなあ。ただ周泰については「孫権をその身一つで救い出した」というエピソードが余程羅貫中のお気に召したのか、合肥の戦いでも全身に無数の傷を負いながら孫権を救い出し、戦場に取り残された徐盛を救い出すため、再度切り込んでまたしても無数の傷を(以下略)みたいな勢いでひたすら名誉の負傷を増やしまくる役どころにされている。史実でも演義でも、文字通り「傷だらけの人生を送った漢」にされている感もある。もっとも合肥の件については正史だとそれ凌統の役周りなんだが。あと宣城の一件のあと、演義では周泰を救ったのはスーパードクターKもとい華佗先生であるらしい。史実ではどうだかわからんが。
学園三国志環境においてもその立ち位置は演義・正史とほとんど変わらない。狐野郎はそこに「古武術の使い手」などという設定を勝手に加えていて、なおかつ沙摩柯も同じ武術を使っているなんて展開もやっているのだが、これは丁度その頃「バキ」の最凶死刑囚編を読んでて、ドリアンと烈海王が対峙してたときのイメージを反映させたかったのがあったと思う。明記はしていないがこの古武術は「餓狼伝説」でアンディ・ボガードが用いていた骨法をイメージしていたので、周泰が沙摩柯をぶっ飛ばしたときの技は斬影拳をイメージしてもらえば概ね間違いは無いと思う()