解説 楽進
-学三設定-
「蒼天通信の斬り込み隊長」というキャッチフレーズで袁紹をも恐れさせた人物。その実、曹操よりもさらに背が低いドングリ坊やのような少女であった。
曹操が張繍との戦いで一敗地に塗れた直後頃、当時まだ一般部員だった楽進はひとり早朝の豫州校区でジョギングをしていたところを、たまたま近くのクリークに釣りに来ていた曹操にスカウトされ、主将見習いに抜擢された。当初は軍略は勿論武芸の心得らしいものも持ち合わせていなかったが、張遼の指導で柳生新陰流を学び、さらに荀攸を教師に実戦で主将としてのイロハを叩き込まれた彼女は、秘められた才能を開花させて瞬く間に剣道部のエース級となると同時に、危地にあって決して引くことがないと称された猛将へと変貌する。剣道部のマネージャー李典とは大の仲良し…とゆうか一方的に懐かれている。しかし武の師と言える張遼とも懇意だった彼女は、やがて張遼の副将として徐州校区入りしてからも李典と張遼の対立に胃を痛めるハメになる。
とまぁ日常生活ではやや苦労人の楽進であるが、一旦戦闘となると日ごろの鬱憤を晴らすかのように、先頭きって猛然と敵陣に殴りこみ、罠があってもその罠ごと敵陣を叩き潰す。全身そこいら中生傷が絶えず、本人も最早多少の傷が残ることを屁とも思っていないところがある。そんなこんなで誰が呼んだか「引き知らずの楽進」。最終的には合肥・濡須攻防戦において、凌統との一騎討ちに紙一重の差で敗北し、その怪我が元で引退を余儀なくされたという。
-史実・演義等-
楽進 ?~二一八
字は文謙、陽平郡衛国県の人。体つきは小柄であったが、胆の据わった人物であり、その肝っ玉ひとつで曹操に付き従った勇将である。
そんな勇将楽進も初めは軍の記録係に就いていた。曹操の元に仕官した時期については詳しく言及されていないが、直後に兗州を乗っ取った呂布攻撃に参加している事から、曹操が兗州に腰を落ち着けた頃であろうと思われる。兵を預けられた楽進は濮陽城攻略、雍丘地方へ逃れた張超攻撃、袁術の支配地である苦地方の攻略戦などでいずれも一番乗りの戦功を立て、その抜群の働きが認められ候に封じられた。その後も徐州で反旗を翻した劉備を打ち破り、官渡でも烏巣の兵站地を守る淳于瓊を討った。その後、曹操の北伐では南皮城に一番乗りしている。
冗談かというぐらい史実でも「一番乗り」の戦功が多い将軍であり、この働きぶりに曹操は于禁、張遼とともに楽進を讃え、帝への上奏文の中で「武力に優れ、計略は行き届き、忠義にして純一。戦闘では自ら陣頭に立って必ず敵陣を打ち破り、別軍を預けても軍中の和を重んじ、命はよく奉じ、決断にも失敗はない」と楽進を絶賛している。この上奏により、張遼や于禁とともに将軍(楽進は折衝将軍)の位を与えられた。
曹操が荊州に入ると襄陽の守りにつき、逃亡する劉備軍団をさんざんに打ち破り、その威によって南郡の蛮族たちがこぞって彼に帰順したと言う。赤壁の戦いの頃に節を貸与されたが、赤壁での敗戦後は張遼の指揮下で李典とともに合肥を守護した。楽進と李典、そして張遼は平素その仲が良くなかったと言うが、温恢や趙儼といった者達が仲を取り持ち、結果として合肥・濡須ではよく団結し、曹操の指示を奉じて当地をよく守りきることが出来た。因みにそのとき、楽進は(その戦歴から考えると意外なことに)合肥城の守備担当であった。
楽進はその戦いの後間もなくの建安二十三(二一八)年に世を去った。演義では合肥の戦いの最中、凌統を討つ直前で甘寧の放った矢を真眉間に受け、討ち死にしている(余談だが、演義ではこのことがきっかけで凌統と甘寧が和解したことになっている)。
-狐野郎が曰く-
はっきり言うと「蒼天航路」という作品のキャラで見た場合、狐野郎の中でも五指に入るほど好きなキャラである。実際作中での登場回数はさほど多くはないものの、とにかく登場する回ではインパクトがハンパではなく、長坂橋で張飛と対峙したときの「楽進が初めて退いた!!」という荀攸のシーンを初めて見たときはきっと狐野郎も荀攸おじさんと同じ表情をしていたのかも知れない。そもそも初めて兵を率いたとき荀攸から「楽進殿この先は危険だ!地形が妙だ!!」って注意喚起された次の瞬間「行ってみよう」の一言。そして荀攸の軍師ぶりを曹操に訊かれた時には「すべてに従いました」…おいおい話聞いてなかっただろお前wwwとツッコミを入れつつこの何だか良くわからん漢にハートキャッチ(概念)されていた狐野郎が一匹存在したわけである。なんかそのせいか楽進と荀攸ってワンセットみたいな感じするけど、彼の最後の見せ場の時には荀攸おじさんは身罷っていたんだよねえ。だけどこの漢の最後の姿は、曹操を筆頭とした将軍達の心に確かな火種を点していたようであった。うむ、やはりこの楽進を語るとどうしてもいろいろ書かなくてはという強迫観念がえごい。
そんな楽進だが、あれだけ史実でも演義でも気づけば一番乗りしてるような猛将なのに、何故か「SUPER三国志」(SFC版の)だと何故か武力が44しか無いという「はぁなにいってんのおまえ!?」みたいな有様だった。マジでなんでなのかわからん。演義では呂布相手に一番槍付けているんだが…? 直近ではその辺りも認められてようやく90台近くまで設定されているけどそれでも90割ってるとかなめとんのかコーエー。
学園三国志版の楽進は、流石に「蒼天航路」のようなアレではありませんが…不仲な張遼・李典の板ばさみにあって何処か苦労人。正史や演義と違って、その二人と仲がいいという設定から生まれた楽進の悲劇とも言うべきなのでしょうか(w)。最学三楽進はどうも苦労性気質のようで、「蒼天航路」の楽進をデフォルメするんだったらもっとどこかの伊之助みたく常に「猪突猛進!」とか言っててもおかしくないような気がするけど、なんか張遼と李典の板挟みに遭って色々心労が多いみたいなのよね。キャラ的には色々惜しいところである。あとデザイン的なモチーフは特に触れられてなかったけど、恐らくは「痕」の柏木梓ではないかと思われる。こんなスカーフェイスではないんだけど。