解説 簡雍


-学三設定-

帰宅部連合においても一番の古株。一説には劉備が関羽・張飛両名と出会う前から劉備とつるんでいた悪友であるとされる。
家はそれほど裕福でもなかったろうが、それでも何故か何十万もするような一眼レフカメラや、スマートフォンも常に高性能カメラ付きの最新型携帯機種を持ち歩いており、その盗撮技術は天下一品と(劉備に)称される。言ってみれば劉備の非公認学園新聞「鬼嚢新報」の専属カメラマンであり、劉備に従って学園を転々とした。本人も「毛虫より弱い」と自称するほど戦働きとは全く無縁(ただし逃げ足は天下一品)だがかなりの口達者で、学園都市中を流浪する帰宅部連合の受け入れを打診する使いの役目も多く果たしている事でも知られる。
飄々とした性格で口も悪く、相手が何様であろうが態度を変えることは絶対になかった。カメラ等々は常に良いものを揃えるぶん身なりはよろしくなく、容姿服装にも無頓着。平時は諸葛亮とつるんで長湖部幹部会メンバーの盗撮に赴いたり、法正その他をおちょくって遊んだり、引退した劉璋の遊び相手になったりと学園のそこらじゅうでその姿を見いだせる。その劉璋からは不思議と気に入られており、益州奪取戦で劉璋を説き伏せたのも簡雍であったと伝わっている。


-史実・演義等-

簡雍 生没年未詳
字は憲和、幽州涿郡の人。元々の姓は「耿」であったが、幽州では「耿」と「簡」の発音が同じだったことから混同され、簡姓を名乗るようになったとも言われる。
劉備とは旧知の仲であり、その旗揚げの頃から劉備に従って各地を転々とした。やがて劉備が荊州に落ち着いた頃、糜竺や孫乾とともに従事中郎の役職に任命され、常に劉備の傍にあって話し相手となったり、使者として方々に赴いた。益州入りにも随行し、劉璋にとても気に入られたこともあり、簡雍は成都包囲の最終段階で劉璋を説得する使者となり、劉璋を降伏させることで無血開城させた。この時劉璋は簡雍を輿に同乗させて劉備の元へ赴いたと簡雍伝にあり、劉璋がいかに簡雍を気に入っていたかを伺わせる。この功績により、簡雍は蜀平定後、昭徳将軍に任じられている。
傲慢な性格で、物事には無頓着、劉備が居る席ですら足を投げ出して肘掛に寄りかかるというだらしない格好をしていた。まして諸葛亮以下の者に対しては、自分だけ長椅子を占領してそこに寝転がり、そのままの姿で応対してその態度を変えることがなかったという。反面、のびのびとした態度で見事な論を成し、使者の役目を見事に果たしていたという。
また、こんなエピソードもある。あるとき、旱魃で米が不足したため、禁酒令が発令されたことがあった。役人がある家から醸造の道具を没収し、裁判官がそれを禁酒を破ったものとして処罰しようとした。そんな折、劉備は簡雍と散策に出かけ、その際に簡雍は若い男女を指差し「連中は淫行(性行為)に及ぶつもりだぞ。何故捕えて処罰しないんだ?」と言った。劉備は不思議に思い「何故そんなことが解る?」と聞き返すと、「奴らは淫具(性行為の際に使われる道具)を持っているだろう? 酒造りの道具を持っているから禁酒令を破ったってのと一緒じゃないか」と答えた。劉備は大笑いし、まもなく裁判官に命じて、その醸造道具を持っていたものを無罪放免にさせたという。このことからも、簡雍の問答の巧みさが伺える。
正史においてはこれ以上の記述はなく、何時頃亡くなったか、その一族がどうなったかなどは一切不明である。


-狐野郎が曰く-

学三における帰宅部連合の(ある意味)最凶の女、「敏腕パパラッチ」簡雍。劉備旗揚げの頃からその後にくっついて歩き、紆余曲折をともにしてきたことは正史が語る通りであるのだが、学三環境では史実とはまったく無関係のところで大活躍。時に己の欲望を満たすため、またあるときには法正の逆襲から逃れるべく、帰宅部五虎を向こうに回して大逃亡戦をやってのける。SSでは彼女の逃げ足(キックボード使用)で馬超の豪脚は勿論の事、黄忠厳顔コンビの精密乱射をことごとく回避、さらには暴走状態の趙雲を口先で丸め込み、隠し持ったスタングレネードで張飛の動きを封じ、魏延も暗室で翻弄する…こと「逃げる」事に限定するならまさしく天才的。流石に武神・関羽まではどうにもならなかったとはいえ、この逃げっぷりの凄まじさはかの鬼舞辻無残も真っ青だろう(んなバカな)。ちなみにこの話、普段簡雍におちょくられている法正が「アイツ(簡雍)をきちっと着飾らせて写真でもとってやろう」と言い出したのに劉備と諸葛亮が悪乗りしたのがきっかけでそうなった、学三らしいカオスな日常SSで、オチに「きちんと着飾らせた憲和さん」のイラストも寄稿されていて、本家の人物スレではちょっと祭りになっていたようだ。
そんなわけで学三では大活躍の簡雍なのだが、正史では記述が少なく、簡雍伝以外でその名を見出すこともほぼない。蜀書のオマケ「季漢輔臣賛」ですらその名を見いだせないのだから相当である。劉備の蜀入りでは結構重要な役目を果たしているはずなのだがなあ。