解説 夏侯淵
-学三設定-
曹操・夏侯惇と共通の、かつ別々の従姉妹にあたる。幼い頃からモトクロスに親しみ、高校に入る直前には既にレーサーとしてのライセンスを有していた生粋の走り屋で、原付免許を取る前からこっそり親戚から借りていた大型バイクを乗り回していたりしたという。しかも当人は体力作りの名目で弓術や剣術も修めており、こちらの才能も優れていた。特に弓の腕前は百発百中で、しかも大の大人の男ですら引くのに難儀する大弓を軽々引けたほどだった。
どちらかというと自由人気質であったが、曹操の挙兵に呼応して集まった後には部下に宛がわれた一般部員達に対してよく面倒を見ており、人望も厚かった。部下の一般部員が不運にも校則違反の濡れ衣を着せられた際には、彼女が身代わりを申し出たが、それを察知した曹操の手により事件そのものが有耶無耶になって救われたというエピソードもある。
とにかく走り屋としての何かがあるのか、彼女の軍団は選りすぐりの走り屋で構成されており、その速度を活かした電撃戦を得意としていた。「蒼天通信のスピードクイーン」の渾名を恣にしており、関中陸上部連合と戦っていた頃にはその噂を聞いた馬超がスプリントで夏侯淵のバイクを追い越そうという無茶を言い出した(当然韓遂に止められた)一幕もあった。この一連の戦いにおいては特に夏侯淵とその軍団が「速度」を活かした電撃的な追撃戦が光る戦いであり、この功績を持って夏侯淵は漢中アスレチックの司令官としてその地の全権を任されることとなる。
彼女は張郃、郭淮のサポートを得て漢中に攻め寄せる劉備軍団を迎え撃つも、相手の器を読み違えて張郃が一敗地に塗れたのをきっかけに次第に旗色が悪くなっていく。それでもスピードを活かして広範囲に戦線を拡大することで劉備の軍団を各個撃破させようと展開し対抗するが、そのため本陣が手薄になったところに黄忠の奇襲を受けた。正確無比な黄忠の射撃に翻弄され、弓を構えての反撃もままならない夏侯淵はなんとか反撃のタイミングを掴んで接近戦へ持ち込もうとするも、それこそが黄忠の罠であり、黄忠が近接戦の切り札とする組み技からの大外刈りをまともに食らって昏倒。そのまま階級章を奪われ、リタイアした。曹操は股肱とも恃む彼女の脱落を訊いて憤慨し、夏侯覇ら彼女の妹達をユース参加させ幹部候補生とするが速いか、劉備と雌雄を決するべく大軍を発し、漢中アスレチックで激突することとなる。
このような話もある。夏侯淵が各地の棟長を歴任していた頃、学内の所定の場所であれば(一応モトクロスの大会練習という名目で)堂々とバイクを乗り回せるという特権を手に入れ、週末の夜には嬉々として峠攻めに興じていたが、彼女はそこに残るコースレコードを超えることを目標としていたようだ。後にそれは、かつて呂布が遊び半分で叩きだしたものであることが判明するのだが…。
-史実・演義等-
夏侯淵 ?~二一九
字は妙才、夏侯惇の従兄弟に当たり、曹操ともまた別の従兄弟という関係にある。
曹操が郷里の譙県に居た頃、ある事件により投獄されそうになった曹操の身代わりになって重罪を受けたことがあった。このときは曹操が後に巧く彼を救出して事なきを得たという。また別の書物によれば、この地は当時様々な事変により混乱状態であり、夏侯淵はその混乱の最中に死んだ弟の娘を、己は飢え、その幼い子供を失ったのと引き換えに救ったとある。これらのことから、自分を省みずに他者を助ける義侠心に篤い人物であることが伺える。また武術、特に弓の腕前は魏将の中でも随一であり、演義ではある宴の余興で腕自慢の将達が次々に的を射て、最後に名乗りを上げた夏侯淵が諸将の射たど真ん中を射貫いてその技術を称揚されている。
曹操は挙兵すると、夏侯淵を別部司馬・騎都尉として随行させ、やがて陳留や潁川の太守を任せた。官渡の戦いの後は兗・豫・徐三州の兵糧を取り仕切らせたが、兵糧が欠乏気味であった北伐軍を支えたのは、夏侯淵の後方支援によるところが大きかったという。しばらく後に謀反や反乱が頻発すると、夏侯淵は軍を率いてそれらのことごとくを平定したが、この功績によって典軍校尉、やがて行護軍将軍となり、関中軍閥の掃討後は仮節を与えられた。
伝を読み解くと、夏侯淵は急襲を得意とし、常にその速さで敵の意表をつく戦い方をしたといい、いずれの戦いにおいても間髪入れない電撃戦によって敵を打ち破っていることが解る。曹操は布令によってその撃破の速さを賞賛しており、軍中でも「典軍校尉の夏侯淵、三日で五百(里)、六日で千里」と囃されるほどであった。しかし一方で、曹操は「指揮官たるもの、臆病なときもなくてはならない。勇気だけを恃みにしてはならないのだ。指揮官は勇気を基本とすべきではあるが、行動に移すときは智略を用いよ」と戒めている。演義などではこのとき「武勇だけでなく、妙才を見せてみろ」と戒めたという風な表現をしているが、これは夏侯淵の字に引っ掛けてからかう意図もあったのかも知れない。
漢中が平定されると、夏侯淵は征西将軍として、張郃、郭淮らの諸将を統率してその地の守備に当たった。間もなく、この地を狙って劉備が益州より兵を発すると、夏侯淵も漢中の諸軍を率いてそれと対峙、陽平関のあたりで数ヶ月あまり睨みあった。二一九年正月、劉備軍は夜陰に紛れて夏侯淵軍の陣を取り囲む逆茂木に放火して回り、東側に陣取っていた張郃の軍を急襲して散々に打ち破った。夏侯淵はそれを救うために自分が率いている本隊から軍勢を裂いて送ったが、そうして手薄になったところへ黄忠に襲撃され、斬り殺された。
夏侯淵の息子は解っているだけでも七人おり、中でも有名なのは曹爽の処断のとばっちりを受けて蜀へ亡命した次男の夏侯覇であろう。演義では次男の夏侯覇、四男の夏侯威は武勇に優れ、六男の夏侯和、七男の夏侯恵は智謀に優れていたというように紹介されている。
-狐野郎が曰く-
正史だと劉備は張郃の方を恐れていたのだが、「蒼天航路」だと夏侯淵の引いた弦の音を聞いた途端トラウマを呼び起こされて真っ青になっていたシーンもあった。これは劉備が曹操のところに世話になっていたとき、戯れに無茶な賭けやってたときに、正確無比な夏侯淵の騎射で関羽を取られかけたことにあるんだけども、とにかく「蒼天航路」ではほとんど弓しか使っていない気がする。一方「三国無双」だと2の時までは何の変哲も無いただのおっさんで、ほとんどモ武将と代わらないスタンダードすぎる性能だったんだけど…ああいや、弓チャージが黄忠と同じ仕様の広範囲攻撃だったり、猛将伝の追加ユニーク武器のチャージ6が斬属性持ちで非常に使いやすいキャラだったとは思うんだけど。そのチャージ6が曹操とほとんど一緒だって?知らんがな(´・ω・`)(
無双でも絡みがあるが実際正史でも黄忠は因縁の相手であり、黄忠伝には「夏侯淵を急襲して斬った」とあり、夏侯淵伝では「戦死した」と明記されているので、(多少こじつけじみているが)演義同様出会い頭に真っ二つにされたというのも案外史実だったのかも知れない。その行軍速度に関しては軍中のザレ歌もさることながら、曹操を何十年も苦しめていた賊軍をただ一戦で粉砕してのけたのもその「速さ」によるものだったようだ。「速度」と「弓」、将軍としての夏侯淵が持つ無二の個性であるが、後者に関しては完全に黄忠に奪われてしまった感がひどい。というか黄忠の項目でも触れているが、黄忠が弓の名人であったという伝承も、夏侯淵を斬って捨てたという史実に拠るところが大きいのではないか、と思う。
学三では「走り屋」のイメージが強すぎて、弓に関係する話には一切触れられていないようであるが、まあ確かにあまり弓でドンパチやるってのはイメージしづらくはある。「ニンジャスレイヤー」では日本列島の端から端の距離でスリケンを投げ合ったとかいうあまりにもバカなヤバイ級の長距離イクサをしたリアルニンジャ達も居たらしいので、当時にニンジャスレイヤーのそうしたトンチキエピソードが知られていたら、夏侯淵と黄忠の対決に持ち込んだ人もいたのかも知れないと思えば惜しい話である(彼は真顔で筆を置いた)。