解説 許褚


-学三設定-

曹操専属のボディガード。公式的には曹操が兗州校区総代になった頃、黄巾党の残存勢力相手に四苦八苦していた頃、その首謀者の身柄を巡って曹操のボディガードであった典韋と争い、それと互角以上に立ち回るパワーとタフネスが認められて曹操にスカウトされたことで「蒼天通信」に参入したとされる。ところが本来なら秘話に類する話にもかかわらず、実は幼少期に曹操と面識があり、以後疎遠となっていたことも堂々と学園史に綴られている(陳寿は「信憑性のない異聞」と」一蹴し一切レポートには残していない)。
小学生の頃、その凄まじい怪力で同級生に大けがを負わせてしまい、学園都市に転校してきた。図体が大きいくせに、ひたすらマイペースな性格で動作も緩慢で反応がにぶいことから、クラスではちょっと浮いた存在だった(本人はまったく意に介していないが)が、とにかく彼女に捕まったらヤバいことだけは周りの誰もが知っていたので好んで近づく者は居なかった。ひとつ年上だった曹操と知り合ったのもそんな折りで、曹操は純粋な彼女と同じぐらい純粋だったからすぐに仲良くなったのだが、曹操が中等部に上がる頃、校区が違ってしまうことからお互い大泣きしながら別れることとなった。
夜空を見るのが好きで、中等部に上がると天文同好会(部員一人)を立ち上げるが、部費の確保のために仕方なく女子プロ部(黒山リングス)も掛け持ちし、「ファイトマネー」という名目の特別報酬を部費に充てていた。女子プロ部長である張燕も彼女の怪力とタフネスには一目も二目もおいており、リングネーム「タイガー虎ちょ」として稼ぎ頭となっていたようだが、興行中にバッタリ曹操と再会、思わず試合放棄して逃げ出した彼女に曹操は言い放った。
「あんたが何人のギャラリーを湧かせるために女子プロ部に入ったかは知らないわよ!
 でももし、万で数えるギャラリーを湧かせることを考えるなら、またあたしと一緒に来なよ!
 以後の学園生活、ずっとだよっ!」
こうして、怪童は帰還した。
以後曹操の元で専属のボディーガードとして活躍し、無茶な上に割とヘマをやらかす曹操を何度も助け、赤壁島の決戦、陸上部とのバトルではその剛腕ぶりを発揮した。ちなみに張燕は許褚がさほど頭が良くないこと、そこまでがめつい性格ではないことを知っての上で彼女のファイトマネーを多めにピンハネしていたらしいが、それを知って張燕から差額分を接収した曹操は許褚の為に立派な天体望遠鏡と、それを設置する専用の部屋を許棟にこさえてやったという。
強力無双で格闘術の知識は無かったものの、それでも天性だけで戦い抜いた許褚のパワーをもってしても「年齢差」という壁をぶち破ることは出来ず、またしても先に卒業する曹操との別れの際、やはりまた号泣し、勢いで咽喉を痛めて吐血したほどであった。しかし曹操は「天文同好会部員として、あんたが卒業するまであたしが週一で「部会」に来るから、あんたはうちの妹達を助けてあげて」と約束し、卒業までの一年主要な戦場に出ることはなかったものの曹丕、曹叡の傍らでボディーガードを務めた。勿論、約束通り卒業までの一年間、曹操はふたりきりの「天文同好会」としての学園生活も全うした。
なおやたら天文の知識だけには詳しいのだが、そのくせ「月は15個ある」と固く信じており、誰に指摘されても考えを改めようとしない。


-史実・演義等-

許褚 生没年未詳
字は仲康、譙国譙県の人。身長は八尺余り(約190センチ前後)、胴回りは十囲(一囲は五寸。約120センチ前後)という巨漢で、容姿は雄々しく毅然としており、武勇も膂力も人並み外れていたという。
かつて許褚は一族郎党数千人とともに、その地を荒らしまわる賊の攻撃を防いでいたが、そのとき大きさは枡ほどもある石をいくつも集めさせ、賊が攻めてくると砦の櫓からそれを片っ端から投げつけ、当たったものはことごとく五体を吹き飛ばされるという有様で、賊は恐れて砦に近づくのに二の足を踏んだという。やがて食料の欠乏により賊と和解することとなったが、そのとき食料と交換した牛が許褚たちの元へ戻ってきてしまったため、許褚は片手で牛の尾を引っ張り、賊の陣営に返しに行った。その怪力ぶりに恐れをなした賊徒は、牛を受け取るどころかそのまま陣を引き払って逃亡してしまったという。この一件により、許褚の名は広く知られるようになった。
曹操が汝南地方を平定したとき、許褚は一族を率いて曹操に帰順した。その勇壮さに感心した曹操は、古の壮士に例えて感心し、許褚はこのときから曹操専属のボディーガードとしての役割を与えられ、従っていた者たちも皆近衛兵として召抱えた。張繍討伐に参加した許褚は、持ち前の武勇で五桁にも上る首を上げ、その功績によって校尉を加官された。
官渡の戦いにおいても曹操の側近くに侍し、常に周囲に目を光らせていた。この頃、曹操の近侍の一部が曹操暗殺をもくろんだが、許褚を恐れてなかなか手が出せず、許褚の休暇を狙って犯行に及んだ。しかし胸騒ぎを覚えた許褚は曹操の元に駆けつけ、暗殺を目論んだ者たちはその場で許褚に屠られる運命をたどった。曹操はますます彼を可愛がり、常に側近くにおいて、同行させるようになった。
渭水の戦い(二一三)では、馬超軍の急襲にあって混乱する中、曹操を船に乗せ、飛んでくる矢を片手に持った馬の鞍で防ぎながら、空いた手で船の魯を漕ぐという離れ業をやってのけた。その後曹操は馬超・韓遂と単騎会談を行ったが、馬超はひそかに曹操を殺すつもりでいたものの、傍らにいた許褚が常に目を光らせていたので実行に移せず終わった。この際、馬超は「公には虎侯という者が居るそうだが、何処に居るのかね」と尋ね、曹操もその意味を悟って傍らの許褚を指し示したという。曹操軍中では、許褚の怪力は虎のようであり、そのくせ普段はぼんやりしていることから、彼のことを「虎痴」(「痴」はぼんやりしている者の意)と呼んでいたというが、馬超はこのことを何処からか聞き及んでいたのだろう。
ふたりの信頼関係は絶大のものであったらしく、あるとき曹仁が曹操が出座しないうちに登殿し、外に侍していた許褚を雑談に誘い入れようとしたことがあった。許褚は「王(曹操)は間もなく御出でになるでしょう」と言ったきり、曹仁の誘いを受けず立ち去ってしまった。曹仁は許褚に対して不快感を抱いたが、後にそれをある人に咎められた許チョは「征南将軍(曹仁)は王のご一族で重臣でありますが、外地の大名であり、私は朝廷の一臣下です。どうして個人的なお付き合いが出来ましょうか」と言ったという。曹操はそんな許褚の真面目で純朴な性格を愛していたが、そうした愛情を受けた許褚も曹操を慕っており、曹操が亡くなると悲憤の余り号泣して血を吐くほど悲しんだという。
文帝曹丕、明帝曹叡の三代にわたって仕えたが、曹叡の代に亡くなり、爵位を息子の許儀が継いだ。最終的な爵位は武衛将軍・牟郷侯で、領地は七百戸にも及んだ。なお、近衛兵隊長の役職である「武衛」の称号は、許褚に与えられたものが始まりだという。


-狐野郎が曰く-

というわけで虎痴。故横山光輝先生は細目で中肉中背の武者姿で描いておられたが、実際のプロフィールでは身長190センチあまり、胴回り120センチという巨漢である。「蒼天航路」や「三国無双」シリーズの姿こそがその実像に近いと言えよう。どちらも知らないという方は、ポケモンのエンブオーをイメージすると雰囲気が掴めるかも知れない。えっそいつも知らない?じゃあ帰れ(
真面目なんだけどちょっとどこか垢抜けた感じのする許褚を曹操も大層気に入ってたらしく、惇兄みたいに寝床まで一緒にしてたわけではないみたいだが、曹操暗殺事件の件からもそこまで踏み込んでこれる程度の許しは貰ってたんじゃねえのかと思う。というかこの一件、虫の知らせどころじゃない。ほとんど怪物並みの感知能力である。
学三の許褚はキャラ付けがほぼ「蒼天航路」であり、元々曹操の子分みたいな感じだったのが何時の間にか別れ別れになってて、再会したときの曹操のセリフが上述したものの元ネタになっている。とにかく他の者を動物に喩えることで認識しているが、曹操に関しては「考えているうちに眠っちまう」という理由で考えないことにしているらしい。というか「蒼天航路」の許褚は完璧でないにしても頭の回転は存外早く、時々確信をついた発言をしたりしている。というかさっと他人を動物に喩えられるとか、馬鹿では出来ない芸当だと思うが。なおリングネームも「蒼天航路」で咄嗟に名乗った「こちょ」という偽名(?)が元ネタだろう。狐野郎もSSでは時々、曹操の傍らに置物めいてぼんやりと立たせる登場の仕方をさせているが、機会があればその一日の過ごし方をSSにでもしてみようか、とは思う。独特な雰囲気のキャラなので、かなり難しいとは思うが。