青年の名は藤野兼続。
紗苗の従兄弟に当たり、剣豪でも知られた天草寺住職・藤野孫次郎生涯最後の弟子でもある。

剣と書画の達人で、「与六」の号を持つことから、「六」と呼ばれる。
気ままな自由人であり、孫次郎逝去以後は己の剣と書画の腕をより高めるため、全国の剣術道場を渡り歩いている若き求道者であった。

余談だが、彼は詩人・書家としても名高く、その作品のコレクターがいるほどの人気作家である。
彼に居を貸し与えることはそうした者達にとってのステイタスでもあり、そのため彼が長い旅路の間、自ら望まぬ限り野宿を強いられたことはほとんどなかった。



「天使の羽詩」
第七話 人気者という名の枷と -前-




ほぼ唯一の事情通といえる佐祐理から、葉菜たちも六も説明を受け、互いにそれを理解するまでそう時間はかからなかった。

「成る程ねぇ…かごめが天使のパートナーを務めることになるたぁな」
感心したように呟く六。
「というかこの一家、どういう家族構成してるのかしら…人気書家と人気歌手と人気の詩人がひとつ屋根の下って」
「芸能一家だよ芸能一家」
唖然とする葉菜に、軽い調子の歩。
「そもそも死んだジイさんが、そういう才覚を見極めるのが得意だったからな。
俺や紗苗はともかくとしても、かごめはジイさんの目利きがなきゃ、今頃は普通の学生やってたんじゃねぇかと思うぜ。
…もっとも最終的に“やる”って言い出したのは、かごめだけどな」
そのときのことを思い返し、ふっと笑う六。
「っと、折角だし茶位は用意しなきゃな。
どうせ奴らのことだ、待つつもりならもう暫くはかかるだろうし、咽喉も渇いただろう」
「あ…すみません、私…気がつかなくて」
六が腰を上げるよりも早く、慌てて立ち上がるポエット。
「気にするこたぁねぇって。
だがお前も…この家の“家族”っつーことであれば、美味い茶の淹れ方くらいは知ってたほうがいいかもな。
紗苗は頓着ないけど、案外かごめがこだわるからな」
その後を追うようにゆっくりと立ち上がる六。
戸口まで行きかけたポエットが振り返る。
「…え、そうなんですか?」
「それ、私も初耳です」
佐祐理も意外そうな表情で続ける。
「…さゆ坊が遊びに来たりすると、何時もかごめが淹れてるだろう?
うちの淹れ方は死んだジイさんの直伝なんだが…これを旅先でやってもなかなか評判が良くってな。
他に紅茶やコーヒーでもこれをやると良いみたいでなー」
「え、じゃああたしたちも教えてもらっていいですか?」
「うんうん、すっごく興味あるー」
葉菜や歩もそこへ続こうとする。
「おう、構わねぇぜ」
旅先から帰ったばかりの自分が客人をもてなすつもりが、何か具合が違ってしまっているものの…六は別段気にした風もなくにっと笑い、少女達を伴って居間を後にした。



一方その頃。

「ハイ終了でーす!お疲れ様でしたー!」
スタッフからのアナウンスが入り、その日の収録が終わったことを知ると、窓の外の警備員達がいっそう騒がしく動き出すのがその喧騒で解ったものの…かごめは最早そちらを見る気すら起きずにいた。


公開収録の経験はこれで三度目、二ヶ月ほど前に体験済みではあるが、どうしても独演会とは違う独特の空気…言い換えれば、ある種の“狂気”すら感じられるこの雰囲気が、かごめにはどうしても馴染めない。

正直、悪心すら覚えるほどであった。

最初の収録の際、スタッフは混雑の規模を読み外してしまったため、暴動寸前のところをまるで逃げるように収録現場から立ち去ることになったことは、かごめにとって大きなトラウマになっているのだ。

自分の作品を愛読するファンあっての活動なのだ、と頭で解っていても、かごめにはどうしてもこの空気が耐え難く不快なものでしかない。


「…大丈夫、かごめちゃん?」
その空気から逃れるように俯き加減だったかごめの肩に、紗苗がそっとその手を添える。
かごめは周囲に解らない程度に、小さく頭を振る。
「……ごめん……正直もう駄目そう」
紗苗も彼女が精神的に限界に来ていることを理解し、その対面に座していた、同じ二つの三つ編みお下げに、おそろいのTシャツとジーパンを身につけた兎妖族と猫又族の女性に目配せする。
「あちゃ…やっぱり限界ですか…」
「みたいね。あたしだって今もちょっと苦手だよ、ああいうの」
困ったような兎妖の女性と、うんざりしたように肩を竦める猫又の女性。
「おーいスタッフさんよーい、まだ逃げ道確保できないのー?」
「ダメだってニャミちゃん。外のあの様子じゃ、今日も結局警備員の動員数足りてないって常考」
「やれやれだぜ…収録終わりで即帰れないのが公開収録のいっちゃんつらいところだわね」
ニャミ、と相方から呼ばれた女性が大分苛立った様子で頭を掻いている。


兎妖…月兎の女性は「ミミ」こと脇田由美。
猫又の女性は「ニャミ」こと右寺亜美。
このふたりこそ、本日の公開収録番組「ポッパーズラウンジ」のメインパーソナリティーにして、T.E.P.を代表する女性マルチタレントユニット・ポッパーズである。

勝気でツッコミ気質のニャミと、マイペースで陽気な天然娘のミミ。
中学の時にそれぞれT.E.P.のオーディションを受けたふたりは、類稀なマルチタレントとしての才覚を見出され、高校三年間の熟成期間を経てコンビ結成から華々しいデビューを遂げて以来、芸能界の顔として日々精力的な活動を行っている。

歌手として多数のヒット曲を持ち、ドラマや映画でも主演作品は数多く、ラジオやバラエティ番組でも数多く司会をこなす。
テレビかラジオをつけている限り、年を通して彼女らを見ないことが稀なほどの存在…それがポッパーズなのである。


「たまに楽奏のスタジオ離れるといっつもこうなんだよねー。
いかにあの街の住人が大人しいか解るってもんだわ」
「そりゃあまぁ…あの街の人たちはリアルであたしたち見慣れてるわけだし」
なおも不満たらたらのニャミに、紗苗も苦笑するしかない。

彼女らが言うように、ポッパーズや紗苗、かごめといった楽奏在住の人間は、楽奏の街に住んでさえいれば見かけること自体さして珍しいというほどではない。
仕事が忙しいかどうかでその頻度が変わるが、かごめはそもそも普通に街の高校に通ってるし、むしろ作詞家としてあまり素顔の見えにくい職についている彼女の顔が広く知られているという意味でも楽奏の街は変わっているのである。

「すみません!車の用意できました!
そちらまで至急お送りいたします、急いで!」
そのとき、若いスタッフが部屋の中へ告げた。
「…だとさ」
「おっし者ども撤退じゃ!捕まると厄介だよっ!」
席を蹴り飛ばすような勢いで立ち上がりそそくさと部屋を後にするニャミの後を、一拍遅れてミミも続く。
「どう?立てる?」
「…大丈夫…」
ゆっくりと立ち上がるかごめは、最初ふらついたものの、紗苗にそれとなく支えられて部屋を後にした。



「うわー…ホントに美味しいー」
自分で淹れたそれを一口で飲み干し、ほっと息を吐いた歩の次の一言が、それだった。
「でもまさか、たったこれだけのことで…ねぇ」
「本当ですねー…」
葉菜と佐祐理も顔を見合わせる。
「だろう?
特別なものは何もいらねぇ。必要なのはちょっとした手間と工夫ってな。
まぁこれはジイさんの受け売りなんだがな」
その指導元である六は豪快に笑う。
台所へ向かうときに着替えてきたのだろう、その服装は甚兵衛の上に、男物のジーンズという和洋折衷の服装だった。


淹れ方、といっても特殊な技法や、水や淹れる茶葉の種類などに秘密があるのではなく、要は分量とお湯の温度、そして入れるタイミングに少しコツがある…それが藤野家の淹れ方である。
何事も感覚任せ、というのではなく、基本的な目方をきちんと守った上で、そこで好みに応じてそれぞれの項目を加減する。

そこには他人も自分もなく、「等しく“人”をもてなす」という心構えのようなものがある、ということは、少女達にも漠然と理解が出来た。


「うちでも時々自分で淹れますけど、意外と適当にやっちゃうんですよねー。
折角覚えて帰っても次やるときに巧く行くか心配です」
「嘘言え。なんだかんだでお前が一番真剣な顔して聞いてたじゃねぇか。
なんだかんだでお前結構抜け目ないところあるからなぁ…
いずれ彼氏でもできた時のためにしっかり覚えて帰りたいってのが本音だろう?」
「え、あ…」
六のからかうような一言が意外に図星だったのか、顔を真っ赤にして言葉に詰まってしまう佐祐理。
「あれー?当たらずとも遠からず、かなー?」
「あ、その、えっと…私まだそういう…」
「今の男の子の好みって、意外とさゆちゃんみたいな純朴なタイプなんだと思うのよねー。
案外モテるんじゃないのぉー?」
何時の間にか両サイドに陣取った歩と葉菜からも追撃を受けた佐祐理は、見てて可哀相になるくらい顔を真っ赤に染め上げ、とうとう俯いて言葉を失ってしまう。

そんな佐祐理の様子が可笑しかったのか、葉菜や歩ばかりでなく六さえもが大声で笑い出した。
ひどいです、と小声で呟き、真っ赤な顔のままそっぽを向く佐祐理。

「いやまぁ、そういうのっていいよねぇ。
僕が男の子だったら、さゆちゃんみたいな彼女に美味しいお茶淹れてもらったらものすごく幸せだと思うよー」
「まーあんたは頭からそういうの、考える気ないでしょ」
「そりゃあまぁ、部活のほうが面白いもん。
練習でのど渇いたとき、どうせ飲むなら美味しいお茶がいいと思うしね」
あっけらかんとした幼馴染の答えに、葉菜は苦笑する。

その会話の中からやや外れ、先ほど六当人が書いたか、あるいは他の者がその言葉のメモを取ったのかしたらしい紙切れを難しい顔をして眺めている天使の少女。
真剣というなら、多分今この時点で一番真剣なのは間違いなくポエットだろう。

「まぁ何度か繰り返せば、そのうち体が覚えてくるってモンだ。
この家の連中は茶を淹れるのも好きだし、集まってくる連中もなんだかんだで飲んじまうんだし、機会なんてうんざりするほどあるだろうよ」
その言葉が聞こえているのかいないのか、ポエットは普段の彼女らしからぬ「はい」という低いトーンの声を一言発しただけだった。

そのあまりに真剣な様子が可笑しかったのか、葉菜たちばかりでなく、先ほどまでむくれっ面だった佐祐理までもが笑っていた。



収録現場となったカフェテラスの裏路地から四人を乗せた車は、そこから衆目に触れることなく裏道を行くこと十数分。
近郊某所に泊めてあったT.E.P.社用車の前で四人を下ろし、そそくさとその場を去って行く。


「というか…よくこれ見つからなかったよねぇ」
「そりゃそうだ、何時も通り収録終わりギリギリにこういうところ見つけて持ってくるわけでしょ。
うちの大将、そりゃああたし達のことも考えてるだろうけど、こういうカケヒキめいたこと大好きじゃん」
運転席にニャミ、助手席にミミが陣取り、後部座席にかごめと紗苗が乗り込む。

なおかごめは当然ないとして、それ以外は全員自動車免許は持っている。
こういう状況になった場合、そのとき一番体力と精神力に余裕のある者がドライバーとなるのが、彼女らの暗黙の了解であったが…この日はかごめ以外そうまで酷い状況ではないので、道中じゃんけんで決めたらしい。

「つかなんでこういうときは何時も負けるかね、あたしゃ」
車のエンジンをふかしながらぼやくニャミ。
「日ごろの行いよ、日ごろの行い」
「というかニャミさん顔でわかりやすいしー」
「だよねー」
最早口を開く余力すらないかごめを他所に、かしましく騒ぐミミと紗苗。
「ちっ…まぁいいや、行くよっ!」
車は勢いよく大通りへ躍り出ると、そのまま幹線道路を楽奏の街を目指し疾走していった。



時折お茶の追加を出しながら、少女達の話は尽きない。
時間は何時の間にか五時半を回り、そろそろ日も翳り始めていた。

「予想はしてたが…大分遅ぇな。
大方、観客が騒ぎ出して撤収に時間かかってるのかもな」
時計を見て、六が呟く。
「そういえば…前にかごめさんも言ってましたっけ。
公開収録で額面通りの時間に帰れた試しがない、これならスタジオでエンドレステイクのほうが数千倍気楽でいい…って」
困ったような顔で佐祐理も続く。
「確かに、あまり長居しちゃったら色々迷惑もあるし…」
と、それとなく六に目をやる葉菜。
その意図を察したのか、
「俺は別段構わんが…だが、さゆ坊はともかくお前さんたちは地元の人間なら門限もあるだろう?」
「あ、あたしは一応家には連絡入れたんで…って歩ちゃんは?」
「ん?してないよ?何で?」
「ちょ、なんでってあんたねぇ…」
歩のマイペースは今に始まったことではないだろうが、流石にこの一言には葉菜すら軽い目眩を覚えた。

葉菜は歩の一家を知っているが、両親ともまさしく“この親あり手この子あり”という感じののんびりとした性格の持ち主だ。
兄弟親戚中からも呆れられるようなマイペース夫婦から、逆にしっかりした一人娘でも生まれぬものかと半ば切望されていたようではあるが…フタを開いてみれば輪をかけてマイペースな一人娘が育ってしまったというオチの集大成が歩なのである。
葉菜は今更ながらそれを思い知らされた気分だった。

「…まだ一緒に待つつもりであれば、ご両親に連絡くらいはしておいたほうがいいぞ…」
流石の六も苦笑いで電話の位置を示す。
歩は「なんで?」といいたそうな顔をしていたが、しばらく考えた後に廊下へと出て行った。
恐らく、第一目的は達成しているので帰ろうかどうか考えたものの、まだまだ面白くなりそうなので居座るという選択肢を取ったのであろう。

歩の両親もおそらく咎めはすまい…と、葉菜は半ば確信を持ってそう思った。
もちろん、その予想に違わぬ結果だったことは言うまでもない。



車が高速道路に乗っていくらも経たないうちに、後部座席では黒髪の少女が静かな寝息を立てていた。

「流石に一日ががりだとあたし達も疲れた〜」
助手席で大きく伸びをするミミ。
「そもそもこの子あまり場慣れしてないしね。
ましてや、この子は素の自分を出せているわけじゃない」
紗苗はその頭をそっと抱き寄せて、優しく撫でる。
傍目から見れば、かごめに対してやや過保護のようにも思えるが…今の紗苗にとっても「家族」と呼べる存在は少ない。多少大げさな愛情表現をしてしまうのも、恐らくはそういう寂しさを紛らわすためなのだろう。
「誰がなんと言おうと、その選択をして、その道を行くことを決断したのはこの子だから…
私に出来るのは、ただそれを見守ってあげるしかないの」
その表情は、少し寂しそうでもある。

普段、ブラウン管を通してみせる陽気な彼女からは、とても想像できない表情のひとつだった。
学校の同級生でもある、気心の知れたポッパーズの前だからこそ、彼女のそういう自然な表情を見ることができるのかもしれない。

それはまた、ポッパーズの側もそうだろう。

「不思議なもんだよねぇ」
それまで無言で運転に集中していたと思ったニャミが唐突に呟く。
「自分で選んだとはいえ、こんな生活、って投げ出してしまいたくなった時なんて考えりゃきりがないわ。
あたしも多分、あのとき…かごめちゃんが走り書いたあの詩を見てなければ…あのままきっと、辞めてたかも知れないしね」
「あのとき…って、こないだの?」
相方の誰何に、ニャミは振り返らずに小さく頷く。
「確かに…大騒ぎだったわね。
精力的な芸能活動を行っていたポッパーズのニャミが、誰に知らせるともなく番組収録すっぽかして雲隠れでしょ?
社長とかがうまく立ち回ったお陰であまり大事にはならなかったけど…」
「タイマー君とか顔面蒼白だったしねー」
当時のことを思い出し、小さく笑う紗苗とミミ。
ニャミも苦笑した。
「今思えば、我ながら馬鹿やったと思うよ。
けど、あのときのあたしの気持ちは、あのときのあたしじゃなきゃ解んないよ。
さなちゃんにも、ダーリンにも…多分、ミミでも」
「そうかもね」
否定するでもなく、ミミはそう返す。

ニャミの蒼い瞳に沈みかけた夕焼けの緋の色が重なる。


彼女はほんの数ヶ月前にあった出来事を思い出していた。


あまりに過酷な収録スケジュール。
それは明らかに番組制作サイドの勝手な思惑もあり、折りしもこうしたスケジュール調整における高い交渉力を持つMZDを筆頭としたT.E.P.の首脳陣がその数日留守にしていたことも災いし、ポッパーズにはロクに休みもない状態で働かされ続けていた。


割合マイペースなミミはともかく、ニャミの精神はかなり限界のところまで来ていたある日のこと。


次の番組のスタジオへ移る途中、僅かな休憩をかねてT.E.P.の事務所へ立ち寄ったニャミは、休憩室の椅子に身体を投げ出した。
疲労も取れず、精神的なイライラも治まる気配がない。

実際は、次の仕事へ向かうために、なんとかテンションを元に戻さねばならないため、ミミがスタッフに掛け合って何とか許された休憩であった。

彼女もそれを知っている。
抗ってもどうしようもないことは、自分でも解っていたのだ。


仕事と割り切ろうとする自分自身と、自棄になりかけている自分自身とのせめぎ合いの中、ニャミはふと目をやった休憩室のポスターに何か書かれているのを目にした。


「あたしがかごめちゃんの詩を見たのも、きっとすごい偶然だったんだろうけど…。

正直、今までよく知らない子だった。
事務所にいる時だって、収録現場にいるときみたいにどっかつかみ所なくってさ。

巧く言い表せないけど…それまではね、どういう子なのかよく知らなかったんだよ。
同じ事務所の後輩だってのにさ。

けど、あの詩を見たとき、この子はきっと、自分と同じ苦しみを持ってたんだ、って、そんな気がしたんだよ。
…実際は違ったんだけどね」
ニャミは寂しそうに笑う。


詩の末尾には、書いた下手人たるかごめの名前と、その日付がある。
その日付はニャミにも記憶がある…かごめが初めて「ポップンパーティ」に参加したその当日の日付だった。


「あの日、あの子にどんなことが起こったのか、あたしはよく知らないんだ。
けどね、これを見たとき、きっと何か…彼女の気持ちを新たにさせるような出来事があったんじゃないか、ってことだけは解ったんだ。

…それが解った時、かごめちゃんに、無性に会ってみたくなって…気づいたらあたし、事務所の裏口から外へ飛び出してたんだ。


まぁ…それを口実にして、あたしは逃げ出したんだよ」



「…そりゃあびっくりしましたよ。
何時もテレビで見ている顔が、何の前触れもなくそこに現れたワケですから」
佐祐理もまた、その日のことを思い返す。

その日は丁度期末テスト…というより、中学部では最期となる学年末テストの前日だった。
正月の特別番組やらなにやらの影響で、珍しく授業にあまり出られなかったかごめが、佐祐理に頼み込んで突貫作業でその遅れを取り戻そうと、勉強会をしようということになった。


居ても立ってもいられず、ニャミが天草寺を訪ねてきた…いや、「逃げてきていた」のは丁度そんな折だった。


「どのくらいそうしてたでしょうかね…。
かごめさんがニャミさんを誘って…それからもしばらく、誰も黙ったままでした。

そのうちかごめさんがお茶用意するって、部屋を出てってしまって…
私も当然、何をどう話したらいいか解らないし、話すきっかけもなかったし…

…けど、そのうち私にも少し解ったんです。

きっと…このひとは寂しかったんだろうな、って」

「寂しい?」
怪訝そうなポエット。
「どうしてそう思ったのか…でも、そんな目をしていたような、そんな気がしたの」
佐祐理の表情も、少し寂しそうに見えた。



「そのとき、かごめちゃんと一緒にいた娘…確かサユリちゃんっていったっけな。
かごめちゃんが台所行っちゃってさ、あたし達ふたりでだんまりで向かい合っててさー。

向こうもそう思ってたろうけど、あたしも何話していいもんかと思っちゃってさ…いやぁ、あの時は本当に参ったわ」
そのときの自分を思い出して、ニャミは少し笑う。


「だから最初にあの娘が、何かあったんですか、って訊いて来たとき、ちょっと驚いたけど…
あたしは彼女の目から、今のあたしがどう見える?って訊いてみたんだ」



「それで?さゆちゃんはなんて?」
その先を促すように、葉菜は問いかける。
佐祐理は少し困ったように笑った。

「最初は私も戸惑いましたよ。

ブラウン管を通して見る彼女の姿は、確かにその印象も変わらない。
ただ、そのときじかに目の前で見たその姿は…あまりにもその印象と違ってて…」



「…“よく解らないけど、自分が最初にこの街に来た時の自分に似てます”って言ったのよ、あの子。
“自分の感情と、今の自分の置かれてる環境に、戸惑ってるように見える”って。

…でも、的は得ていたと思う。確かにあたしは、何処かでそんなギャップに苦しんでいたんだろうね」

贅沢な悩みだよね、と付け加えるニャミ。


若くして芸能界の顔となった自分たち。
ブラウン管の中を所狭しと動き回り、精力的に芸能活動を繰り返してきたのは何故だったのか…。


「そもそも、自分たちが何でこの仕事をしたかったのか、それすらあたしには不明瞭だった。
とりあえずオーディションに受かったし、って軽い気持ちもあったんだろうね。

だから日々殺人的なスケジュールを組んで、その中をせわしなく動いてるうちに、何でこんなことしなきゃならないんだろう、って思うようになって。

そんなときに見たかごめちゃんの詩はさ、まるで普段の彼女と正反対のイメージがあってさ。

今思えば、あの詩は彼女自身が自分を勇気付けるために無意識のうちに書いたんだろうね。

…けど、だからこそ本音が見えた気がしたんだ」

車はさらにスピードを増す。
時折見える看板からは、少しずつだが、楽奏の街へ近づいていることを示していた。


ミミも紗苗も…疲れ果てて眠ってしまっているかごめは勿論であるが…一言も発することなく、ニャミの独白を聞き入っている。

何時の間にか助手席のミミがつけていたのか、カーラジオから流れるAM放送の音楽番組は、まるでそのときの彼女の心を投影するかのような、懐かしい印象のあるニューミュージックが流れ続けていた。