夢。
目の前には漆黒のマント。
「…何処へ、行こうと言うのですか?」
その声に、あたしは身を竦めた。
言い知れぬ恐怖が、絶望が、幼いあたしの身体を震わせて止まない。
「貴方は逃れることなど、出来ないのですよ…籠の鳥に過ぎない、貴方は」
その声は、何処までも冷たく、鎖のように幼いあたしの心を縛り付けた…。
けたたましく鳴り響く時計のベル。
その音がかごめを現実に引き戻した。
寝起きなのにも関わらず、妙に頭がはっきりしている。しかし、かごめの気分はそれとはまったく逆だった。
「…最悪…」
明らかに過去の夢であろうことは、彼女にも己の有様を見ればよく解る。
寝汗で張り付いた衣服が気持ち悪いくらいだった。
しかし何時もと違うのは、この日の夢の内容を妙にはっきり覚えていたこと。
それが何処だったのか、夢の中の人物が何者なのか、何時の出来事なのかはかごめには解らない。
しかし、確信があった。
それは夢でなく、抜け落ちていた忌まわしき記憶の断片であることの。
「なんで…今頃」
その呟きに応える者はない。
カーテンから差し込む日差しも、何処か寒々としているように思えた。
「天使の羽詩」
第九話 悪夢は再び
かごめがポエットと暮らし始めてから一週間が経った。
最初はどこかぎこちなかったポエットだったが、日を経るごとにこの生活にも馴染み始め、もう何年もそこで暮らしているような印象さえ与えるかのようだった。
この週は珍しく、かごめも平日の放課後に少し仕事があったりもして、家にはポエット一人、というシチュエーションも多かったが、かごめがいない代わり、六が平日家にいることが多くポエットも退屈はしていない様子だった。
「…ああ、実はだな…。
俺もそろそろここに腰を落ち着けようかと思ってな」
「なんですってぇー!?」
なんだかんだで多少酩酊してはいたものの、六の唐突な宣言に思わず声を上げる紗苗。
「職なら心配は要らんぞ。
一応書家としての発表の機会は多いし、一応剣術師範の免許も取ってるからな。
楽奏高等部剣道部のアドバイザーとしての依頼も入ってるし、ジイさんが昔やってた道場を再開させる目処も立ったしな」
「っても…住む場所とかどうすんのよ」
「ジイさんのいた離れは残ってるし、誰も使ってねーだろアレ?」
「…うーん」
別に嫌というわけでもないのだが、あまりに唐突過ぎて心の準備ができていないと言うのが紗苗の本音だった。
「いいんじゃねーのさなちゃん?
あんたにぎやかなの大好きじゃん。
基本的にポエットも昼間一人というなら、誰か家に用心棒っぽいのいたほうがいいと思うよー」
コップに並々と注がれた日本酒を一気に煽りながらニャミが言う。
「それともそんなに慌てるってことはー?うふふー♪」
ミミも相当に酔ってるのか、悪戯っぽい笑みの目は完全にすわっている。
「ち、ち、違うわよっ!
つか六兄何時もそういうの突然に決めるんだから!確かに今のとこ問題はないけどっ!」
「じゃあいいじゃん」
「私もいいと思いますー」
料理を運んできたかごめとポエットまでにそう言われてしまったものの、なんとなく自分だけが追い詰められてしまってるような気が、紗苗にはしていた。
(まー確かにいいんだけど…てか何であたし、こんなにムキになっちゃってるわけ…?)
そう心で自問する紗苗の問いに答えるものはいない。
「それでは藤野家に新たな仲間が増えることを祝しましてー」
「改めてかんぱーい!」
勝手に仕切って勝手に盛り上がるポッパーズ。
最早紗苗も唖然としてそれを見ていることしか出来なかった。
そんなわけで、今では六も藤野の家に暮らしている。
残った寺の本堂を道場に使うと言うことも決まり、隣接した客間を更衣室とするため、必要な作業の手続きのため、その日は六も朝早くから居らず、紗苗も朝から収録のためいない。
かごめはその夢のためか不安を隠せないまま…学校へ向かうための支度をしていた。
「いい? 一応昨日のうちに今日のお昼は用意しておいたし、悪いけどそれをレンジで温めて食べといて。
くれぐれも、知らない人が来てもむやみに出ないこと。いい?」
「解りましたー」
かごめは務めて、そうした心のうちを出すまいと、精一杯の笑顔でポエットに申し付ける。
この日、どういうわけかポエットの「学校」も休みであり、彼女一人が家に残ることになった。
ここのところ六が昼間いて、ポエットに色々と教えていたお陰か、彼女も家事は大分できるようにはなっていた。流石に火の元を扱わせるのにはまだ不安があるものの、ひとりでお茶を淹れたりするくらいはできるようだったし、掃除や洗濯などもきちんとこなしてはくれる。
しかし、かごめの心配は、そんなこととはまったく別の次元にあった。
それでどうしてポエットが関るのか、彼女には解らなかったが…。
「それじゃ、いってくる…」
「かごめさんっ!」
学校へ向かおうと背を向けた瞬間、かごめは呼び止められてはっと振り向く。
そのときのポエットの表情に、かごめはぎょっとした。
「なんか…今日のかごめさん…どこか具合が…?」
不安そうな表情。
まるで自分の心の中を看破されたような、そんな感覚。
「あ…え、いや、全く快調そのものだわ。
まぁ最近、仕事も多かったからね…疲れてない、と言えば嘘になるけど…今日は予定もないから」
自分でも解っていただろう。
そのとき自分が見せていたのが、完全な繕い笑顔であったということを。
「だから、心配しないで。
そんな顔されちゃ、あたしも不安で学校にもおちおち行けなくなっちゃうよ…」
泣きそうな表情のポエットを優しく抱きしめると、かごめは再度学校へと足を向ける。
「もしダメそうだったら、すぐに帰ってくるから…ね?」
「…はい」
ポエットが頷くのを確認して、その頭を軽く撫でてやると、彼女は家をあとにした。
ポエットには何故か…その後姿に、何故かこの日最後に見る彼女の姿なのではないか…という予感があった。
授業も完全に上の空で、かごめは家のある方向を眺めている。
窓際の席で、なおかつ教室の位置もあって、彼女の席からは丁度天草寺を見ることが出来る。
午前最後の授業は担任でもある修の英語授業。
かごめがぼんやりと授業に参加しているのは何時ものことであったが、教壇に立つ修も何とはなしに、その異変に気づいていたようだった。
しかし、彼はあえてそれを取り上げて茶化すような真似はしなかった。
(藤野…?
一体どうしやがったんだ、あいつ)
億尾にも出さず普段どおり授業を続ける修の目にも、その違和感はどうにも拭いきれずにいた。
「…どうしたの? 今日のかごめさん、なんか…」
昼休み、食事も取ろうとせずふらふらと屋上へ向かうかごめを追って、佐祐理も購買で買ってきたらしいパンを抱えて、屋上に現れる。
「…なんでもない…
…ううん、何て言ったらいいのか、あたしにもよく解らないんだ…」
不安そうな表情で頭を振るかごめ。
それが、偽らざる本当の気持ちだった。
この日見た“過去の夢”。
その光景が、彼女の心にリアルなイメージとして焼き付き、否応なくその心に不安をかき立ててやまない。
何か大切なものを失ってしまう感覚。
まるで、その未来を暗示するかのように。
「…でも…兎に角何か食べておかないと、一日もたないよ…」
かごめ自身が自分でも気持ちの整理がつかないというのであれば、恐らくどうしようもないのだろうということも、佐祐理は知っていた。
自分が持ってきた菓子パンの山から、そのうちのひとつを宛がおうとするのも、彼女に可能な精一杯の心配りだったかも知れない。
「うん…ごめんね」
寂しそうに笑い、かごめは差し出されたそれを受け取ろうとした。
その刹那。
「…え!?」
背筋の奥から発したかのような、強烈な悪寒。
かごめは慌てて天草寺の方向を見る。
その周囲の空気が…明らかに違う。
「何…なんなの、あれ…?」
佐祐理もカンの鋭い少女である。
彼女の目からも、そこに何か異変があることに気づいたようだ。
恐らくは、余程注意していなければ気づかないだろう。
見た目は普段どおりの風景がそこにある。
生徒達がさして騒いでいないところを見れば、恐らく気づいたものはほとんど居ないか、気づいても気のせいくらいにしか思っていないだろう。
しかし、周りにはその気配がないのに…天草寺の境内だけ激しい気流の流れが生まれている。
その色は…ふたりの瞳にどす黒い瘴気の嵐として映っていた。
かごめは居ても立ってもいられず、跳ねるように屋上の出口へ向かう。
「かごめさんっ!」
「ごめん!先生には巧く言っておいて!あたし家に戻るッ!」
「待って…かごめさん!」
慌ててそのあとを追いかける佐祐理。
寺の周りは、既に濃い瘴気に包まれていた。
「フフフ…ようやく探し当てました…」
かごめが学校へ行ってから間もなくのこと、その存在は唐突に、天草寺の上空に姿を現した。
中世の貴族が身につけるような、派手な装飾の帽子を目深に被り、漆黒のマントに身を包んだその表情は、その仮面によってうかがい知ることは出来ない。
しかし、その声のトーンには、多分に狂気の色を含んでいる。
「あの天使が誕生したこと…それを泳がせていた甲斐はあった。
同じ魂から生まれしモノ…ならばいずれは引き合うのが道理」
ゆっくりと、それは境内に向けて降下する。
「永かった」
暗黒の瘴気を振りまきながら降下するその姿を、捉えられる者は居なかった。
だが、異様な気配を感じたポエットが外へと飛び出してくる。
「え…!」
大きく見開かれた瞳に移る、漆黒の姿。
彼女の体が、恐怖にも似た得体の知れない感情で凍りつく。
「逃がした籠の鳥は美しく成長し…今や理想の素体となった」
「あなたは…誰…?」
その誰何の声も聞いていないかのように。
「今こそ…アレの総てが私のものとなる!」
それは哄笑する。
次の瞬間その瘴気がはじけ、天草寺を包み込んだ。
「熊野!」
かごめを追って外へ飛び出そうとする佐祐理を、修が呼び止める。
「先生…かごめさんが…!」
「…ああ、今飛び出して行くのが見えた…。
一体何があった? それにあの、天草寺を包み込む異様な空気は一体なんだ!?」
どうやら修にも、あの異変が目に取れていたようだ。
佐祐理は頭を振る。
「解りません…でも、かごめさんは朝から何か、少しおかしかったと思います…。
何かこう…自分でも説明のつかないような、そんな何かに怯えていたような」
「…怯えていた…?」
怪訝な表情の修。
しかし、かごめとつきあいの長い佐祐理の言葉である。彼女がそう感じたというのであれば、そういうことなのだろう。
「それに…あのまま行かせてしまったら、かごめさんが…!」
何故そう思ったのかは解らなかった。
しかし…この日のかごめの様子と、今現実に起こっている異変…そのふたつが、彼女にその最悪のシナリオを予感させてやまない。
「…解った、俺も行こう」
今にも泣き出しそうな佐祐理のの言葉を遮る修。
「え?」
「何が起こってるかは俺にも解らん…だが、お前も藤野も俺の大切な生徒だ。
どうせ止めても行きやがるだろうし、だったら何かあったら俺も死んでも死にきれるか!」
言うが早いか、自分の下足置き場から靴を放り出す修。
「…全く…授業はどうするつもりなのかね、君は」
その姿を見かねたのか…何時の間にそこに姿を現したか、初老で痩せた眼鏡の教師が、たしなめる様に告げる。
「鴨川さん…!」
その人物の姿に修は目を見開く。
鴨川哲夫。
楽奏学園高等部の教頭を務める理科の教師であるとともに、人々に仇なす「悪性魔性」研究の第一人者として知られる学者でもある。
温和な性格の持ち主であり、行動に破天荒なところのある修に対してもその熱血漢振りを嘉し、なんだかんだといって目をかけている。修にとっても、頭が上がらない存在の一人だ。
「何時だったか…君は生徒達の抗争に首を突っ込んで悶着を起こした時もそうだが…。
君は正義感の強い良い教師だが…少し思慮が足りないのが良くないな」
仕方のないヤツ、といわんばかりに、鴨川教頭は穏やかに微笑む。
「それは…だけど!」
「…もっとも、止めても無駄だろうがな…その代わり、熊野君と藤野君…しっかり守ってやるのだぞ!」
「…!有難うございます!」
修は一礼し、佐祐理を伴って玄関を飛び出していった。
そのふたりの姿を見送る鴨川教頭。
「…だが…」
彼もまたその異様な事態に、その先に起こる不安な事件…いや、もしかしたら、
「…これがもしや、かつて孫次郎殿が仰られた運命の始まりとでも言うのだろうか…」
その先、かごめたちを巻き込む過酷な宿命を、予感してたのだろうか。
天草寺の鳥居をくぐり、境内に飛び込んだかごめは、その光景に言葉を失う。
異様な濃度のどす黒い瘴気の中、力なく宙に浮いたポエット。
「ポエット!」
慌てて駆け寄ろうとすると…その寸前のところで見えない壁に弾かれ、かごめは地面へ強かに打ちつけられた。
「…っ!」
彼女はなおも立ち上がろうとする。
その瞬間、ポエットの傍らに何か居るのが見えた。
「待ちかねていましたよ…私の、籠の鳥」
「あんた…は…!」
漆黒の中に浮かぶ、半分に割れた仮面。
闇の中になびく鮮やかな緑の髪。
そこから覗く瞳は、狂気に濁った鈍い光を湛え。
「十年の時を経て…逃がした鳥は最高の素材となった。
あと不要なものは、その心のみ。
この天使を打ち壊してしまえば…あなたからはそれが失われてしまうのでしょうね…フフフ…フハハハハッ!」
狂気の哄笑。
かごめの心臓が早鐘のように鳴り響く。
まるでその体が邪魔だと言わんばかりに、激しく脈打ちながら。
かごめの脳裏によみがえる忌まわしき過去の記憶。
暗黒の館で過ごした、狂気に晒された絶望の幼き日々。
それを作り出した張本人が、目の前に居る。
「いっ…嫌あああああああーッ!」
かごめの絶叫が、そこに木霊した。
「…先生!」
「チクショウ!一体なんだってんだ!」
ワンテンポ遅れて、佐祐理と修も校門を飛び出していた。
修の手には、何処から調達してきたのか一振りの木刀が握られている。
かごめの声を聞いたふたりは、その事態の重さを再認識させられた。
勢いよく鳥居をくぐり抜け、二人が境内の中に見たのは、予想だにしない光景であった。
渦巻く瘴気の中、力なく頭を垂れ、宙に浮かされたままのポエット。
そこからやや離れ、何かから必死に逃れるかのように、小さく身体を竦ませているかごめ。
その間に立つ、大仰な黒い帽子と漆黒のマントに身を包んだ、緑髪の仮面の男…。
「かごめさん!ポエットちゃん!」
佐祐理が反射的に飛び出していこうとする。
修はそのとき、何かに気づいた。
「!…待て、熊野ッ!」
驚異的な反射速度で佐祐理の腕を掴むと、そのまま無造作に体ごと引き戻し、同時に自分の体もろとも後方へと飛びのかせた。
修は咄嗟に己の身体を、佐祐理と地面の間に滑り込ませる。
「…痛っ…!」
その身体を地面に強かに打ちつけることとなったが…その判断は正しかったと言える。
「先生!どうして…え?」
声を荒げ、その行為に抗議しようとした彼女だったが、すぐにその考えを改めざるをえなかった。
僅かに落ちる、自分の前髪。
そして、その頬に細く赤い線が走り、赤い雫が零れ落ちる。
そしてなにより。
目の前の修の二の腕が、何か鋭い刃物でばっさりと切り裂かれたように…そこから血を滴らせている…。
「…ホウ…恐ろしくカンの良い…。
さして強い魔力も感じませんが、私の“糸”の軌道を見切るとは大したものです…。
もうワンテンポ遅ければ、その腕ごと、そこの美しいお嬢さんの首も落とせたところですが」
その腕が自分達を指している。
その存在が、何かしらの攻撃…それの言う“糸”がそこから放たれたと言うことだろう。
「テメェ…一体何者だッ!
藤野達に何をしやがった!何しようって言うんだ!答えろッ!」
二の腕から走る鋭い痛みを堪えながら、修はその声の主に怒鳴りつける。
「…それを説明する必要はありません。
この娘は、私の“探し物”なのです。
“所有物”を“所有者”がいかに扱おうが、他の者には関係のないことでしょう?
ましてや、人間風情に」
その半分に割れた仮面から覗く濁ったワインレッドの瞳、そして歪む口元。
そして、この言葉からも底知れぬ狂気を感じさせる。
そこに、人間らしい感情というものはひとかけらも存在していなかった。
「所有物…だと…!」
ゆっくりと立ち上がる修。
「藤野は…藤野かごめは、何処にでも居るれっきとした人間の女の子だ!
貴様のような下種野郎の所有物なんかであって堪るかぁぁぁー!」
怒号とともに、その木刀を勢いよく振り上げて猛然と仮面の男へ突っ込んで行く。
修はかつて、この街近辺でも有名な愚連隊のリーダーだった。
幼い頃から激しい気性を持って知られ、常に周りからは、穏やかで真面目な性格の弟と比べられ、強い孤独感を感じた彼は、同じ境遇を持つ「はみ出し者」たちとつるんで行動することが多かった。
生来正義感の強い性格の持ち主で、仲間との絆を何よりも大切なものと考えていた彼は、自分達を無価値なものと決めつけ、社会から爪弾きした総てに反抗し、その無鉄砲な行動と相まってそうした者達から慕われるようになった。
そんな彼が教職を目指すようになったのも…彼らの存在を認めてくれた恩師があってこそだった。
いくら強大な力があろうが、ひとつの命に対して「所有物」などとふざけたことを言うことなど、彼の信じる正義に反すること。
だからこそ、彼はその言葉の一つ一つが許せなかった。
「…愚かな」
仮面の男が再度その腕を振るう。
先刻自分達を襲った見えざる攻撃…目にも映らぬ細い魔の糸が修めがけて襲い掛かってくる。
「…ちっ…同じ手が、二度も通用するかよっ!」
この恐るべき攻撃を、彼は最小限の動きですり抜けていく。
若い時分、幾度となく公権力やライバルの集団と小競り合いを続けていたその経験から、修の戦闘能力は極めて高いレベルにある。
所謂「喧嘩慣れ」であるのだが、それだけでも楽奏近隣では無敵を謳われた喧嘩屋でもある。
「む…!」
懐に飛び込まれ、予想外の事態に仮面の男も僅かに狼狽の色を見せた。
「喰らえぇぇッ!」
振り抜かれたその木刀の一撃が、遠慮なくその身体を捉える。
必殺の一撃だった。
生身の人間や魔性に決まれば、ヘタすれば内臓破裂を起こさせるくらいの。
だが。
「…何ッ!?」
その手応えは全く感じず、その一撃は虚しく空を切る。
驚愕に見開かれたその瞳に、見下したようなその狂気の笑みが映る。
「私の攻撃を一度ならず二度までも…それは褒めて差し上げましょう…。
だが…喧嘩に強い程度の人間と、“魔性真祖”と呼ばれた存在の差…やはり如何ともしがたいものです」
「真祖…だと…!」
「これ以上の無駄話は不要…邪魔な貴方にも、そろそろ消えていただきましょうか」
振り上げられたその手に、先ほどまでは全く見えなかった魔の糸が、目の前の総ての光景を埋めているのが修にも解った。
その腕が、無慈悲にも振り下ろされる。
「先生ぇー!」
佐祐理が絶叫する。
かごめはその成り行きを見守ることもなく、小さくうずくまっていた。
だが、佐祐理の叫びに、現実へと引き戻されていく。
修の身体に降り注ぐ魔の糸。
大切なものが失われようとするその光景が、かごめの封印された記憶と重なる。
燃え盛る村の景色。
紅蓮の炎を蹂躙する意思なき巨大人形(ゴーレム)達。
「これでお別れ…あなたは、生き延びなさい。
幸せになるのよ、かごめ…あたしと………の、大切な娘」
最後に見た母親の顔が、朱に染まる。
(いや…嫌だよ…もう何もかも失うのは嫌ぁぁぁッ!)
かごめの中で、何かが強く脈打ち始めた。
次の瞬間。
「何ッ!」
放たれた魔糸は総て吹き飛ばされる。
仮面の男と修の間には、それをやってのけた銀の髪の少女。
佐祐理は…恐る恐るその名を呟く。
「…かごめ…さん…?」
銀の髪に緋の瞳。
しかし、その姿は確かに藤野かごめそのものであった。