孫次郎は成す術もなく立ち尽くしていた。
言い知れぬ恐怖で進むことも引くこともおろか、へたり込むことすらなく…まるで自身の首から下が石化してしまったかのような感覚。
彼はこのときになって初めて…自分がどれほど無謀な選択をしてしまったかを悔やんだ。
だが。
-久しくこの城に立ち寄るものもなかった。
いかなる目的があって君のような若者がここへ来たのかは知らないが…
この地へ単身乗り込むだけの力を持つ君を見込んで…どうか私の願いを聞いてはくれないだろうか?-
孫次郎は完全に混乱しきっていた。
この声の主に、敵意のようなものは感じられない。
あるいは若く未熟な彼など退けるまでもない、というそうした自信の表れなのか、とも思えたが…。
「き…いや、あなたは一体何者…なのですか?」
孫次郎自身も若いとはいえ、優れた資質を持つ魔性狩りである。
この存在は自分達に害を成す存在ではないことを、瞬時に悟った。
-私の名はユーリ=レイクウッド。
かつて吸血鬼真祖と呼ばれ…その忌まわしき血の為に、愛する妻と一族を失った…哀れな父親だ-
「天使の羽詩」
第十一話 人形師の罠
「何処の悪性真祖サマか知らねぇが…人ン家の敷地内で随分勝手やってくれやがったもんだな!」
六は周囲の状況を見回し、けっ、とひとつ悪態をつく。
「人間の貴方には関係のないことだ。
私の目的を邪魔するなら、貴方にも死んでもらわなくてはならない」
ジズの腕に再び魔力の光が宿る。
しかし、彼は怪訝な表情を浮かべる。それに呼応して動き出したのは、スマイルの束縛から逃れた二体のゴーレムだけであったことに。
「…いかに強大な力を込めた人形を、いかに強い真祖が操っていようと…核(コア)をぶち抜いてやれば一巻の終わりだろ?」
「貴様…!」
ジズの顔には既に余裕の冷笑はない。
己の目的を完遂するどころか、立て続けに横槍が入ったことで不快感が隠せない様子だ。
「君は…」
ユーリの問いかけにニヒルな笑みを返す六。
「久々だな妖怪ども。
安心しな、俺も事情は知ってるクチだ…目的が一緒なら、敵対する理由はないだろう?」
そして再び剣を青眼に構える。
「あとは…捕われの天使さまを助け出し、悪い人形使いを追っ払うだけだ!」
「小癪な!」
突進する六の前に、残ったゴーレムの一体を差し向ける。
フォローに向かおうとするユーリとスマイルに、漆黒の魔力弾と残ったもう一体のゴーレムでその往く手を阻む。
ゴーレムの巨大な拳が、その大きさと重さに見合わぬ信じられないスピードで六の眼前に迫る。
しかし…。
「ふん!
その状況判断の甘さが、てめぇみたいなのの最大の欠点だぜ!」
六は突進のスピードを緩めることはない。
「はあああああーッ!」
裂帛の気合とともに六は、駆け抜け様に剣を振り下ろす。
一拍遅れ、ゴーレムの巨大な身体は真っ二つに引き裂かれ、そのまま六はさらに加速しながら一気にジズとの間合いを詰める。
「な…何ぃぃぃ!?」
さしものジズも驚愕の叫びを上げる。
強靭な脚力が生み出す加速力をそのままに、その勢いを殺すことなく躊躇いなく一撃を繰り出す。
彼のこの技は、一刀流系剣術の極意ともいえる払車刀。
若年にして、これほどのレベルの払車刀を繰り出せる使い手はそういるものではない。
「もらったぁッ!」
六はそのまま、ジズの右腕から伸びる糸を、その腕ごと叩き落した。
「!…ぐあああーッ!
腕が!私の腕がぁぁぁ!」
ジズの絶叫が木霊する。
六はそのまま、力なく落ちてくるポエットの身体を片手で受け止め、そこでようやく両足にブレーキをかけて停止する。
「…こいつであとは、てめぇを追っ払うだけになっちまったな、人形師!」
「お…お…おのれぇぇぇ…!」
霧散した己の腕を庇いながら、ジズは狂気と憎悪の怒りに染まる表情を六に向けた。
(まさか…藤野一族にそんな伝説があったなんて)
ユーリの長い話を聴き終え、孫次郎は驚愕を隠せずにいた。
彼は一族において、実力は認められていたものの…一族の仕来りやら何やらを嫌い、周囲からやや浮いた存在にあった。
それゆえに一族の伝承やら何やらについては、「不要な知識」として全く耳にしてはいなかったのだ。
それだけではない。
彼は自分の頬に違和感を感じ、手を這わす。
(涙…?
俺は…俺は泣いていたと言うのか…)
己の身体に流れる血が、その力が、こうして様々な想いの果てに連綿と受け継がれてきたことを知って。
この偉大なる"父親"の、深い愛と悲しみを知って。
彼はこれまでの自分の軽率な行動を、このときになって初めて後悔した。
-そういえば…君の名を聞いていなかったな。
名乗りたくなければそれでもいい。
だが、君はいずれ誰よりも強くなる…その力をもって、いずれこの世界へ帰ってくる私の娘を…託されてはもらえないだろうか?-
孫次郎は改めて姿勢を正し、姿を見せぬ声の主に拝礼を取り、恭しくその口を開いた。
「…此度…あなたの話を聴かなければ…私はいずれ、己の蛮勇の果てに誰とも知らぬ屍となっていたことでしょう…
私は…あなたが言う藤野の一族の末裔…藤野孫次郎」
-なんと…!-
「この無知なる菲才がこうしてあなたに逢えたこと…天命を感じずに居れません…
大命…謹んでお受けいたします…!」
ユーリはその動きに目を瞠った。
(見事…在りし日の孫次郎殿の剣の冴えに見劣りしないな…!)
ユーリが孫次郎との面識を果たしたのはほんの数年前の話である。
既に年老いてしまったその面影は、黒森の古城で眠っていた時に出会った印象とは随分違っていたものの…ユーリの見立て通り、魔性狩りの第一人者として恥じない風格の持ち主になっていた事を、彼は素直に喜んだ。
彼は孫次郎がかごめを自分の元に返そうと考えていることを知ったが、まだ滅ぼすべきものが残っている以上、総てが済むまで娘を託したい、と申し出、孫次郎もそれを是としていた。
(出来うるなら…こんな形での対面は果たしたくなかったが)
風の障壁から垣間見える愛娘の悲痛な表情に、この心優しき真祖の心は痛む。
(いや…こんな最悪な結末のまま、終わらせて堪るか…!
ここで奴を滅ぼし…必ず幸せな結末になるように…
…先ず私がその可能性を否定してどうするというのだ!)
ユーリは消耗した我が身に鞭打つように、再度漆黒の魔剣に己の魔力を込める。
「ヒッヒッ…まだやる気のようだねぇ…」
「当然だ!ここで必ず奴を討ち…後顧の憂いを総て断つのみ!」
スマイルの口元にも笑みが浮かぶ。
「僕も同感だよ…ヒッヒッ…まだまだ、バンドでやりたいことも一杯あるからねぇ…!」
スマイルの両手にも魔力が集中し始める。
戦いは新たな局面を迎えようとしていた。
黒森から帰還した孫次郎は、それまでの己の振る舞いを一族の長老達に詫びるとともに…この真祖の話をありのままに報告した。
「…子細は承知した。
して孫次郎よ…そなたは如何するつもりだ?」
「私は…その子が来るのを待ち…必ず彼の元へ返してやりたい…そう思います」
「そうか」
一族を束ねる長が、白く伸ばした髭と皺に包まれた厳格な表情を不意に緩める。
「御主が黒き森へ赴いたこと…それは御主にとって良き経験となったようじゃ。
今の御主であれば、行く行くは一族を任せるに相応しい…
一層己を磨き、必ずや始祖が願い…御主の手で叶えられるよう精進せよ!」
思いもよらぬ長老の言葉に、孫次郎は一瞬戸惑ってしまったが…
「は…はいッ!」
再度拝礼を取り、俯いたその目には知らず涙が溢れていた。
ほぼひと月振りに、自身の居室に戻った孫次郎は空を眺める。
(俺は…俺は認められたのだ…!)
その表情には、ここを立つ前のような…血気に逸る若く無謀な魔性狩りの面影はない。
「俺は…この期待に応えてみせる!
ユーリ殿…この孫次郎、あなたとの約束…何年かかってでも必ず果たします…!」
顔も知らぬその偉大なる先駆者へそう呟く顔は、いずれこの偉大な一族の長となるべき者の風格を備えだしていた。
混乱しきっていたかごめは、不意に背後から抱きとめるものがいることに気づいた。
恐る恐る、そちらのほうへ振り向くと…そこには
「さな…姉…」
今にも泣き出しそうな表情で、わななくような声で呼ばれたその女性…紗苗は、さらに強くその身を抱きしめる。
「あたし…あたしっ…さゆを…」
「解ってる…解ってるから」
紗苗はかごめを心配させまいと、極力笑顔を作ろうとしているが…その表情の強張りに、かごめもこれ以上の言葉がなかった。
「さゆちゃんは…死んだわけじゃない…
だから、今は…この状況をどうにかすることだけを考えるのよ…!!」
確かに、注意深く気を探れば、佐祐理の生命の気は失われていない。
しかし、その流れは何かに妨害され、全く機能していない状態…一時的な仮死状態に陥っているのだろう。
彼女の生命の気の流れを妨げているのは…。
「でも…でもっ…あたしのせいで…!」
「そんなことは考えちゃダメ…!
きっと…きっと何か手段がある…それを確かめもせずに最初から投げ出しちゃダメなの!」
紗苗は一層強く、かごめの身体を抱きしめる。
かごめをそう諭す彼女にも確信があったわけではないだろう。
この光景は…紗苗自身の、幼い頃の絶望的な体験をオーバーラップさせる。
だが、そのときとの違いは、まだそこに確かな希望があること…それはむしろ、かごめばかりでなく自分自身に向けての言葉でもあったのかも知れない。
「フフフ…本当にそうお思いですか?」
「!」
振り向いた先には…障壁の向こう側にいるはずのジズの姿が…丁度見上げた先で浮いている。
「私の分身体が囮になっている間に、さっさと目的だけは済ませてしまわないと…
私の目的は、あくまでその娘なのですから」
「呆れた真祖サマだわ…そうまでして、なんでかごめちゃんにこだわるのよ?」
紗苗は吐き捨てるかのように、上空のジズに問いをぶつける。
ジズはそれを小馬鹿にするように含み笑いする。
「知れたこと、貴種の血と、美しく最強の巫女の血を継ぐ娘。
それほどのキャパシティがある素材であれば、私が願って止まなかった“完璧なる生きた人形”の完成に近づけるのですから!
さぁ…退きなさい娘。
分身体を作るために魔力を大分消費しましたが…何の力も持たない女一人ひねり殺すのはわけはない!」
ジズの漆黒の腕が、紗苗の存在も無関係といわんばかりにかごめめがけて伸びてくる。
「…冗談じゃないわ…どっちも願い下げよ!」
紗苗の右腕に青白い魔力が収束し、強烈な裏拳でその腕を強かに弾き飛ばした。
「何!」
驚愕するジズの目の前で、紗苗はゆっくり立ち上がる。
「外で…六兄言ってなかった?
あんたみたいなのは、その状況判断の甘さが往々にして命取りになるのよ…!」
魔力を集中した左手をかざし、彼女は叫ぶ。
「おいで、雪華白狼(シロちゃん)ッ!」
瞬時にそこへ彼女の愛用する真っ白なアコースティックギターが出現し、さらに再度姿を変える。
それは柄も鞘も…その抜き放たれた刃すらも純白の、一振りの刀だった。
「ぬ…その刀、まさか…!」
空中にいるはずのジズの背後に、何時の間にか紗苗の姿がある。
「あんたはふたつの間違いを犯したわ…
…ひとつは、“真祖狩り”と呼ばれたあたしの正体を見抜けなかったこと!」
「おおッ…!?」
繰り出された一撃を完全にかわしきれず、ジズのマントは綺麗に切り裂かれ、切り口に鮮やかな霜を残す。
(四年前、ある真祖が年端もいかぬ一人の少女に敗れ、消滅させられたと聞いた…
それをやってのけたのは、少女の身でありながら卓越した剣技と、強力な氷の魔法を操る魔法剣士であると…!
まさか…この娘が!)
「そして…なにより許せないのは…」
ジズは距離をとって、目を瞠った。
対峙する紗苗の身体から、凄まじいまでの氷の魔力が吹き上がっているのがわかる。
「手前勝手な下らない理由で…かごめちゃんを傷つけたことよッ!」
それから五十年ほど後。
彼は、数多の戦いを経験し、様々な知識を納め、己の人格を磨いて「藤野一族にその人あり」と呼ばれるほどの魔性狩りへと成長し…藤野の一族の長として、やがて一族を担うべき若者の成長を見守る毎日を送っていた。
そんなある雨の日のこと。
「ん…?」
孫次郎とともに歩いていた青年…六こと藤野兼続は、激しく降る初夏の雨の中にひとつの陰を見出した。
「どうした、兼続」
「いや…ジイさん、あれは…」
六の指し示す方向を見る。
一人の少女が立っていた。
年の頃は五ツくらいだろうか。
肩口まで伸びた黒髪も、やせ細ったその身体を覆うそっけない黒のワンピースも雨に打たれるがままにして、泣いていた。
「…どうした…? 道にでも迷ったのか…?」
孫次郎はその傍らにそっと歩み寄ると、怖がらせぬよう強めて穏やかな口調で問いかける。
少女はか細い声で、わからない、とだけ応えた。
「名前は…?」
重ねて問いかける孫次郎。
少女はしゃくりあげていたが…やがて…ひとつの名を告げた。
「…!」
その問いの答が、彼の運命を決定付けた。
-疾く来たりて我に従え、奔放なる大気の精。其の獣を捕う一条の強固なる鎖となり、大地に縛る楔となれ-
「いい加減に止まれよ…“精霊の縛鎖”ッ…!」
スマイルの腕から放たれた高密度の風の魔力が、その仮初の人形師の身体に十重二十重と巻きつき、その身体を大地へと縫いつける。
風の上位精霊の力を借りる強力な妨害呪文である。
流石のジズといえど、残ったゴーレムは六の手により解体されつつあり、新たなゴーレムを呼ぶほどの魔力が残っていないようにも思える。その状態では、すぐにこの魔法から抜け出すことも出来ないようだった。
だが、スマイルの魔力もかなり限界に近いことは確かだ。
「ユーリ…決めるなら今だ…これが最後のチャンスだよっ…!」
「はああああああッ!」
そして苦し紛れに放たれた闇の魔力弾をかいくぐり、ユーリの剣がその身体へと迫る。
「これで…終わりだッ!」
その漆黒の剣の直突きが、ジズの魔力が集中するその急所…霊体の核めがけて吸い込まれていき…。
「…かかりましたね…」
その表情の意味も悟る間もないまま、その漆黒の刃はジズの身体を貫いた。
次の瞬間。
「何だと!」
その身体が闇となって四散し、その刃の先に貫かれたものを見てユーリの思考が停止する。
剥製の青い鳥。
「な…まさか、分身体か!」
「何時の間に…入れ替わった…!?」
一瞬遅れ、六とスマイルもその異変に気づく。
慌てて本体の気を探ろうとした刹那、風の防壁のひとつが霧散し、そこから紗苗とジズが飛び出してくる。
「野郎…!」
六はその姿を認め、紗苗の加勢に入るべく駆け出そうとした。
しかし、異変はそれだけで留まらない。
突如、微動だにしなかったポエットの身体が宙に浮き…その翼が弾け、無数の羽根となって飛び散った。
「え…?」
かごめの表情が凍る。
「フフ…ユーリ、あなたが貫いた私の分身体は…ただの分身体ではない…。
その核に使ったその剥製は…その天使の生まれ変わる前の姿…
…この意味、あなたには解りますよねぇ…?」
ジズの得意げな言葉が追い討ちをかける。
「その前世の姿は、生まれ変わっても魂と繋がっている。
霊的な存在に生まれ変われば、そのつながりはさらに強くなる。
だから通常はその姿はやがて朽ち、生まれ変わっても影響が出ないようにするもの…ですが!」
その言葉に呼応するように、今度はその細い足が砕け、光の粒子として空中に舞う。
「…ポエット!」
スマイルも六も紗苗も、その光景に動きを止めてしまう。
「まさか…そんな!」
驚愕するユーリの背後に転移するジズ。
「あなたはそれに気づくことなく、それを打ち壊してしまった。
しかも…地上最強クラスの魔剣でね…!
その娘の魂は…二度と生まれ変わることはない!ここで跡形もなく消え去るのだッ!」
「い…いやああああああああーっ!」
その残酷な現実を聞かされたかごめは絶叫する。
崩壊を始めた天使の身体はどんどん砕け、光の粒子となって消えていく。
「ば、バカな…それでは」
呆然と呟くユーリ。
そのモノが生まれ変わる前の姿、というものは、そのモノにとって最も霊的なつながりが強いとされる。
それがより強い魔力を持っていればなおのこと…。
この世界には少ないながら、ある偉大な剣豪が使った刀を受け継いだその末裔が、その剣豪さながらの剣技を操ったという話がある。
高名な人相見の鑑定では、その末裔は、確かにその剣豪の生まれ変わりであり、真なる持ち主の手に戻ったその刀がその魂の記憶を引き出したのだ…という話が。
縁のある器物でさえそれほどの力を持つのであれば、その生まれ変わる前の身体でも残っていれば、一体どれほどの事態を引き起こせるのか想像の範疇に過ぎなかったが…永い時を生きる真祖たちに、その結果どうなるかを知るものは決して少なくない…。
「何故…何故そんなものが残っていたというんだっ…!」
その表情に恐怖と悔悟が過ぎる。
自分が何をしてしまったのかを悟った彼は、一気に全身の力が抜けていくのを感じていた。
「そんな!何か、何か方法はないの!?」
うろたえる紗苗の言葉に、呆然と眺める六に返す言葉もない。
「無駄なこと!
これで我が目的の第一段階は達せられた!あとは邪魔者を…!」
勝ち誇ったようなジズの哄笑は、そこで止まった。
「…ポエット…?」
かごめが呆然と、呟く。
次の瞬間、砕けたのは…ジズの身体だった。
「な…?」
何時の間にかポエットの身体の崩壊は停止している。
だが、それどころではない。
かざした手から放たれたのは…天使の力とは程遠い、闇の魔力。
見る間にその髪は鮮やかな金から、目の覚めるような銀に変わっていく。
そして再構成された身体、その小さな背に破裂音とともに現れたのは…
「黒い…翼?」
見開かれたその瞳は、まるで血の色を流し込んだような暗紅色だった。
その少女…かごめを保護して半年の後、孫次郎は楽奏市役所の人事窓口にいた。
「それでは…あの子をお引取りになられるので…?」
孫次郎は無言で頷く。
かごめと名乗ったその少女は、孫次郎の意向で一時藤野家に預けられることとなった。
孤児院などの施設があるにはあったものの、この街でも顔役ともいえる彼の意向は基本的に優先されることが多かったが…元々彼の人柄も多くの人から認められており、「彼ならば」ということで異を挟むものはいなかった。
建前上、彼は半年の間かごめを「本当の親が見つかるまで預かる」という名目で保護していたが…。
「あれほどテレビや何やらで呼びかけても、半年経っても現れぬ…であれば、あの子には身内やそれに類するものがおらぬのやも知れぬ。
親がその家族にも秘密で子を生み、育てられず無責任で捨ててしまうということもあるだろう…。
しかも、訊けばあの子にはあの日以前の記憶がないと言う…ならばなおのこと、親のなき身はあまりにも不憫。
儂も孫達が一緒に暮らしておるとはいえ、基本的には一人身だ。家族は多いほうが楽しいわい」
「そういうことであれば…」
穏やかに笑う孫次郎につられるかのように、窓口に立った年配の女性も笑う。
「…では少々面倒な手続きを踏むことになりますが…」
「構わんよ。隠居の身ゆえ、時間だけは腐るほどあるでな」
彼はその書類一式を手に取り、窓口を後にした。
引き取り親である孫次郎の姓と、彼女が引き取られた六月十日を誕生日として与えられ…かごめが正式な藤野家の一員として迎えられたのはそれから一週間後のことであった。
「拙い…ユーリ!」
スマイルは慌てて、先刻ユーリを救った技を繰り出そうとした。
しかし…もう既に、タイミングが遅かった。
ポエットであったそれは、無表情のままにその左手を振り上げ…高密度の闇の魔力を纏わせたその一撃で、微動だに出来なかった吸血鬼真祖の身体を肩口から切り裂いた。
「ああっ!」
しかし、切り裂かれたのはユーリではなく…。
「か…間一髪…だったっスね…」
飛び込んできたアッシュの体から鮮血が飛ぶ。
その光景にスマイルもユーリも一瞬、頭の中が真っ白になった。