何が起こったのか理解できなかった。
何故そこに佐祐理の姿があったのか…それを考える間もなく、闇の中から鋭い爪が彼女めがけて振り下ろされていた。
追って来る悪霊たちは、すべて六と一京に阻まれていたはず。
しかし、背後にいるはずのない一体。
そして、彼女の思いつきもしなかった事態…。
佐祐理を庇い、その一撃で背を抉られた葉菜。
そのままの勢いで、二人の身体は大きく跳ね飛ばされ、大地へと強かにたたきつけられた。
「葉菜ぁぁぁぁーっ!」
一足遅れて、現場に現れた歩が悲鳴を上げ、駆け寄っていく。
「葉菜先輩…歩先輩…さゆ…どうして…」
呆然と立ち尽くすかごめ。
その瞳に映ったのは、その佐祐理を庇うようにして覆いかぶさり、深手を負った葉菜の姿だった。
-天使の羽詩-
第十七話 親友(トモダチ)の証明 -後-
彼女が最も恐れていたのは、こういう事態になることだった。
自分の過去を奪った存在を退けるために得た力で「友達」と呼べた少女を傷つけ、
堕天したポエットの魂を自ら砕き散らし、
そのことが、彼女の心を「失うことへの恐怖」に酷く臆病なものにさせてしまった。
それゆえに、かごめは佐祐理を突き放したのだ。
自分の目の前で、自分の所為で大切な人たちが傷つけられていく…その耐え難い苦しみから逃れるかのように。
悪霊は葉菜を吹き飛ばした後、一瞬何かを探す仕草をし、やがて目に止めたかごめへ向けと猛然と突っ込んでいく。
まるで、強い魔力をエサと見立て、それに引き寄せられるかのように。
「かごめちゃん、前ッ!」
紗苗の声でかごめは我に返り、振り下ろされた爪の一撃をかろうじてかわす…が、それでも左の二の腕にかすり、その衝撃で葉菜たちがいる側のほうへ吹き飛ばされた格好になった。
その頃になって、ようやく本家の魔性狩りたちが現場へと到着する。
彼らは紗苗の指揮の元、標的を各個撃破すべく方々へ散ってゆく。
「なずなちゃん、すずなちゃん、こっちへ!
怪我した娘がいるの!結界を張って、傷の手当てを!」
紗苗の呼び声に、双子と思しきお揃いのワンピースを着た少女が葉菜の元へ駆け寄る。
葉菜たちを庇うように、髪を左側に括った少女が術式を展開し始め、右側に括ったほうの少女が葉菜の傍らにつく。
「葉菜…葉菜ぁっ…!」
呼びかけるようにその身体を抱き締める歩。
「落ち着いて…離してあげて…傷は思ったより深いから」
右くくりの少女が泣きじゃくる歩を諭し、術式を組んで回復の魔力をその背に宛がう。
一連の状況を呆然と眺めていたかごめ。
傷ついた葉菜と、しゃくり上げながらその安否を見守る歩の傍らで、言葉を失ったようにへたり込んでいた佐祐理。
ふたりの視線が、再び交わった。
お互いの瞳に、今にも泣き出しそうな表情をしたままの互いの表情が写る。
「…かごめちゃん」
紗苗は、何時の間にかかごめの背後に立っていた。
はっとして振り向いたその先には、厳しい表情を浮かべる紗苗の姿がある。
かごめは、紗苗のその表情からどんな叱責が飛ぶのか…それを恐れた。
それでも目を逸らすことも出来ず、その体を強張らせた…。
だが。
紗苗は、ふっ、と、その表情を緩める。
呆気に取られた格好になった彼女へ、紗苗は告げる。
「…自分の気持ちに、ちゃんと決着をつけなさい。
その時間くらいは、稼いであげるから」
言い終わるのとほぼ同時に、その姿は宙を舞った。
「良かった…みんな、大丈夫」
何が起こったかも解らず、立ち尽くすかごめを現実に引き戻したのは、葉菜の声だった。
右くくりの少女が使役した回復術式で応急処置が施され、出血は止まったものの、深手から来る激痛はかなりのもののはずだろう。
だが、葉菜はそんなそぶりを見せず、小さく微笑んで見せた。
「葉菜…っ!」
ボロボロと涙を流したまま、歩はその手を取る。
葉菜はゆっくりと、その手でその涙を拭って微笑みかける。
「先輩…」
顔面蒼白の佐祐理。
その光景に、かごめも何が起こったのか、事態を再認識させられた。
通常の人間であれば、即死していただろう一撃だった。
どんな幸運があったのか、彼女は何とか一命をとりとめ、術式による処置が間に合っていた。
しかし、術式を組んでいる少女の苦渋の色は濃い。
左くくりの少女が目配せをすると、右くくりの少女は首を小さく横に振る。予断の許さぬ状況であることには変わらないのだろう。
しかし、かごめにとってはそれは二の次だった。
ただ呆然と立ち尽くしたまま、佐祐理を庇って葉菜が傷つくのを、見ていることしか出来なかった。
自らの手で大切なものを傷つけてしまった彼女にとって、これ以上自分に関った存在が傷ついていくことそのものが、耐え難い苦痛なのだ。
いや…
自分の目の前で、大切な存在を守れない現実を思い知らされること。
それは、自分が何のために戦う道を選んだのか、その目的自体を見失ってしまう…それが恐ろしかったのだ。
強烈な自責の念で、彼女の精神は限界寸前に着ていた。
「先輩たち…さゆも…来るなって言ったじゃないか…
もうあたしに…近づいてくるな、って…」
わななくような声で呟く。
「どうして…なんでこんな危ないことするんだよ…」
その表情は、酷く悲しそうに見えた。
「何でそうやって、あたしを追い詰めようとするんだよっ!」
何を言っているのか、彼女自身にも正直なところ、良く解っていなかったのだろう。
ただ、感情がさせるがままに、そう叫んでいた。
だが、佐祐理はその言わんとしていることを、理解できていた。
かごめが自分を突き放した理由も、紗苗や鴨川の説明から大体察してはいた。
しかし、それでも「かごめの側から離れる」という選択肢は、彼女にはなかった。
かごめは自分が吸血鬼としての力を使えば、自動的にその効果が働いてしまうことを知っているのだろう。
だからこそ、彼女はあの瞬間、動くことが出来たのに動けなかったのだ。
吸血鬼としての力を発動させれば、佐祐理を救出して、葉菜もこんな大怪我を追わずに済んだかも知れなかったのに。
それが出来なかったのは…彼女が、佐祐理を佐祐理でない何かに変えてしまうことが、怖かったからだ。
しかし、今のかごめは…それが出来なかった責任を、突き放したのに近寄ってきてしまった佐祐理たちのせいにして、責任転嫁してしまうことしか出来ないのだ。
それが間違っていると、彼女自身でも解っていながら。
佐祐理もまたそれに気づいていたからこそ、何も言うことが出来なかった。
彼女もまた、その意味では紗苗の同類なのだ。
かごめのことを大切に思うあまり、強い言葉を彼女に投げて、振り向かせることが出来ないという意味で。
「もう解っただろ!?
勝手に関って、勝手に傷ついて…そんなの迷惑なんだよっ!
だからとっととあたしの目の前から…」
その言葉は言い切られることはなかった。
乾いた音と、頬に走る痛み。
それが彼女の言葉を止めたのだ。
呆然とするかごめの目に映ったのは、そのハシバミの瞳から大粒の涙をこぼしたままで、鬼気迫る表情をした歩だった。
歩は力の限り、かごめの頬を引っ叩いていた。
「チクショウ!いったいどっから湧いてきやがるんだ!?」
駆逐しても駆逐しても、何処からか新手の悪霊たちが現れる。
六も百体を刀の露にしてから、数えるのを辞めていた。
それほどの数を切り伏せていくうちに、彼の脳裏に不可解な点が浮かぶ。
何故、これほどの数の悪霊が、何の前触れもなく現れたのか。
(自然発生…いや、それはねぇ。
となると…何かに引き寄せられてきたってことか…?)
引き寄せられる何か。
考えられるとすれば、久しく本家に姿を見せなかった自分たちか。
(あるいは…かごめか)
その少女の名前が浮かんだ時、六の脳裏にある予感が過ぎる。
悪霊。
姿定まらぬ、悪しき存在。
(…馬鹿な…!
そうだとしたら、復活が早すぎるだろ!)
しかし、六のその直感は…その想いと裏腹に正鵠を得ていることを訴えているように感じていた。
呆然と立ちすくむかごめの服の襟を、引き千切ろうとするかのように引き寄せる歩。
「…友達が友達を心配する…その何処が悪いんだよッ!
失うのが怖いんだったら、命がけで護る、くらい言ってみせたらどうなんだよッ!
かごめちゃんの弱虫!」
潜在的に強い魔力を持っていながらも、その力の使い方を知らないまったく普通の少女。
吸血鬼の力など使わなくても、半日ほどの修行で身につけた体術を使えば、その手など軽く振り解けるはずだった。
そのはずなのに、かごめには何故かその手を振りほどくことが出来ずにいた。
「大切なひとを失う痛みを知ってるのは、キミだけじゃないんだッ!
失うのが怖いから、みんな必死で護ろうとしているんだ…僕も、葉菜も…さゆちゃんも…!
それなのに…それなのに!」
その言葉の一つ一つで、かごめはその心がかなり深いところまで抉られたような気がしていた。
「もう…許してあげなよ」
はっとして、振り向いた先には穏やかに微笑む葉菜。
しかし…その深手からくる激痛で、額には脂汗がにじんでいた。明らかに、無理をしているのが解る。
「ねぇ…かごめちゃん、あなた本当はどう思ってるの…?」
戦慄くような顔のかごめに、葉菜は続けて問いかける。
かごめはまるで、金縛りにあったかのように、その顔から目が離せなくなっていた。
「覚えてる…?
商店街で初めて逢ったとき、最後にあたしが言った言葉…
“あなたたちは親友?”って訊いたこと…」
忘れられるはずがなかった。
かごめが初めて自分から佐祐理を誘い、ポエットと三人で過ごした恐らくは最初で最後の一日。
三人の心が、初めてひとつになった、その日の出来事。
「…あなた…最初口ごもって…何も言えなかったよね?」
(違うんだったら、これからそうなるんだと思いますっ)
ポエットの言葉が、心の中でリフレインする。
「けど…かごめちゃんあの時言ってくれたよね…
…私の作った花飾り…ちゃんと心がこもってて大好きだ、って」
その笑顔が、少しずつ、目の前で激痛の苦しみを堪えて微笑む葉菜と重なる。
「…ポエットちゃんの言葉を受けて見せてくれたあの笑顔…あれは、つくりものじゃないんだって、私は思った。
“歌枕かごめ”が公演で見せるような…あんな…みせかけじゃ…!」
不意に咳き込む葉菜。
その口元には、僅かに紅いものが滴る。
「! 駄目です…まだ喋っては…!」
「先輩、もういいですから…私が、私がこんなこと…」
その理由も解らず涙を流すかごめの様子を見かね、慄くように止めようとする佐祐理の言葉も、回復の術を続ける少女の制止も遮り、葉菜はなおも続ける。
「…思い出して、かごめちゃん。
あのときと同じ気持ちでいるなら…言える筈だよ…?
…本当は、さゆちゃんのことも大好きだって…
…一緒にいるのが迷惑、なんて…見え透いた嘘をついてまで…
…危険な目に遭わせたくないほど…大切な友達なんだ、って…!」
葉菜の真剣な眼差しが、かごめの心に突き刺さった。
再び咳き込む葉菜。
それきり、彼女は意識を失い…その手は力なく地に付いた。
「そうだよ…!」
その言葉を黙って聴いていた歩が呟く。
「僕は…あまり長くかごめちゃんや…ポエットちゃんやさゆちゃんたちと、一緒に過ごせたわけじゃないけど…
けど…僕にだって解るよ…!
…ポエットちゃんだって、今の…
何一つ自分の真っ直ぐな言葉を言えないかごめちゃんなんかと居たって、喜びなんかしないよッ!」
「…っ!」
その言葉は、かごめの心を更に深く抉る。
怒りでも絶望でもない、純粋なショックでかごめの顔面が蒼白になる。
「あたし…は…」
その瞳からぼろぼろと、涙が零れ落ちた。
純粋で真っ直ぐな、強い意志を秘めた瞳をもつこの少女から放たれたその言葉は…失う恐怖に萎縮しきっていたかごめの心へ、確かに届いていた。
きっと、同じようなことになれば、彼女も…ポエットも、同じコトを言ってくれたのも知れない。
「…さゆちゃんもそうだよ…!
危険なことを承知で、かごめちゃんと一緒にいたいから…!
だから…ここまできたんじゃないの…っ!?
…ふたりしてもうこれ以上…自分の心に嘘なんてつかないでよ…!
これじゃ…何のために葉菜が…葉菜がこんな目に遭ったんだか解らないじゃないか…!
そんなの…もう…見てる、だけでも…」
その言葉を最後に…歩の声もまた、その嗚咽にかき消された。
(正直、やばいかもね…)
藤野本家に常駐する総員二十数名の手練の術士たちとて、その戦闘力は無限に続くわけではない。
ほんの数十体なら遅れを取るような相手ではなかったが、そもそも頭数の間で釣り合ってない。
しかもあとからあとから相手の増援が増えていく一方…しかし、そのいずれもが、これ以上先に進む気配を見せていない。
(ううん…これじゃまるで…ここにある“何か”をめがけて出てきているみたい…!)
紗苗は気づいた。
この悪霊たちの目的は、人里に下りて街を蹂躙することではないということに。
(それに…この妙に統制の取れた動き。
…何より、この瘴気!)
その裏に蠢く、どす黒い思念の存在を。
「…そこッ!」
覚えのある不快そのものの瘴気の源へ、紗苗は鋭い氷の矢を集中的に打ち込んだ。
「うっ…!」
「ば、馬鹿な…あいつは…!」
若い術士たちが、その闇から現れた存在に狼狽える。
「…ホウ…大分魔力を抑えたつもりでしたが…見破られるとは」
闇が具現化して現れたのは…仮面の真祖。
かごめの全てを奪うため…その大切なものを傷つけた憎むべき相手。
「…そうそうあなたの思い通りにはならないわ…根暗な人形師さん」
その内心から湧き上がる怒りを最大限に抑え、紗苗はその存在を睨みつけた。
「…嫌…」
先に口を開いたのは、佐祐理だった。
「さゆ…」
「嫌…だよ。もう見ているだけなのは…つらいよ…」
今にも泣き出しそうな、そんな表情で。
「幸せそうに笑っている…かごめさんを見てるだけでも、私は良かったの…。
でも、そんなつらい顔ばかりして、ひとりで何でも抱え込んで、傷ついていくのを見ているのは嫌…。
私もかごめさんの力になりたい…
つらいとき…紗苗さんにその重荷を背負わせたくないときだけでいいから…もっと、私のことを、頼って欲しいよ…!」
彼女は堪えきれぬ涙を払いきれず、ついに顔を伏せてしまった。
嬉しいのもあったが、それだけにかごめは、己の愚かさが腹立たしくもあった。
彼女は…「家族」と呼べる人たちの次に、自分の側にいてくれた存在だったはずだ。
これまで「親友」と呼べる、唯一の少女だったはずなのに…。
再び顔を上げた、涙で濡れる瞳の奥には、確かな彼女自身の意志の力があった。
「お願い…もうひとりで、傷つくようなことはしないで…!
一緒に戦える力が、私にあるんだったら…私も一緒に…」
その言葉は、途中で遮られた。
一瞬、何が起きたのか佐祐理には解らなかった。
気づけば、すぐ側にかごめの顔がある。
そして…背に回された腕と、触れ合ったその体…服越しに、お互いの体温を感じる。
つい昨日…拒絶の言葉とともに突き放されて以来…
否、それ以前にもこれほどまで直に触れ合ったことなかった。
直接は見えなかったが…その深紫の瞳から、静かに、涙が零れ落ちるのを感じた。
「…ありがとう…さゆ。
あたし…さゆが友達で…本当に良かった」
それは、佐祐理がずっと、聴きたかった言葉だったのかも知れない。
涙が止まらなかった。
何か応えなければならない、そう思っても、声が出せなかった。
声に出そうとすれば、大声で泣いてしまいそうだったから。
そうしてしまえば、後に続く言葉が、聞こえなくなってしまう…そう思った佐祐理は、必死で声が出そうになるのを堪えていた。
紗苗は純白の刀を召喚し、一振りする。
「…黙って通してくれる…というつもりはありませんか…」
「…当然よ」
巻き起こる氷の魔力。
しかしジズは、全く意に介した様子もなく、冷笑を浮かべる。
「止めておきなさい…貴女程度の実力があれば、私とどれほどの差があるのか、解るはずでしょう?
死にたくなければ、抵抗を止め、あの娘を差し出すことです。
そうすれば、このまま我が僕ら共々、おとなしく引き下がりましょう…?」
見下したように、なおかつ威圧するようにジズの視線が紗苗を射抜く。
紗苗は突きつけた切っ先を、柳生天に構え直す。
「…その選択肢はないわ」
「愚かな…ならば、貴女の五体を引き裂き…繋ぎ直してから我がコレクションにくわえて差し上げよう…!」
ジズを取り巻く瘴気も、それに応えるかのように大きく膨らんだ。
紗苗の背に冷たいものが流れる。
(格好つけすぎだよね、私。つかかごめちゃんに対して甘すぎるのも程があるわ…)
自嘲気味に笑う。
けど、それほど好きな娘のために、命を賭けてやるのも悪くない、とも紗苗は思っている。
(冗談)
彼女はそんな自問を否定する。
紗苗は信じているのだ。
かごめの持つ心の強さを。
それが失われてしまった時、それを必ず思い出させてくれるような強い絆が、その近くにあるということを。
そのいちばんは常に自分でありたい、というのも彼女にはあっただろうが…。
(だから…こいつだけはなんとかしなきゃ…!)
紗苗は刀を握る手を強く締め直した。
「本当は、もう誰も傷ついて欲しくない。
それがあたしの大切な人なら、尚更なんだ。
…さな姉はあの通りの人だから…もう諦めるしかないけど、ね」
苦笑するかごめに、佐祐理も泣き顔のまま、少し笑った。
「だから…さゆも…葉菜先輩や歩先輩にも、危険な目にあって欲しくない。でも…」
かごめは一度、その視線を葉菜や歩にも移す。
「それでもあたしと一緒に居たいって言うのが、みんなの答えなら…やっぱり嬉しい…嬉しいよっ…!」
「かごめ…さんっ…」
何時振りに見ただろうか。
泣き笑いのようになってはいたが、かごめが心からそう思っていることを素直に話してくれる時の笑顔。
その胸に顔を埋めて嗚咽の声を上げる佐祐理をなおも抱きしめ、かごめは続ける。
「だけど…あたしは、弱いから…
今のあたしには歩先輩みたいに…命がけで護るとか、そんなことは言えないよ…
だから…出来れば、今度は一緒に…あたしのこと、助けて欲しい」
それが、かごめの精一杯の言葉だった。
しかし、佐祐理にも歩にも…恐らくは意識を失ったままの葉菜にとっても…それは十分すぎるほどの言葉だった。
佐祐理は、胸が詰まって声が出せない代わりに、大きく頷いて見せた。
どのくらい経っただろうか。
時間にして見れば、アレから20分は経っていないだろう。
かごめも、その姿を視認しているわけではないが…その鋭敏な感知能力で、ジズの存在をはっきり感じ取っていた。
「…今は、さゆの意思を介在させることが出来ないんだ…だから、今回だけは一緒に行けない。
歩先輩たちと…ここで待ってて。必ず戻ってくるから」
「…うん」
目の端に涙の跡を残し、彼女はかすかに微笑む。
かごめは、自分の中の「何か」を確かめるように、ゆっくりと深呼吸する。
同期して、佐祐理は激しい動悸に襲われた。
(あのときと…同じ)
彼女は、自分がかごめに血を吸われた時のことを思い出す。
そのときと同じように、自分の感覚が急速に遠のいていくのを感じる。
その中で、彼女はかごめの言葉を思い出していた。
彼女は「今回だけは」と言った。
きっと今までと違う何か別の考えが、彼女にはあるのだろう。
目が覚めた時にどうなっているか少し不安でもあったが、彼女は「友達」の言葉を信じ、意識を閉ざした…。
黒かった髪は鮮やかな白銀に、瞳は深紫から深紅に変わり、吸血鬼真祖としての力を完全発動させたかごめ。
その傍らに、意識を失い、人形のように立ち尽くす佐祐理。
歩の目の前には、それまで想像もしえなかった姿のふたりが立っている。
「…そこへ座って…そのまま、動かないで」
かごめが命ずるまま、虚ろな目をしたままの佐祐理は、歩の隣に行儀よく座った。
今の彼女はあくまで操り人形でしかない。
かごめが恐れたのは、こうなった佐祐理の姿を見たくなかったからだということを、歩は思い知った。
(ごめん…かごめちゃん。でも)
歩は自分の胸が痛むのを感じた。
もし…葉菜がこんな姿になったら…なると解ったら。
かごめの気持ちが、痛いほど理解できた。
だが、かごめの言葉が確かならば、こんな悲しい姿の佐祐理を見ることも、最初で最後になるのだろうと、歩は思った。
「歩先輩」
かごめは振り向かずに、結界の中の歩に言った。
「ありがとう…あと、ごめんね。
あたしは、大事なものを本当に見失うところだった」
「…順序、逆だと思うよ。
僕らならいいから、ね?」
「うん。すぐに終わらせて…戻ってくるから」
振り向いた顔には、もう煩悶はなかった。
「なずなちゃん、すずなちゃん…みんなのこと、お願い!」
共同して葉菜の治療に当たる双子が微笑んで応えると同時に、かごめは飛翔した。
ものの数分も立たぬうちに、紗苗とジズの差は歴然としてきた。
先日の戦いがいかに自分にとって有利な状況であったかを、紗苗は思い知らされる。
艶やかな着物は所々切り裂かれ、血が滲んでいる箇所もある。
何人かいた術士たちも、大きなダメージを受け戦闘不能にされて、そこに立っていたのは満身創痍の紗苗ひとり。
別の場所で戦っている六や一京たちに救援を求めるすべもなかった。
かごめたちからジズを遠ざけるため、場所を移したことで彼らからも大きく場所を話す羽目になったのだ。
「これ以上抵抗されても困りますね…
折角の綺麗な身体を、これ以上醜く傷つけると直すのが大変なのでね」
冷笑したまま、ジズはさらに魔力を集中させる。
「これで終わりにしましょう!」
立っているのが精一杯になりつつある紗苗に、闇の刃が振り下ろされた。
しかし次の瞬間、それは跡形もなく吹き飛んでいた。
「何ッ!?」
ジズは予想外の事態に驚愕の声を上げる。
驚きの隠せないのは紗苗も同じ。その両者の視線の先に居たのは。
「…間一髪、かな」
そこには、不敵な笑みを浮かべる、銀髪の若き真祖の姿。
かざした手には、炎の魔法を放った後の、独特の魔力の残滓が漂う。
「遅かったじゃないの…この代価は高くつくわよ」
紗苗は、自分の信じたことが正しかったことを確認し、微笑んだ。