これは夢なのだろうか?
閉ざされた意識の中の世界。
最後に振り向いた、悲しげな表情のかごめさんが、私のほうへ背を向けるとその姿が遠のいてゆく。
「必ず帰ってくるから」
そう言ってくれた彼女の言葉は…何故だろう、今では悲壮感すら覚えさせる。
彼女がそういってくれたなら、必ず帰ってくるという確信すら、与えてくれるはずなのに。
不安が治まらない。
“…待って!”
遠ざかるその背を、私は何時しか追いかけてゆく。
景色が、不意に反転する。
色を取り戻したその世界は…一面、灼ける様な紅い色。
朱の世界には…切り刻まれ無残な姿になった、紗苗や葉菜、歩たちの姿。
その中心に立つのは、
仮面の人形師と、虚ろな瞳で血に染まった刀を握り締めるかごめさんだったモノの姿。
私は、声にならない悲鳴を上げていた。
-天使の羽詩-
第十八話 覚醒(めざ)めの刻
「…なんと…!」
ジズの、狂気染みた赤い眼が見開かれる。
「なによ、またあんたなの?」
かごめはその姿に、あえて、興味がなさそうな素振りで吐き捨てた。
この変貌振り。
このわずかな期間で、一体どれほどのことが彼女に起こったのか、紗苗すら一瞬戸惑ってしまうほどだった。
そんな両者の思惑など気にかけた風もなく、かごめは紗苗の傍らに駆け寄る。
「さな姉、まだ何とかなりそう?」
その表情は、普段見せる悪戯っぽい笑みそのままだったが…やはり何かが違うように紗苗には思えた。
だが。
「…誰に向かって物言ってんのよ」
紗苗はその額を軽く小突いて微笑む。
へーへー愚問でしたね、と茶化したように笑うかごめ。
佐祐理たちは、紗苗が期待したそれ以上のものを、かごめに与えてくれたのだ。
自分に出来なかったこと…それ以上の結果で。
「…気に入らないですね!」
吐き捨てるその台詞に、狂気染みた憎悪がジズを取り巻く瘴気を強く濃いものに変えてゆく。
「あと一息というところ…人間ごときが私の邪魔をするなど!」
振り上げた手に、暗黒の暴風が渦を巻き、紫電を走らせた。
「…確かに、そうなるわね」
紗苗にはその言葉の意味が理解できた。
かごめの心は、様々な自責の念に駆られ、崩壊寸前のところまで来ていた。
このタイミングでなら…まだ十全に戦う力を得ていなかったかごめを虜にし、瞬く間に目的を達することが出来ただろう。
だが、かごめの心は、既にもう大きな支えを得ている。
「さっきも言ったけど、そうそうあんたの思い通りに世の中回りゃしないわよッ!」
紗苗は再び魔力を開放する。
ほとんどやせ我慢に近い、限界寸前の魔力を一度に放出しているはずなのだが…紗苗は不思議と、自分の力にまったく底を感じない。
むしろ、後から後から際限なく湧き上がってくる様に感じた。
「…かごめちゃん、魔法はどのくらい使える?」
「時間なかったし、一京さんの専門は炎熱じゃないからね…。
でも、ある程度の威力が期待できる中位魔法くらいまでなら、一通り。
あとは上位魔法の文言訊いただけで試してない。あのオバケたちの邪魔が入ったし」
「…あと何か教わってる?」
「六兄から術式装填ってのを」
紗苗はそこから、これまでのかごめの能力を鑑みて、頷く。
「なら、あたしが中距離から援護する。
炎の魔法を装填すれば、その刀で有効なダメージを与えられるはずだわ…!」
「合点!」
応えるが早いか、かごめは左の掌に炎の魔力を集め、大地を蹴った。
(どうして…どうしてこんなモノばかり見えるの…!?
かごめさんが…かごめさんが「帰ってくる」って言ってくれたのにっ!)
暗い意識の中で、佐祐理は頭を抑えて泣き叫んだ。
その形こそ違えど、最初にかごめがジズに立ち向かったときに過ぎったヴィジョンに通じるものがあった。
しかし、事態はより最悪な方向に展開している。
(…どうして…どうしてっ…)
その問いに答えるかのように、闇の中に淡い光のシルエットが出現する。
その光の主は、佐祐理の目の前で、少しずつ姿をあらわにしていく。
それは、彼女も良く知る、幼い天使。
(…あなたが…あなたがこれを見せたというの…ポエットちゃん!)
非難するように声を荒げる佐祐理。
確証があったわけではない。
しかし、彼女には確信があった。
この不吉なヴィジョンが脳裏を過ぎった時、確かに、その気配を感じていたから。
ポエットは、淋しそうな表情で頷く。
(…半分、正解です。
けどもう半分は…佐祐理さん、あなた自身に眠っていた力…それが作用してるんです。
…私はその力を少し、揺り動かしたに過ぎないんです)
「ジズですって…? あの伝説の悪性魔性真祖が…まさか」
雷撃を放ち目の前の悪霊をまた一体消滅させながら、一京は信じられないといった声を上げる。
「だが、十中八九間違いねぇ!俺はつい先日この気に直に触れてんだよ!
となればこの連中は、俺らをかごめから遠ざけるための囮(デコイ)に過ぎねぇ!」
「囮って…そんな乱暴な」
一京の物言いも当たり前といえば当たり前。
囮とするにはあまりに数が多く、しかも統率され高度なコンビネーションを駆使してくるレベル…その気になれば、何の備えも持たない国ひとつくらいは十分攻め取れる戦力が、目の前に迫る悪霊たちにはあるのだ。
「何度も言わすな。
そういう、俺ら一般人にとって常に理解不能なことをやらかすのが真祖サマってヤツだ」
六はそういいながら、手にしていた刀をそっと立てるようにして、手を離した。
すぐにバランスを失い、倒れるだけかと思いきや…刀はそのまま、ゆっくりと地面に吸い込まれていくように見える。
「…親玉とその目的が解った以上、こんな前座のかませ犬どもは手っ取り早く片付けるに限る」
一京は顔色を変えた。
六が刀を手放したこと…その意味とこれから起こることを予見する。
「兼続さんがアレを使う!散開してくださいッ!」
周囲で戦う術士たちに向けて絶叫する。
六の刀は完全に地面に吸い込まれていく。
「…水嵐悉く荒れ狂え…"群雲雨千鳥"ッ!」
六の手が天を突く。
それに呼応するように、周囲に幾つもの巨大な刃のシルエットが整然と現れ…次の瞬間、爆ぜた。
(…私の…力?)
ポエットは頷く。
(とても…とても強い力です。
けれど…とても荒々しい力。
佐祐理さんのお母様が、この力の発現を恐れていたことが…私にも理解できました)
どういうことなのか…佐祐理はポエットの言葉を、今ひとつ理解できずに居る。
あったこともないはずの自分の母親のことを、一体どうしてこの少女が知りえたのか…そのことも含めて。
(…詳しいことはいずれ、お話できるかも知れません。
けど、「今の」私がこうしてお話できる時間は、あとわずか…
今の私は…あなたが知る「ポエット」であって「ポエット」ではないもの。
堕天して、砕かれた「私」のカケラに過ぎないから)
佐祐理ははっとする。
そして、自分が拾ったカケラの正体を、ようやくにして理解した。
(あなたは…ひとつの選択を迫られようとしています。
私の残りわずかな力を使って…今から、あなたの体が記憶している、あなた自身が知らなかった出来事…それをお見せします。
佐祐理さんのもつ、本当の力のことを)
ポエットの姿は再び光へと戻る。
そして、佐祐理の世界はまばゆい光へと包まれた。
−顎を開け、煉獄の炎獣!我が腕より奔り敵を喰らえ!−
「紅蓮地獄!」
かごめの掌に、直径1メートル近くもある火球が出現する。
炎魔法でも中の上クラスの威力を持つ、かなり強力な魔法だ。
「そんなものをこの私が易々と受けると思うか!」
ジズの闇の竜巻を纏った腕がかごめに迫る。
かごめの火の玉を相殺するどころか、恐らくは諸共に半身を吹っ飛ばせるくらいの威力があるだろう。
その口調からも完全に頭に血が上っっているのか…ジズは、かごめを無傷で手中に収めるということを忘れているかのようだ。
しかし、その腕は氷の鎖で後方へと引きずられる。
「あなたかごめちゃんの体が欲しいんでしょ?
なら、無闇に傷つけるのは得策じゃないんじゃないの?」
「…ッ…! この女ッ!!」
小馬鹿にしたようなその術者…紗苗を睨みつけ、ジズは力任せにその束縛を引き千切る。
だが。
「その一瞬が命取りだよっ!」
体勢を立て直すより一瞬早く、かごめはその火球をジズの身体に叩き込み、同時に後方へ飛びのく。
火球は轟音を立て爆発した。
「…まだっ!」
かごめは即座に次の呪文を唱え、幾条もの炎の矢を出現させる。
「炎熱の魔矢、術式固定…装填!」
掴み取られた炎の矢が純粋な炎の魔力となり、正眼に構えた刀身へと伝わる。
術式装填。
それはすなわち「魔法剣」と呼ばれる技であり、魔法そのものを器物や術者自身に融合することで攻撃力を爆発的に高めるというものである。
魔力を与えその属性効果を付与する「属性付加(エレメント・エンチャント)」とは違い、融合した魔法の威力に比例して効果も大きくなるが…その分、融合した対象物の負担も大きくなる諸刃の剣でもある。
「お…のれ…!」
先日のダメージも完全に癒えきってはいないだろう。
そのくせ大量の悪霊を操り、圧倒したとはいえ紗苗の足止めを受けて魔力を僅かとはいえ消費したところに、強烈な一撃を貰ったそのダメージはかなりのものであっただろう。
しかし、不発に終わったと見えた瘴気の竜巻はまだ、そのままで固定されている。
敵もさるもの、本調子でないとはいえそれだけの芸当が出来るほどの力があるということが解る。
再び振り上げる腕は、ある一点で凍りついたように動かない。
「…"凍る大地"…悪いけど、あなたを自由に戦わせるつもりはない…!」
「貴様ァァァァー!」
絶叫するその身体を、かごめは炎を纏った月影の一刀で切り裂いた。
再び、夢を見ている。
「…やはり…この子には」
悲しそうに見ているこの女の人は…そうだ、私の母さんだ…。
その上には、幼い頃散々に見た、生まれ育った家の天井が見える。
この世界は…物心ついたとき、はじめて見た世界に似ている。
私が最初に記憶していたのは…ゆりかごの中から見えた、私をあやす父さんと母さんの、明るい笑顔だ。
でも、こんな光景は知らない。
このゆりかごの中から、こんな悲しい瞳をした母さんの顔なんて…見たことはない。
「この子がもつ力は…あまりにも危険過ぎる。
我が先祖…偉大なる鬼姫・滝夜叉の力をそのまま受け継いでしまったこの子は…」
何を…?
何を言っているの…?
鬼の姫の力…?
幾つもの疑問符が、私の頭を駆け巡っていく。
「この力は…この世に残してはいけないものなのよ。
この子が…佐祐理が、普通の女の子として、幸せに生きていくためには」
母さんが、その手に信じられないほどの魔力を集める。
何をする気なのだろう。
恐怖で、体が竦む感覚がする。
声が出せない。
「…本当に…そうなのか、母さん?」
母さんの手が止まる。
お父さんの声。
「…潤さん」
「俺には…そうは思えない」
これは…お父さんだ。
母さんがお父さん…熊野潤一郎を呼ぶ時の愛称。
私が小学校に上がるか上がらないかの頃…弟の夏樹が生まれて間もなく、己の力に磨きをかけるために武者修行へと出かけて行ったきり滅多に戻ってきていないけど…忘れるはずもない。
鍛え抜かれたがっしりとした肉体に、不似合いなくらい穏やかな、柔和な笑顔。
私は、父さんの腕の中に身体を移したようだ。
懐かしい、そのぬくもりを感じる。
幼い頃の私にとっては、そこが一番のお気に入りの場所だった。
この高い世界から、まるで世界のすべてを見渡せるような、その場所が。
「潤さん!あんたも知ってるだろう!
かつて平安の世、日本で大反乱を起こし、敗れ討たれた将門の娘は、その恨みから鬼となり強大な力を持って世に混乱をもたらした!
天を裂き、地を割り、ありとあらゆる物を破壊しつくすその鬼の力は、多くの犠牲を持って舟木の一族が封印したものなんだよ!
類稀な巫女の内に封印したそれは、その力が以後舟木の家系に現れ、その都度その力を完全に封印し続けることで護ってきたんだ!
もう二度と、こんなものが世に出ないように!」
こんな怖い顔で叫ぶ母さんを、私は知らない。
けど、その表情は、決して私を憎いから、そんなことを言っているんだということは解った。
私に宿っていたそのチカラが、それだけ危険なモノであることも。
「…知らないわけじゃないさ。俺たち熊野家の人間にとっても、無関係な話じゃない。
その将門公臣下の生き残りとして、その語り部を務めてきた一族なのだからな」
その腕の中で静かに寝息を立てるだろう私の頬を、父さんの指がそっとなぞる。
「だが母さん…俺には、どうしてもこの力が無意味な破壊のみをもたらすものとは思えないんだ。
…滝夜叉様も…討たれた父君への愛ゆえに…その無念を晴らすために鬼の力を得られた。
使い方を誤れば、確かに滝夜叉様のように狂気に陥ってしまうかもしれない。
だが…その力を守ってきた母さんの一族と、その悲しき歴史を語り守ってきた俺たちの一族、その両方の血を受け継いだこの子がその力を受け継いできたことは…それがこの子にとってきっと必要になるからだと、俺は思いたいんだ」
私の身体は、再びゆりかごの中へと戻される。
父さんの表情は…どこか寂しそうにも見える。
「潤さん…」
「この力が…とてつもなく危険な代物なのは十分承知している。
だが…この子が成長し、大切な友達か…好きな男でも出来て、それが想像もつかぬ危機に陥った時…この子が何も出来なければ、その方がきっと可哀想だ。
俺には、何となく解るんだ。
この子はそう遠くない未来、幼いまま俺たちの元を離れ…俺たちではない他の大切な者たちと、共に長い時を過ごす運命のようなものが見える」
母さんは黙って、その言葉に耳を傾けていた。
「だから、同じ使えなくするなら…余程のことがない限り、それが出てこないようにすればいい。
もしこの子が、それを必要とした時が来た時のため、この子自身がこの力を使う選択ができるように。
この子なら…佐祐理なら、きっと必要な時、必要な分だけこの力を使いこなせる。俺は、そう信じたい。
何しろ…俺と母さんの、自慢の娘だからな」
父さんが、普段はあまり見せないような表情で笑う。
少しはにかんだような…それでいて衒うところのない。何故かそれも、お父さんらしい表情に思えた。
母さんはしばらく考えていた。
完全に手持ち無沙汰になっていた歩は、時折きょろきょろと落ち着きなく辺りの様子を窺ったりしていた。
「…それにしても…すごい回復力」
「ええ…一時はどうなるかと思いましたが」
「え?」
双子の思っても見ない一言に、歩が問い返す。
「あ…その、えっと…ふたりがかりで葉菜を、その…治してくれてるからじゃないんですか?」
言葉を選びながら問いかける歩に、双子は同じように頭を振る。
「いいえ。私たちの力だけでは、恐らく彼女を助けることは出来なかったでしょう」
「触れてみて解りましたが…えっと、葉菜さん…とおっしゃいましたね。
彼女は、生まれつき非常に高い魔力…回復に優れた樹花の魔力と、非常に優れた身体能力を秘めておられるようです」
「そして、きっとあなたの力も、作用しているかも知れません」
「ぼ…僕の?」
双子の一方…右くくりのほうが頷く。
「あなたも、かなり強い大地の魔力を潜在的に持っているようです。
あなたが葉菜さんを想う、その想いの強さもありますが…」
「私の魔力と、あなたの魔力の共鳴を感じます。
私…東條なずなの魔力属性は樹花。双子の妹であるすずなの魔力は流水。いずれも、大地の力ととても相性がいい。
恐らくこの回復の早さは、その力の相互作用によるものだと思います」
左くくりの少女…なずなは歩の手をとる。
「相性の良い力は、強く引き合うものと聞いております。
それが互いに強いモノであらば、より強く。
樹花、大地はともに…かごめお嬢様の持つ炎熱の魔力に縁の深い力」
「お嬢様の魔力は…これまで日常生活に支障がない程度まで抑えられていましたが…実際には呪文の詠唱なしに、眼に映る万象悉くを瞬時に灰燼に帰すほどの強大な力なのです。
あなたたちがお嬢様と知り合えたことも、恐らくはそのチカラ同士の引き合いが生んだものなのかも知れません」
歩は呆けたようにその手を見つめていた。
「じゃあ…さゆちゃんも…?」
歩の視線の先に、人形のような姿で座ったままの佐祐理。
双子は難しい顔をしている。
彼女たちも察したのだろう。
先ほどのやり取りから、この四人…特に、かごめと佐祐理に結ばれた絆の深さを、そんな単純なことで決め付けて欲しくないという歩の気持ちを。
「…そこまでは…今、支配されている彼女の魔力の本質が何処にあるのか…それは今となっては、解らぬことなのです。
もし…この呪縛から解き放たれれば、解るやも知れませんが」
「それに、そうした相性ばかりではない。
ヒトとヒトとのつながりは、そう単純なものばかりではありません。
現に、対照的な属性を持つはずの…お嬢様と当主様の例もありますから」
「…だよね」
歩は、その言葉に少し安心した気分になった。
そのとき、改めて佐祐理の表情に、何か違和感があることに歩は思った。
かごめの言葉が正しければ、今の佐祐理は何の意思も持たない、かごめの命令に従うままに行動するだけの生き人形。
それなのに。
(なんで…?)
その暗い瞳の奥に、何故か佐祐理自身の強い意志があるのが感じ取れる。
(…なんで…さゆちゃん…
なんでそんな…泣きそうな顔してるんだよ…!?)
歩の瞳に映る佐祐理は、ただ一点…
かごめと紗苗がジズと死闘を繰り広げているその方角を、物言わず見つめている。
「…解った。
潤さんの言う通りかも知れないね」
母さんも笑う。
そして、再び魔力を込めた指で中空に何かを描き出した。
「これから、さゆの魂そのものに、この鬼の力をすべて押し込む。
その状態で封印を閉じ、鍵をかける事にする。
その鍵となる三つの条件…潤さん、あんたに任せる」
ほう、と呆けたようなお父さん。
「俺が考えてもいいのか?」
「言いだしっぺは潤さんだよ。それにあたしには、良い考えが浮かばないわ」
「ふむ…」
少し考えていたが、お父さんは間もなく結論を出した。
「よし。
ひとつめは、佐祐理自身が"鬼"と名のつく魔物に関ること。
今の世の中、力のある魔性も多いが…鬼の類はそうそうないだろう。
ふたつめは、佐祐理の魂そのものに、何らかの悪意を持った魔力が影響すること。
最後は…佐祐理が、何よりも強く…大切なひとを護りたい、そう強く願うこと。
そんなあたりでどうだろう」
「解った。
これなら、そう簡単に満たせるような条件じゃないね」
そこで世界は、再び暗転した。
(…お分かりいただけましたか?)
そこには何も見えない。
闇の中で、ポエットの声だけが聞こえる。
恐らく…カケラの彼女は、もう姿を維持する力すら残っていないのだろう。
(佐祐理さんの封印は、どんな運命の悪戯か…既にふたつまで解除されているんです。
ひとつは…「吸血鬼」の血を引くかごめさんと出逢った事。
もうひとつは…ジズの魔力の影響を受けた、かごめさんの魔力に魂が侵食されてしまったこと)
そこで再び、世界は変わる。
その視界に見たものは。
(かごめさんッ!)
それは今の彼女たち。
直接攻撃を担当するかごめと、それを支援する紗苗。
しかし、優勢に見えるその攻防は、かごめたち自身も限界を超えた力を搾り出し辛うじて保っているに過ぎない。
そこへ、先ほどの光景が佐祐理の視界を過ぎる。
予感したのだ。
このままでは、その光景が現実になってしまうことを。
(嫌だよ!そんなの嫌!
私もかごめさんの力になりたい…!
どんな危険な力でもいい!
チカラが…彼女を…大切なみんなを護るためのチカラが欲しい!
もう見ているだけなのは嫌!
私だけ何も出来ないで居るのは嫌なのッ!!)
闇の中で力の限り、佐祐理は叫んだ。
その声に応えるかのように…その頭上から、光り輝くものが降りてきた。
彼女は、それをそっと、両手で受け止める。
それは小さな鍵だった。
(…それは…あなたの封印が全て解かれた証)
気づけば、目の前には巨大な檻が見える。
禍々しき力を放ちながら、爛々と光らせる瞳をもち、低く唸り声を上げるそのシルエットは…鬼。
(あなたのその想いの強さで、それを従えてください。
あなたのお父様が信じたとおり…佐祐理さんなら、必ず出来ます。
そして…かごめさんを助けてあげて…そして、いつか)
そこに彼女が居たわけではないだろう。
しかし、佐祐理は涙を拭い、ゆっくり立ち上がりって微笑む。
(…約束する。
かごめさんと…葉菜先輩や歩先輩、紗苗さんや六さん…みんなで一緒に、必ずあなたを取り戻しに行くから!)
意を決して、彼女は檻の鍵穴に、鍵を差し込み…ゆっくりと回す。
次の瞬間、強烈な暴風が、すべての闇を吹き飛ばしていた。
「な…何!? 今度はなんなんだよっ!?」
大人しく座っていたはずの佐祐理から凄まじい魔力の波動がほどばしる。
思っても見なかった事態に狼狽するのは当然歩ばかりではなかった。
「嘘…!
何の意思もないはずの吸血鬼従僕が…自らの意思でこれほどの魔力を発してるなんて…!」
「というより…この力…まさか、そんな!」
双子の術士も思わず後ずさってしまうほどの、まるで台風のような烈風の魔力。
「吸血鬼従僕が魔力を発する時…それは主たる吸血鬼のそれが反映されるハズ。
お嬢様の属性は炎熱のはず…けど、この魔力は烈風の力」
「烈風も炎熱に縁の深い力…だけど、従僕が主と異なる魔力を発動するなんて有り得ない!」
「ど、どういうことなんですかっ?」
双子は神妙な面持ちで、声をそろえて応えた。
「彼女自身のもっていた魔力の根源が、何らかの原因で覚醒したということ!」
「わわっ!」
その瞬間、佐祐理の身体を取り巻いていた風が爆散する。
目覚めぬままの葉菜を庇うように、双子と歩はしっかりとその場に耐える。
その風が収まったとき。
「さゆ…ちゃん?」
その中心に立っていたのは、確かに佐祐理だった。
だが、その瞳は生気を完全に取り戻している。
それだけではない。
風に靡く黒い髪の間に、左右二対の小さな角が、その存在を主張していた。
「…すみません、先輩。
これが…私の本来の姿…みたいなんです」
彼女は、一瞬だけ歩たちのほうへ振り向き…淋しそうに微笑んだ。
「この…私に眠っていた全ての力…それで、かごめさんを…みんなを護る!」
次の瞬間、その足が大地を蹴り、強烈な風とともに飛翔した。