灼熱の刃がその闇を切り裂く。
しかし、そこに手ごたえはない。

戸惑うかごめが状況を把握するより前に。


「きゃあっ!」

紗苗の悲鳴。


何時の間に放たれたのか、強靭な闇の帯が、幾条も紗苗の身体に絡み付いて締め上げていた。


「…さな姉っ!」
慌てて飛翔しようとするかごめの足を、別の闇の帯が捉える。
「しまっ…!?」
ただ、捕われていたわけではない。
彼女は一気に自分の体から、力が抜けていくのを感じた。

恐らく…その捕われた部分から、かごめの魔法力が奪われているのだろう。
何時の間にか、刀に伝わっていた炎が消えている。

(これは…エナジードレイン…!)

実体を持たない悪霊型の魔性が得意とする…いや、その生理現象の一つともいえる能力。
霊体そのもので、触れたものの生命力や魔力を奪うという…悪霊の「食事」方法というべきもの。

「うあ…!」
捕われたままの紗苗が、苦悶の表情を見せる。
元々限界の状態で戦っていたのだ。このままでは、彼女の身もただでは済まない。


ジズの姿が、その冷たい嘲り笑いとともに再び出現する。

「…危ないところでした…。
やはり、前のダメージが完全に癒えてないところであなたたちふたりを相手取ろうとしたのが、私の油断だったのは認めましょう。
まさか、これを使うことになるとは予想外でした」
「ち…ちくしょうっ…!」
口惜しそうに呻くかごめ。
その髪も瞳も、元の黒へと戻り始める。ものの数秒で吸血鬼の状態すらも、彼女は維持できなくなり始めていた。

「このまま全ての魔力を吸い尽くしても良いのですが…」
ジズは、紗苗とかごめを品定めするように見比べる。
「…先日のようにあなたを虜にし…あの小憎らしい女を、あなたの手で切り刻ませてやるとしましょう。
ついでに…他の場所に居る人間どもも皆…」
「や…っ!」
かごめはその、悪魔の如き発想に戦慄する。

「あがいても無駄です…さぁ…今度こそ…!」
ジズの手が妖しく光り、かごめの顔に迫った。


その直線上に、割り込んできた臙脂色の影。


咆哮とともに、暴風をはらんだ拳が、空気を裂いて猛然と振り下ろされてきたのだ。
まるで、その禍々しき行為に下すべき天罰を体現するかの如く。


「!」
ジズは瞬時に後方へ飛びのき、次の瞬間、轟音とともに大地が爆発した。


爆風が巻き起こり、紗苗とかごめを捕えていたその黒い戒めだけが完全に吹き飛ばされる。


「…さゆ」
濛々と上がる土煙の中、呆然とかごめは呟いた。
その悪魔の一撃から、大切な存在を庇うかのように立ちはだかった、その少女の名前を。



-天使の羽詩-
第十九話 爆炎の鬼神楽




「貴様…あのときの小娘…!」
ジズは佐祐理の姿を睨みつける。

「さゆ…なんで?」
渦巻く風を纏いながら、その視線を気丈にも見据え返すその姿に、かごめは問いかける。

完全に、自らの意思でその自由を奪ったハズの少女。
主からの命令に絶対服従の、生きた人形となっていたはずだったのに。

動くなと…待って居てくれと、そう命令したはずなのに。

(まさか…あたしは無意識に…?)
かごめは戦慄する。

自分の身勝手で、また彼女を一方的に巻き込んでしまったのではないかと。

しかし。

「…よかった…間に合った」
振り向いたその姿を、何よりもその表情を見て、かごめはさらに驚かされた。

佐祐理が自分の意思で、そうしていたということ。
彼女を取り巻く風の力は、明らか自分の影響下にないこと。

そして…その額に生えていた、左右一対の角。


「…驚いた…さゆちゃん、あなたは"鬼"の力を」
その言葉に、佐祐理は頷く。
何時の間にか、紗苗がかごめの隣に立っていた。
着物は見る影もなくボロボロで、特に左腕に深いダメージを負ってしまったのかそれを庇うように押さえていた。
「…鬼…?」
「日本古来の鬼は…天狗や雨龍に並ぶ、土着の魔性としては最強クラスの存在。
現在ではその姿を見ることすら難しい…何故なら、危険すぎてそのチカラは生まれて間もなく、封印されてしまうから」
怪訝そうな表情のかごめと目が合うと、佐祐理は僅かに表情を曇らせ、俯いた。

かごめもまた、彼女が自分と同じ“人ならざる者”の力を有していたことを理解した。
そのことは…恐らくは佐祐理にとってもショックなことだったのかも知れない。

「…けどさ」
難しい顔をしていたかごめだったが、
「それなら、元っからさゆは、あたしとそんなに変わらなかった…ってことだよね?」
そう言って、笑った。

場違いにも思えるその反応に、紗苗も佐祐理も一瞬、呆気に取られてしまう。
だが。

「そうね。
あんたが後でさゆちゃんをどうする気だったか知らないけど…その小賢しい小細工をしなくても済んだってことよ」
「…ならばよし、だわ」
そういってふたりで笑いあった。

その表情に、佐祐理の表情も明るさを取り戻した。

そのとき。
土煙の中から幾条もの闇の触手が飛んできて、佐祐理の身体を捕えた。

「この小娘…貴様が私の素材に余計なことを…!」
触手の根元、ジズが憎悪と怒りに染まった表情で佐祐理を睨む。
彼女の身体に触れたことで、それが何をしたか…吸い取った魔力から読み取ったのだろう。

「…無駄話をしてる場合じゃなかった!
さな姉、後どのくらいいける!? あたしはまだ、少しくらいはなんとか」
「…ごめん…あと、こけおどし程度の何かが出来るくらい…。
あいつの反撃のタイミングを狂わせられるかどうかってトコ」
「それでいい、後はあたしが…?」
かごめと紗苗がそんな算段をしている目の前で。

「ううっ…!」
佐祐理が力いっぱい、その戒めを解こうとしているのを見て、ふたりは顔色を変える。

「駄目だ!そんなことしたら…」
「ううん待って!」
制止の声をあげるかごめを、紗苗は何かに気づいた様子で制する。


「許さん…絶対に許さんぞ!
このままずたずたに捻り裂いてくれる!」
その圧力が一段と増す。

「許さない…ですって…?」
苦悶の表情を見せながらも、佐祐理の瞳は強い感情のこもった目で、ジズを見据えていた。
その色は…純粋な怒り。
「かごめさんを…ポエットちゃんを…そして先生や葉菜先輩も紗苗さんも!
私の大好きな人たちを勝手な理由で傷つけておいて!」
佐祐理の声に応えるかのように、その周囲に凄まじい風が巻き起こり始めた。
「な…なんだと…」
闇の触手が軋み始め、徐々に亀裂が入り始めた。

「私こそ…
あなたは…あなただけは、絶対に許さないからッ!」

収束した風の中、弾けとんだ触手の中から現れた彼女の両腕は、肘から先が黒く光る強靭な鬼のそれへと完全に変貌していた。



六の刀が元の姿に戻り、その手に帰ってきたそのとき。
周囲は悪霊たちどころか、その周りの木々までことごとくが吹き飛ばされて、更地の状態になっていた。

「…一丁上がり、だな」

その刀身を鞘に収め、肩に担ぐとニヒルに笑う六。

「…一丁上がりじゃないですよ〜」
その脇の林から一京が顔を出す。
それにつられて出てきた術士も、やれやれといった塩梅の表情だ。
「皆比較的ほど良い具合に散ってたから良かったけど…あんなの、急にやられたら私たちも一巻の終わりですよ」
「おー、悪い悪い。けど綺麗に片付いたろ」
六は悪びれた様子もない。
一京も他の術士も苦笑が隠せない様子だ。

「…しかし…」
六は改めて、紗苗たちの居る辺りを見る。
「…何だ…このべらぼうにでかい妖気は…?
こんな力…まったく覚えがねぇ」
六の額に汗が流れる。
それは、この戦闘における疲労からばかりでないことは、表情からも窺える。
「これは…もしや」
「ああ…古に失われたといわれる、鬼の力か…?」
「鬼…ですって? これが? そんな!」
術士たちのざわめきに、一京が顔色を変える。
「…心当たりでもあるのか?」
六の問いに、やや躊躇していた風だったが…一京は神妙な表情で頷く。

「私の…舟木一族に伝わる伝承です。
かつて平安の世、父を討たれた恨みから鬼となった将門公の娘は、わが先祖に当たる巫女の胎内に力を封印されて倒されました。
その力は、以後も一族の者に一世代にひとり現れ、その都度その者に封印を施すことで封じ…護ってきた」
「舟木家…じゃあお前さん以外に、今ここにその一族のヤツが居るってことか?」
「ええ…私の記憶が確かなら今の世代でその力を受け継いだのは…私の叔母に当たるふな…いえ、熊野椿の愛娘」
「…熊野…だと…!」
六はその名前に顔色を変える。

熊野椿…旧姓では舟木椿。かつて北陸・東北にその人ありといわれた全国屈指の女性陰陽師。
そればかりでない。こんな珍しい名字の人間は、彼が良く知る少女のそれと同じ。

そして、一京は「愛娘」といった。
そこから導かれる結論はただひとつしかない。

「…まさか…この妖気はさゆ坊の仕業だって言うのか!」
「え、ええ。確かにあの子はさゆりちゃんと…え? まさか兼続さんあの子のこと知ってるんですか!?」
「知ってるも何も…そいつが、かごめの友達なんだよッ!」
六は集まった術士たちに振り返る。
「事情は行きながら話す!
まだ動けるやつはついて来い!そうでないやつは屋敷に引いて待機だ!
状況は良く解らんが、最悪、馬鹿な魔性真祖と暴走した鬼の両方を相手にしなきゃならん!きつい戦いになるぞ!」
彼が駆け出すとともに、一京を含む数人の術士が続いて駆け出した。



ジズは勿論だろうが、かごめたちにも何が起こったのか正直解りかねていた。

事情は飲み込んだつもりだったが、それを改めて目の当たりにし、かごめは正直なところ戸惑っていた。
本当に、目の前に居るその存在が、つい先日まで普通の少女であった…熊野佐祐理本人なのかどうか。

恐らく先日、初めて吸血鬼の姿となった自分を見た佐祐理も、自分に対して同じ印象を抱いていたのだろうか…。


だが。


「あ…」
僅かに振り向いた、淋しそうなその微笑を見て、かごめはその考えを振り払う。

佐祐理は…その姿を変えてしまっても、その中身まではまったく変わっては居ない。
彼女自身が、純粋に「かごめたちを助ける」というその強い意志で、この場に現れたのだということを、かごめは悟った。


「…私…。
今まで生きてきた中で、誰かを嫌いだとか、憎いとか思ったことは、多分一度もないと思う。
だけど」
ゆっくりと、腰を僅かに引き、両手を上下に構えるという独特の構えを取る。

太極拳。
学校の選択授業で、「面白そうだから」と、自分が佐祐理をそそのかして受けたので、かごめにも見覚えのある型だ。
結局、最初は渋っていたはずの佐祐理のほうが夢中になってしまったようで、以後独学でいろいろな技術について調べていたのをかごめは知っていた。

健康法や体操の一種と見られることも多い太極拳だが、その程度のものが世界中に広まるほど、中国武術は甘いシロモノではない。
本来の太極拳とは螺旋の動きを軸とした、非常に効果的に相手の身体機能を破壊する術に優れた、恐るべき実戦武術なのだ。

そのことを知った瞬間に、彼女はそれ以上深く関ることをやめてしまったのだが…。

「あなたのような人は…もう言葉でどうにか解決できるような相手じゃない…!
私の知りえた…持ちえた力であなたを完全に破壊する!」
普段の彼女からは、とても想像も出来ない言葉だった。

だが、その根底にあるものは…

「…あの子は…やっぱり、とても優しい子なんだわ。
そしてそのときにやるべきこと…やらなくてはいけないことを、ちゃんと知ってる」
「さな姉…」
最早立っていられないほど消耗していた紗苗は、かごめに支えられて再度立ち上がろうとする。
「…あたしたち三人なら、何とかできるかも知れない。
六兄たちのほうもカタがついたみたい…最悪、彼らと合流できれば…勝機はある!」
「…いや…多分それじゃダメだ」
かごめはその言葉を制する。

「あたしに考えがあるんだ。
あの妙にプライドが高いあいつが、エナジードレインなんてモノを繰り出してくる辺り、多分そんなに余力は残ってないはず。
だったら…一撃で仕留められるかも知れない」
「かごめちゃん…? あなた、何を」
紗苗の問いには答えず、かごめは紗苗を支えていた手を離し、魔力を集中し始める。
左の手に光、右の手に炎の魔力。

−来たれ、炎精、光の精−

(この文言は…上級の二属性融合魔法!?
 まさか…この子!)
紗苗は即座にその考えを読み取った。
その恐るべき選択に戦慄する。

「今、あたしが考えうる最高の攻撃…。
さな姉…しんどいところ悪いけど、さゆと協力して時間を稼いで。
巧くいくか解らないけど…必ず成功させるから!」

恐らくは…六たちが駆けつけても、既に消耗した彼らはジズの奥の手…エナジードレインの餌食にしかなりえないだろう。
そうなれば、最悪の事態は避けられない。
かごめは冷徹なまでに、その事実を受け止めた上で…最後の博打を打とうというのである。

「…止めても、無駄みたいね」
「あとでいっぱい、叱ってくれてもいいよ…生き残れたらだけど」
「解った」
その笑顔に励まされるかのように、紗苗はもう一度、最後に残された気力を振り絞って立ち上がる。

その手に、純白の刀を握り締めて。


(さゆちゃん! あたしが囮になる!
 あなたは、あなたが考えられる限りの方法で、あいつの注意を引いて!)

突如、脳内に直接紗苗の声が響き、佐祐理は一瞬驚く。
「紗苗さん!」
瞬間、ジズと自分の対角線上に紗苗の姿が躍り出てくるのが見える。

「貴様!まだ動けるのか!」
「しぶといのは性分なのよッ!」
飛んできた闇の帯を、紗苗は渾身の力で弾き飛ばす。

(…今、魔力で直接あなたの魔力そのものに干渉しているの。
 この方法なら少ない魔力で、タイムラグが0に近い状態であたしの考えがあなたに伝えられる。
 でも、私の魔力も限界に近いから、無駄話は出来ないけど…)
(え…こ、こんな感じ…?)
動き出しながら、佐祐理も感覚で、同じように紗苗に語りかける。
紗苗は思わず、心の中で感嘆の声を上げた。

(…あ、やっぱりあなた、素質があるのね。羨ましいなぁ。
 かごめちゃんもあたしも、こういうの苦手だったから苦労したんだけどね…。

 …っと、そうじゃないか。
 かごめちゃんがなんか、とんでもないことを試すつもりだわ。
 あの子の目論見どおりなら、それで勝負が決まる。
 そんなに長い時間はかからないけど…でも、あたしの見立てじゃ成功する確率はそんなに高くないわ。
 だから私たちがまだ動けるうちに、こいつの意識をかごめちゃんから遠ざけるの…!)

(は、はいっ!)

その一瞬のやり取りのうちに、紗苗の意図を全て理解した佐祐理も、紗苗の攻撃に対応することで意識のおろそかになったジズの背後へ猛然と突っ込んでいく。

「む…!?」
「ええーいっ!」
風の魔力と鬼の妖気で極限まで強化された大上段のハイキックが、その頭部を襲う。
ジズは咄嗟にその威力を察したのだろう。そこから転移魔法で僅かに離れた位置へ移動する。
「…まだっ!」
ほんの僅かな距離を移動したとすぐに看破し、その勢いでさらに回し蹴りを放つ。
その強烈な一撃が掠ると、闇の衣がばっさりと切り裂かれた。

「おのれ…!」
恐らくは力に覚醒したばかりとはいえ…その力は先日見たかごめのそれを、既に上回っていた。
その恐るべき資質に、ジズは不本意ながらも、この少女が己の見解をはるかに超える力の持ち主であることを、認めざるを得なかった。


−紅蓮の炎に輝きを纏い、薙ぎ払え、灼熱の嵐!−

かごめの両掌の間で二つの魔力が融合する。
(…やった!これでいける!)
かごめはさらに強く、そこへ魔力を注ぎ込む。
「…くぅぅっ!」
自分に残された僅かな魔法力を、全て。

「…閃光の熱風…! 術式固定…装填!!」

炎と光の精霊の力を借りる、上位攻撃魔法。
彼女が現時点知りうる、最強の魔法を成功させ、さらにそれを刀に装填する。

強烈な熱と光と炎が、その体から吹き上がった。


「な…しまった!」
紗苗と佐祐理に気を取られすぎ、ジズがそれに気づいた時には後の祭りであった。

かごめと彼らの距離はおよそ15メートルほど。
逃げて逃げ切れない距離ではなく、振り切っての反撃も可能のはずだった。

「はああああーッ!」
雄叫びとともに、紅蓮の魔力を纏ったかごめがそこめがけて飛翔する。
炎の魔力を推進力に、凄まじい速さでその姿が迫るのが見える。

かわそうとするジズの姿は、何時の間にか冷気の渦で縛られていた。

「ぐうっ…またしてもか!」
「あなた…注意力散漫に過ぎるのよ!」

しかし、紗苗の魔力も既に空に近い。
彼女が放った魔法…風華氷旋獄は、その気になれば包んだ冷気で標的を凍死させるほどの威力を持つ強力な魔法だったが…彼女の力ではその動きを止めることすら精一杯だった。

「だ…だがこの程度なら…!」
しかも、既に破られ始めている。

だが。

−集え大気の精、彼の者に逆巻く戒めを!−

「何い!??」
そこへさらに、強烈な旋風が戒めとなって覆いかぶさった。
「大気の障壁…ここであなたに逃げてもらうわけにはいかないんです…!」
その魔法を撃ったのは、佐祐理。

紗苗は最後の一瞬、佐祐理にたった一つだけ、風の魔法を教えていたのだ。
難度が高めの中位魔法ではあったが、ぶっつけ本番でも佐祐理ほどのセンスと魔力があれば、確実に成功すると信じて。


「これでお終いだ! 喰らえ、超魔…」
そこへ、魔力を極限まで上乗せした刀を大上段に振りかぶる、かごめの姿が現れる。

「お…おおおおおおおーッ!!?」
「…爆炎覇ぁぁッ!!」

その一撃が唐竹に、ジズの身体を切り裂く。


「おお…!」
閃光と爆風が、駆けつけた六たちの視界を埋め尽くし…。


次の瞬間、大爆発を起こした。



立て続けに起こる予想外の出来事に戸惑う歩たちの元にも、その衝撃がやってくる。

「な、今度はなんなんだよぉぉー!?」
結界の中で直接それを受けたわけではないのだが、周りの暴風で歪む景色に思わず、葉菜を庇いながら身を竦ませてしまう歩。
「わっ…私たちにだって〜っ!」
「け、けどこれはお嬢様の魔力! 恐らく、お嬢様がまた何かムチャなことを…!」
突然の事態に混乱を隠せず、慌てて張り直した防御結界を必死な表情で支えながら双子は返す。
どうやら、かごめが時折このような“何かとんでもないこと”を仕出かすことは、藤野家でも周知のことなのだろう、と歩は思った。
場違いとは思いながらも、歩は少し笑ってしまった。

やがてゆっくりと、その景色が元へと戻っていく。
凄まじい衝撃を耐え切って、双子はその場にへたり込んでしまった。



光と爆風が収まり、その中心には技を放った体制のままかごめが硬直している。

「かごめ…さん?」
心配そうにその姿をみやる佐祐理。


その姿が、ゆっくりと立ち上がる。
何時の間にか沈みかけた茜色の夕日に染まり、かごめのその姿が緋に染まっているように錯覚する。

佐祐理に一瞬、例の嫌な予感がフラッシュバックするが…。


「…ごめん…手応えはあったけど…逃げられちゃったみたい」
ばつが悪そうに笑うかごめ。

どうやら、彼女の賭けは成功したようだった。
だが…。


「かごめさん!」
「かごめちゃん!」
佐祐理と紗苗が駆け出すのと、かごめの体がゆっくりと、人間の姿に戻りながら倒れていくのはほぼ同時の出来事であった。



一方その頃、商店街の一角にある片岡園芸店…。

同じ音の名前の縁から、葉菜の身代わりとなってこの店へやってきた花は、普段葉菜がそうしているように店の手伝いをしていた。
変身する際に複製(コピー)されたその記憶からは、週末で営業時間が長めにとってある分まだまだかき込み時のはずであった。

「…ちょっと、あんた」
店の奥…母屋でそれまで伝票の整理をやっていたはずの華子が、店先に顔を出す。
「あ…何、かあさ…」
「もう芝居はいいから」
ぎょっとして、その顔を見返す花。
そのとき、花は華子が険しい表情をしていることに気がついた。


それだけではない。
葉菜の記憶は、この女性がどんな時であっても…葉菜を呼ぶときは必ずその「名前」を呼ぶと告げている。

思い返せば、ここにたどり着いて何食わぬ顔で、店の手伝いを始めてから向こう…彼女は、華子から一切「葉菜」とは呼ばれていなかった…。


彼女は華子に差し招かれるまま、恐る恐る店の奥へと入っていった。


「…見ていれば、特に何か悪さをしにきたわけじゃないってのは解る。
けど…そこまで忠実に、葉菜のやることを再現されると逆に気味が悪いくらいだわ…
…まぁ、実際助かったけどね」
振り返り、ふっ、と笑う華子。

「あ…あの…私っ」
「答えな。あんたいったい何者?
なんであの子の真似なんかしてたの?」

その言葉に応えるかのように、花は元の姿へと戻っていく。
ウェーブのかかった淡い緑の髪を二つに括り、白いワンピースを身に纏った蕗の精霊の姿に。

「…私の名前も…花といいます…。
故あって…今、奥多摩の藤野家本家に行かれた葉菜さんの身代わりを命じられた…蕗の精霊です」
「そう」
ばつが悪そうなその少女に、華子は特にどうしようという意思はないようだった。
正体と目的がはっきりしたのであれば、それでいい、と言うのだろう。
「じゃあ葉菜のヤツ、また人様のところへお節介焼きに乗り込んでいったんだな…。
歩ちゃんもいたからなんとなく、すぐに引き返してくるはずないと思ってたんだけどさ」
仕方ないなぁ、と笑う華子。

実際、花がこの店へやってきたのは、葉菜たちがこの店を出てから一時間半ほどしか経っていなかった。
三人の様子から、ただ事になりそうもないことは、華子も予感していたのだ。

それなのに、そんな早く帰ってきて、何食わぬ態度で店の手伝いを始めたこと…
何より、その雰囲気そのものから、華子は最初から目の前の自分が葉菜ではないことに気づいていたのだろう。

「あ…あの…」
葉菜をフォローしたものか、あるいは誤解を解こうと言葉をつなげようとする花。
しかし、それは華子に制されて止まる。
「あんたみたいな子が来たってことは…葉菜はまだ暫く帰って来れない、そうよね?」
花は頷く。
「じゃあ…あの子が帰ってくるまで、あんたがうちの手伝いをしてくれる、って考えていいわけね」
「え…」
花はその言葉に面食らってしまう。
見返す華子の表情は、笑顔だった。
「それにしても、同じ名前ってのも考えもんだねぇ。
あんたのことは"はなちゃん"とでも呼ぶとしますかね」
「あ…あのっ」
「…葉菜が自分で決めて、自分で首突っ込んだことだからね。
あの子が納得いく結果を得られるまで、あの子の好きにやらしておくよ。もう子供じゃないんだし。
帰ったら、事の顛末は葉菜からじっくり聞かせてもらう事にするわ」

花も理解した。
この親子の間には、親子の愛という言葉で片付けられないくらいとても強い信頼関係…いや、絆というものがそこに存在していることを。

そして、まったく見ず知らずの自分を、受け入れているということも。

「はなちゃん、蕗の精霊って言ったよね。
食べるものとか、あたしたちと一緒でいいの?」
「は…はいっ!」
「じゃ、その前に店じまい。今六時半だから、ちょっと早いけどね。
あれだけ葉菜の行動そのまんまに出来るなら、任せていいわね?」
「解りましたっ」
姿は元に戻ってしまっていたが、花は気にした風もなく、白いワンピースの上から花屋のエプロンをかぶって店先へと駆けていった。