夢を、見ていた。

あたしと小さな女の子が、手を繋いで歩いている夢。

その娘が満面の、屈託のない笑顔を向けてくれるのが嬉しくて…。


あたしが何が言おうとしたけど、そこで目の前が白く霞んでいくんだ。


何時もと、同じ夢。

その終焉も、何時も同じ。

それが何を意味するのかは解らない。

でも、これだけは言えるかも知れない。



それは、あたしがずっと、幼い頃から見続けていた「夢」だってこと。







-天使の羽詩-
第一話 詩姫と天使




割れんばかりの拍手に応えるかのように、その少女はゆっくりと一礼すると、弱まっていくスポットライトの中を舞台袖へ歩いていく。
舞台袖からその裏手へ廻ると、このステージに関ったスタッフ達が少女を迎えていた。
「お疲れ様です」というお決まりの言葉に、少女は何時ものようにかすかに微笑んで返す。


胸に一輪、白い花をあしらった漆黒のワンピースを身につけ、つややかだがややクセのある黒髪をセミロングにしているその少女の名は、歌枕(かつなぎ) かごめ。


無論これは本名ではなく、戸籍上の名前は「藤野かごめ」である。

というのは、彼女はそもそも天涯孤独の身であり、彼女が養父であった天草寺の住職・藤野孫次郎に保護された時点で、彼女が自覚していたのは「自分が五歳であること」と「名前が"かごめ"であること」の二点だったからだ。

結局身寄りと思しき者も見つからなかったため、保護して半年の時間を置き、一人身になって久しい孫次郎が養女として引き取ったのである。
五歳以前の記憶がほぼない状態だった彼女は、温和な人格者・孫次郎と、その孫娘で幼い頃に事故で両親を亡くしていることから共に暮らしている紗苗、その従兄弟で時折訪ねてくる放浪生活中の「六」こと藤野兼続との生活の中で、生来のものと思われる快活な性格を取り戻していった。


かごめが十一歳になった頃、偶然彼女の作文を見た孫次郎は、彼女が詩人として極めて非凡な才能を秘めていることに気がついた。
折りしも、歌手として芸能界デビューを果たしていた紗苗の伝手があって、かごめの詩をその事務所に持っていったところ、事務所の側でもその才覚は高く評価され…彼女は、若干十二歳で詩人としてデビューした。
作詞活動、朗読会など実績を重ね、何時しか彼女は「歌姫」ならぬ「詩姫」として、スターダムに登りつめることとなった。


しかし、彼女はそんな名声も、その活動で得た莫大な富も、すべて興味のないものであった。

余計な名声など日常生活を送る上で時に邪魔にしかならず、財貨も己の生活にさえ困らなければそれでいいと思っている。

彼女を育ててくれた孫次郎は、寿命に勝てず彼女がデビューした翌年に世を去ったが…彼女は残された家に、歌手業に多忙な紗苗とともに今も暮らし続けている。


不思議な雰囲気を持つ彼女を評し、「何時も遠くにある何かを探しているみたい」と言う者もいた。

彼女自身、巧いことを言うものだ、と思うところはあるらしい。


確かに、彼女は「何か」を常に捜し求めていた。

それが「何か」は彼女にも解らない。


始めのうちは、彼女の記憶から抜け落ちた、彼女自身の幼い頃の記憶を探してるんだと思っていた。
だが、やがて何のために"詠う"のか、何を"詠いたい"のか…それが「探し物」ではないか、と思うようになった。

幼い頃の彼女が、それを捜し求めて、何処からだったか逃げ出そうとしてきたことを、思い出したからだ。


それが何なのか、今も彼女には解らない。

だから彼女は今も、それを捜し求めるヒントを掴み取ろうとするかのように、詠いつづけている…。



この後は、後片付けを終えた主要なスタッフと食事をし、所属事務所の担当と今後のことについて話し合い、解散。
年に数度予定されていた、彼女のステージ後は大体このようにして終わる。

だけど、この日は違っていた。


「よぉ詩姫サマ。毎度ながら、中々の盛況振りじゃねぇか」
スタッフの中に"彼"がいたことで、かごめはなんだか妙な胸騒ぎを覚えた。

嫌な予感、って程でもないが、かといって、何か良い事がありそうな気もしない。
この人物が姿を現す時、大概ロクな事がないことをかごめは知っていた。

彼女はスタッフの目があったから、"何時も通り"無言で彼に目配せする。
「ちょっとヤボ用でな、ステージを袖から楽しみながら待ってたんだ。これから用事は在るか?」
彼女は無言のまま、ふるふると首を横に振る。


一人暮らしではないが、それでも彼女にそんな"予定"を作るような気もない。

むしろ何かしら理由をつけて、この人物が持ち込んでくる厄介事を回避しようとしても…どういうわけか必ず最後には向こうの思惑通りに事が進んでしまう。


つまり如何足掻いても、この人物の持ち込んできたことに"拒絶"と言う選択肢は存在し得ないのだ。


理不尽ではある。
こういう「理不尽」は、かごめ自身最も嫌うもののひとつだ。

しかし、逆らうだけ労力の無駄でしかない。
かごめは大体、適当に聞いた振りをしてやり過ごすようにしていた。
それが最も被害が少なくなる方法でもあったからだ。

だが、此度はそれだけで済まないような、そんな胸騒ぎのようなものが、かごめにはあった。


「だと思ったがな…まぁいいや、ちょっと話がある。控え室で構わないか?」
そう思ったなら聞くなよ、って思ったものの、彼女はそれを口に出すことはしない。
彼女は小さく頷いて、彼の後について自分の控え室へ歩を進めた。
スタッフも慣れたもので、一見何処からか迷い込んできた礼儀知らずの子供にしか見えないこの人物の存在を咎めるどころか、その行動に異を挟む事すらしない。

それもそのはず、彼はかごめの所属する芸能事務所「T.E.P.(Tortal Entertainment Production=総合芸能製作)」の代表…MZDだからだ。


本名及び年齢不詳、そして様々な人種や種族が混在するこの世界において、人間かどうかすらも定かでないこの人物、一説には「この世界を作った神様」などといわれているらしい。

そりゃあ神様であるわけだし、どんなに抗っても彼の意向どおりに事が進むのもある意味当然といえば当然というべきだが…そもそもこの世界には人間らしからぬ知性体も当たり前のように街中を闊歩しているし、かなりの住人が人知を超えた力…“魔法”というべきものを、使うことが出来る。

ならば神様が芸能会社立ち上げて、当たり前のように自分の目上に存在しても、かごめには違和感を抱く理由がなかった。


「で、話って何よ、"神様"?」
それはさておき、楽屋に戻ってきたかごめの口調、表情はステージ上の人物と本当に同一人物か疑わせるに十分なギャップがあるが…これが本来の"藤野かごめ"という十五歳の少女である。

ステージ上の寡黙な、まるで人形ような彼女は、MZDの「お前のルックスなら無口っぽいほうがウケいいだろ」という鶴の一声で、そういうことにされているのだ。
確かに雰囲気作りも重要であるのだが…かごめ自身は気づいていないようだが、一見快活で明朗な彼女がふとしたときに見せる陰のある表情…その方が、「詩姫」というイメージに合致するからという見立てがあったのだろう。

かごめの「話だけは聞いてやるから言ったらさっさと帰れ」と言わんばかりの態度も何処吹く風のMZD。
「ああ、俺も時間に余裕ないから単刀直入に言うぜ。
実はなかごめ、見習い天使をひとり引き取って欲しいんだ」
「……………………はぁ? 誰が?」
たっぷり十秒沈黙して、かごめは素っ頓狂な声を上げた。
「お前以外に誰が居るってんだよ?」
「冗談言わないでよ!」
「冗談や酔狂でこんなこと頼むかっての」
不快感をあらわに声を荒げるかごめに、肩を竦めるMZD。


常識的に考えれば、かごめの反応が正常であろう。
"見習い天使"といえば聞こえはいいのだが、要するに天使の子供である。


この世界の天使は、ある一定の年齢に達すると親元を離れて地上に降りてきて、パートナーとなる人物と一つ屋根の下で暮らし、立派な天使となるため諸事研鑽を積むものとなっている。
恐らくは気まぐれな神様が、別の世界の天使があまりにもそのイメージからかけ離れた存在であることに嫌悪を抱き、この世界の天使は最も親しみやすい存在にするために、こうしたルールを取り入れたのだ、という者もいるそうな。

しかし、天使とのつきあいには様々な制約がある。
引き取った時点で自分の行動に枷をはめることになるのだ。

束縛されることを何よりも嫌うかごめにとっては拷問以外の何モノでもない。


「てか芸能生活の外じゃただの女子高生なんだぞ、あたしは。
保護者らしきひとは基本的に家にいないことが多いし、家の何から何まで基本的にはあたし一人でやってんのよ?
そんな余力がないことくらいあんたも知ってるでしょうが」
「それがだなぁ…先方はパートナーにお前さんの名前を指定しているんだ。
俺もホワイトランドの見習い天使の修行先を斡旋している身として、先方の希望には可能な限り沿ってやりたいのよ」
なにをいけしゃあしゃあと、とかごめは思った。
天使の行き先を斡旋するなんて、貴様は何処の神様気取りだ…と咽喉まででかかったものの、そんなことを言っても無駄なことは経験で熟知している。というかヤツは神だ。
「お前さんの家なら、天使ひとり居たって邪魔にはならんだろ。
それに見習いって言っても彼女は十分、できた娘だ。
お前さんはただ、彼女の修行の上で、寝泊りできるところを提供してくれるだけで良い」
「食事の問題だってあるでしょうが」
「宛がった以上、生活費は当然こちらで出すから、その心配もせんでいい。
基本的にはお前さんのギャラに上乗せする形になるが…それなら文句はないだろ?」
「うぐ…」
かごめは言葉に詰まった。


正直面倒事を避ける口実とはいえ、かごめはおカネの話なんて基本的に引き合いに出したくはなかった。
究極的な退避手段だったはずだが、それもあっさり封じられてしまう。

何故なら、そもそも天使の受け入れ先に「人格的に問題あり」な人間は指定されないためだ。
あまりに人間の悪意に触れすぎた幼い天使は、やがて長ずると堕天使となり、強大な力をもって様々な厄災をもたらすようになる。

かつて数少ないながらもそういう堕天使が生まれ、ひとつの国を滅ぼしてしまったことさえもあったのだ。


かごめはその"見習い天使"が誰の事を指すのか、ほぼ九割がた察しがついていた。
モノが"見習い天使"であり、なおかつ自分のことを知っている…そういう存在には、ひとりしか心当たりがない。


だからこそ逆に、自分のところなどではなく、もっと人格の優れた人物の元へ行き、立派な天使になって欲しいとも思っていたのだ。

彼女がその天使と過ごした時間はごくわずかではあったが…


漠然とではあったものの、彼女もその天使に好意のようなものを抱いていたのかも知れない。


「で、でもあたしは嫌だよ!
あんないい娘があたしみたいになったら、下手すれば堕天使を一人生むことになる!
あたしそうならないように振舞う自身なんてない…ないよっ!」

とうとうかごめは、自分の本心からの言葉を吐き出してしまった。


実際、かごめは物事を取り繕うことを、極めて苦手としている。

ステージと割り切って、わずかな時間別の自分を演じているといっても、彼女にはかなりのストレスになるのだ。
スタッフもそれを熟知しており、その負担をなるべく減らすようにスケジュールを組んでくれている。

結果として、一般的なかごめのイメージは崩れることもなく、彼女の人気は増す一方なのだから。


MZDはふっ、と表情を緩める。

「…心配するこたないさ。
お前がヘンに気を遣わず、生のままでやってくれたほうがもしかしたらいい結果になるかも知れない。

それに、お前はお前自身がそう思うほど悪い奴じゃねぇよ。

この世界の神たる俺が言うんだから間違いねぇ」

感情が昂るあまり泣き出しそうな表情のかごめをなだめるように、MZDはその肩にそっと手を置く。
この少年が自身そういうように、本当に神なのかどうかは誰にも解らないが…それでも不思議と安心させられるような言葉に、かごめは思えた。

「その様子であれば、来るのが誰なのか解ってんだろう?」
かごめは頷く。
「短い間いたきりだけど…あたしはあの娘に、立派な天使になって欲しいと思った。
だから、あたしのところじゃなくて、もっと人間的に出来た人のところへ行って、しっかり修行したほうがいいと思うんだ…」
MZDは頭を振る。
「何でもかんでも、完璧すぎないくらいでちょうど良いんだよ、世の中ってのはな…
っと、さっきも言ったがこちとら忙しい身でな、悪いが引き合わせたらすぐに帰らせてもらうぜ」
その割には随分余裕があったように見えたが、MZDはわざとらしく腕時計を見てそういった。

「…おい、もう入ってきていいぜ」
「あ…はいっ」
何時からそこにいたのか…控え室の外から、可愛らしいトーンの返事がした。
「し、失礼しますっ!」
ノックをすると、そこへひとりの少女が顔を覗かせた。

照明の光も翳ませるような明るい金髪…いや、山吹色に近い色の髪。
光輝を放つ小さな翼を僅かに揺らせて、その天使は遠慮がちに楽屋へと入ってきた。

かごめは、その仕草や言葉遣いだけではなく…その雰囲気全体に強烈な違和感を感じていた。
その姿は確かに、自分の記憶にあるその少女そのものなのに、目の前のその少女とはまったくの別人に思えていた。

「えと、お久しぶりです。私のこと…覚えてらっしゃいます…よね?」
「え?…あ」
少女の言葉に、更に戸惑うかごめ。


彼女の記憶が正しければ、半年前に「ポップンパーティ」で逢ったこの少女は、自分のことを自分の名前で呼んでいたはずだし、口調も子供そのものだった。

それが「私」などと言った挙句、礼儀正しく敬語を使っている。
少女の成長は種族を問わず早い、というが、たった半年でここまで変わるものなのだろうか…。


「おいおいしっかりしてくれよかごめ、お前さんがポエットと逢ったのはほんの半年前のパーティの時じゃないか?」
確かにそうだ。
だがかごめは、目の前のその少女と、彼女の記憶にある同じ少女…見習い天使のポエットが、どうしても同一人物であると納得できずにいた。

混乱するあまり何を言っていいのか、どう声をかけていいのか解らず、あたふたするかごめ。
それはポエットのほうも同様で、思いもよらぬ反応をされてこちらも戸惑っている様子だ。

双方の視線が、まるで助けを求めるかのように同じ方向を向くが早いか、
「よし、後は任せたぜ!じゃな!」
止める間も有らばこそ、MZDが慌しく部屋を飛び出し、楽屋には呆然と立ち尽くすかごめとポエットだけが残された。


どのくらいの沈黙の後だろうか。

「…あ、あの、やっぱりご迷惑でしたか…?」
「え?」
口火を切ったのはポエットのほうであった。

「あ、いや、その…」
何か言おうとしてみたものの、混乱していたかごめも何を言っていいのか解らずに口ごもってしまう。
やがて困った表情で口を噤んでしまうかごめ。


そして再びしばらくの沈黙の後、大分思いつめた表情のポエットが再度口を開いた。

「私が…私が、いけないんです。私がかごめさんと一緒に暮らせればいいなぁ、なんて言い出さなきゃ…」
「え?」
その言葉に、かごめはMZDの真の目的をようやくにして悟った。


つまり、別に修行先がどうの、っていうのはどうでもいい事。

MZDはかごめとポエット双方が何らかの感情をお互いに抱きあっているのを知っていて、押し付けて楽しんでるだけなんだ、と。


(あ…あ…あンの野郎〜ッ!)
ふつふつと怒りがこみ上げているが、そのやり場も既にこの場にない。既に後の祭りであった。

そんなかごめの感情を他所に。


「…私…あれから一生懸命勉強しました…

言葉遣いとか、直すの大変だったけど…

かごめさんともう一度会って、そのときにちゃんと成長した私を見て欲しかったから…

でも、でも…っ」

俯いたその瞳から、次から次へと涙が溢れ、零れ落ちてきた。


かごめは、その姿に胸を締め付けられるように思えた。
それと共に、彼女の努力を否定するような態度を取ってしまったことを悔やんでいた。


初めて逢って、色々と話した時に感じた、素直で頑張り屋の彼女であれば、半年もあれば変わるに十分なはずだろう、と。


「でも…かごめさんを…困らせるばっかりで…
ごめんなさい…ごめんなさいっ…」
そして、ポエットが自分のために変わろうとしてくれたことを、かごめは改めて嬉しいと思った。


かごめは反射的に、その小さな体を抱きしめていた。


「え…?」
涙でぐしゃぐしゃになっていたその顔を、かごめは持っていたハンカチで丁寧にぬぐってやった。
「…謝るのはあたしのほうだよ…折角、ポエがこんなに頑張ってきたのに…ごめんね」
「かごめさん…」
「だから…今日から、あたしがあんたのパートナー、責任もって勤めてあげる」
かごめが微笑みかけると、その目の端にまだ涙を溜めながら、
「あ、ありがとうございますっ!」
ポエットは笑顔でそう応えた。



「…随分遅くなっちゃったなぁー…」
黒を基調としたステージ衣装とは一転して、白いブラウスにジーンズというラフな格好に戻ったかごめは、さして多くもない荷物の入ったバッグを肩に商店街から住宅地へと向かう。

その後ろには、遠慮がちにそのあとを続く見習い天使の少女ポエット。

「…やっぱり初めての場所、緊張する?」
「え?」
少しぼんやりしながら歩いていたポエットは、いきなりそう問いかけられて目を見開く。
「あ、いえ…そうじゃ…ないけど」
伏し目がちに顔を覗き込まれ、かごめはこの少女が何を言わんとしているのかを大体察したようだ。

ふっ、と少し笑い、身を翻す。

「話してなかったっけね。
あたしは元々、天涯孤独の身なんだ。
今は、身寄りのないあたしを養女にしてくれた人の、孫に当たる人と一緒に暮らしてる」
「そう…なんですか?」
振り向かずとも、かごめはポエットがどんな顔をしていたのか大体の見当がついていた。

「養父…といっても、もう大分歳だったからね。
あたしが詩人として食っていけるようになった時期に、天寿を全うしたの。

時に厳しかったけど、とても温かい…心の大きなひとだった」

「…本当の、ご両親は?」
かごめはポエットに背を向けたままで、静かに頭を振る。

「わかんない…そもそもあたしには、五歳の時より前の記憶がないんだ。
大雨の中で泣き続けていたのを…あたしを育ててくれた…孫次郎住職と出会うまでの、自分の名前と年齢以外の記憶が」

そこで彼女は、再び後ろの少女の方へ向き直る。

「でもね。

あたしは自分の存在を不安に思ったり、不幸だと思ったことは一度もない。

自分が自分であること…

自分が何者であり、何を求めて、何がしたいために生きていくのか…

住職はそのことを総てあたしに教え込んでいってくれたから。

だからそんな顔をされる筋合いは、まったくない。
何か嫌なんだ、同情されたり、可哀想だとかそう思われるの。
なんか自分そのものを哀れまれてるって言うか…むしろ見下されるような感じがして、ね」
泣きそうな表情の少女に、たしなめるかのように諭すかごめ。
半分は本音だったろうが、その言葉の裏には、この天使の少女が悲しそうな顔をしているのが、つらかったのもあったろう。

「ってもね、あまり他人に物事を強要するのも好きじゃないんだけどね。
あたし自身が、あまり束縛されたりするの嫌だし、自分の嫌なことって他人にも押し付けたくないから」
かごめは、そっと、その小さい体を抱き寄せる。

そこから、小さく嗚咽の声が聞こえる。


この少女がどういう心の持ち主なのか、かごめにも良く解っていた。
ポエットはきっと、同情や哀れみから泣いているのではないと言うことも。


彼女はきっと、自分がそうであったらと…その恐怖と悲しみに打ち震えているのだろう。


かごめが決して表に出すことのなかった感情を、代弁するかのように。


不思議と、嫌な気分ではなかった。
かごめはこのとき、幼かった身寄りのない自分をポエットに、今の自分自身を養父・孫次郎に重ねていたのかも知れない。


「だから、きっとあたしの家に…
ううん、これからポエも一緒に住む家に来れば、そんな思いをしなくて済むって、きっと解ってもらえると思うから」
彼女は、その小さな肩へそっと手を添えた。

それに応えるかのように、その小さな天使は、かごめへその体を預けていた。


「…随分、遅かったじゃないの」
目指す場所まであと僅かなところで、街頭の下に一人の女性が待ち構えていた。
「え…!?」
思っても見ない人物の登場に、ポエットは目を丸くする。

栗色の、ややウェーヴのかかったロングヘアを、頭の両サイドでふたつくくりにしている中々の美人。
その格好は、かごめとそう変わるものではない。

そのにやけ顔を見るなり、かごめの表情も変わる。
「げ…さな姉…帰ってたんだ」
「ご挨拶だわねー。折角のオフだから飛んで帰ってきたって言うのにー」
さな姉、と呼ばれた女性が口を尖らせる。
二人のことをよく知らない者でも、この様子を見れば相当に親しい間柄にあることはすぐに解るだろう。
しかし、ポエットはそれとはまったく無関係に、きょとんとした表情で固まっている。
二人はその様子がおかしいと見えて、僅かに笑う。
「…その様子じゃ、お互いに自己紹介はいらんみたいだけど…家主のさな姉こと藤野紗苗。
まぁ日本を代表する若きシンガーソングライター・Sanaといったほうが通りはいいかな?」
「っつーかあたしもポップンパーティ出席経験あるって言うか、かごめちゃんが参加したとき一緒にいたしねー」
「え…じゃあ、さなえさんが…?」
驚いた表情のまま、数度瞬きして見せ、言葉を確認するかのようにゆっくりと聞き返すポエット。
「ええ。戸籍上ではかごめちゃんの姪に当たるらしいんだけどね、一応あたしが家主」
誇らしげに胸を張って見せ、そのふくよかな胸の上を親指で指してみせる紗苗。
「というかさな姉、驚かないね」
「うん、実は今さっき神(MZD)から聞いた。
じいちゃん死んでから家も随分寂しくなっちゃったし、にぎやかなのは大歓迎だから」
そう言ってにっ、と笑う紗苗。
彼女もまた、思うところはかごめとそう変わらないようである。

「だからね、これから三人分の夕飯を作る材料を買出しに出てきて、丁度出くわしたってワケ。
どーせ帰っても誰かいるわけでもなし、一緒に見に行く?」
その言葉は、これまでのパートナーであったかごめだけに向けられた言葉ではなかっただろう。
「どーせ24時間営業のスーパーじゃ、今行ってもロクな品物ない気もするけどねー」
かごめの言葉に促されるように。

「…はい!」
藤野家の新しい一員となったその見習い天使は、屈託のない笑顔でそう答えた。