世界が生まれる遥か前、「無」が初めにあった。
悠久の時の果てに、「無」から「光」と「闇」が生まれた。
その「光」と「闇」は無数に数を増やし、やがてそれぞれ独立した「世界」を形作っていった。
そして、世界と世界の狭間に生まれるものがあった。
それこそが「次元の狭間」。
すべての始まりにして終わりなる力…「無」そのものが「世界」として形を成したモノ。
はるか昔、ある世界にこの「無」の力を己がものにしようとした一人の暗黒魔道士がいた。
不老不死の力を得たその魔道師は、永遠の時間を「無」の研究に捧げ…ついにその力の一片を手中に収める事に成功する。
そして、その魔導師は得た「無」の力で己が世界を蹂躙し、その世界は滅びを待つのみとなった。
しかし、かの魔道師の操る力は…所詮仮初のものに過ぎなかった。
その栄華は、十二の神器を持つ戦士達により、魔導師が討ち果たされたことで幕を下ろした。
そう…すべてを無に帰すその力は、彼の不老不死の術すら文字通り「無」へと帰さしめていたがゆえに。
しかし、その勇者たちと神器の力をもってしても、「無」そのものに干渉することはできなかった。
彼らは「無」そのものである狭間の世界に、魔導師の亡骸と恐るべき「無」の力を封じた。
悠久の時が流れ、かの魔導師の邪悪な意思を継ぐ存在が世界の片隅で産声を上げた。
魔導師が滅んで五百年、「長老の樹」と呼ばれる霊木が群生しているその地に異変が起きた。
ありとあらゆる邪悪な意思が一本の樹へ集い、その樹が一人の暗黒魔道士として生まれ変わったのだ。
それは自らを「審判の霊樹」と名乗り、その魔導師の意思が乗り移ったかのごとく、「無」の力を求めた邪悪なる魔樹。
魔樹は、その恐ろしき邪悪を察知した賢者の手により、「
しかし時は流れ、人類は自ら生み出した叡智の力により「結晶」の力を利用し続け…その結果、封印が弱まってしまう。
やがて「結晶」は砕け、邪悪は再び世に解き放たれる。
かの魔導師がそうであったように、魔樹は「無」の力を手にし、世界を滅びへと誘い始める。
だが、その野望を阻止するべく立ち上がった「光の四戦士」との死闘の末、魔樹は己が手にしたはずの「無」に飲まれ…かの魔導師と同じように、「無」へと返された。
魔樹の名は「
霊樹とは名ばかりの、傲岸不遜なる邪悪の権化。
〜「幻想幻獣録」 256ページより抜粋〜
-Mirrors Report of “Double Fantasia”-
その8 「少女の檻」
♪BGM 「戦乱 紅炎は猛り白刃は舞う」(SQ4)♪
博麗神社。
時間で言えばほんの数刻前、その主である巫女と、幻想郷の賢者と呼ばれる大妖怪を飲みこんだ魔樹がそびえるこの地で、その魔樹を相手に大立ち回りを演じていた二つの影。
「ちきしょうめ…!」
既にその姿は満身創痍、それでもなお限界に達した足を叱咤して立ちあがる有角の少女…「鬼の四天王」の筆頭・伊吹萃香。
「…なんてこった。
このあたし達相手にまるで無傷か、認めたくないが…!」
日月をあしらう杖で体を支えようとするが、そのまま力なく地面に崩れ落ちる魔導師…否、悪霊の魅魔。
いずれも、この幻想郷という枠組みとしてのみならず、外界である魔界や幻想界においても、並ぶもの無きと言われる大妖。
そもそも自分の力を恃みとし、他者と組んで戦うという概念が希薄なこの二人といえど、その個々の猛攻だけで大概のモノは瞬く間に灰燼に帰すほどの力を持っている…が。
-ファファファ、愚かだ、実に愚かとしか言いようがない。
八雲紫の力を測りかねていた事は計算外…だが、博麗の巫女の力のみでも十分に最強足り得る力を得ることができる。
素晴らしい…後はこの、「境界操作」さえ完全に支配してしまえれば…この力と「無」の力を融合させ、絶対の力を私は得ることができる!!-
勝ち誇ったように哄笑する魔王。
事実、この時点のエクスデスの力はもう既に、誰の手にも負えないレベルにまで増大していた。
旧地獄の「地底太陽」や、白玉楼の「西行妖」の力を得ることすら、そもそもがこの魔樹の余興にしか過ぎない…そう言っても差し支えのないくらいに。
エクスデスに取り込まれた二人のうち、紫が境界操作を駆使していまだ抗っているという事は二人にも解っていた。
しかし…霊夢は既にもうほとんど取り込まれ、この魔樹の一部になりかけている。
博麗巫女に代々受け継がれ、歴代最強の適正資質を持つとされた霊夢の持つ法力と潜在能力は、この魔樹に一体いかほどの「養分」を与えているのか…彼女らとの力の差からも明らかだった。
それほどまでに、博麗霊夢の秘めた力は強大なモノなのだ。
本来、人間が持ち得ないレベル…人間でありながら、幻想郷の主である八雲紫に匹敵するレベルの。
-あの忌まわしきカメの置土産、四方やこれほどの益があろうとは。
…成程、外の世界とやらから戻ってきた者どもは多少力と呼べるものをつけてきたようだが…それも早晩我が糧となろう!-
「ふざけんじゃねえぞ…!」
萃香も、魅魔も…再び鬼気迫る表情で立ち上がる。
「調子に乗り過ぎた馬鹿は、必ず足元をすくわれるってこと…思い知らせてやるよ。
ただし…あんたはあたしとは違う、ここで一片残らず灰になる運命だ!!」
天を突く勢いで振りあげられた魅魔の掌の先。
天空高くに途轍もない熱量が集束する。
-ほう…何時の間にこれほどの魔術を-
「こいつぁあたしのとっておきだよ。
ただ…力の集束と術式の完成に恐ろしく手間がかかっちまうんでね。
………お陰で立っているのもやっとになっちまった。だが」
爆発的に赤い閃光が広がり、周囲の形式も紅く塗り潰していく。
「この炎は混沌原初の真火!
博麗の奥義をもってしても無効化できない荒ぶる火神だッ!!
喰らえッ…クリムゾンフレア!!」
太陽にも匹敵する熱量と質量を放つ紅き球がその魔樹めがけてなだれ落ちる…!!
-無駄だといったではないか-
しかし、その恐るべき必殺の紅蓮は…エクスデスに届くまでに掻き消えるように焼失していく。
否…正確にいえば。
「そん…な…!」
紅の光は暗闇の靄となって魔樹へと吸引されていくその光景に、魅魔は茫然とつぶやく。
-私は博麗の巫女どもの力だけ持っているわけではない。
先に解き放った我が「死徒」共は、我が力の片鱗に過ぎぬ。
力を偏向させるのみならず、同質の力であれば我が力に「変換」もできる…ファファファ!貴様が闇より生まれし者である事はとうに知っているのだ!残念だったなあ!!-
ふたりはその事を絶対的な敗北感と共に悟った。
初めから…自分達は完全に遊ばれていた、というその事実を。
愕然と崩れ落ちる二人を前に、魔樹は哄笑する。
「この私を前にしてここまで抗った事は称賛に値するぞ!
だが、それもここまでだ。
私の先兵を退けた程度で安心しきっている連中も、それが無駄な努力であることを思い知らせてくれる!」
魔樹に刻まれた皺からおぞましき光を放つ目が見開かれた。
そのとき、轟音と共に空が割ける…それは、丁度人間の里の辺りだった。
「なんだ…あれはっ…!?」
雲霞のごとく押し寄せる魔物たちを退け、満身創痍になりながらも里を守り切った慧音は驚愕の表情と共にそれを見上げる。
雲の裂け目から現れたのは…巨大な城のシルエット。
しかし、その姿は禍々しいオーラを放ち、それどころか本来あるべき姿とはまるで逆の姿。
巨大な逆さ城が、里の上空に姿を顕す。
-どうやら首尾よく行ったようだな…我が僕ハリカルナッソスよ。
時間圧縮の力を使えば、境界操作の力だけを取り出し我が物にすることもできるだろう。
…お前の役目もここまでだ。さあ、時間圧縮の力を私に捧げよ-
-愚かな-
そのとき、もうひとつおぞましく響く声。
エクスデスのそれとは違う…年老いた女の声に聞こえる。
-樹の魔物風情が、私の力を得ていかにする気だったか。
だが…このような世界がある事は私も知らなかったぞ。
真なる時間圧縮を完成させ、総てを永劫の檻に閉じる私の大望もそれだけ完成に近づく-
エクスデスはつまらなそうにも見える表情でそれを睥睨する。
-…揃いも揃って役立たずどもめ。
最後の最後まで私自らが手を下さねばならぬとは-
魔樹はまるで立ちあがろうとするように身を震わせる。
その前に立ちはだかる萃香と魅魔。
-これほどの力の差を見せられながら、往生際の悪い奴らめ-
「けっ…この私達を無視してこの先進めると思ってんかよ…!」
「切り札の一つ二つ失敗した程度で泣き寝入りするのはあたしの流儀じゃないんでね…!
あんたはここであたし達が潰す! その後はあの城で大口をほざいてる馬鹿だ!!」
-愚かな…ならば貴様等の力をまず糧にしてくれるわ!-
咆哮する魔樹。
(あいつらがあの城をなんとかしてくれれば…!)
(私達はここまでかも知れねえが…みんな、あとは頼む!)
迎え撃つ二人は最後の力を振り絞る。
…
-何処の世界にも愚か者は存在する。
この世界一つを喰らえば成程、全境界世界の覇者になれるという戯けたことも考えるか。
愚物め。ならばそのような事をしても、私には及ばぬということを思い知らせてやろうか-
「貴様…何者だ!
私達の暮らす地にノコノコ土足で入り込んで、既に自分の物にでもしたつもりなら、とんだ礼儀知らずもいたものだ!」
慧音は姿無きその存在へ怒鳴りつける。
「随分小うるさい虫ケラではないか。
まあ、この私…究極の魔女たるアルティミシアを知る者はこの世界には居らぬ故、身の程をわきまえず集る虫の一匹や二匹いてもおかしくはないが」
そのとき、慧音の目の前の空間がすっと、音もなく裂け…そこから豪奢な紅いローブを纏った女が歩み出してくる。
毒々しいメイクを施したその容貌は年若い女のようだが、禍々しいまでの美貌からは得体の知れなさの方が勝っているようにも見える。
「お前がこの里の長のようだな。
人間のようにも見えるが、それとは別質の力を感じる。
…私の時間圧縮術式の
「なにをっ…!」
慧音はその得ないの知れない妖気に気圧されながらも、剣を構える。
その言動から、目の前の存在がエクスデス同様、他者の存在など虫同然にしか思っていない邪悪の権化であることは明らかだった。
そして…何よりも、自分と変わらないサイズでありながら放たれるプレッシャーは、かの魔樹と同等以上にも思える。
その本能が、放置すべきではない邪悪であると警鐘を鳴らしている。
「貴様ッ!あのエクスデスとか言う奴の仲間か!」
「先生が手を下すまでもない、我らの剣を受けて滅びろ!!」
そこへ、駆け付けた里の退治屋たちが、魔物の血で濡れたままの刃をかざし女めがけて猛進する。
しかし…彼らの刃がそれに触れるよりも前に…。
その五体はあとかたもなく破砕され、次の瞬間、彼らの鮮血だけを地面に飛沫として残った。
「脆いな…人間とは」
魔女は感慨もない口調で、つまらなそうに吐き捨てる。
慧音は動く事が出来なかった。
魔女は全く何の動きも見せていない…なんの力の脈動もなく、その攻撃を行った事だけは理解できた。
もっと言えば、その魔女の力が如何に強大なモノかを目の当たりにする。
「だが…この近くにはお前のような、そこそこの力をもった者がいるな。
…丁度いい、人間はモルモットとしては弱過ぎるが、それでも数があれば使いではある。
あの魔樹に身の程を知らせる前に、この場所を私の
その言葉が終わりきらぬうちに、慧音は異変を感じ、強烈な眩暈と共に膝を突く。
そして、轟々と里の外周を負うように、柱の様なモノが三本、天を突くようにそびえ立った。
「この結界の中では、私達以外の者の五感や魔力を含めたありとあらゆる感覚が封じられる。
如何なる者もこの中では無力になるのだ。
貴様は後回しだ。まずは、他のモルモットをかき集めてこねばならぬ」
立ち去ろうとするその足首を、慧音は鬼気迫る表情でつかみ取る。
が、その足は何事もなかったように空間へと溶けていく…。
「そこで絶望を味わうがいい。
お前のような人間は、そういうモノに非常に弱い。
…そしてその絶望が憎悪となり、永く優秀なモルモットとして生き延びる要因となる」
…
陽溜丘でこの惨状を目の当たりにしたかごめ達にも言葉はない。
予想し得なかった新たなる敵の出現。
そして…戦力的に劣勢となった筈なのに、なおも力を増し続けるエクスデス。
アリス達は冥界から現世へ帰ろうとしている。
しかし、この二つの強大な敵に対し、同時に相手をすることは物理的に不可能に近い。
疲弊し切ったそれ以外の者達だけでは敗北も必至…誰の目から見ても、そう結論付けざるを得ない。
かごめは結界の入口へと歩み始める。
「………どうやら、ここがあたしの死に場所になりそうだな」
「待ちなさい。
あなたを行かせるつもりはないわよ、かごめちゃん」
その歩みの前に、主の視線に応えるように二刀のサーベルを構える夢子が立ちふさがる。
それどころか、それぞれ魔法や鎌を構えるマイとユキ、さらにルイズら神綺子飼いの少女達が取り囲んでいた。
「なんのつもりだよ。
あたしは、あいつとの約束に反した事をやってるつもりは」
「そうね、あなたにはないでしょう。
でもね…私は私で別個に「頼み」を受けている」
神綺は険しい表情のまま、その傍へ歩み寄る。
「かごめちゃん。
あなたはただ、「自分が死ぬこと」、それだけを考えている。
八雲紫が最後に私に託した願いは………あなたの命を、どんな手段を用いてでも救うことよ!」
かざした手から魔力の波動が走る。
かごめはすぐに異変に気付く。
凍りつくように硬化していく自分の足。
そして…見上げた空には、日食が起き始めている。。
「何のつもりだ、魔界神!
あんただって解ってるだろ!?
あんなやつが出てきたら、もうあいつらだけで手に負えなくなるかもしれない…あんたの娘も見殺しにすることになるんだよ!?」
「そうね。
それを言われると私にも何も言い返せない。
私の下からひとり立ちできるだろう力をつけても…それを私が認め見守ることを決めたとしても。
アリスが私にとって最愛の娘であるという事実、それは変わらない」
「ならなぜ…」
「だったら逆に私から問うわ。
かごめちゃん、あなたは…つぐみちゃんの事を、本当に自分の娘として愛していたといいきれるかしら?」
かごめはその時はっきりと顔色を変える。
そして、一瞬だけつぐみと視線が合う…が、すぐにその悲しそうな瞳から目をそらし、口をつぐんでしまう。
「以前の意趣返し…というわけではないけど、私も言わせてもらうわ。
あなたは…誰かの為といいながら積極的に傷つこうとし…いえ、それを理由に自分が消えてしまう事を常に望んでいただけよ。
…本当は、あなたはあの時、あのままルーミアに殺される事を望んでいた…違うかしら!?」
かごめは応えない。
苦悶とも思える表情のまま俯き、何かから逃れるように視線をそらしているままだった。
「あのとき、誰がロキを呼んだのか、考えてみた事が少しはあったかしら?
彼女の現れるタイミングが余りにも良過ぎたとは、考えもつかなかったかしら?
…気づいていたのよ、紫は。彼女はそれだけ長い間、あなたを見守り続けていたのだから」
神綺はそのまま、不安そうに見つめるルイズ達に「大丈夫」と微笑みかけ…かごめの側へ歩み寄り、そして、その身体を抱き寄せる。
♪BGM 「夢の跡」/折戸伸治(Kanon)♪
「あなたは…あなた自身を今も蝕む何かと戦い続けている。
あなたは、それを知っているから、誰かが強く自分の心に踏み込んで来て、巻き添えを食う事を恐れていたんでしょ?」
「ちがっ…あたし、あたしは、ただっ…!」
「違わないわ。
あなたがそうやって否定しても、時にあなたのうちから飛び出してくる強い意志は、あなたがあなた自身を救おうと願う確かな証。
気の強そうな子に見えても、本来のあなたは何処までも弱い。
けど…時に見せるあなたの「強さ」に惹かれて、皆があなたを救いたいと願っている。
…私も信じるわ。今幻想郷で戦ってる、あなたの大好きな子達も…これから向かう子達も、必ず勝って、あなたを助ける強さを身につけて帰ってくると…!」
二人の身体は抱き合わさったまま硬化していく…!
「いやだ…いやだっ…!
あたしも…あたしも戦わせてくれよ…あの子達の為に…あたしだけ生き残るなんてやだよ…!!」
「馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ!!」
子供のように泣きじゃくるかごめの、まだ硬化していないその頬を強くひっぱたくのは…紗苗。
「さな…姉…!?」
「どうして…どうしていつもそうなのよ…!
そんなに私達って頼りないの…私達、そんなにあなたに守られてなきゃいけないの!?
何時もいつも自分だけ一人で傷ついて、抱え込んで…もっと私を頼ってくれてもいいじゃない!私達をもっとアテにしてくれたっていいじゃない!!」
既に硬化している筈の腕で、神綺は茫然としたままの、涙にぬれるかごめの頭を抱きしめる。
「…神綺、さん」
「大丈夫。
この子だってきっと、本当は最初からわかってたのよ。
…あとは…切欠を与える子たちを待つだけ。だから…あとの事、よろしくね。
夢子」
主の言葉に応え、夢子は跪く。
「もし、幻想郷が最期を迎える時が来たら、この封印をあなたが解きなさい。
その時はもう、私もかごめちゃんも止まることはない。
この子は消滅するまで戦うでしょうし、私も総てを捨て、魔獣となってでもあの連中を必ず滅ぼすわ…!」
「…仰せのままに…!」
最後に、にっこりと微笑みかけて…ふたりは凍結した時間の中へと封印される。
その時には再び、太陽が空へ姿を現している。
その空の向こうから飛来する空飛ぶ船…聖輦船。
幻想郷に遺された最後の力、それを決戦の地へ誘う船だった。
…
「そうですか。
やはり、神綺様も気づいておられたのですね。
…彼女の身体を蝕む「破滅の種」の存在を」
夢子からその経緯を聞いた白蓮は、悲しそうな表情で「凍れる時間の秘法」で封じられたその二人の姿を見やる。
それは、まるで…愛しい娘を守ろうとする母親の姿のようにも見えた。
「恐らく、他にもお気づきの方もおられるのでしょうね。
彼女は、「永遠」を消滅させ、その破片を身体に宿してしまった。
破片はごくごく小さいものだったのが、永い年月を経て彼女自身の力を喰らい、その事に気付いた彼女は自ら命を絶とうとした…ですが、吸血鬼として受け継いだ血が、それを許さなかった」
白蓮の言っていることは、かごめが四十半ばになったある日、何の前触れもなく自殺を試みた事件の事だろう。
彼女はその事をきっかけに完全な吸血鬼として生まれ変わった。
「ですが、私はこう思うのです。
「永遠」の破片がそれ総て絶対悪であったのかどうか。
八雲殿の話では、それ自体が元は人間であったのではないか、と…破片がもし善性のものであったなら、その破片は彼女に何かを求めて留まっていたのではないか、と。
ですが、「永遠」としての力が強大になるにつれ、その周囲に悪影響を及ぼし始めてしまう。
…かごめさんが自ら破滅を望んだのは、その破片を、自分を犠牲にしてでも滅ぼそうとしたかった、ただそれだけだった」
「そんな…そんな馬鹿な話ってあるの…!?
なんでそれをもっと早く言ってくれなかったのよ…あの子は…!!」
苦渋とも苦悶ともつかぬ表情で、葉菜は絞り出すように呟く。
「…それだけ、かごめさんにとってもあなた達は大切な存在だったからですよ。
だから…私達になせる事はもうひとつしかない。
彼女を救うだけの心のつながりがあった者たちを…いいえ、皆で力を合わせ、生き残る事。
一人二人の意思には心を開かないのなら、ありったけの思いで彼女を支えてあげるしかないでしょう?」
寂しそうな表情ではあったが…その微笑みにつられるように、葉菜達は顔を見合わせて頷く。
そして、白蓮は声を殺して涙を流し続けるままのつぐみに傍らに立ち、抱きしめて諭す。
「大丈夫よ。
あなたのお母様は、あなたを愛していなかったわけでは決してない。
あなたを愛するがゆえに、あなたを滅びから遠ざけたかった。それだけのことだから」
「わかって…わかって、ます…!
わたし…わたしも、お母さんを、助けてあげたい…!
お母さんが守りたかったものも…全部…!」
「ええ。
だから、あなたの力も借りさせてください…つぐみさん。
いいえ、あなただけではない」
その言葉に、成り行きを見守っていたハドラーも頷く。
「無論だ。
オレは彼女に命を救われ…新たに生きる意味を与えてもらった身。
命を捨てるつもりはないが、オレの命は主殿にくれてやると誓った!」
それに、と振りかえる。
「オレが彼女に感じた危うさ…その意味を初めて知った気がする。
オレには彼女を苦しみから救ってやりたいとはいえぬ。だが、その剣として共に戦える事が出来れば」
「それでいい…それで十分過ぎるわ。
…私も行く。あの子の頬を張るなんて、生まれて初めてやったけど…かごめちゃんが生きていける未来を守るためなら、私はなんにだってなれる」
紗苗の言葉に白蓮は頷く。
「さあ、聖輦船へ。
この異変は、我らの参戦を持って打ち止めとする為に!」
…
…
〜冥界〜
白玉楼庭園の一角。
映姫に案内されながら、幽々子はその場所にいた。
「映姫様、いったいこんなところに何が。
ここは庭園の外れで、誰も近づかない場所ですわ」
「ええ。
だからこそ都合は良かった。
あなたが西行妖にのみ興味を抱いてくれていたおかげで…この場所に封じられている者の存在は隠しおおせた」
「どういうことです?」
訝しがる幽々子を余所に、映姫は苔むした一つの石碑に手をかざす。
この地に永く住んでいたはずの幽々子も、初めて見るモノだった。
この場にこのようなモノがあっただろうか?
その疑問を口にしようとした瞬間、石碑から文字が浮かび上がり光を放つ。
その瞬間、幽々子の脳裏に過る記憶。
何故忘れていたのだろうと疑問に思うことさえなかった、不自然に記憶から抜けていたそのシーンがどんどん埋められていく。
そして…それを誰によって奪われていたのか、その目的にも彼女は思い至る。
「映姫様、これは、もしや」
「八雲紫は、この幻想郷を純化させるために、代々の博麗巫女が死を迎えるたび、結界の力でその存在を忘却させられる仕組みを作りました。
博麗の巫女は唯一無二の存在としてのみ存在することで、受け継がれた力を代々高め続ける為に。
ですが…ひとつ前の代で例外が起こった」
「…やはり、霊夢は忘れていなかったんですね…彼女の事を。
じゃあ、あれほどまでに霊夢が妖怪を憎悪する理由は」
「いかにも。
ですがその事をもって、紫も悟ったのでしょう。
この幻想郷という箱庭の役目が終わりを告げようとしているその事を。
霊夢と彼女の絆が、枷となっていた自分の力を上回っていた。それは本来向けられるべき対象があってこその事…しかし、それは既にない。
もし、この「異変」を最後の試練とすのであれば…「彼女」と引き換えに、役割を終えた紫は己の死すらも天秤にかけるつもりだったようです。
死した者は、現世に再び蘇えらせてはならないというその禁を破ってまで」
石碑は光と共に一人の女性の姿へと変わっていく。
まとうその衣装は、巫女装束。
それはまるで、成長した霊夢をも連想させ…それとは違った力強い印象を抱く面影。
「幽々子、あなたはまだ、反魂の蝶を扱うことができますね?
その最後の力を、彼女に使ってあげてください。
今こそ…この力を使うべき時。私が紫と交わした最後の約定、果たす時が来たようです」
「い…いいんですか本当に?
本来死した者の肉体と魂をそのままの形で保管するだけでも、重大な規約違反になる筈では」
「…ふふ、私も先日になってようやく、小野塚小町に与えられた「本来の職務」その意味を、泰山王から教わったのです。
なれば、このぐらいの特例は許されてしかるべき。
無論、このような事は私も最初で最後にしたいものです…危急故、止む無きことと認識しても、規則違反であることには変わらない。
ですが」
振りかえる映姫も寂しそうに笑う。
「…私も…見ていて辛いのですよ。
霊夢の心は今も悲しみに縛られている。
あのずっと泣いてばかりの傷ついた心を…私は一柱の地蔵として救ってあげたい」
幽々子はその心を汲んで頷く。
かざした手に生まれる虹色の羽の蝶が…その人の形へと吸い込まれて…再び強い光を放つ!
「……私が死んでから向こう、こっちも色々変わったみたいねえ。
そういえば私にしてみても、何時どうやって巫女になったかわからなかったのはなんでかなって思ってたんだけどさ」
光が掻き消えて行くとともに、その四肢には生気がみなぎっていく。
息を飲むほどの美貌に、見たことのある面影を乗せた皮肉めいた笑み。
「むしろよく、あんたみたいな石頭が紫なんかの言葉を飲んだもんだって思うよ。
でも…お陰でもう一度、霊夢をこの手で抱き上げてやることができる」
「これまでの経緯は先に説明したとおりです。
恐らく…外はさらに悪い状況になっている公算が大きい。
魔界神・神綺も恐らくは動ける状態にないでしょう」
「頼みの綱はその神綺の娘と、私ってわけね。
ったく…折角生き返ったのにまたおっ死ぬとか笑い話にもならないけど」
その女性は自分の拳を突き合わせて気合を入れると。
「ったく、どいつもこいつも無茶ばっかしちゃって。
私が行くまで死ぬんじゃないよ!」
霊気を全開に猛スビードで飛び去っていく紅い閃光。
幻想郷最後の希望・先代巫女博麗霊夜もまた、佳境を迎える戦場へと飛び立っていった。