新たに幻想郷の住人となったピサロとロザリーが、魔法の森へ居を構えて数日が過ぎたある日のこと。
そのピサロと、神綺を伴った紫がかごめのもとを訪れたのは、そんな何事もない日の昼下がりであった。


「…それは一体どういう意味だ?」


挨拶もそこそこに、彼女が切りだした突拍子もない言葉に、かごめならずとも不可解かつ、その意図が全く読めないものだった。


異世界より迫る恐るべき魔。
幻想郷を生みだし、かごめに戦うことを宿命づけた忌まわしき力を得た異世界の魔王が、幻想郷を攻め取りに来るという予見。


本来異界の魔は、博麗大結界の力で幻想郷を認識することはきわめて困難であった。
それは、嘗て彼女がその討滅を悲願としていた「虚無の永遠」に、幻想郷の存在を感知されないよう施された強力な隔離の術式によるものである。

しかし、幻想郷に関わりのある者が、その魔とのある種の「繋がり」を持つ場合、それを「目印」として容易く侵入できる、という欠点を持っていたのである。


「アリスはあなたに出会う少し前…丁度、ジョウトへ旅出つ数日前、一週間ほど異世界へ飛ばされていたのです。
時空を越えたその先の世界で彼女は七百年の時を過ごしたようですが、それは彼女が消えてからわずか一週間足らずの短い期間でした。
しかし……その七百年という余剰の時間が、その世界を完全に支配しようとしていた魔王・エクスデスとの縁を深めてしまうことになった」
「…アリスだけじゃねえよなそれ。
いや…ひょっとするとブロントさんやリューサン、今何処かへとんずらこいてる忍者とかが急に湧いて出たのも、その関連か」
「成程ね…元々「幻想郷」は、「虚無の永遠」に対抗すべく力のある者たちを匿う箱庭として作られた隔離世界。
定められた形式の「決闘」によりその力を高め純化するための空間。
本来の目的を失い、その役目を終えようとしているとはいえ…そんな世界の存在を知っていれば、次元世界中を支配下に置こうと目論む傲岸な存在の一つや二つ、興味を得て食いついてきてもおかしくはない…か」
「あなた方相手なら説明の様が少なくて助かりますわ。
そう、ヴァナ=ディールで次元の裂け目が多発しているのも、かつて「光の四戦士」に打ち破られ、無の力に飲まれ消えたエクスデス復活の予兆でもあったようです。
そして…その力は同質の力に触れた者へ強く引きあう…復活したエクスデスが、幻想郷へ現われるのも時間の問題でしょう」
魔晶石…か!

紫は鷹揚に頷く。

「こいしが幻想郷中に狂気を振りまいたことで…魔晶石そのものはすべて消滅しましたが、幻想郷の地にその魔力汚染が色濃く残っている

…それが、目印となってしまうでしょう。
そこで、皆様に頼みがあるのです」

かごめは溜息を吐く。

「頼みも何も、水臭い事を。
いい加減付き合いが長いんだ。
来ることが解ってれば迎撃の構えも取りようがある、詳しい戦力が解れば幻想郷を舞台にせずとも、黒森や魔界の荒涼地帯におびき出して…」

しかし、紫はその言葉を制し、強く頭を振る。


「いいえ、かごめさん。
この危機に関しては…幻想郷に住まう者達で何とかしたいと思うのです…!
それ故…かごめさん達幻想界の方々…そして、神綺さん達魔界の方々に至るまでも…一切の手出し無用、それをお願いしたいのです


思ってもみないその申し出に言葉を失うかごめと神綺。

「…どういうことかしら?
かごめちゃんの言葉を借りるというのではないけど…強大な敵と解っているなら、迷わず獅子欺かざる全戦力を持って抗するべきだわ。
無の力が強大かつ危険な力であることは知っているし、幻想郷の総てを取り込んでしまえば、どの道魔界と幻想界にも牙を剥いて来る筈。
そもそも私の大切な娘が関係している事…それを黙って見ていろとでも!?」
「ならば同じように彼女の言葉を持って反論する事も出来ましょう。
あの子は…アリスはもう立派に、誰の庇護も必要とせぬくらい強い娘です。
恐らくは、今回の件で最終的に中心となりうる解決者は…アリスをもって他になし…その確信が私にはある…!
「アリスを…!?」

紫は席を立ち、眼下に広がる漆黒の森を見やる。


「私も確かめてみたいのです。
私達が培ってきたもの…私が成そうとしたことにどのような意味があったのか。
…だからこそ、あなた方の力を借りたくはない。

これが成し遂げられた暁には、「幻想郷」は「遊戯の世界」という眠りから目覚め、真に新たなる段階を踏む事が出来ると…そう信じたいのです」


振りむいたその真剣な表情に、神綺もかごめもそれ以上何もいうことはできなかった。


魔法の森に居を構えていた筈のピサロとロザリーが、唐突に神綺の招聘を受けて魔界へと向かって間もなく…その「預言されていた異変」に関連する戦いの幕は上がった。


「幻想郷」の目覚めを賭けた、運命の一戦が。



-Mirrors Report of “Double Fantasia”- 
その1 「それを最後の試練と成す」




♪BGM 「雲外蒼天」/あきやまうに(東方緋想天)♪


〜紅魔館〜


-ファファファファ…ご機嫌如何かな?幻想郷(このせかい)に住まう小さき者どもよ…。
私は暗黒魔道士エクスデス、何れ全世界の支配者となる者だ-



突如、神社の方角に閃光が走り、大地を揺るがす轟音が響き…その声は響いて来る。
血相を変えて部屋に飛び込んできた美鈴は、咲夜に促されるままその場へ控えた。


-既に気付いた者もおろうが…この世界の秩序を成す博麗霊夢と八雲紫の両名は、我が手中へと落ちた。
これが何を意味するか、利口な有力者の諸君には説明することもない筈と思う-



「霊夢さんと…紫さんを…!?」
「成程…そういうことだったのね」

溜息を吐くレミリアの視線をうけ、パチュリーは普段通りの気だるそうな表情のまま言葉を紡ぎ始める。

「…あなたが真面目に仕事をしるなら、大体何が起きたか察しぐらいはつくと思うけど。
……ほんの数刻前、博麗神社に凄まじい力をもった「何か」が出現し…そこにいた者を「取り込んだ」のを感じたわ…。
この声の主がやったことは…疑いようもない事実」

パチュリーは立ちあがると、暗雲渦巻く空を映す窓際へと歩を進める。

「…エクスデス…ある異世界において人の悪意を得て変異した樹の魔から生まれた…自らを「審判の霊樹」などと称し、己が手に余る力を得ようとして却って滅びを迎えた筈の、傲岸不遜なる魔王。
八雲紫が、この世界への侵入を予知した恐るべき魔。
経緯は知らないけど…嘗て、その世界で因縁をもつアリス=マーガトロイドと、今有頂天にいるブロントさんを追ってくる…それがあの郷の賢者の予見」
「そんな!
解っていたのであれば、なぜそのようなモノの侵入を許してしまったのですか!!」

血相を変える美鈴にも、パチュリーは動ぜず淡々と続ける。

「…恐らくはわざとでしょうけど…博麗大結界には穴があるのよ。
それでもあれほどの魔をやすやすと通す事はない…けれど、この世界に何らかの形で「縁」を持つ者がいれば、それを足がかりに結界を突破することができるのよ。
……もっとも、今回の例が最初の事例となるのだろうけど」

それに、といったところで、レミリアも椅子から立ち上がる。

「……既に知っている者もいると思うけど……「幻想郷」は今まさにその役目を終え、いずれはかごめ達の住む「幻想界」の一部となって長きに渡る遊戯の眠りから覚める時を迎える。
これは…その眠りから目覚め、この「枠組み」にとらわれず存在するための最後の試練になるのだと、紫は言っていたわ。
…だから」


降り注ぐ稲光を背に、レミリアは宣言する。


「奴は…私達で必ず退けなければならない…!
運命に翻弄されながら、その想いと力を信じて戦い抜いた、偉大なる真祖と同じように!!」




〜太陽の丘〜


-私は基本的に紳士でね…諸君らには敢えて二つの選択肢を与えようと思っている。
一切の抵抗をせず、諸君らの持つ力を全て私に献上し、絶対的支配下の元生き続けるか。
無意味な抵抗をし、その生命を儚く散らせるか-



夏の向日葵と入れ替わりに、秋桜の咲き乱れるその丘の一角で、その主とも言うべき妖怪・風見幽香は遠く博麗神社の辺りを睨めつけてい

た。
アリスとの悶着から向こう、幽香に興味を得てこの丘を訪れることが多くなったメディスンも、幽香の家に居候しているリグルも、ここまですさまじい殺気のようなものを放つ幽香を見るのは初めてのことで、内心気が気ではなかった。


「…ちょ…ちょっとリグル…いったいどうなってんの!?
わわ、私ただ遊びに来ただけだよ?どうしてこんなことになってるのよぅ…!?」
「お、落ち着いてよメディ…私にだってそんなこと…」

困惑する二人を余所に、幽香は振り向く事もなくふたりに言葉を放つ。

「…リグル、メディ。
あなた達はここから絶対に離れては駄目よ」
「えっ?」

二人は気づいた。
凄まじい気を放つ幽香だったが、この場では恐らく彼女にしか解りえない「何か」が、彼女をこの場にとどまらせていることに。


(…紫は…これをこの世界の住人に課す最後の「試練」にするつもりなのね。
 リリカ達はいまだ、アーモロードの深部にいることは解っている。
 …あの子達が幻想郷を離れていることを承知の上か、それとも


(なんにせよ…はっきりしないうちは私はここを動くべきではないわ。
 ……でなければ)


幽香はその表情を悟られない角度で、背後の二人を見やる。
いや…果たしてそれだけだったのだろうか…。


(折角手にした幸せも…守り抜いてきたモノも…総て失うことになる)



〜妖怪の山 守矢神社〜


-このようなことを急に言われても理解はできぬであろう…。
私は今、新たなる素晴らしき力を手に入れ、至極気分が良い…故に、諸君らに半刻の時間をやろう。
その間に、諸君らの好きな方を選ぶがよい…!!-



「神奈子様…諏訪子様…!」

戦慄くように振りかえる早苗の姿を、神奈子はそっと抱き寄せる。

「…落ち着きな、早苗。
どうやら…その時とやらが来てしまったようだね…!」
「恭順の道を選ぶか、抗って死ぬか……ね。
やれやれだよ、まさかまたしても外部からの侵略者を迎え撃つ羽目になるなんてねえ

茶化すような諏訪子の発言も気にした風もなく、神奈子は勤めて豪快に笑い飛ばして見せる。

「はっ、全くもって諏訪子の言うとおりだよ。
しかも…今回は私も侵略『される側』の立場になっちまったとはね…だが」

神奈子は震える早苗の頭を優しく撫でながら…その表情は深刻なモノに代わる。

「………この「試練」に、私達が関わることを許されたのは…喜んでいいんだろうかね…?
勿論、失敗すれば私達も消え…それだけじゃない、恐らくこの暴はかごめ達のいる幻想界も、神綺やロキのいる魔界をも飲み込む。
私達はあくまで妖怪ではなく「神」…この世界で結べた「信仰」という絆なくしては、何も出来ない存在…」
「だからこそじゃないんかね。
私や、例えば今アーモロードの樹海にいる静葉なんかは土地神、この土地が私達を受け入れてくれればフルに力を発揮できる。
…まぁ、元の世界で居場所を無くしちまった私達を受け入れて、多くの新しい出会いをくれたこの世界に対する恩返しというんだったら、まだまだ足りない気もするがね」

まったくだ…と苦笑する神奈子。

「…だったら…私も戦います…戦わせてほしいんです…!
逃げることしかできなかった私に…たくさんの大切なことを教えてくれたひとたちが、この世界に住んでいるんですから…!

神奈子は早苗の言葉に頷く…が。


(えっ…!?)


早苗の意識は不意に暗転する。
その脇腹には…何時放たれたのか、神奈子の左拳が深く突き刺さっていた…。


「…神奈子…あんた」
「………解ってるさ。
こうしたら多分拙いんじゃないかって…でも…私も早苗には生きていてもらいたい。
この子は「神」である以前に、「人間」なのだから…信仰や拠り所となる土地がなくても、普通の女の子として生きていくことができる。
本来の機能を失い、既に外界から幻想郷を閉ざす障壁に変わりつつある大結界…まだ今なら、早苗一人を通すくらいのことはできる筈…!」

ぐったりとしたままの早苗の体を抱きかかえ、向かった先にはひとつの「魔法門(ゲート)」。
外界に通じるその光は、既に弱々しくなっており、何時消えてもおかしくない炎を思わせた。


「これは私の我がままでもあるのさ…。
必ず、生き残ってこの子を迎えに行く…この光の先で、見守ってくれているだろうかごめ達の元へ」



神奈子の気に反応し、その光は一瞬だけ強く吹きあがり…早苗の体はその中へと溶けて行った。


「…諏訪子、悪いけど山と地底の連中に連絡を取ってもらえるか…!
戦の準備だよ!!」
「ったく不器用な奴だよね…ま、気持ちは解らんくもないさ。
つーかあたしゃあんたの小間使いじゃねーんだっつーの」



〜地霊殿〜


「…仔細は解りました、御苦労さま。
こちらもすぐに軍備を整え、神社へ向かう旨…あなたのご主人様に言付けてあげてください」


火焔地獄に通じる地霊殿の裏庭で、その主であるさとりは、掌に載せていた一匹の蝦蟇をそっと解放する。
蝦蟇はさとりに礼をするかのごとく一声鳴くと、その姿は煙の如き姿となって消えていった。

「神様たちはなんて?」
「山の天狗や河童、神格を選り過ぐった精鋭と共に、博麗神社へ強襲をかけるとのことです。
紅魔館や永遠亭、白玉楼の連合軍と椅角の備えをもって直に叩くおつもりなのでしょう。
…相手の正体と目的が予め解っているのであれば、動き出す前に叩くのは確かに理にかなっています」

それに、とさとりは笑う。

「…あなたを含め…黙って向こうから来るのを待つ、という選択肢を是とするような大人しいひと達ばかりではないでしょう?」
「仰るとおりさ。
そのうちヤマメの野郎がパルスィもみとりもみーんな引っ張って連れてくるだろう」
「でしょうね。
…ならば、こちら側の戦力も早期に把握する必要がありましょう」

さとりが立ち上がろうとした、まさにそのときだった。


凄まじい轟音と地響き。
バランスを失って倒れかけたさとりを、勇儀はすんでのところで受け止める。


「なんだ…今のは!?」

地響きが収まるとともに、勇儀もさとりも、地底全体を包み込む不快かつ濃密な魔力を感じ取った。
其処へ、外の警戒に当たっていたお燐が血相を変えて部屋に飛び込んでくる。

「大変だよさとり様!勇儀さん!
外に…外になんか…なんか雲突くくらい巨大なバケモノが何体も!!
「なん…だと…!?」
「まさか…いや、選択肢など与える気なのないのでしょう…!
しかし」
「そうだな」

さとりと勇儀は頷きあう。


「売られた喧嘩を買うのはうちらの流儀さ。
存分に暴れさせてもらう!!」






……


「…馬鹿なことしやがって…。
早苗の気持ち…もう少し考えてやれよっ…!!」

ぐったりとしたままの早苗のを支えつつ、かごめは吐き捨てるようにそう呟いた。
しかし…さとりから「読みとった」“第三の眼”でわざわざ読みとらなくても、何故早苗がこのような形で幻想郷を離れさせられたのか…かごめには解っていたのだ。


平静は取り戻しつつあっても、早苗の心はまだ安定を欠いているということ。
そんな早苗を気にしていては、戦えないということを。



「…かごめちゃん」
「解ってるよさな姉。
…出来れば…こんな形でこいつを送りだしたくなんてなかった…!!」


複雑な魔法陣に囲まれた、幻想郷へとつながるその魔法門(ゲート)とは別に、かごめはひとつのスキマを開く。


「さな姉、頼みがあるんだ。
幻想郷を停滞時間の中に放りこむ術式は…ここにいる全員の魔力を結集しても、一週間が限界だ。
この先に通じている場所も、旅の用意は勿論、時間操作と空間境界操作でこちらの一日が向こうの十日くらいになる時間のずれを作ってある。

…早苗の記憶は少しいじっておくから…サポートをしてやって欲しい。
リリカ達が戻ってき次第、迎えに行くから」


その空間の裂け目に見えるその世界の空で…ポケモンらしき鳥のような生き物が羽ばたいてゆく。
それはポッポやオニスズメ、ムックルといった見慣れたポケモンではない。


イッシュ地方…新たなポケモンの世界、ね。
解ったわ、任せといて頂戴!」


紗苗は、同じ韻の名を持つその少女を背負い、かごめに微笑みかけるとそのスキマの先へと消えてゆく。
そのスキマが閉じた後、かごめは改めて神綺達魔界勢を含めた少女達に向き直る。


「予定通り、これから幻想郷の世界そのものをこの次元から切り離し、「時間停滞」させる。
先にローテーションを組んだ4人チーム24時間交代で最大限に維持できたとしても、最初と最後に入るあたしと神綺さんの組の2ラウンド目を入れて限界は一週間。
それより前にリリカ達が帰って来られなかったら…先の紫との約定は破棄せざるを得ない、そう心得てもらうよ」


……





地底にその戦力が出現して間もなく、幻想郷中に魔物たちがあふれ出してきた。
突如として雲霞のごとく出現した群影は、それぞれ意思のある一個の生き物の如く、定められた場所へと侵攻を開始した。

そのうちの一角、太陽の丘。


♪BGM 「クリティウスの牙」/光宗信吉(アニメ「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」より)♪


メディスンは動かなかった…否、「動けなかった」という方が正しいだろう。

群れを成して現れた狂猛な毒龍(西洋龍)の攻撃から、一瞬何かに気を取られた幽香を庇って負傷したリグルを護るという理由もあっただろう。
幽香から託されたその「要求」を完遂できなかった時の「仕置き」も恐ろしかったが…何よりも。


眼前には、普段とは比べ物にならないほどの凄まじい妖気を放ち、髪を逆立てる幽香の姿。


「人形解放」という自身の目標を達するため、まずは知識を得ようと慧音に誘われていった寺子屋で読んだ、蔵書の一節がメディスンの脳裏をよぎる。

目の前に対峙するその生き物…龍には、「逆鱗」というものがある事も彼女は知っている。
龍神の喉元に一枚だけあるという、その逆さ鱗を触れた者は、その大いなる怒りを買って身を滅ぼすと。


彼らは、事もあろうに幽香の逆鱗に触れてしまったということを。


「幻想郷最凶」と呼ばれ、忌避された彼女を慕う少女を傷つけてしまうという愚行を犯した哀れなる魔物は、その大仰な名乗りとは裏腹に、ものの数分と経たずその翼を引きちぎられ、角も顎も砕かれ、全身至るところを引き裂かれた無残な状態で丘の一角に横たえられていた。

手を出すというどころの騒ぎではなかったのだ。
恐らく自分が何かをしようとしたら、その瞬間幽香の攻撃の矛先は自分にも飛んでくるだろう…そんな確信めいたものが、メディスンを「傍観者」の立場のままその場にとどまらせていた。



「お、おのれッ…!
だが貴様らがいくら足掻こうとも…あの方…エクスデス様には敵わぬ!
いい気になるでないぞ妖怪め…この土地はいずれ大いなるエクスデス様の…ぐおあッ!!?

その言葉を遮り、幽香はその肩口と思しき場所に足をかけ、無造作に踏み砕く。
メディスンすらも思わず目を背けてしまうほどの鈍く嫌な音がして、鮮血が吹きあがった。

その返り血を浴び、狂気の妖はくすくすと笑う。

「あらあら…まだそんなに多くの血の気を残していたなんて。
あんたの無駄口なんてどうでもいいのよ。
後がつかえてるのだから…あんたはとっととこの土に還るといいわ。
あんた如きの下種の血と肉塊でも、やがてこの丘の糧となり、新たな花として彩りを添えてくれる…!!
「き…貴様…如きに…いや!!」

それでもなお、「皇帝龍」などと大層な名を名乗るだけあり、その恐るべき妖怪とその行為に対して最後まで虚勢を張ろうとする姿は、むしろ滑稽なモノにすらメディスンには思えていた。

「貴様は確かに強い…!
だが、貴様如きが抗ったところで、この世界の力総てがエクスデス様の糧となる結末は変わらぬ!!
精々無駄に足掻け!我は一足先に、地獄より貴様らのもがき苦しむ様を眺めてくれる!クク…ハーッハッハッ!!!

その哄笑には、自暴自棄の色すら滲ませている。
それは目の前の存在に対して抱いた底知れぬ恐怖を、無理矢理に取り繕うかとするかに見えた。


「…いい気なものね…。
あんたと、エクスデスとかいう巫山戯た奴は…踏み込んではいけない領域まで踏み込んできた…!
そのままもの言わぬ肉塊になるのを待ってやるつもりだったけど…気が変わったわ」


幽香は無造作に、そのぼろ布のようになった巨大な龍の体を…なんと天に突き上げる片手一本で諸共に掲げる…!
滑稽なるその龍の目が驚愕と恐怖に見開かれる。


「このまま…肉の一片も残らず消し飛ばしてあげるッ!!」


掴みあげた腕に凄まじい純粋魔力の波動が集束する。
「龍の皇帝」などと名乗ったその魔物は、程なくして幽香の放った純粋魔力の波動に飲まれ、断末魔の咆哮と共に跡片もなく消滅した。


(「復讐者」…そうだ、今の幽香は「復讐者」の幽香なんだ。
 大切な子を…リグルを傷つけた奴をただ怒りと憎悪に任せて屠り、弑虐するだけの…本当の怪物。
 でも)



メディスンはその幽香の姿に、この上ない恐怖を感じるとともに。


(まるで…泣いてるみたいだ)


その背から滲みでるような、どうしようもない悲しみの感情も感じ取っていた。
そして…出来うるなら彼女のこんな悲しい姿を、二度と見たくないと思っていた。


……





「…どうしても抗えないというのね…この“衝動”には」

戦い…ともいえぬ一方的な「排除」を終えて、暫く立ちつくしていた幽香がぽつりと漏らす。
何時の間にか、底知れぬ殺気と共に放たれていた強大な妖気はなりを潜め、その気配は完全に普段の彼女に戻っていた…否。


『血塗られた獣』
かつて幽香は、そう呼ばれ魔界で恐れられていたと、神綺から聞いていた。

愚かなる魔族の王たちが、己の野望を満たすために焼き払った土地の恨みが生んだ最悪の妖精として生まれた彼女は…やがて、その行為そのものに苦悩し、自身の苦痛として丘の憎悪を一身に受けたのだと。
先に見た彼女の悲しみに満ちた背に、メディスンは初めて、幽香が持つ痛みと悲しみを理解できたような気がしていた。


「…違うよ。
幽香は…私達を…私とリグルを護ってくれたんだよ…!」



その言葉に、幽香はわずかに驚いた表情で振りむく。
そして…ゆっくりとその傍に近づいて、微笑みかける。

「…そうね…それにあなたこそ、リグルを護ってくれたわ。
有難う、メディ」

そう言って、彼女はメディスンの頭を軽く撫でる。


「振りかかる火の粉を払うだけにしておこうかと思ったけど…黙って見ているのは性分じゃないしね」

幽香が振り向いた先…雲霞の如き魔物の影が飛び去る先は、人間の里。

「メディ、あなたはリグルと共にここにいるといいわ」
「幽香は…?」
「…里へ。
里へ行けって囁いてるの。
もし何か起こっても、大丈夫だって…向日葵達が言ってる」

そのままふわりと飛び立ち、その姿は里の方へと消えてゆく。
メディスンは、いつまでもその姿が消えた先を眺め続けていた…。





……


〜廃洋館〜


紅魔館のほど近くにある、プリズムリバー姉妹が住むその古びた館。
人気のないその広間に、突如として空間の切れ目が生まれ…そこからまばゆい光が放たれる。

その光が収まると、そこには一人の少女が佇んでいた。


「あ…れ?」


その館を拠り所とするその少女…リリカ・プリズムリバーは、茫然とした表情であたりを見回す。


アーモロードで「三龍の試練」を仲間達と超え、プラズマ団との最終決戦に臨む早苗と共にイッシュの危機を救った彼女は、「時間停滞」の解かれた幻想郷へと帰りついた。

幻想郷へと戻る際、かごめからは「自分が最も大切に思う存在」が戦う地へ導かれるはずと言われていた。
その言葉が確かならば、こいしは地底へ、フランは紅魔館へ、早苗や静葉達は山へ、ルーミアやチルノ達はおそらく里へと飛んだ筈だろう。

現に、廃洋館の窓から、わずかに距離はあるもののさほど離れてはいない紅魔館の上空に、凄まじいオーラを纏った何かが見える。
リリカの記憶が確かなら、「雷鳴と共に現れる者」との戦いで垣間見た、フランの真の力が解放された姿に間違いはない。


既に姉達も戦うため、何処かに赴いた筈。
自分以外の誰の気配も感じないその館に一人、何故自分が現れたのか…。


「…あんたならきっと、ここへ来るんじゃないかと思っていたさ」


不意に、聞き覚えのある声と気配を感じる。
現れたその姿は、彼女もよく存在を知る死神…。


「小町さん」
「あんたはきっと、無意識的に廃洋館(ここ)の事を強く思い浮かべるんじゃないのかな、ってね。
それだけ長いこと、あんたはこの場所で思い出に浸りながら存在(いき)てきた」


小町はリリカの手を取る。


「四季様いわく、幻想郷の者以外の介入は不要…っていう話なんだけどね。
あたいは無縁塚でサボっている事も多かったし、まるっきり部外者ってことでもない。
……黙って見てるのも性に合わないからね


悪戯っぽく微笑む小町に、リリカもようやく表情を緩める。


「それ、屁理屈っていうんだよ小町さん…。
でも、私もきっと、一人じゃ心細かったかもね


その衒いのない表情に、小町も目を細める。


(今なら解る気がする)


初めてこの少女と出会った「花の異変」の頃は、何の苦労も知らないわがままな子供にしか見えなかったその少女は…幾つもの辛い出来事

と、それを介して絆を深めてきた多くの仲間たちとの出会いを経て、瞬く間に芯の強い、優しい娘へと成長していった。


(あたいもきっと、この子の持つ可能性を信じていたってこと。
 この幻想郷で、最も強く輝く「星」が…この子だったんだってことを!)



小町自身もまた、その魂の輝きに惹かれていたのだということを。


「二人の戦場は白玉楼。
覚悟はいいね、リリカ!」
「うん!!」


小町の力の発動と共に、空間が歪む。
生と死の距離を歪めるその力に導かれ、ふたりは己の戦場へと駆けだして行った。