「諏訪子様ッ!?」
その気色の悪い木々の中、全身至る所から血を流している姿で、磔にされたかのように宙吊りになっている諏訪子の姿を見た早苗は、反射的にその姿へと駆け寄ろうとする。
しかし、何かを感じ取ったらしい愛子がすんでのところでその袖口を引く。
「だめ!
アレはきっと、罠だわ」
「でも!」
振りほどこうとする早苗の前に、普段何処か遠慮がちに愛子の後ろに立っているだけの姿からは想像できないほどの…目の前の存在に対して凄まじい敵意をむき出しにして杖を構える蕾夢。
冷静さを失いかけていた早苗すらも息を呑み、一歩下がると…その傍らに、同じ表情の愛子が並び立つ。
「敵の姿は『視えてる』のね」
「うん。
姉さんたちは、さがってて。
私が諏訪子さんへの道を開くから」
「解ったわ」
愛子も同時に魔力を解放する。
瞬間、おぞましくぬめる蛭の塊が三人の頭上へと落ちてくる…!
その光景に声を失う早苗。
しかし、愛子は全く動じてはいなかった。
「師匠が仰ってたわね。
蛭の魔は、兎角頭上の死角を取りたがる。
それこそワンパターン過ぎるくらいに!!」
突きあげた掌に魔力がほどばしる。
「渦を巻け、水銀の毒。
『マーキュリーポイズン』!!」
愛子の魔力が一瞬のうちに銀の毒水と化し、その毒に中った蟲の塊は外側からぼとぼとと地面へと落ち、その亡骸が後片もなく溶けていく。
早苗にもその技は見覚えがあった。
紅魔館に居候する、当代最強の呼び声高い大魔導師…「動かぬ大図書館」パチュリー=ノーレッジの得意とする魔法の一つ。
その水銀の幕を突き破り、蕾夢が駆け抜けざま地面を抉ると、数匹の『街殺し』が正体を現しながら掻き出され、次の瞬間ひとりでに爆ぜた。
それを合図に、地面から、木の幹から、一斉に正体を露わす悪魔の蟲は、蕾夢へ飛びかかる前に愛子の放つ無数の毒水の槍でことごとく串刺しにされ、おぞまし色の体液と混ざり合った姿で地面へと吸い込まれていく。
「『ジェリーフィッシュプリンセス』。
師匠の魔法、発動ラグもないし火力も高いから便利な事は便利だけど…いかんせんそのまま使うと燃費が悪いのよね。
連発が効かないからなかなかその隙を埋めるとなると、ねぇ」
「その為に、私が居るんだから。
姉さんは魔法を撃つことに専念して。
もう一発やれば、親玉が引きずりだせると思うよ!」
「ええ。
恃みにしてるわよ、蕾夢!」
一瞬だけ視線を合わせ頷きあうふたりは、お互い言葉がなくても考えは通じあっているのだろう。
先行する蕾夢に合わせて、時に愛子が援護の魔法を撃ち、蕾夢の斬り開いた隙に愛子が広範囲殲滅用の上級魔法を撃ちこんでいく。
かつて…この二人は血の繋がらないまでも姉妹として、愛子の実の母である珠姫から等しく愛情を注がれ育てられてきた。
だが、オールラウンダーの資質を持てぬ故に「劣等」と罵られ…心を閉ざし、他者の才能に嫉妬することしか知らず、それ故自分に対してもなんの先入観もなく接してくれる蕾夢にすら、愛子は憎悪の牙を向けた時期すらあった。
だが…今は違う。
自身に与えられた類稀な魔導師としての資質を受け入れ、パチュリーという然るべき師を得た愛子は程なくしてその頭角を顕し、自分の力を最大限生かしてくれる蕾夢の存在を受け入れることができるようになった。
まだ、何処か他人との距離を測りかねているきらいはあるが…周囲の悪意から芽生えてしまった自身のコンプレックスで、自分を責め続けてばかりいた愛子はもう、居ないのだ。
「大物が来る…!
蕾夢、気をつけて…仕掛けてくるわ!」
僅かな周囲の魔力の乱れを鋭敏に感じ取った愛子の声に、蕾夢が杖を青眼に構えて残心する。
それと同時に…諏訪子が磔られている近くの地面が盛り上がると、そこから赤黒くぬめる粘液を滴らせた巨大な蛭が姿を現し、牙をむいた。
-小娘の分際で…よくもやってくれおったな。
貴様らごときに使ってやるのももったいないと思ったが…祟神の血から生まれた我が分身、いかほどの力を持っているか貴様らで試してくれようぞ!!-
ポケモン対戦ログ幕間 「日向美狂詩曲」
其の五・覚醒する若き力
紗苗と氷海が辿りついた頃には、病院内は最悪の状況になりつつあった。
蛭に憑かれた患者同士が、互いの血を求めまるで共食いをするかのように互いに喰い付き合っているその光景は、まさしくこの世の地獄…否、まるで無間地獄の一部がこの世に現れたかと錯覚させるかのようであった。
氷海はその光景に恐怖で意識を飛ばしそうになったものの、それでも、氷使いらしい冷徹さで魔法を駆使し、応急的に患者たちを凍らせ、無力化していく。
「上出来よ。
けど、気を抜かないで。
そろそろ黒幕が焦れて出てくるころ合いよ…!」
同じようにして、風と氷の拘束魔法で患者たちの動きを止めながら…紗苗は彼女を庇うようにして剣を構える。
氷海も一拍遅れ、冷気で靄がかかる通路の奥から刺すような殺気が高速で迫ってくるのを感じる。
これまでは、他の病人の影で息を殺して獲物を待つ捕食者のような気配を放っていた者が…自分たちを確かな敵と認識して排除すべく動き出した、その事を、彼女は理解する。
「私が出ると同時に全方位へ放てッ!!」
その言葉が早いか、幽かに冷気の靄を残して紗苗の姿が掻き消える。
氷海は一拍遅れ、無詠唱で放つ氷の魔力を周囲にばらまくが…初めて見る凄惨な戦場の光景に少なからずとも動揺していた彼女の魔法は、その狙いが定まらず、また或いは十全な威力を発揮できずに標的に破られてしまう。
息を飲む彼女へと黒装束の刃が届くその刹那、庇うようにしてその眼前に紗苗が割り込むと同時に、彼女はためらいなく標的の胴体を真っ二つに斬り伏せてのけた。
氷海は改めて…そこが、自分のよく知る場所ではなく、本物の戦場であることを…そして、目の前のこの女性が、数多の地で血を洗う様な戦場を…数え切れぬ死線を潜り抜けてきたことを思い知らされる。
氷海はその後ろ姿に、可能な限りその精神を氷点下へもって行こうと構え直す。
紗苗は、その空気の変化に驚く風でもなく…ただ、後ろを振り向かずに続ける。
「対戦相手としてのあなたしか知らなかったけども…改めて、レミィがあなたを高く評価していた理由が解るわ。
あなたはきっと、パチュリーさんによく似てる…頭の切り替えの速さも、必要な時に必要な行動を取れるところも。
私から言えることがあれば…頭脳はとことんまでクールに、けど、その想いに熱を忘れないで。それだけよ」
「わかりました。
前衛は…お任せします!」
氷海が放つ氷の魔法と同時に、再び紗苗は空間へと姿をかき消す。
放たれた魔法は、先刻とは打って変わって正確無比に標的を捉え、そこへ紗苗は刃を滑り込ませていく。
(この子を連れてきて正解だったわね。
アンナちゃん意外と大雑把だから、ここまでうまくやってくれなかったろうし)
紗苗は、その若く頼もしい魔導師の少女に目をやり、僅かに微笑む。
(ここまで戦力を切り崩せば十分。
あとは…親玉を見つけ出して討つのみ!)
紗苗が目配せをすると、氷海もその後に続いて奥へと駆ける。
その強い気配へと導かれるように、氷海の父…星川純一郎が居るであろう院長室に待ちうけていたのは…。
「成程。
かつての藤野一族で「五傑」にまで数えられただけのことはある。
そして…その娘も素晴らしき「浄化」の力を有しているようだ」
重厚な漆黒のマントを纏い、黒く乱れた髪の中に、病的なまでに白い肌を持つ科学者風の男。
その背後には、蛭の森から持ち込まれたであろう魔の蔦に絡め取られ、ぐったりしたまま動かない壮年の男性。
「お父様!!」
とらわれ身動き一つしない院長…自分の父親の姿に顔色を変える氷海。
反射的に駆けだそうとする氷海を手で制し、紗苗は男へ強い視線のまま誰何する。
「あなたは、「梟」の関係者かしら?
違うとしたら、何の目的でこんなところにいるのか…説明をもらいたいところね」
「彼らは、私の思った通りに動いてくれた。
適度に炊きつけておけば、あの狂信者共のこと、必ず「墨眼」と結託する道を取ってくれるだろうと思っていたが、こうもうまくいくとは思っていなかったよ。
…お陰で、私の研究資料を集める場が十分に整った。
あとは…君等「四天王」に秘められた力を…藤野珠姫が見出した「浄化」のチカラ、存分に見せてもらうとしよう…!」
「質問の答えになってないわよ。
あなた、いったい何者?」
男は紗苗の誰何も意に介した風もなく、哄笑し言葉を続ける。
「我が世界にあるチカラの源「
この世界の人間の中にも、それに類するものを秘めている者がいる…この男と、その娘である君もそうだ。
この男もそれなりに強かったが…今はこの魔の蔦によって、「操譜石」は汚染されチカラを失っている…じきに、その力によって防がれていた「蛭」の浸食が始まり、道中君等が斬り伏せてきた「梟」のなれの果てと同じようになるぞ。
さあ…見せてみるがいい、君の真のチカラを!!」
「あなたは…それだけの理由で!!」
氷海の中で、目の前の男へ対する怒りが弾ける。
「その身勝手な理由だけでこの街を危機に陥れるというなら!
この私が、二度とそんな真似ができぬよう徹底的にあなたを粛正するッ!!」
♪BGM 「illumina」/DJ TOTTO feat. *spiLa*♪
吹きすさぶ吹雪が、院内を包む氷点下の冷気を巻き込んで零下の突風を巻き起こす。
紗苗すらも思わず防御の姿勢をとるほどの猛吹雪の中で…氷海の掌に現れた水色に輝く宝石が、まばゆいばかりの光を放つ。
その光が魔の蔦を捉えると、一瞬にしてそれは凍結して砕け散り…とらわれていた彼女の父の、胸元に一瞬現れた黒い宝石が、一瞬のうちに彼女と同じ水色の輝きを取り戻す。
「おおッ…これこそまさしく…!」
男はその光景に喜色を露わにする。
「覚悟なさい!
目覚めろ「
水色の宝石は、彼女の右腕に装着された「
「蒼銀に閉ざせ、「幻想銀雪晶」!!」
解き放たれた、奥義魔法にも匹敵するだろう威力の氷点下の竜巻が、黒マントの男へ直撃した。
…
風雅が観たのは思っても見ない光景だった。
唸りを上げて迫る大牙の拳と、自分の身体の間に、滑り込んでいた鈴花が苦悶の表情で息を吐く。
その光景に、風雅は無論のこと、蛭に精神を狂わされている大牙の動きも止まる。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!?」
狂乱の咆哮を上げる大牙より一瞬先に冷静さを取り戻した風雅が、風の魔力で大牙を突きとばすとともに、鈴花をしっかり抱き抱えたまま反動で後ろへ飛びのく。
「鈴花!」
風雅は腕の中に抱える鈴花に呼び掛ける。
彼女は苦しそうに咳込むが、弱々しいながらもにっこりと、風雅に笑いかける。
「ごめん…ね。お兄ちゃん、いつもは…こんなんじゃ…」
「なんで…いや、喋っちゃダメだ…少し、じっとしてるんだ…!」
途切れ途切れの言葉と共に、鈴花の口の端から血がこぼれる。
恐らくは、あの一撃で内臓の何処に大きなダメージを負ったのかもしれない。
「オノレ…キサマヲ…貴様ヲカバイナドシナケレバアアアアアアアアアアア!!!」
大牙の獣のような咆哮がこだまする。
「おねがい…風さん。
お兄ちゃんの、こと…たすけて、あげて。
…お兄ちゃんは…悪いヤツの、いいなり…」
「解ってる。解ってるから…必ず、助ける…!」
それだけ聞くと、鈴花は満足そうに笑い…そのまま、眼を閉じて動かなくなる。
風雅は彼女の体をそっと横たえると、そこに防護のための魔法を張り…そして。
「俺は…お前をこんな目に遭わせたくなかった。
だから、俺は…!」
彼の瞳から悔し涙が零れ落ちる。
何時の間にか体勢を立て直し、大牙の無慈悲な拳が、その身体を横殴りに吹き飛ばす。
「貴様ノセイダアアアアアアアアア!!」
風雅は、その凄まじい一撃で意識を吹き飛ばされそうになりながらも、なおもよろめく足を叱咤し立ち上がろうとする。
血の涙を流しながら、咆哮する魔獣が、防護の結界を破ろうとしている。
その時風雅の耳に…いや、その頭の中に直接、大牙の声が聞こえてくる。
-…頼む、風雅君。
俺は…これ以上奴の支配からは逃れられん…このまま、鈴花も…俺の手で「蛭」の手駒にされてしまうだろう。
だから…まだ俺の意識が残っているうちに俺を…俺に、引導を渡してくれ-
「大牙…さん?」
-これが、ずっと抑えてきた俺の本性でもあるんだ。
俺たち兄妹は…鈴花は、父親の顔を知らない。
魔界の戦争で命を落とした親父の代わりに…俺は、鈴花をただ守る事だけを考えて強くなろうとした。
だが…その為に、俺は鈴花を護る事だけしか知らない哀れな男になり下がってしまった-
再び、咆哮と共に拳を振るい襲いかかる大牙の猛攻を受けながら、風雅はなおも彼の独白を聞いていた。
-鈴花から、俺は君のことも聞いていた。
正直…嫉妬を覚えていたのだ。
俺以外の男には決して心を開かない…そう思ったこの子が、君のことを慕ってやまないこと…それを知ってしまった時から-
風雅は辛うじて足を踏ん張り、風を防壁に使いなおもその拳と言葉を受け止める。
それと共に、風雅は確かに見ていた。
狂獣のような表情ではあったが…大牙が、血の涙を流しているのを。
-だが…昨日初めて君に会い、俺は自分が如何にちっぽけなのかを思い知らされた。
君になら、この子を託してもいいと思った。
だから-
その、何処までも悲しく表情を歪ませる、兄としての大牙の姿を。
風雅はそれを総て受け入れた上で、叫んだ。
「その言葉は…聞けません!
俺は…鈴花とここで約束した。
そして俺自身の意思で誓ったんだ…あなたを…あなたも鈴花も、必ず助けると!!」
その意思が強い風となり、大牙の拳を受け止める。
♪BGM 「Plana」/TAG♪
「応えてくれ、“
俺に…俺に鈴花を…みんなを護るためのチカラを!!」
彼の胸のあたりから飛び出した碧の宝石が輝き、彼が操るヨーヨーの魔装も連動して光を放つ。
そして…旋風は竜巻となり、その中心にいる風雅へとすさまじい魔力が集中する!
-む…!?
なんだ、このすさまじい風の魔力は…あのガキが、放っておるというのか…?-
目の前に展開される「茶番」をせせら笑いながら眺めていたそのおぞましき魔物が、風雅の起こした変化に警戒の鎌首をもたげる。
それに応えるかのように、大牙の拳に凄まじい気が集束する。
-もったいないかも知れんが、我の手に負えない代物であっては意味がないの。
そのガキを潰してしまえ!-
振り卸される無慈悲な拳。
しかし、それは爆発的に吹き荒れる烈風に阻まれ、風雅には届かない。
「渦巻き狂え、『
緑色に渦巻く刃を纏う、竜鱗の外皮を持つ一対のヨーヨーから放たれた風が、大牙の胸を刺し貫く。
そこから飛び出してきた、黒く濁った宝石が一瞬のうちに浄化され、黄色い光を放つ宝石へと戻った。
…
商店街へ戻ったアンナ達は、何故か強力な結界に覆われ、外から隔絶された状態になっている光景に息を飲む。
そして…それをやってのけただろう存在と、その傍らに力なく倒れたままの藍の姿を認める。
「思った以上に大事になってしまったようだわ。
ごめんなさい、あなた達にとっては、折角の旅行だったでしょうに」
「紫さん、状況はどうなってるの?
それに」
アンナが、ピクリとも動かない藍の姿を見やる。
それを察した紫は、僅かに悲しそうな表情で…愛おしそうに藍の頭を撫でる。
「藍は確かに、式としての制約を無くしたことで強くはなったわ。
けれど、長いこと「式」として戦っていた時のクセが抜けきれず…精根尽き果てたところを「墨眼」に付け入られたようね。
この子は最低限の…「蛭憑き」共がひしめく病院に送り込む、浸食の起爆剤にされるところだったみたいだったから」
現れた一つのスキマに、藍の姿がゆっくり吸いこまれていく。
「でも、この子とさとりのお陰で、最悪の事態は免れた。
それどころか、かごめの目的もうまく果たされそうになっているわね」
「どういうこと?
まさか、かごめさんはこの機会に」
ええ、と頷く紫。
「私達がホワイトランドへ招かれたとき、MZDと交わした「協定」では、理由なく真祖・貴種クラスでの、互いの存亡に関わるような戦いをしてはならない…そう、定められたわ。
けれども、墨眼も「梟」も、守るべき分限を犯した。それだけで十分過ぎる大義名分が立つ。
その上で…あの子は可能であれば、今回連れてきた子たちの力で、あの蛭竜を討つ腹づもりなのでしょう」
「ちょ、ちょっと待って!
確かに、つぐみや早苗さんが、私と同じようにして樹海の旅を経験しているのは知ってる!
でも、その為にこの街を戦場に変えるなんて」
「その為に私がいるのよ。
さくら野の人が罹った「森中り」は、この戦いの決着がつき次第、永琳の力を借りればなんとかなる。
そして…無事な人たちはもう既に、私の能力で蛭が寄りつかない術式を施してあるわ。
…流石に、小さい街とはいえ5万を超す倉野川市民全員、しかも…そこのあなたのように時々見かける特異な血を引くために、術式に抵抗力のある者もいたから、だいぶ時間はかかってしまったのだけど」
紫の指し示す先…智子は、悲痛な表情で目を伏せる。
「どういうこと、なんですか?」
恐る恐る、小鈴がその理由を問いただそうとする。
紫は一瞬、躊躇うような表情をしたのち、智子へと視線を移す。
「ごめん、なさい。
千夏ちゃんのことを考えたら…私、どうしてもいい出せなかったの。
私の、事を」
「待ってよ、どうして謝ることがあるの?
透子さんは、智子さんを「蛟」だって」
「
確かに、雨竜は腐っても竜の眷族。
如何に八雲紫の術といえど、多少の抵抗性は示すかも知れないわ。
けれど…あなたは、だいぶ違う。
あなた、もしかして」
小鈴の言葉をさえぎるアンナに、智子は意を決したようにその事実を告げる。
「私は…翡翠蛭竜の血を継いでるの。
今から二百年以上前…「墨眼」の反逆で森を追われた真祖「水眼」の末裔であり、その転生した姿…それが、私」
…
「どうして…どうしてあなた、こんなところに!」
「みんな無事でよかっためう。
そして話は聞かせてもらっためう。
あのぐちゃぐちゃしたのは…さななが一番だいすきな人と、繋がってしまっているめうね?」
思っても見ない顔に助け起こされ、早苗は継ぐ言葉もなく、ただ頷いた。
目の前の蛭は、紛れもなく諏訪子のチカラを総て食らって生まれてきた存在。
攻撃を仕掛けるたび、磔られたままの諏訪子にダメージが返るのを見て…早苗達は全く手出しが出来なくなっていた。
愛子や蕾夢も、早苗の心を汲んで防戦に追われ…すでに限界に近付いている。
そこに、アンナ達と一緒に商店街にいる筈の、めうが現れた。
-なんじゃ、貴様は。
このような所へのこのこ我が眷族の餌になりに来たか、小娘-
普通の少女であれば…例えば、めうの友達である咲子などであれば、その姿を見た瞬間に恐怖で卒倒してもおかしくないだろうその魔物を、めうはしっかりと見据え、早苗達を庇うようにして斜に構える。
それは、あくまでついさっきまで、他愛もない話に花を咲かせていたその少女の雰囲気と、まるで変わることのない自然体。
だが、早苗は確かに見ていた。
めうの瞳の奥には…何処かかごめやつぐみに似た、強く悲しい光が燈っていることに。
「お父さんとお母さんが昔言ってた。
元々、この街はめう達の知ってる「日本」じゃない、別の遠い世界にあるって話」
「めうちゃん…?」
「“私”のおばあちゃんは、元々は「日本」でそれと知られた強い強い力を持った魔法使いで、だから「日本」に居場所がなくなって、この街にやってきたんだって。
もっとすごい力を持ってた、紅い眼の女の子と一緒に…「日本に居場所がなくなった人間達」の街をつくろうって…それが、倉野川の始まり」
恐らくは普段のモノとは違う口調で、少し寂しそうにその言葉を紡ぐ彼女がポケットから取り出したのは、淡く光を放つひとつの判子。
早苗は、ついさっき彼女から見せてもらったそれのことをすぐに思い出した。
めうが幼い頃に亡くなったというその祖母が、形見として託してくれた品物だという、不思議なオーラを放つその判子。
「これの本当の意味を知った時…『私』にそんな恐ろしいチカラが眠っていると知った時、急に自分の事が怖くなった。
得体の知れないこの力が…何時か周りの人たちを傷つけてしまうんじゃないかって。
だから…私はずっとずっと、ひとりぼっちだった。
こんなチカラなんて、私欲しくなかった。
こんなチカラ、この世から消えてなくなってしまえばいいってずっとずっと思ってた。
でも…私の大好きな人が…日向お姉ちゃんが教えてくれたんだ」
めうはそれを、高く天にかかがると…それは意思を持つかのようにふわりと宙に舞い、光を放ちながらゆっくり、回り出す。
その脳裏に過る、何時か聞いた言葉。
-要らないモノなんてどこにもないし、それに、必要以上に怖がることだってないんだ。
キミが秘めたその不思議なパワーは、いつかきっと、キミの大切な人達を護るためのチカラになってくれるって。
いいじゃない、めめ。
まるで…キミはボクがずっとずっと憧れていた…!-
「私の持っているこのチカラは、夢と希望をかなえて…みんなの笑顔を護る魔法少女みたいだって…!
だから…だから『めう』のチカラは、今ここで大切な友達を…その大切な人を護るために使うめう!!」
♪BGM 「燃え上がれ闘志 忌まわしき宿命を越えて」/田中公平(「機動武闘伝Gガンダム」より)♪
光が、放たれる。
おぞましくぬめる赤黒い魔物が、その光に気圧されるようにして止まり、そして。
「萌えるハンコは正義の光、卑劣な悪を打ち砕くっ!
日向美の魔法ちくわ少女の底力、とくとその目に焼き付けるのだっ!
変化した巨大な判子を受け止めためうが、光を放つそれを振りかぶり…祟神の蛭めがけて振り落とす。
「光になるめうーっ!
とにゃあああああああああああああああああああああああっ!!」
爆発的な光の洪水が周囲を埋め尽くし、次の瞬間…着地しためうと、その額部分へデフォルメされたウサギの顔の刻印を施された蛭が対峙する。
蛭も、めうも、にらみ合ったまま動かない。
-ッ…おのれ!
目くらまし程度に何を気圧されておる!!
さっさとその小娘どもを始末してしまえ!!-
焦れた「袈裟掛」が咆哮する。
しかし…早苗の、驚愕に見開かれた眼と、傍らの異様な気配に振り返る。
「ああ、すぐにでも始末してやんよ。
だが、あの子達をじゃねえ…テメェをだ」
そこには…何処か皮肉めいた笑みの、早苗もよく知るその祟神の少女が立っていた。
…
その吹き荒れる暴風に怯んだ様子を見せながら…「斑」は、忌々しげにその光景を見やる。
-おのれ…人間の分際で…!
…じゃが、分限を超えた力を使ったモノの末路が目の前にある。
このオモチャはなかなか使いでがあっただけに残念ではあるが…まあよい-
目の前を遮る風が凪いで来ると、そこには倒れ伏したまま動かない三つの影。
-しかし、予想外に力を使ってしまったわ。
あの茜を操った時点で我の持つ半分の力が持っていかれてしまったからの…こ奴らの血肉から、魔力を補充せねば-
「斑」は、大牙に取りついていた己の分身体から何の反応もないことで、その「欲望」を増大させ狂わせていた大牙も…その力を放った風雅も、共に息絶えたものと判断していた。
貪欲な蛭の本性を露わにした「斑」は、その本能に従い二人を捕食しようと体をうねらせ近づいていく。
だが、この哀れなる蟲は、まだその認識に誤りがふたつあることを気づいていない。
ひとつは…取りついている対象が死ねば、己の分身体はすぐにその血肉を喰らい、本体に戻ってくるはずなのに…それが起こっていないこと。
「斑」は、魔力の使い過ぎで渇望状態にあり、それまで見せていた狡猾さ…もっと言えば、用心深さを失っていた。墨眼の側近内でももっとも狡猾であり、残忍極まりない性質であるこの魔にしても、その少年の秘められたる力の発露から身を防ぐために大半の力を使い果たし、力の渇望により冷静さを失っていることは間違いではない。
とはいえ、他に外敵となり得るものがいないのであればそれでも問題はなかった筈だ。
この醜悪なる蟲の魔に然るべき引導を渡すだろう「決定的な誤算」が、晴れゆく土煙りの中から明らかになっていく。
-む…?
なんじゃ、この小僧…何時の間に-
ひとつに見えていた影は、倒れ伏している風雅の状態を抱えるオレンジ色の髪の少年。
「斑」はすぐに、この少年が茜と何らかの関係にあるだろうことを予感する。
だが…感じ取れる力は、まだまだそれには遠く及ばない…自分の現状の力であっても、余裕で捩じ伏せ糧に出来ると、そう判断した。
-丁度いい!
そこの身の程知らずのガキと一緒に、貴様も我の糧になるとよいわ!!-
大きく振りかぶり、醜悪にうごめく細かな牙を開くその頭が勢い良くそこへ降りおろされていく…が。
「てめぇか…ばーちゃん達を操って…俺のダチ公をこんな目に遭わせやがった奴は!」
紅蓮の炎を纏うその拳が、その恐るべき牙を受け止め、そして醜悪な匂いをまき散らしながら焼く。
不意を打たれた「斑」が苦悶の咆哮を上げた。
烈は、風雅の身体をそっと地面に横たえると…悶える蟲を威圧するかのように立ちあがる。
一拍遅れて駆けつけてきた魔理沙が、術者の結界が解かれ無防備になっていた鈴花を抱き上げ、そして叫ぶ。
「烈、鈴花は無事だぜ!
蛭にも憑かれてねえみたいだ!」
烈は振り向くことなく、その言葉に頷く。
-お、お、おのれえええ…!
だが、今更何人増えようが同じこと! 少々きついが、皆我の玩具になるがよいわ!!-
怒りに狂った「斑」の表皮から、黒くおぞましい塊が幾つも飛び出し…蛭となって魔理沙たちに襲いかかる。
しかし、それは縦横無尽に空を走る妖夢の剣閃で悉く斬り割かれ、消滅する。
「私達を甘く見ないことです。
手負いといえど…容赦はしませんよ…!」
刀を返す妖夢もまた、同じようにして蟲と対峙する。
そして、烈は紅蓮に燃え上がる拳を構え、叫ぶ。
「てめえは…テメエだけは絶対に許さねえ!!
この俺がぶっ飛ばしてやる!!」
…
鉈の様な爪がかごめを捉えようとした次の瞬間…一発の銃声と、硝煙の代わりに雷の尾を引く弾丸が、爪を砕くとともにその身体をも後方へと吹き飛ばす。
同時に。
「咲き昇れ、『月下氷刃』!!」
無数の巨大な氷の刃が、周囲に踊る。
氷漬けになる翡翠蛭の中、墨眼は後方へと飛びその難を逃れる。
「なんだ、蟲野郎。
やっぱりさとりさんの力を十全に引き出せてるわけじゃねえんじゃん。
…そんな程度で調子に乗ってるんじゃねえよ」
かごめの傍らに立っていた透子の左腕は、巨大な爪を持つ氷の巨腕と化していた。
「透子…お前、それは」
「ん…ああ、ごめん遅れちまったな色々と。
つぐみには話してたんだけど…あたいも実はできるんだ、最大解放。
…まあ出来るようになって間もないから、今現在あたいが把握してるのは単純に「ありとあらゆる水分を一瞬で氷に変える」っていう…まあ、通常形態の単純なアッパーバージョンみたいな程度だけど、ね」
透子は飄々とした態度を崩さず、あっけらかんと告げる。
「く…くくっ、勝ったつもりか小娘。
己の能力をあっさりばらすなど…この我の目の前で!!」
「なあ蟲公、まだ気づいてねえのかお目出てぇ奴だな。
さとりさんの能力ってなんだよ。
そしてあんたつぐみの銃弾、受けたろ。なんかおかしいって自分でもそう思わねえの?」
「なにをわけのわからないことを…ッ!?」
周囲にひときわ大きな鼓動が響く。
そして、うずくまる蟲の親玉。
-つぐみの銃弾はありとあらゆるものを解放する、彼女の能力の現れ。
とりわけ…あなた方の様な能力には非常に相性が悪い…ということですよ-
「ぐっ…馬鹿な! 貴様の意識は完全に飲み込んだ筈…」
-返してもらいますよ、私自身の主導権を!
熱と寒気どちらも嫌うあなた方にとって今の状況は地獄でしょう…ですが、それだけでは許さない。
眠りを覚ますトラウマで眠るがいい! 想起『コールドスナップ』!!-
さとりの身体から強烈な魔力が放たれると当時に、周囲の気温が一気に氷点下まで低下する。
おぞましい悲鳴を上げながら、さとりの肉体からたまらず飛び出してきた一匹の蛭が、見る間に巨大な、禍々しいフォルムの蛭竜へと変化していく。
-おのれ、貴様等ああああああああああああああ!!-
怒りの咆哮を上げるおぞましき邪竜に、憔悴しきった表情ながらも呆れたようにさとりは頭を振る。
「…好き勝手してくれた礼に、私自らの手でズタズタにしてやりたいところですが…」
その言葉が終わりきらないうちに、周囲の気温が急上昇する。
氷点下から、一度に陽炎が立つほどの熱気に支配された周辺の魔樹は、一気に水分を奪われて萎れ、ぼろぼろと崩れ落ちていく。
「お前がさとりさまをいじめたバケモノだなあああああああああ!!!
絶対許さない!私の力で後片もなく吹っ飛ばしてやるッ!!」
♪BGM 「霊知の太陽信仰 ~ Nuclear Fusion」(東方地霊殿)♪
天空で怒りの形相と共に高熱を放つ地底太陽の鴉。
力なくへたり込むさとりの傍らには、その熱源と共に最も古い彼女の「家族」であるその少女が立って、その身体を支えている。
「遅くなってすいませんさとり様。
お空の奴滅多に外でてこないから、もう何でもかんでも珍しがっちゃって都度足止めるもんですから」
「いいえ、もっと早く来ていたらかえって大惨事になっていたかもしれません。
とりあえず、助かりました、お燐」
「というか思い切った事をしやがったな紫の奴。
下手をすれば倉野川も焦土になっちまうぞ、あの馬鹿好きに暴れさせたら」
呆れたように苦笑いするかごめも、その足元はおぼつかない様子だ。
その目の前では、氷点下から灼熱地獄への急激な温度変化に身もだえるおぞましき竜の姿があるが…その名の由来となった黒く淀んだ眼は怒りに染まっている。
狂ったような憎悪の咆哮を上げるその竜に、つぐみと凍子が顔を見合わせ頷く。
「さとりさん、お母さん…少し休んでて。
こいつは…私達がなんとかするよ!」
その前へ一歩踏み出すと、母親譲りの覇気のある表情で笑いかけるつぐみ。
かごめも何か悟るところあったのか、その場へどっかりと腰をかける。
「あたしたらは高みの見物と行こうかね。
あんた達! あの蟲野郎は任せる、後腐れのねえようにここできっちりぶちのめせ!!」
「おうよ!」
「うん!任せて!」
-おのれ…おのれ小童どもが…!
我をこの程度の熱と冷気で追い詰めたつもりか!
許さん…許さんぞ貴様等!! その思い上がり、貴様等の血肉で購わせてくれる!!-
お空の放つ地底太陽の熱波に支配されたさくら野の地で、咆哮を上げる悪夢の森の王と、つぐみ達の最期の決戦の火蓋が切って落とされた。