一体どのくらい宴は続いていたのだろうか?
そんな中、鈴花の奇襲を受けてしこたま飲まされ、壁にもたれかかる覚束ない足取りながらも廊下の一角を歩く風雅の姿がある。

「うぐっ…鈴花の奴ッ…!」

大抵の飲兵衛ならとうに潰れていてもおかしくない量のアルコールを一気に飲まされながら、時折こうして胃の中身を戻しに行ってはいるものの、それでもまだ立って悪態を吐く余力が残っている辺りは流石というべきなのだろうか。
とはいえ、嘔吐という行為は実際、非常に体力を消耗する行動である。そして、幾度も本来とは逆の行為を行った彼の食道と胃は、最早なんの料理も受け付けられそうな状態にない。

折角の料理をみすみす戻してしまったことを、この店の若き料理人に心で詫びながら、風雅はついに廊下の一角に崩れ落ちる。


彼は、この北方の短い夏の夜空に、煌々と光るその月を眺めていた。

まったく別の世界軸ではあるものの、見えている月は、今彼らが冒険するハイ・ラガードの地でもまったく同じものなのだろう。
このところ多くの事件が起こり過ぎたことで忘れがちになっていたが、こうして、ここ最近で起こった多くの事を思い返すのも悪くはない…そう思った矢先だった。


一瞬だが、彼はその月の輪郭がぶれた様な感覚に襲われた。


全身が総毛立つような感覚。
一拍置いて、その夜空に走ったものがなんなのかを、彼は理解する。

「風雅…感じたか、今の…!」

見れば…つい先刻まで、机の一角に突っ伏していた烈の姿がある。
酩酊状態から完全に回復していないのは、先の自分がそうだったように壁にもたれながら近づいていることからも明らかだったが…その顔色の悪さは、気分の悪さから来ているものではないことはすぐに分かった。

「…ああ。
間違いない、真祖級の誰かが…戦っている
「誰か、じゃねえよ…!
こいつは…俺が一番よく、知ってる…!!」

烈は覚束ない足を叱咤し、元来た道とは逆へと歩きはじめる。

「…その足で何処へ」
「決まってるだろ…馬鹿野郎…!
一瞬、馬鹿乱麻の気を感じた…あいつ、あれほどやるなっていったのに…!

烈は歯がみする。


彼は、その直情的な性分もあって、それほど細かいことは気にしない性格の持ち主であることは誰もがよく知っている。
しかし、感覚的に動く故なのか、それとも気を操る闘法に長けた茜の孫だけあってか、僅かな闘気殺気でも察知してその持ち主の動向を把握できるほど、優れた感知能力をもっている。ましてや。


「あいつ、殺されるぞ…かごめさんに!!」


風雅もその恐ろしい予感を感じていないわけではなかった。

彼らは乱麻の過去も素性も、まだほとんど知らない。
知り合って間もない相手であること以上に、彼女は必要以上に慣れ合うことをせず、常に一匹狼を気取って斜に構えた位置から自分たちを眺めているきらいもある。

唯一、彼女の真相に迫る手掛かりは、ハイ・ラガードの金竜クランヴァリネに対し、凄まじい憎悪の感情を示したこと。
その一方で…烈はクランヴァリネに対峙し、その威容に飲まれながらも確かに…捉えていた。


「俺も、あのひとをひとつの目標にしたから…あのひとの事は、聞けるだけの事を聞いた。
あのひとは、タルシスであの竜を倒したって。
早苗さんが言ってたよな…金竜と戦った時のかごめさんの話を」
「ああ。
実質…あのひとが一人で、金竜を討ったようなものだと…そう言っていたな」
…勝てるわきゃねえだろ…そんなひとに!
今の俺達やあいつが、束になってかかったところで!!


勢い任せに駆け出そうとする烈だったが、ほんの数秒前まで突っ伏していた泥酔状態の身体がまるで言う事を聞いてくれない…にわかにバランスを崩し、そして、倒れそうになるその身体を…思いもしない人物に支えられていた。


「それで…あなた達は何をしようというのかしら?」


道士服をアレンジしたようなローブを着こみ、それまで伸ばしに伸ばしていたのを、肩にかかるかかからないかのショートボブに切ったその女性が、困ったように笑いかける。

「あんたは…えーと」
「紫さん。
あなたは、今までどこに」

そう、八雲紫。
件のかごめとは、本当に古い時代からの付き合いがある幻想世界の大賢者。
風雅の記憶では、今回は直接ハイ・ラガード樹海の攻略には関わっていないはずだった存在だが…。

「私も少し動けない状態になっていてね。
でも、やっと少し動いても問題ない状態になったから、様子を見に来ただけよ」

そうして指を鳴らすと、風雅と烈にそれぞれ一体ずつの式神がまとわりついて、その身体を中空へ浮かせたではないか。
そして、見慣れた「境界」の境目が、その掌の先に生み出される…!


「多分もう、決着はついている筈。
それでも、その結末を早く知りたいと思うなら、そう願いなさい。
その式神達が、あなた達をそこへ連れていってくれるわ」





「狐尾幻想樹海紀行 緋翼の小皇女」
第四十三夜 メイガスナイト…ラスト・ガール・スタンディング




一方。
その喧騒から人知れず抜けだし、街を駆けていく影がある。

鮮やかな金の髪を揺らし、焦燥の表情で取るの大通りを駆けるは…フラン。


確かに見ていたのだ。
ほんの数刻前まで、嫌がりながらも結局は周囲に乗せられるがままに飲み比べに参加した諏訪子の脇で、酔いつぶれていた筈のその少女を。

気づいたのは、ほんの今しがただった。
飲み比べに敗れ轟沈した姉も、付き合い疲れたその友にもそっと毛布をかぶせて歩いていた時に…件の少女の姿がないことに、フランは初めて気づいた。
それどころではない…その飲み比べの中心にいた筈の二人も。

(どうして…魔理沙、霊夢…それだけじゃない!
 かごめさんまで一体何処へ…!?)

胸騒ぎが止まらない。

さっきまで見ていた彼女たちの姿は、何時まであの中に居たのだろうか。
いつから、その気配すらもなくなっていたのか。

そして…一瞬感じたあの凄まじい殺気が、かごめのものだと確信した瞬間、彼女は矢のように飛び出していった。


この場からいなくなった誰かが、かごめと戦っている。
それを確信した瞬間、居ても立ってもいられなくなった。


「それで?
あなたはそこまで行ったところで、何をする気なのかしら?」

街の外を隔てる門のところまで差し掛かったとき、そこに立っていたのは思いもよらぬ…そして、見慣れた人物の影だ。
月光に照らされて立つその険しい視線が、その虹彩の緋もあって、鬼気すら纏って見える。

「あや…さん」
「魔理沙の奴は初めから飲むつもりではいなかったようね。
まさか、魔法で死んだフリまでしてあの場をやり過ごすなんて…そこまでして何を一体仕出かそうとしたのか。
…マリオンは口を噤んでいたようだけど、あの性悪覚が大体何があったのか読みとってたし…そんな無様を晒しておいて昨日の今日、スカートのシミもろくすっぽ消えてないようなこんなタイミングで」

茶化すような言葉でも、その声のトーンは怒気すらもにじませている。

「じゃあ、あなたこそ、いったい」
「決まってるでしょう、かごめに喧嘩売りに行ったあの金髪の大馬鹿を回収しに行くのよ。
なんかもうひとり想定外の奴がかごめに喧嘩を売ってるようだけど…」

文は心底呆れ果てた、という様子で強く頭を振ると、宵闇の空へ風と共に舞い上がる。
それまで金縛りにあったかのように微動だにせず、立ちつくしていたままのフランが狼狽の色を残したまま叫ぶ。

「まっ…待って、文さん!
私も行く!」
「もう多分時間的に手遅れだわ。
あとはあいつが生きていることを祈るだけ…」
「違うよ!」

何時の間にか溢れだした涙も払わず、はっきりと告げるフランと、冷たく見据える文の視線が交わる。


「魔理沙は…魔理沙が、まだ、戦ってる!
私も、今からでも魔理沙の戦いを見届ける!!」








スキマから出た先には、予想だにしない光景が広がっている。
そう、あまりにも予想しえない光景だった。


そこにかごめの姿は既になく、ただ、短い草に覆われた大地に放心状態でへたり込んでいる乱麻の姿。
そして、真っ青な顔で狼狽した表情のまま立ちつくすつぐみと、その傍らに不機嫌そうな表情の霊夢の姿まである。

「…なによ、スキマ妖怪。
今まで姿も見せなかったくせに今頃ノコノコ登場するとか、重役出勤にも限度ってあるわよね」

不機嫌な表情のまま嫌味を吐き捨てる霊夢の意に介した風もなく、烈と風雅は、その予想だにしない光景に困惑を隠せずにいる。


あの一瞬、空を走った凄まじい殺気は一体何だったのか?
乱麻と対峙していたのがかごめであるなら、そのかごめは一体どこへ消えたのか?


誰何の言葉すら浮かばない二人の少年に向けられたものであるのかどうか…霊夢が言葉を続ける。

「一瞬…ええ、たった一瞬よ。
かごめの奴は途轍もない殺気を解き放った。
それで、こっちはお終いよ」
「一瞬…どういうことだ?」
戦いにすらなってない、そう言ってんのよ。
かごめも、あの態度悪い女も、一度も剣を合わせることないまま決着よ。

魔理沙のことは心配だったのは事実だけど…私がこっちにわざわざ来たのも、かごめの戦いを見るためだったというのに、とんだ肩透かしだわ」
「剣を合わせなかった…だって!?」

言葉を繰り返すうちに、風雅も烈も、少しずつ頭にかかった靄が晴れていくのを感じ取っていた。
紫のこの式神は特別製で、ある程度の治癒能力も備えている「回収用」の式神なのだ。過剰摂取されたアルコールを、悪酔いさせることないほどのスピードで分解させることができるほどの治癒能力をもった。


もっとも、今重要なのはそんなことではない。
この光景がどのような経緯でもたらされたのか。
一体、ここで何が起きていたのか。


霊夢は些かも表情を変えることなく言葉を紡ぐ。

「夜空の景色も変えるほどの殺気。
アレをもろに喰らったのよ、至近距離で…正直私自身、ここでこうして立ってられるのが不思議でならないくらいよ。
霊夜姉さんが言っていたわね、本気のかごめと戦う気なら、まずあいつの目の前に立っていられるかどうかで、その権利があるかどうか決まるって。
大袈裟でも何でもなく…あの乱麻って奴には少なくとも、その権利はなかったッてことよ
「だったら、霊夢。
あなたは何故、勝負の付いたはずのこの場に残っているのかしら?」

紫は…恐らくその答えに気づいていながらもあえて、厳かにそう問いかける。
霊夢は、一瞬表情を険しくし、憤然と振り向いてばっと手を振りかざした瞬間。


彼らはさらに予想もしない光景を見ることになる。

切り裂かれた空間の先には、凄まじい熱気を孕んだ突風の渦。
そして、目を凝らした先にある、ふたつの人影。


「この光景が答えよ!!
魔理沙は、かごめと戦う権利を得た!その行方を、親友として見届けるためよ!!
あの日、私と姉さんとの戦いを見守ってくれた魔理沙やアリスのように!!!」






宴会場転じて、まるで野戦病院めいた様相を呈するそのフロアの一角で…氷海はゆっくりと身体を起こす。

今だ、頭の中を思いっきり何かで掻き回されたかのように、意識ははっきりとしない。
だが、彼女が目を覚ました要因は…一瞬感じたその恐るべき気配。

「ふむ。
このまま大人しく朝まで眠っていてくれるようなら、それに越したことはなかったんじゃがの」

混濁した意識のまま、その声の先を見やると…椅子に座ったまま、静かにコップの中身を傾ける茜の姿がある。

「あかね…さん。
まだ…飲んで」
「いるわけなかろう。というよりも、途中で飲む気も失せてしもうた。
……無謀なことをしよると思ったが、一人はどうやらその権利を得てしもうたようじゃ

意味深な言葉を呟くその横顔は、何処か悲しそうでもある。

「早熟はかえって身を滅ぼすのも早める。
じゃが…あの子は別格かも知れんの。
妖精国王妹・ミニッツ同様に、前世の記憶と力を色濃く受け継いだあの娘は
「まって…待って、ください。
一体、なんのことを」

困惑する氷海を余所に、茜は淡々と語る。

「と言っても、乱麻の馬鹿ではない。
あ奴も、ある意味では我が東條一門の被害者に過ぎないが…もっと強く、人ならざる身だった前世の己をそのまま受け継いだあの子であれば、成程、そのくらいの権利もあろうという筈じゃな。
悪霊の王は、転生の際にありとあらゆる才能に愛される権利を放棄した、などと言っておったが…大嘘を吐きよる。
あの子の体験したものが、赤竜を討つというその結果を得て見事に開花した。
間際で見届けても、良かったのやも知れぬのう…いや」

茫然と見つめる氷海を余所に、茜はグラスを傾ける。


「氷海。
お主も行くか、かご姉と…霧雨魔理沙の戦いの行方を見届けに」







♪BGM 「戦場 朱色の雨」♪


上空からも解る闘気と魔力の大渦。
その中心で展開されていたのは、フランはもとより、文すらも想像していなかった光景であった。


魔理沙の放つ斉射を事も無げに逸らし、間合いを詰めようと魔力弾を打ち出すかごめ。
それをさらに、魔理沙は星の弾幕で相殺し、なおも距離を詰めさせずに間合いを保ち続ける。
舌打ちと共に突き立てた剣が大地に深々と刻む衝撃波を走らせ、そこを貫く魔理沙のレーザー魔法を弾くかごめ。
弾かれ、相殺された魔法が、ふたりを取り巻く熱気の渦に吸い込まれ、紫電を放ちその強さを増していくのがはっきりとわかる。

接近を許さず間合いを保とうとする魔理沙と、その間合いに飛びこむ隙を探るかごめとの、一進一退の攻防。
否、それはそんな生易しいレベルの状況ではなかった。


「これ、は」
「なんなの…これっ!?
一体、どうしてこんなことに」

茫然と呟くフランに、文は記憶の糸を辿るように、そして、一層険しい表情で口を開く。

“真竜の戦い”だわ
「えっ?」
「魔界の古い文献に残っていた。
かつて魔界を二分した、強大な竜王である冥竜ヴェルザーと雷竜ボリクスの死闘。
両者ともに拮抗した強大な魔力と闘気が、互いの攻撃を致命打までに持ち込めず、周囲に嵐の如く形成された余剰エネルギーの渦は、周囲に近づく者を容赦なく焼き滅ぼす地獄の戦闘空間を作り出したと言われるわ。
力のみが物を言う、その究極の戦いを後に“真竜の戦い”と呼んだ。これはその再現といっても、差し支えないでしょうよ。
赤竜に選ばれた魔理沙と、金竜のドラゴンハートを宿すかごめ…これはもう、人間と魔性真祖の戦いじゃない。強大な力をもった竜王同士の殺し合いだわ…!

何処か浮世離れした響きのある言葉だが、それが決して空想の出来事でないことは、眼前のその光景と伝わってくるすさまじい熱気、突風が否応なしに思い知らせてくる。


ほんの数刻前、涙に暮れながらも絶望から這い上がったばかりのその少女が、何故ここまでの高みに上り詰めたのだろうか。
魔理沙が、その心を雁字搦めにしていた数多の柵の間で苦しみ続けていたことは、フランも文も知らないわけではない。
それが今目の前で起こっていることにどうやって帰結するというのか?

いや…そんなことは、今更問われるべきことなのだろうか?


「きっと、そんなの理屈じゃないんだ。
魔理沙がそうしたいと願ったから、きっと」


フランは、泣き笑いのような表情で笑う。

「だから、きっと」
「…そうね。
だからこそ、かごめはその挑戦を受けた。
きっと、それだけの単純な理由だった」

文は…その時になって初めて、いつものような穏やかな表情で笑う。


「見届けましょう。
あの愛すべき馬鹿共の、戦いの結末を」





見守る者たちに言葉はない。
フラン達がそう感じたように、烈も風雅も、紫さえも…その戦いを見届ける道を選んだ。

その事を知ってか知らずか…かごめは魔理沙と対峙しつつ、その刀の峰を再度返す。


「これほどの戦いは、いつ以来だろうな。
まさか…お前とこうして、これだけの戦いを出来るなんて、あたしも想像力が足りなかったかな」

魔理沙は無言のまま、左手に魔力を込めた八卦炉、右手に銃を構えて応戦の体勢を取る。
かごめはゆっくりと一歩踏み出すと、魔理沙も一歩また後ろに退く。

「基本的に魔法使いのあんたが、単独でここまで戦えるということ自体が驚嘆に値する所だ。
だが…もうこれ以上体力的にはもつまい。
そろそろ」

ふっと笑うその顔が、一気にその必殺の間合いへと潜り込む。


「終わりにしておこうか」


勝負が動いた。
見守る誰もが、そう感じ取った。

しかし…それはかごめの勝利による決着、それを意味するところではない。
かごめは僅かに一瞬遅れ、その違和感に気付いた。


この超高熱のフィールドは、中心に立つだけでも容赦なく体力を削り取る。
炎熱の魔力をもつかごめも当然のこと、赤竜の力を得た魔理沙にとっても、その条件は同じはずだ。

とはいえ、魔理沙は決して限界を迎えていたとは思えない。
勝負を急いだのは、むしろかごめの方だった。


魔理沙の表情がその一瞬、獲物を捕らえるその瞬間の…獰猛な肉食獣のそれに変わった。
ホルダーに差してあった、もう一つの魔銃…アグネヤストラがその左手に収まり、猫の如く立った体勢で彼女は、両手に銃を構えたまま目の前で交差する独特の構えに移行する。


♪BGM 「ニンジャスレイヤー:ナラク・ウィズイン」藤澤健至(Team-MAX)


「イイイヤアーッ!」

凄まじいシャウトとともに、左後方へ放たれるマズルフラッシュの閃光が、かごめの目に映った刹那…その反動を加速のエネルギーとして上乗せした鋭く重い蹴りが、がら空きになったかごめの左脇腹を捉える!

身体をくの字に曲げ、よろめくその上半身へさらに、振り落とされるギロチンの刃の如く魔理沙の肘打ちがかごめの後頭部を捉え、その身体はもんどりうって地面へと叩きつけられた。
しかし、そこは人間とは一線を画する耐久性能をもつ吸血鬼、かごめがダメージ承知で地面にたたきつけられた反動のエネルギーを利用して飛びのくと、硝煙の代わりに魔力の残滓を立ち上らせる銃を同じように構えて残心する魔理沙が…不敵に笑う。

「私が接近戦できないとでも思ってたのかよ、かごめ?
甘いぜ。
私が…今まであんたの傍で一体何見てきたと思ってんだ…!

口端の吐血の跡を拭い、かごめは剣呑な視線を魔理沙へ送る。



「あれは…まさか、あんな技を本気で!?」

驚愕の表情で紫が呟く。

「あの技、ですって?」
「…霊夢は小説なんて読まないから知らないわよね。
とはいえ、あんなものは御伽噺の産物のはずだった…暗黒武道ピストルカラテ。
銃の反動を利用した常識破りの拳闘術

「銃を用いた拳闘術…!?
そんなものがあるんですか!?」

風雅の問いに紫は首を振る。

「現実の技ではないわ。
理論もはっきりせず、言葉の説明は概要を知るにすらあまりにも不十分。
けれど…魔理沙は爆発力の高い自分の魔法を組み合わせることと、なおかつこれまで見てきた紅美鈴や熊野佐祐理といった、「武道の怪物」たちの動きを融和させることで、そのバカげた武術を現実に持ちだした。
魔法使いとして、近接戦闘に向かないだろうという、これまでの自分の印象に対する裏を突く隠し玉として!


「そうだな…あまりにもふざけた技だ。
だが」
「馬鹿の一念岩をも徹す、っていうじゃねえか。
どのみち、あんたや霊夢、アリスみたいなトンチキな連中と戦って乗り越えてやるのを最終目的にするんだったら…どんな形であれ、常識に沿ったやり方なんざかけらも役に立ちゃしないなんて百も承知だぜ。
そして。私は現実にこうして…多分に自己流ではあるけど…ピストルカラテ(こいつ)をモノにした…!


魔理沙は再度、独特のムーブで再び構える。

「ここまで温存してきた技だ…刃の届かない超接近戦、今度は私から持ち込みにかかる番だぜッ!
イヤーッ!!」

そして、かごめの意識するよりも早く、マズル音と同時にその間合いを高速で蹂躙する。

蹴りはフェイント。
肩の後ろに向けられたアグネアのマズルフラッシュと共に、右の肘が高速プレス機のハンマーめいて振り卸される。

かごめはかろうじてそれを刀の峰で逸らすが、凄まじい衝撃によって体幹が右にぶれる。
がら空きになったのは…先に魔理沙の重い蹴りを受けた右の脇腹!

「もらったぜ!!
これで決めだ、イイイイイイヤァァァーッ!!」


裂帛の気合を乗せたシャウトと共に、地面をもえぐれんばかりの加速を受けた鋭い蹴りが突き刺さる…が。


「…面白ェ…!!」


魔理沙は戦慄する。

かごめはいつから、刀を持っていなかったのか?
そして…受け止められた自分の足を掴むその両掌に、気が収束し…魔理沙はそれを悟った瞬間、掴まれた右足を軸に空へ飛び、加速し槍めいた勢いの左足の蹴りを放つ。
かごめはさらに右足を解放し、左の足を手の甲で逸らすと、魔理沙は横への反動をつけて横へ跳び、受け身からのワーム・ムーブメントで間合いを取りつつ起きあがり、構える。


あの一瞬に解放はされはしたが、左脚を「撃つ」タイミングがもうワンテンポ遅かったら…かごめの光輝掌で握りつぶされた右足は使い物にならなくなっていただろう。

否、その握撃のダメージは、掴まれ受け止められた時点でなかなかに重篤なものだった。
脛より下が痛みを通り越して麻痺している。強引に腿より上で押さえつけるようにして立っているが、大きく機動力を殺がれたことは間違いない。


「魔理沙。
あんたも忘れちゃいないだろうな。
あたしが…ルーミアの野郎に何を教えたかを」
……流派……東方不敗、か!

腰を低く落とし、左右の拳を天地に構える独特の構えを取りながら、かごめは口の端を釣り上げて頷く。

魔理沙は激痛に顔をしかめつつも、言い聞かせるかのように傷ついた右足を震脚して退歩の形に構え、そして、両腕は銃を構えたままで交差に、その両の瞳はかごめの姿をしっかりと見据える。
その瞳に、いささかも衰えぬ闘志を満たし、魔理沙は呼吸を整える。
一呼吸ごとに、魔力が全身へと行き渡り、高められていく。


「互いに切り札を出す…そろそろ、この戦いも幕を閉じる」

淡々と、険しい表情のまま霊夢が呟く。

「何故、そう言えるんだ?」

既に式の力も借りず、無言でその戦いを見守っていた烈が問う。

「お互いに温存していた筈の切り札をもちだして来た。
皮肉にも、それはお互いの肉体ひとつを武器とする徒手の技術…まあ、魔理沙の場合少し違うかもしれないけど。
…とはいえ、もうどっちもそんなに長く殴り合いが出来るような体力なんて残ってない筈だわ
「その通りじゃな」

その声に烈と風雅が振り向くと、まだ僅かに足元の覚束ない氷海を伴って、茜がゆっくりこちらへ歩いてくる。

「ばーちゃん…氷海も」
「少しだけ、茜さんに体内の気を浄化してもらったはいいけど…明日が怖いわ。
けど」
「これほどの戦いを目の当たりに出来る機会はそうは多くない。
お前達もそうじゃろ?」
「いや、俺達は…」

言葉を濁す風雅の視線の先には、まだへたりこんだままの乱麻の姿がある。
茜は何かを悟ったように溜息を吐くと、氷海の傍を離れ…その少女の側へしゃがみ込む。

「これで、お前が一体何に喧嘩を売ろうとしていたかがよく解ったじゃろ。
命を拾っただけでももうけものと思わんか。
先祖の亡霊如きに散々踊らされおって…いや!」

諭すようでいて、きつく戒めるようなその言葉にも、乱麻はうつろな視線を中空に彷徨わせたまま答えない。
茜はその身体をきつく抱き寄せると、さらに続ける。

「お前は人柱にされただけなんじゃ。
「竜」を討つ、それは、奴らの目的の一つでもあったのだからな。
だが…お前にそれを強要した元老どもは、尽く自滅しもうこの世にはおらん。
…もう一度、お前がこの世に生きる理由、戦う目的を一から考え直せ。
難しいことやも知れぬが…烈達と一緒に馬鹿でもやっておれば、そのうちになんとかなるじゃろうよ…!


遠目には解りにくくはあったが、茜に抱かれたその少女の肩が震えていただろう事に、気づいた者はいるのだろうか。
だが、烈にはなんとなく、乱麻がどんな重荷を背負わされて生きてきたのか、解ったような気がしていた。


愛子や蕾夢を苦しめ、美結のような存在を生みだした「藤野」という名のその一族。
乱麻も…きっとその勝手な都合から生み出された被害者の一人であったのだろう事を。



「しかし」

その思索を打ち消させるように、紫が厳かに口を開く。

「かごめが流派東方不敗を習熟している以上、あの子には無手でも十分な決め技がいくつもある。
石破天驚拳のエネルギーを上乗せした光輝唸掌…それに奥義魔法を上乗せする術式昇華が絡めば、素手でも十分あの子の必殺技「覇凰天翔」と遜色のない一撃を繰り出す事が出来る筈。
…対して、魔理沙は」
「近接の決め技ならあいつも持っているでしょうに。
あの、ピストルカラテとか言うの、銃の反動で一時的な加速を得ることに肝があるんでしょ。
タイミングは限られるけど…もし最大出力のマスタースパークの反動でブレイジングスターにさらなる加速を加えられるなら、間違いなくそれが」
「ちがう…!」

それまでずっと沈黙を守っていたつぐみが、絞り出すように吐き捨てる。


「れーむさんも、紫さんも…タルシスの魔理沙さんを知らなさ過ぎるよ…!
魔理沙さんには…もう一つ切り札があるんだ!
幻想界最強の『詩姫』を討つに足る、破壊の奥義が!!



その鬼気迫る表情は…きっと今まで誰もが見たこともないようなつぐみの表情だったのだろう。


(確かに、今の私に使える技はたかが知れてる。
 うまくいくかどうかはわからない。
 でも…)

魔理沙は、ゆっくりとその一方の腕を後ろ手に構える。
そして、今だ正面に構えたままの左の銃と、後ろ手に構えた右の銃に、それぞれめまぐるしく光が旋回する魔法陣が展開される…!


「ひとつだけ…試してみたい技がある。
私がここまで積み上げてきた全てを、託すべき技が…!!」