1月18日。
学園年間予定の中に、その由来も知られずに紛れ込んでいる、不思議な記念日。
この日、全校区がお休みと言う事もあって、それぞれの勢力ごとに過ごし方は様々だ。
此処、長湖部においては、おもに中等部生を対象とした、長湖部体験入部イベントを開催している。
最も、中等部生でありながら既に主将を任されている「変り種」も居ることは居る。
周瑜という大黒柱を失い、それを牽引するものが居らず活動休止状態の軽音部が使っていた旧音楽室で、エレキギターに興じている狐色髪ポニーテールの少女・丁奉もそんな「変り種」のひとりである。
♪少女歌唱中 「絶対にチョコミントを食べるアオイチャン」♪
「ちょこみんとっあーいすっ♪」
以外にそつなくこなされるギターの旋律に、見た目相応の幼い歌声が乗る。
下手ではないが、特別巧いわけではない。
「ちょこみんとっあーいすっ♪」
誰かの手作りと思しき譜面を見ながら、彼女は聞く者も無い部屋で、こうしてヒマを潰していた。
「ちょこみんとっあーいすっ♪
ちょこみんとっあーいすっ、あとちょこみんとっあーいすっ♪」
「こらこらなんて曲歌ってるのあなたは。
というか、何してるのよこんなところで」
「ひゃいっ!?」
不意に声を掛けられて少女は飛び上がらんばかりに驚き、一瞬遅れてそちらの側を向く。
そこには緑がかった髪を整えたショートボブの、比較的ゆったりとした制服のカーディガンからも解るほど豊満な胸を持つ、困り顔の少女がいた。
その抜群過ぎるスタイルと、あどけなさが残るものの「美人」と形容できる、目鼻の整った容貌。
休日であるこの日も、学園指定の正装である制服を着込み、腕章を身に付けている所から、長湖部の幹部クラスの人間であることがわかる。
丁奉ならずともこの正体をよく知られた、この「有名人」とも呼べる存在に…彼女はまるで気負いする風もなく、にぱっと笑う。
「あ、伯言先輩。運営の仕事とかどうしたんです?」
「私の出番なんてとうに終わったわよ。
そういう承淵こそ、体験入部はどうしたのよ」
「いやぁ、あたしはもう確定で水泳部へ入部決まってるっていうか、もう2年もそこに混じってますからねぇ。
今更体験入部、って言われてもピンとこなくて」
伯言こと、長湖部実働部隊の総括責任者・陸遜にも、その気持ちは少し解る気がした。
丁度一年程前、目の前の少女は自分の副将として、共に夷陵回廊の激戦を潜り抜けていた。
陸遜にしてみても、この少女が来年度ようやく高校一年生になる、という事実のほうがむしろ違和感があるレベルであり…それ以前にも、ある事情から彼女が中等部に進級してから間もなくの頃から、陸遜も彼女をよく知っていた。
彼女が中等部の制服を着ていなければ、とてもそうは思えないほど、その付き合いも長いのだ。
-彼女の記念日-
溜息を吐いて、傍らの椅子に腰掛ける陸遜。
「わざわざ制服着て学校に来てるんだったら、その目的以外に無いと思ってたけどね」
「そりゃあ、学校の施設を使わせてもらう以上、私服ってのもどうかと思いましたし」
「その辺はなんだかんだしっかりしてるわね。
けど、だからといって勝手にそこらの部屋に入って、学校の備品を勝手に使っていいわけじゃないわよ?」
そう言って、丁奉の額を指先で小突く陸遜。
咎めるような口調だが、表情は笑顔だからからかい半分だろう。
普段は部員から堅物扱いされている陸遜だが、この後輩の前では人当たりのいい所をみせているようである。
「う〜、確かにそうですけどぉ…でもたまにこうやって調律しないと、折角のギターが駄目になっちゃうじゃないですか」
頬を不満げに膨らませて反論する丁奉に、陸遜ははっとした。
「え?…ちょっと承淵、それって」
「ええ、公瑾先輩が使ってたギターです…さっき見たとき、ケースに埃被ってましたよ。
いったい何時から使われてなかったんだか」
そう言って、ギターの弦にそっと指を這わせ、寂しそうに微笑む丁奉。
陸遜も何故か、胸の何処かが締め付けられるような感覚を覚えた。
ふたりにとって、長湖部の守護神とも言える周瑜の存在は、非常に大きなウェイトを占めていた。
長湖部員なら誰にとってもそうだろうが、とりわけ彼女達は中でも周瑜との関わりが深く、血の繋がった実の姉妹よりずっと深い絆で結ばれていたと言えるだろう。
結局、その身を司隷の病院へ移しても周瑜の病状は好転せず、夷陵回廊戦のあとに交わした約束が果たされることなく…間もなく「卒業」という形で彼女はこの学園から席を外す事になるだろう。
ふたりはどちらからともなく、まるで導かれるようにして、半ば物置と貸した旧音楽準備室の扉に手を掛ける。
…
この準備室も周瑜が現役だった頃は、定期的に掃除をしていたはずで…かつて表向き周瑜にぞんざいな扱いを受けていた頃は、常に最初陸遜ひとりがそれを押しつけられ、しばらく経つと他の者を撒いた周瑜や孫権がやってきて、三人で丁寧に掃除をし、機材の手入れをして、そして軽くセッションしたりするのが日課になっていた。
ところが時間が経つにつれ、周瑜が課外活動の表舞台から去り、孫権はもとより陸遜も長湖部の中心メンバーとして多忙な日々を送るうちに軽音部に顔を出すことがなくなっていき…部員のほぼ全員が別の部のマネージャーを掛け持ちするようになると、何時しか訪れるものの無くなったそこはすっかり埃だらけになっていた。
「確か…この辺だったと思うけどなぁ」
埃の舞う薄暗い部屋の中で顔をしかめつつ、陸遜は使わなくなった機材を退かし、あるいはケースを空けて中身を吟味する。
こちらは特になにをするでもなく、ただ陸遜に倣って埃を払って歩く丁奉が、呆れたように呟く。
「それにしても凄い埃ですねぇ」
「此処に入るんだったらジャージ着てくれば良かったわ…あ、これだ」
「え…何ですかそれ」
捜し物を見つけたらしい陸遜がそれの上に積もった埃を払って持ち上げる。
それは一冊のバインダーだった。
その表紙には[耳コピ譜面集]と銘打たれた紙が貼り付けられている。
開いてみると、そこには曲タイトルの書かれた紙。
そこにあったのは、まだ周瑜が長湖部副部長だった頃に流行った名曲から、どう見てもアニメやゲームなどのキャラソングと思しきタイトル…さらには、その出所さえうかがえないタイトルすらある。
箇条書きも途中までしかないところを考えると、恐らくはまだまだ作り続けるつもりだったのであろう。
感慨深げにそれを見つめる陸遜。
彼女には久しく見ることの無かった「先輩」の姿を思い起こし、懐かしさとともに寂しさのようなものも込み上げているのだろう。
「懐かしいわね…これを作るために私、よく夜通し付き合わされたわ。
そういえば承淵、さっき弾いてた曲の譜面、何処にあったの?」
「え…あぁ、公瑾先輩のギターケースの中に…え、じゃあこれは」
「そ、公瑾先輩が耳コピした歌謡曲とかの譜面よ。
わざわざ譜面買うくらいなら、自分で作ったほうが早い、なんて言って本当にやっちゃうんだからなぁ…公瑾先輩」
ふたりは同じような、呆れたような、寂しそうな顔で微笑み合う。
そして、陸遜はその表紙を大仰に叩いて差し示す。
「ちょっと、演奏してみましょうか?」
「ええ? まだ片付けとかあるんじゃないですか?」
「まだどうせ時間はあるし、それまで他にやることもないもの。
…たまには、こういうのもいいでしょ」
そう言った陸遜の笑顔も、普段よりずっと穏やかに見えた。
…
部屋をあとにしようとすると、陸遜は準備室から一台のドラムセットを引っ張り出してきていた。
「あれ?
使うんですか、それ」
「私はこっちのほうが慣れてるの。
私結局ギターもベースもピアノもあまり上手に弾けなかったから、こっちを徹底的に叩き込まれたからね、文字通りの意味で」
そして、感覚を確かめるように無造作に叩くが、中々のスティック捌きである。
周瑜に合わせる為、相当に練習したのであろう事が窺える。
なにしろ周瑜と言えば、ほんのわずかな音階やリズムのずれでもあれば、容赦なくツッコんでくるほど演奏には煩い事で有名だ。
「ほぇ〜…何だかあたしみたいなのがセッションさせてもらうのが恐縮ですね」
「大丈夫大丈夫。
私もそんなに巧くないし、最後に使ってから一年以上経ってるから。
じゃ、どれから行ってみようかな」
「え、えと…できればあんまり難しくないヤツで」
「そうね…じゃあ、これかな。
テンポもそんなに速くないし」
「うっわマジで懐かしいこれ」
そして、久しく使われることのなかった機材が、再び音を奏で出した。
…
♪少女歌唱中 「Still」♪
-うまく行かない毎日に 少し目を背けていた
あの日描いてた未来は 無関心なまますり抜けていった-
遠く、イベント会場からスピーカーにのって、孫権のスピーチが遠く聞こえてくる。
-小さいままの自分だって
いつかは輝き満ちていくの
そう信じてる-
そんな華やかな舞台に届くべくも無い二人の演奏は、時折大きく外しながら、立ち止まりながら、観客も居ないステージで延々と続く。
-繋ぐ小さな手から
奏でるこのハーモニー
壁も恐れたりしないで-
何曲くらい演奏しただろうか。
何時しか彼女達も調子が出てきたようで、選ぶ曲のテンポもだんだん速いものになっていった。
- 「理想の自分になりたい」
ただ待ちわびてたんだ
悩み抜いた日々にそっとサヨナラ-
二人しか居なかった此の場所に、二つしかなかったはずのパートに、何時の間にかピアノが加わり、ベースが加わり…気づいたときには、他に見知った顔が増えていた。
-小さいままの自分だって
いつかは輝き増していくの
そう信じてる-
同じようにして、めいめい自分の得意な楽器を持ちだしてきたのだろう。
気づいたときには五つの歌声が、古びた音楽室に満ちていた。
-響く 初めて知った「希望」というメロディ
失敗ばかりではないから
「理想の自分になりたい」
ただ待ちわびてたんだ
彩られた日々がきっと 呼んでる-
…
「ったく…見当たらねえと思ったら何してんだ伯言。
仲謀ちゃんめっちゃ怒ってたぞ」
演奏を終え、呆れたようにベースの朱然が窘める。
「まあ、一緒になって演奏始めた私達も言えた義理はあまりないわよねその辺。
即興の割には巧く行ったんじゃない?」
ピアノに陣取っている諸葛瑾が肩を竦める。
「いやほんと今更ですけど、私達こんなことしててよかったんですかね?」
二人目のギターを担当していた呂岱も苦笑を隠さない。
「こういうのもミイラ取りがミイラになる、って言うんですかね?」
「あーうん、確かにそうも言えるけども…ごめんみんなちょっと興に乗っちゃって」
丁奉の言葉に賛同しつつも、困ったように陸遜も笑う。
その時だった。
「あー!サボり組発見ー!
何やってんだよ伯姉っ、承淵っ!
…ってかなんかめっちゃ人いるし!!!」
不意に、扉が開く。
そこに顔を見せたのは、緑がかったセミロングの髪の先を盛大に跳ねさせている眼鏡の少女…陸遜の親戚筋に当たる陸凱だ。
「なになにふーちゃん、お姉ちゃん達居たの?」
「ふぇぇ…こんなところもあるんですね〜」
さらに間を置かず、さらに二人の少女が駆け込んできた。
皆、丁奉と同じ様式の制服を着ているので、中等部の娘達であることはひと目でわかる。
三つ編みの快活そうな少女は陸遜の妹陸抗、ストレートのセミロングの髪に大きなリボンをあしらった大人しそうな少女は陸凱の双子の妹、陸胤だ。
「敬風、敬宗…幼節まで…あんたたち、体験入部は」
「もう終わったんだけどな〜」
「ぶ、部長!」
とどめとばかり、悪戯っぽい笑みを浮かべた孫権と、それについてきたらしい呆れ顔の虞翻と、その妹の虞まで顔を出した。
「子布さん(張昭)が居たら大変ね、ものすごい雷が落ちるわよこの瞬間」
「そういうもんなの?
あたしその辺よくわかんないんだけど」
呆れたような虞姉妹の言葉に、見れば、時計はもう四時を廻っていた。
演奏に夢中になっていて気付かなかったが、二人は二時間以上此処で歌っていたのだ。
曲数そのものはこなしていないが、慣れてくるまで何度も躓いて、その都度最初から演奏したりしてたからだろう。
「それにしても久々に此処に誰か居ると思ったら、伯言たちだったんだね〜」
「す、すいません…ちょっと調子に乗っちゃって」
「ごめんなさい…」
「まったくもう…もう片づけまで終わったんだからね〜」
口を尖らせる孫権に、慌てる陸遜と丁奉。
「うええっ!?」
「冗談だよ。
それにしてもみんな薄情だなあ、ボクも誘ってよもうっ。
でも、もう片付け始まってるし、伯言達は当然として…人手が要るから、出来れば皆も手伝ってくれると嬉しいんだけどな〜」
そう言って、中等部の面々を見回す孫権。
「私はいいですよ〜」
「ん…じゃああたしもやる〜」
「なんか出して下されば、喜んで」
「うわ、出たよこいつは」
素直に承諾の意を出す陸胤と陸抗、がめついことを口走る陸凱へあからさまに吐き捨てる虞。
こっそりとそちらに合流しようとした丁奉は、何時の間にか両サイドに陣取っていた朱然と陸遜にがっしりと肩を掴まれて「あ、もうあたしは強制参加なんですね」と半ば嫌そうに呟く。
「もちろん、ジュースくらいは奢ってあげるよ」
「え、あたしも?」
「承淵はむしろ、奢るほうじゃねえの?」
「うわ、何てこというかなぁ…あたしも一応新入生なのにぃ…」
朱然の言葉に更に嫌そうな顔をする丁奉へ、孫権は無視やりその頭を撫でて微笑む。
「ウソウソ、人数分は用意するから。
さ、此処も片付けて、行こっ」
引っ張り出された機材を片付け、がやがやと出て行く少女達。
最後に、名残惜しそうに振り返った陸遜の肩を孫権がそっと叩いて呟いた。
「公瑾さんは戻ってこれなかったけど…ボクたちが、ここから何か届けてあげられたら、いいよね」
その寂しい笑顔に、陸遜は「ええ」と頷く。
あとにしたかつての音楽室に、再び静寂が戻る。
この部屋に、程なくして在りし日の活気が戻ってくることを、彼女達はまだ知らない。
(続く?)