解説 韓当
-学三設定-
長湖部の最古参。程普、黄蓋、祖茂、朱治らとともに長湖部草創から尽力してきたひとりである。
普段は穏やかな笑みを浮かべ、人当たりの良い穏やかな性格だったが、人の嫌がる事をむしろ進んで行い、しかもそれと気付かれないため存在の重さのわりにまったく目立たないという、文字通りの「縁の下の力持ち」。しかし一方で甘寧や呂蒙などという荒くれ者を一瞥でビビらせるほどの妙な迫力を持つ。名うての悪たれどもが恐れるこの「睨み」を正面から返して見せたのは、孫堅や孫策を除くと精々陸遜くらいしか存在しないとまで言われるが、そのことで恐れられる以上に後輩の面倒見の良い事から非常に多くの者から慕われていた。その肉体はウオータースポーツ(彼女の専門はレガッタ)で堅実に鍛えられており、剣術の心得もあり小柄ながら剛力無双の女丈夫である。
孫権政権時代には早くから長湖部の切り札「敢死」「解煩」の二隊を擁する長湖レガッタ部の主将を務め、数少ない最上級生幹部として、陸遜の下について劉備と対立する。陸遜の非凡な才覚を見抜いた彼女は、新参の陸遜のやり方に不満を覚える周泰らを掣肘して指示に従わせ、陸遜がやりやすいように取り計らったという。陸遜は韓当に対する恩義を返すため、夷陵丘陵の戦いの戦功第一を彼女のものとし、引退までの僅かな間長湖実働部隊の総監督という大役を与えられ、卒業までの短い期間ではあったが長湖部威力部門の最高幹部としての栄誉を受けた。
彼女が引退して間もなく、従妹に当たる韓綜が直属の部隊を預かったが、彼女は長湖部に置ける立場の危うくなったことに不満を抱いて蒼天会に帰順。約二年後に丁奉によってリタイアさせられるまで、常に夷陵周辺などを荒らし回り長湖部の頭痛の種であり続けた。
-史実・演義等-
韓当 ?~二二六
字は義公、遼西郡令支の人。
弓術・馬術に巧みで、相当にタフだったことから孫堅に目をかけられ、彼に従軍し転戦した。戦では度々危険を冒し、敵を破る功績を立てたことから別部司馬に任ぜられた。孫堅の死後は孫策の江南平定に従軍し、会稽、呉郡、丹陽の討伐に参加した。戦後に楽安県の令になったとき、山越系の不服住民は皆彼の威を畏れ、従順だったという。
その他にも赤壁の戦い、南郡攻略に参加し、二二二年の夷陵の戦いでも、陸遜や朱然らと共に蜀軍を迎撃し、その直後魏の大軍が攻めてきたときには南郡を守りきった。孫権の代では出世が遅いと言う風評も(後世の史家から)立った韓当だが、二二三年には昭武将軍・石城候の爵位を与えられ、都督の称号も与えられている。さらには孫呉の特殊部隊である「解煩(かいはん)」「敢死(かんし)」の二軍を指揮下に加えられ、その後も内乱平定に活躍している。
演義では夷陵の戦いの際、古参諸将の代表格として陸遜と対立するという役どころだが、韓当伝には「外地出征の際、中央から送られてきた軍目付けなどには恭しく従い、法令を遵守した」事と、「武将や兵卒たちを励まして心を一つにすることで守りを固めた」という記述があり、演義の韓当像とは正反対のことが書かれている。
孫権が曹丕の死に乗じて石陽に軍を進めた二二六年ごろ、病死したとされる。彼の死後、その爵位と軍団を引き継いだのは息子の韓綜だが、正史に拠れば韓綜はかなりの放蕩息子であったらしい。父の喪中に不品行な行為を繰り返していたが、孫権は韓当の功績を慮って不問に付した。しかし韓綜はいずれ誅殺されるという疑心暗鬼に駆られ、韓当の喪もあけきらぬうちにその棺と一族郎党を引き連れて魏に降った。そして長く国境地帯を荒らしまわって孫権以下、呉の民から恨まれたという。韓綜は結局、東興堤の戦いで丁奉の奇襲を受け、乱戦の中で討ち死にしたという。
-狐野郎が曰く-
「苦労人」「縁の下の力持ち」…色々言い方はありますが、孫呉における最古参のひとりで、派手に目立つような事はしていないけれど、なくてはならない存在だった韓当。とはいえ演義ではことさら影が薄く、見せ場らしい見せ場と言えばそれこそ夷陵の戦いにおいて「孫呉の宿将」として登場した程度。同格扱いされることも多い程普や黄蓋と違って赤壁の戦いにメインで関われなかった故なのか。演義では孫堅の身代わりになって乙って正史では何時の間にかフェードアウトしていた祖茂よりはマシかも知れないが。ちなみに程普同様何気に幽州の出身であり、学三でも程普、黄蓋共々田舎の出身という設定があったりする。今の幽州は中国の首都があるんですけどねえ。
学三の人物設定原本では「おっとり系の性格で、見た目も温和そうなイメージだけど、一瞥で甘寧や潘璋といったクセモノ達を黙らせるミョーな迫力の持ち主」とある。何でだか知らないけど妙に迫力というか歴戦の勇士としてのなんかがオーラとしてみえそうになってなんか周囲の人間が一目置いているらしいみたいな、どこぞの謙虚な騎士めいた存在なのかも知れない。いやまあ流石にブロントさんみたいなあらゆる意味でぶっ飛んだキャラではまかったろうが。当方では「風を継ぐ者」の中で陸遜と正面対決させてるシーンを盛り込んだが、意外に設定のみであまり語られている気配のない()韓当のもつ「なんかよくわからんけどめっちゃヤバイ系のオーラ」に一歩も引かずやりあうことの出来た、という陸遜のヤバイ面を表現したかったのだが巧く行っていたのかどうか、未だによくわからぬ。あとでワンシーン加えられたことで孫権にもその流れ弾が飛んでいったが、まあ騒ぐほどのことではないか(スナネコメソッド
何気に韓当に大きく見せ場をつくった事もあって、最初その割を食う形で韓綜には最初フォローなしの汚れ役をかぶせたりした一幕もあった。よくよく考えれば丁奉に討たれるまで三十年近くも孫呉との境界線近くで暴れ続けていた辺り、韓綜も並みの将帥でなかったことは火を煮るより明かなのであるが…なお後に指摘があったことを受け、それならばとさり気にフォローするフリして丁奉の強さに箔をつける有様。歪みあるのかねえのかわっかんねえな。