裏設定なんて見てもいいことなんかないぜぇ〜?

−「学園三国志」正史虞翻伝 人物補注−

本籍:揚州学区・会稽棟
課外活動初参加:中等部三年生(三学期ごろ)
所属:長湖部
最終役職:最終的には平部員。だが「長湖部記」に拠れば彼女の卒業に際し、特別に長湖執行部長の役職を寄贈されたとある。

誕生日:6月10日
血液型:CisAB型(六人いる姉妹のうち、彼女と末妹の虞譚が稀血であったと記されている)
身長:164cm(入部当初からあまり変わらない)
体重:ほぼ50kg前後。
その他特徴:北方系の銀髪碧眼。やや癖毛。ややキツめの顔立ちであるが、美人系でスタイルも良い。

◎備考
好きなもの、嫌いなもの、趣味など、公式のプロフィールには「なし」と記している。
ただし、彼女と懇意であった諸葛瑾や、彼女の妹達の証言によればかなりのお祭り好きで、なおかつ音楽シュミレーションゲームが極めて得意であったという(長湖部でその二強であったのが周瑜と魯粛であるが、諸葛瑾や陸遜の証言によれば、魯粛よりは当人も認めるように間違いなく上手であり、時に周瑜と互角の腕前を見せたという)。
また、非常に歌唱力が高いとの証言も。
普段ぶっきらぼうに振る舞ってはいるが、妹達や親しい者に危難が迫ると、後先考えずに行動するところを見せるとも。

武器:組み立て式の杖
武術流派:神道夢想流杖術(公式記録にはない)


音楽ゲームにおける各人の証言

証言者1:虞
「一度ですねー、渋る姉さんを思奥(虞譚)がせがんで、DDRをやったんですよ。
その時、ちょうど通りかかった公瑾さん(周瑜)達の眼にとまって、成り行きでバトルをやることになったんですよ。
いやー…姉さんって、ああ見えて思奥にすごく甘いですからね。
…あの時の姉さんのプレイは、もう人間のそれじゃないですよ。アレに喧嘩を売るってのは、まぁ台風に扇風機で対抗するようなもんですよ」

証言者2:陸遜
「折角元気になったし、リハビリに行くから付き合えって公瑾さんに言われて、私も気分転換にいいかな、って思ってついて行ったんですよ。
他には…子瑜先輩(諸葛瑾)と、子敬先輩(魯粛)…あと何故か曹操会長と部長(孫権)もいて。
丁度そのとき、妹さんと一緒に遊びに来てた仲翔先輩とはち合わせたんです。
その時、先輩は妹さんと楽しく遊んでらしたんですけど…会長があまりけしかけるもんだから、その気になった公瑾先輩と対決することになっちゃって。
最初のステージは公瑾先輩の圧勝だったんだけど…もう、最後なんて何処をどう踏んでるのか解らなかったです。すごかったですよ本当に」

証言者3:魯粛
「…あたしさー、実は仲翔がバカ巧いの知ってたんだよね。それをうっかり言っちゃったもんだから…まぁ、悪いことはしたと思ってるさ。
仲翔もあまり波風立てたくない様子だったんだけど…あの馬鹿会長と公瑾のアホがすっかりエキサイトしちゃってねえ。
あの馬鹿会長が末妹捕まえて“負けたらこの子にいたずらしちゃうぞー”とか言ったのが、まぁ…不幸だったね。
でもまさか勢いとはいえ、涼しい顔で鬼エタラブフルコンするとは思っちゃいなかったわ、正直。
あの後、無言ですごまれた会長が、目を丸くして妹ちゃん差し出してた姿が印象的だったねえ」

証言者4:周瑜
「アレはねー…出来るならもう思い出したくはないわね。
まぁあたしの自業自得というならその通りなんだけど…まあ後で聞いたら、あたしもあいつも筋肉痛でまともに立てなかったってさ。
けど…伯符(孫策)と子瑜から聞いたんだけど…たまにあの子ポップンのネット対戦もやってるらしいのよね。
時々当たるものすごく強いプレイヤーがいてねー、どうもその正体が仲翔らしい、というのは話半分で聞いてたけど…あれ見せられたら強ち出鱈目とも言えないところが怖いわねー」



−虞翻別伝 虞仲翔異聞録−

公式記録には残っていなかったが、実は陸胤の日記には関羽攻略における丁奉の回想が収録されている。

それによると、呂蒙が連れて来て潘璋の部下としてあてがった「馬忠」という名の少女が居たが、その少女の顔立ちは虞翻の人相に酷似していたと言う。馬忠は武神・関羽を捕縛したということのみ記録されている謎の人物であるが、この人物も杖術の達人であったという。


丁奉は知る由もなかったのだが、実は呂蒙は士仁・糜芳誘降の大任を成功させた虞翻を引きとめた上、変装させて対関羽の最終兵器に仕立て上げた。「馬忠」というのは「司馬」の「仲翔」というところから呂蒙が言い出した出任せの名前で、正しくは「馬仲」であるのだが、実は甘寧不在時の銀幡軍団を纏めていた少女の名も「馬忠」といい、どうやらそれと混同されてしまったようである。
尚、銀幡の馬忠は一名を「阿撞」とも呼ばれ、自身が卒業するまで丁奉のサポートをしていたとも言う(海月注:名前こそ出ていませんが、実はSS「風を継ぐ者」第四章で丁奉を助けようとしたり、「銀幡流儀」そのいちで丁奉を呼びに来たりしている少女がそうです)。


当時から潘璋、蒋欽など目敏い者や、同郷の凌統などは変装した虞翻の正体に気がついていたようだが、学園最強の武神を討ち取ったのが彼女であることを、長湖部員以外で初めて知ったのは卒業したあとの劉備であった。蒼天大学医学部に入学したあとの彼女は張遼や趙雲、周泰などの猛者に請われて手合わせをする事もしばしばだったが、それはすべて劉備の差し金であったらしい。

劉備は、荊州攻防戦のあと姿を消してしまった義妹の関羽が、その迷いの末、学園を裏から意のままに操ろうとする孫魯班の組織に与していること、魯班一派が長湖部を侵食していることを知り、魯班とも因縁の深い虞翻に協力を仰ごうとした故であった。魯班は孫権のイトコであると同時に、学園都市を支配する劉一族に放逐された覇王・項羽の娘であり、そのために学園に入学を許されなかったことを深く恨んでいた。
幼い頃、母の虞子期を介して項羽と親しくしていた虞翻は、偉大なる大叔母が犯した最大の罪過を償うため、そして義妹を思う故に命を賭けようとする劉備の心に打たれ、また、魯班を止めるという項羽との約束を果たすため、魯班と闘うこととなる…。